それは今でもある

「では、今日と明日は鯰尾に近侍をお願いします」
「っえ!!」

「……え? あ、えっと、何か予定あった? ごめん……、今日って内番か遠征入ってたかな。それならそっちを優先してもらって、また別の日にでも」
「うわあ! 主待って! 待って!! なっ、ない!! 予定ないよ!! あっても断る! 今日も明日も非番! ……だ、よな? ……うん、よし! 大丈夫!俺やるよ! ……へへ、久々に俺の番かぁ〜!」
「そ、そんなに喜んでもらえると、次の人に回しにくいなぁ……」

「おおっと! そりゃ困る」
「あ! ふっふ〜ん、ダメですよ〜鶴丸さん! 今は、俺がっ、近侍の、番! なんだからっ」
「ははっ、何も今すぐその役を奪ったりなんかしないさ。……しない、が……。なあ、きみ、その次の近侍は、俺じゃだめかい?」
「いやいやいや! 奪おうとしてるじゃん!?」
「人聞きの悪い! 今日明日を鯰尾から変えてくれ〜なんて、言ってないだろう?」
「言ってないけどさぁ……! あとでこっそり、連日予約するつもりだったのに……」
「こりゃ驚いた、油断も隙も無いな!」
 やいのやいの、やいのやいの。
 二振りとも、周りを無視して言い合いを続けるものだから、毎朝行なっている朝の定期連絡が続けられなくなってしまった。そろそろ長谷部辺りが、痺れを切らして声を荒げる頃だ。……ほら、こめかみに血管が浮かんできている。「ええい、静かにしないか!! 主がまだ話されている途中だぞ! おい! 聞いているのか!」……やいのやいの。
 どうやら朝礼は一旦止めた方が良さそうだ。しかし、他の刀たちが「また始まった」と苦笑を漏らしているくらいには、この光景は珍しい事ではない。特にあの二振り――鯰尾と鶴丸の言い合いは、彼らにとっては日常的なじゃれ合いのようなものだった。
 別の本丸では、過去の逸話で深い関わりがあるわけでもないこの二振りが、ここまで日常的に親密にしているのは、なかなか見れない、珍しい光景かもしれないが。……あったとしても、日々驚きを求める鶴丸と、茶目っ気のある鯰尾が手を組んで、ちょっとしたサプライズを仕掛けたり……そんなところだろうか。……ところが、わたしの本丸に置いて、この二振りの関係性は、少しだけ違っている。

「……まぁったく、相変わらず人気者だなぁ、俺たちの大将は」
「あはは、嬉しいけど……。んー……、本当は薬研くんにも、近いうちお願いしようと思ってたんだけどなぁ」
 取りあえずあの白黒コンビとそれを叱る長谷部は置いておいて、各自にいつものように内番担当の確認や、料理当番、遠征部隊の確認、今日出陣する戦場の再確認等、一日の予定を伝え終わった頃。未だ言い合いを続けている鶴丸と鯰尾の二人に向けて、呆れたような、しかし楽しげにも聴こえる薬研くんが声を掛けてきた。
 わたしの言葉に、おやと目を丸くした彼が、近侍をかい? と尋ねてくるので、頷いて肯定を示すと、くすぐったそうに笑う。しかし「ま、あの様子じゃあな」と二振りを見遣り、暫くは無理そうだとお互いがお互いに悟っていた。
「昨日のお礼のつもりだったんだけど……なんか、ごめんね」
「いいや? 大将が謝るこたぁねえよ」
「ふふ、ありがとう。その代わりと言ってはなんだけど……、出陣する時は、隊長をお願いしようかな。修行から帰って来てくれてから、一段と頼もしくなったもんね」
「おぉ、嬉しいこと言ってくれるねえ。ああ、任せておいてくれ。期待には応えるぜ」
 胸を拳でとんと叩き、にかりと笑う彼に、頼りにしてます、とわざとらしく大きくお辞儀をする。体を起こして目線合わせると、可笑しそうに表情を崩す薬研くんと小さく笑いあった。
 修行から帰還して、極という称号を得た薬研くんは、前にも増して力をつけ、他の刀剣男士より小さいはずの背中も、どこかぐんと大きく見えることが多い。もちろん、元から性格は段違いで男前であったのだけれど。誉を持ち帰ってくる数も、同じく修行から帰還して、極めて来た短刀の中でも断トツに多く、言葉通り、戦場で特に頼もしい懐刀だ。
 普段の生活からも見え隠れする大人の対応に、この子は本当に短刀なのだろうかと、審神者に就いた誰しもが思うだろう事をわたしも何度も考えてしまうくらい、日々お世話になっている。……短刀だから子供、背が低いから、幼く見えるから子供、とは、刀の付喪神である彼らには無意味な言葉であるのは分かっているのだけれど。きっと、今日も戦場を駆け、誉を持ち帰ってきてくれるのだろうと頬を緩めながら、その後も言い合いをしている二振りを、薬研くんと軽く言葉を交わしながら共に暫く眺めていた。
 薬研くんがあの二振りを止めに入らないのは、おおよそ、止めに入ったところで巻き込まれるだけだと、今までの経験から予測できることだからだろう。
 そのうち、鯰尾が鶴丸に何か耳打ちしたかと思うと、瞬間ぴたりと動きが止まった鶴丸が、しかしすぐさまわたしの元へ駆けて来るものだから、驚いてしまう。薬研くんは「うわぁ……」という顔をして、わたしから数歩下がって離れた。そんな分かりやすい「面倒臭そう」があってたまるもんですか。
 鶴丸は、珍しく拗ねたような表情で「なぁきみ、いいだろ?」と問うてきた。なんのことかと一瞬考えたけれど、つまりは先程言った、鯰尾の次に指名する近侍についてだろう。彼にも近々近侍をお願いしようとは思っていたし、断る理由もない。
 瞬きと共にひとつ頷けば、瞼を持ち上げた先でほっとしたように表情を綻ばせる鶴丸と、その後ろで腰に手を当て、仕方なさそうに眉を下げ、息を零しながら微笑んでいる鯰尾がいる。薬研くんは、そんな彼らを見て可笑しそうにくつくつ笑っていた。

