俺達二人が出陣できる戦場の数は、それほど多くない。というのも、俺も鶴丸さんも練度は最大まで極まっているとはいえ、相手が強敵の時、大勢で来られてしまうと、流石に対処しきれないからだ。
一度だけ、後先考えずに、二振りで"いつも通り"進撃して、危うく帰れなくなるところだったことがある。二振りとも戦場の深部で重傷を負ってしまったからだ。重たい身体を引きずりながら、折れる寸前の傷を作りながらなんとか本丸に帰れた時は、こんのすけに泣きながらこってり叱られたし、一か月の出陣禁止命令を食らってしまった。
命令権のない、彼? から、出陣禁止ですからね、と言われたところで、俺達には何かに縛られるような制約は直接加わらないし、こんのすけに従わなければいけないという決まりもないのだけれど。
その時の俺達を手入れできるのは、僅かな主の霊力を身に纏った、こんのすけだけだった。もちろん俺達も例外ではないけれど、この本丸が存在している以上、此処を担当するこんのすけと主の縁だって、未だ切れていない。その縁という細い糸を頼りに、少しずつ俺達の本体へ霊力を注いで、じっくり時間をかけてだけれど直してくれているのだ。本来審神者しかできないことを、やっとの思いで無理矢理行い、俺達の命を繋ぎ止めている、という感じだった。
正規のやり方ではない分、傷の治りはとことん遅い。とはいえ、こんのすけがいなければ、出陣すらできないのだ。出陣したところで、手入れができないまま、傷だらけのまま過ごすことになっていたかもしれないのだ。……俺達は顔を見合わせて、すとんと肩を落とし、苦笑しつつ頷いた。恩人の禁止命令は受け入れるしかないな。……鶴丸さんの目が、そう言っていた。
まあ、出陣禁止になったからと言って、ただ黙って眠っているわけにもいかない。こんのすけに操作方法を教わり、やっと使い慣れてきた箱型の機械を操作して、政府から提出必須の資料が届いていないかを確認をする。政府から届く伝令、通達など、その類の書類は、何も紙媒体だけではない。現代ではどんな些細な物でも電子化が発達したからと、電子媒体で届くことも多くある。箱型の機械が設置されているのは、主の部屋だけだ。主の部屋を勝手に使わせてもらうのは少しばかり気が引けたけれど、四の五の言っていられない。
今日も失礼します、と心の中で謝罪をしつつ、ここ数日間の受信履歴を眺めた。政府へ提出しなければいけないものは、題名に【必須項目】と、提出期限の日付が書かれているから、それが無いものは取りあえず無視している。中には会議の案内、なんてものもあったけれど、まあ、出れるわけがないもんね。
からからと音を立てながら、まうすで画面を上から下へ流し見していると、すす、と床と戸が擦れる音がして、目線だけを画面から上げた。鶴丸さんが右手指に紙を二枚挟んで、ひらりと揺らしながら入ってくる。彼が持っているのは、紙で届いた政府からの書類だ。今回紙媒体で返送が必要なのは、その二枚らしい。
こっちは無かったよ、と報告しながら、画面右上の赤いバツ印を押して、受信画面を閉じる。機械の電源を切ってから、机に置いた二枚の紙を眺める鶴丸さんの向かいに座って、それを同じように覗き見た。
日課である任務の達成状況の報告と、……出陣状況の確認、のようだ。任務の達成状況の報告は特に問題はないから良いとして、出陣状況の確認という文面に、少しだけ眉を顰めてしまった。鶴丸さんが右肘をついて、時期が悪い、と苦笑する。本当にね。
……不自然に下がったまま動かない鶴丸さんの左腕は、今回の戦闘で特に負傷していた部分だ。まだこんのすけから注がれる霊力が、そこまで届いていないのだろう。既に痛みの引いた、思い切り斬られてしまった脇腹を摩る。……あの一撃が無ければ、重傷にならずに済んだのにな。あの時一瞬でも反応が遅れていなければ。あと少し、身体を捻って避けることができていれば。……そんな考えばかりが浮かんで、ため息が尽きない。
今日の戦果を、正直に報告しなければならない。この場所を守り続けると誓ったのに、守るどころか主の戦績を落としてしまうことになるなんて。……うわあ、書きたくない……。机に腕をだらんと預けて項垂れる。書きたくなくたって、書いて提出しなければならないのに。できるだけそれを遅らせたいと、無意味な抵抗を考えてしまう程には、この紙一枚がとてつもなく恨めしい代物に見えた。
主もこんな気持ちで悪い報告していたんだろうなあと呟く声と、紙に筆を走らせる音に目線を上げる。報告書に、主の為にならない黒が乗っていくのが見えた。さらさらと慣れた手つきで空白を埋めた頃、鶴丸さんが、またぽつりと呟いた。
「不甲斐ない……、ってな」
……ああ、不甲斐ない。力不足でごめんと眉を下げていた主を、思い出す。もし、主が今のぼろぼろな俺達を見たら、きっとまた悲しそうにするんだろう。主のせいじゃないのに、主はどこも怪我をしていないのに、俺たちよりも痛そうに顔を歪めて、手入れをしてくれて。こう、言うんだ。
「……もっと頑張る」
「ああ。……そうだな」
鶴丸さんが、主なら言いそうだと口角を上げた。強くなりたいと小さく零れてしまった言葉も、逃すことなく拾った鶴丸さんに、頭をわしわし撫でられた。思わず顔を上げると、俺を撫でているのが左手だと気付く。……手入れ、ちゃんと終わったみたいだ。
なら、強くなってやろうじゃないかと言って、いつものように人懐っこい笑みを浮かべる鶴丸さんに、ゆるりと、口角が上がっていく。もちろん。強くなってやろう。どんな敵にも負けないくらい、今度は、数で押し切られたりしないくらい、たった二振りでだって、負けないように。
鶴丸さんとふたりで、強くなってやろう。主と過ごしたこの場所を、現代で暮らす主の未来を、永遠に守れるように。
――――
ほわん、と、自分の身体が主の暖かな霊力に包まれ、つい先程まで重たくて仕方がなかった全身が、途端に軽くなる。みるみるうちに無くなっていく痛みや違和感が全て引いた頃、もう大丈夫だよと主に声をかけると、涙が溜まった瞳が俺を見て、こくりと頷いた。
刃こぼれが無くなった俺の本体……刀身に翳していた手を離し、小さな木箱に仕舞われていた目釘抜きを手に取ろうとしたのを慌てて止め、それは自分でやるよ、とやんわり断る。
主に、そこまでしてもらっては申し訳ないというものだ。それに、優先するべきは他にある。主が一息後にもう一度こくんと頷き、木箱を手渡してくれた。
「つぎ、治します」
「……頼む」
刀と木箱を持って、少し離れた場所に座り直す。俺が先程いた場所……主の前に座って、本体である傷の負った刀を台の上にコトリと置いたのは、山姥切さんだ。
俺の時と同じように刀に手を翳した瞬間、主の瞳からぽろりと涙が零れる。……けれど、拭うでもなく、そのまま刀に霊力を注ぐ主を見て、山姥切さんが気まずそうに目線を逸らしていた。
そんな二人を横目に、柄から茎を出し、刀身を抜き出して、打粉を手に取る。と、山姥切さんに名前を呼ばれて、顔を上げた。見れば、和紙の入った箱を指さしている。……危ない、忘れるところだった。軽くお礼を言って、そこから一枚だけ取り、口にくわえてから、改めて打粉を手に取った。
ぽふぽふ、刀身に打粉を軽く叩いて、油を落としていく。布の擦れる音に目線を上げると、山姥切さんが隣で和紙をくわえるところだった。俺より傷が浅かったはずだから、早めに修復できたのだろう。俺が使っていた目釘抜きで目釘を抜いている山姥切さんに、主が木箱をもうひとつ持って来てくれた。頷いて受け取った彼は、しかし少し難しい顔をして、和紙を主に差し出す。……涙を拭けって意味かな。和紙じゃなくて、その羽織ってる布を貸した方が拭いやすいと思うんだけど。まあ、山姥切さんはそんなことしないか。
主は一度首を傾げて、思いついた顔でぱかりと口を開けた。……ん……? ……あれ、もしかして、自分もくわえた方がいいって思った? 間違ってはいないけど。……隣で山姥切さんが「はあ?」とでも言いたげな目でかくりと首を傾げると、真似するように首を傾げた主に、思わずくすくす笑いが漏れる。雛鳥じゃないんだから。危ない危ない、和紙くわえてて良かった。
もういいと思ったんだろう、箱を横に置き直して木箱の蓋を開けた彼を横目に、俺はこれ以上笑わないよう注意しながら布で油を拭き取った。電気の人工的な光に反射してきらりと輝く自分の本体に心の中でよしよし、と頷いて、打粉を木箱に戻す。丁子油の蓋を開けていると、主が脱脂綿をすっと差し出してきた。ありがたく受け取って、そこに油を垂らす。あとは仕上げだ。
──俺達刀の手入れ方法は、二種類ある。通常、刀は刃こぼれした場合は研ぎ、焼き直さなくてはいけないけれど、それが出来るのは刀工……俺達の生みの親でもある、刀職人だけだ。しかし研げば、焼き直せば、刀の形や長さも変わってしまう。俺達が俺達で無くなってしまうんだから、研ぐ、なんてことが出来るはずがない。