 ……この本丸の鯰尾は、他の演練で出会う鯰尾よりも、どこか達観している……というのか、大人びているように見える節がある。彼も修行をして、極になったから、という理由ではなく。これを、本丸ごとの個性というのだろうか。
 顕現した審神者や本丸の事情によって、多少付喪神たちの個性は変化すると聞いたことがある。そしてわたしの本丸の鯰尾のそれは、真っ白な彼と一緒にいる時に特に見られた。鶴丸が真っ直ぐ前進しようとする刀だとすれば、その一歩後ろで背を後押しし、鶴丸の後ろを守り続ける盾ような。そんな関係がそこにはある。
 ――騒がしいけれど優しくて、愛しいこの二振りが、現状、「今のわたし」にとっての……"初期刀"、なのだ。


――――――――



 一言で言えば、私は、一度審神者を辞めた人間だ。正確には……政府から、逃げた人間だ。
 まだ審神者という職に就いている人が少ない、政府が審神者の収集をかけて間もない頃に、審神者となった数少ない人間の一人が、私だった。当時、と言ってもほんの数年前だけれど。その頃、統制がまともに取れていなかった政府から審神者への指示はあまりにも適当で、雑で。その方針はあまりにも過酷で、一言で言い表すならば悪逆非道、だった。所謂ブラックだ。審神者への扱いもそうだけれど、政府直属に顕現された刀の扱いも、実際に見たわけではないけれど、大層雑だったらしい。
 数年経ち、今はその成りは欠片ほども見えず、善良な人間……なんと、その政府の有様を変えようと企てた審神者が実績を立て続け、遂には審神者から上役へと昇格した人たちがいたのだとか。内部から変えようと動き続けた彼らのお蔭で、現政府は比較的穏やかになった……つまり、ブラック企業からホワイト企業へ様変わりしたわけだが。
 私は、そんな彼らのように政府に対して反乱を起こすでもなく、従いながら使命を全うするでもなく。ただ、ただ、未だ黒かった頃の政府から命じられる全てが、日を追うごとに苦痛を感じるようになり、恐ろしくなり、ぼろぼろと剥がれ落ちるように明らかになる悪行の報告を受けるたびに疑心悪鬼になり、やがて政府に着いていけなくなり、逃げてしまった……そんな、臆病な人間の、ひとりだった。

 当時の私の心境の変化を、その時顕現していた皆は薄々察していたのだと思う。遂に限界が訪れた日、本丸から離れたい旨を伝えた時、悲しそうに、寂しそうに表情を歪める者がいても、私を止める者は誰一人として、いなかったからだ。逆に、ほとんどの刀は、どこか納得したような、腑に落ちたような表情すら浮かべていた。

 ある刀は言った。「日に日に、表情が硬くなっていく主を見るのは辛かった」と。
 ある刀は言った。「現代に戻って、きっと幸せで、普通の生活をしてほしい」と。
 ある刀は言った。「主が幸せになるのなら、その選択に誰も文句は言わない」と。

 それは審神者として無責任で、身勝手な選択なのに。私は、確かに皆に愛されていたのだと、その時しかと実感したのだ。そうして、そこで初めて自分が辞めた後の事を考え、また一つの不安を抱いた。情けない私をこんなに案じてくれている優しい皆を、この本丸に残してしまって、いいのだろうかと。私がいなくなったあと、一体彼らはどうなるのだろう。此処に残してしまったとして、彼らはその先どう生きていくのだろう。他の審神者に引き渡されるのか? そしてあの横暴な政府に、これからも扱き使われてしまうのか。それは――それは、私が単に居なくなることよりも、ずっと過酷なことなのではないか、と。だからといって、今のまま、ここで政府に不信感を抱いたまま、審神者として皆を率いていく自身も既にない。では、どうしたら。
 そんな私の葛藤を読み取ったのだろう、ある刀は言った。……その刀は、いつもいつも、主の考えていることは分かりやすいと笑う人だった。この時も、まるで世間話をしているような声色で「きみは本当に分かりやすいな」と、ふすりと笑みを落としていた。そして泣きたくなるほど綺麗に微笑み、じんわり心に染み渡るような優しい声で、言ったのだ。

「それならばきみの手で、終わらせてはくれないか」


18.10.10
21.01.24
22.02.21