ならばどうするか。言葉にするのは簡単だ。審神者の霊力を刀に注ぎ、傷を直接修復させてしまうのだ。その後、通常の手入れ方法として打粉を叩いて油を敷くのだけれど、……こっちは主にやってもらうより、慣れている俺達が自分でやる方が効率がいい。隅々まで手入れされてる本体を見るのは少しばかりくすぐったくもあるし、自分とはいえ、刀を磨くのは結構好きなんだ。多分、皆もそうだと思う。それに、万が一でも手入れ中に主の指に傷をつけてしまう事態は絶対避けたいからね。
やはり自分も和紙をくわえておくことにしたらしい主を横目に、油を引き終わり、先程よりも鋭利に、誇らしげに輝く本体を人工の明かりに翳して、よし、と頷く。口を開けることが出来ないから、実際は「うし!」と聞こえただろうけれど。丁子油を山姥切さんが手に取りやすいだろう位置に置いて、刀をいつもの姿へ戻していく。主は、俺達のそんな様子を、ただじっと見守っていた。
「……終わりだ。……もう喋っていいぞ」
「ん、……ふぅ。ふたりとも、体に違和感は?」
「無い」
「俺も!」
唾が手入れ中の刀に飛ばないようにくわえていた和紙を捨てて、問いに即答した俺達にほうっと肩を降ろした主は、次はもっと頑張る、もっと勉強すると、手を俺達の手に重ねて、ぐっと眉を顰めながら言った。
……今回の出撃の敗因は、主が誤った采配を振るったことによって起きた、連携の失敗だった。主も命じた直後には気づいたようで、直ぐに訂正しようとしていたけれど、既に指示の通り動きだしていた刀達は、二重に降りかかった指示のせいで余計に動きが鈍ってしまっていた。
幸い、最初の指示の時点で一瞬首を傾げた俺と山姥切さんだけは、戸惑っている刀たちより理解が追い付くのが早く、ほぼ俺たち二振りだけで立ち回り、部隊を守りながら戦えたのだけれど。おかげで俺達二振りが、一気に負傷する形になってしまったわけだ。直ちに撤退の命に従い、帰還した直後、俺達の手を引いて手入れ部屋に駆け込んだ主は、それはもう。不安になるくらい真っ青だった。
主の言葉にため息をついた山姥切さんは、主の手を握り返して、その言葉は少し違う、と呟いた。
「今日の失敗は、別にあんたの勉強不足のせいじゃない」
「……それは、そう、かも、……だけど」
「もう。俺と山姥切さんは、主の判断がいつも違う、可笑しいって気づいたから動けたんだ。それってさ、いつもの主は、……ちゃあんと的確に、俺達に指示をくれている……ってことだろ?」
言葉が足りない彼に付け加えるように言えば、主は口を閉ざす。敵の情報も、戦場の状態も、俺達一振り一振り、史実から得手不得手から、日々頭に叩き込んでいるこの主が、勉強不足だなんて、きっと誰も思わない。本当に、普段ならしないような失敗をしてしまっただけで。「確かに、咄嗟の間違った判断が命取りになることがある」と山姥切さんが言った。それは……なんとなく、耳が痛い言葉だなと、思った。
「それでも」隣で自分の本体を見下ろす彼が、言葉を続ける。
「今回は、皆無事だった。あれは誤りだったと反省できる今がある。次へ繋げることができる。……なら、後悔して泣くのは……もう、やめろ。今度から間違わなければいい話だろう。……もし、また間違えたとしても、その時は……俺達が、あんたの指示を無視して動けばいい」
「……山姥切さん……、それ、指示の意味ないけど」
「う、うるさい」
ギッと睨みつけてくる、澄み切った碧を軽く受け流しながら笑う。ごめんごめん、分かってるよ。……言葉通り、彼は彼なりに、主のことを信用しているんだろう。主が、もしまた正しく采配を振るえなかったら。それはきっと、今日のような指示間違いなのだと、勝手にこっちが判断して動くからと。間違えたら無視してやるから気にするなだなんて、彼らしく不器用な、優しい気遣いだった。
主は、そんな彼に「審神者の威厳も何もあったものじゃないね」と眩しそうに微笑んで、また一粒だけ、瞼から雫を落とした。今度は、山姥切さんはそれから目を逸らさず、しかしきょとりと首を傾げる。
「? 元から、あんたに威厳なんて言葉は似つかわしくないだろうに」
「うっ……! ごめん……本当にごめん……!!」
「何故謝る!?」
「……山姥切さんってさ、本当、そういうとこなんだよな……」
顔を覆って蹲ってしまった主に苦笑しながら、慌てて、しかしどうすればいいのか分からないのだろう山姥切さんの手がふらふら彷徨っている光景に苦笑して。……手入れ部屋の向こう、襖を挟んだ向こう側で、慣れ親しんだ気配が遠ざかっていくのを、密かに感じていた。……人の事言えないけど、ほんと、心配性だなあ。
19.01.15