確かに、幸福で

※就任四年目の話(遅刻/9話以降)
就任四周年記念ボイスネタバレはありません


 こんのすけがいつの間にか届けてくれた日捲りカレンダーならぬ、日捲りカウントダウンの最後のページをビッ、と破る。現れた文字列を見た瞬間、胸に棘が刺さったようにちくりと痛みが走った。思い切り肩を落としながら、深く深く息を吐きだす。表れた日付は……一月十四日。──わたしが審神者に就任した、その日だった。
 右手に持ったままの、破った「あと一日」と書かれた紙を、ぐしゃりと握りしめる。くしゃくしゃになったこの紙を、鶴丸が、あと一日だなあと目を細めていたのは昨日。既に廃棄された「あと二日」と書かれた紙を見て、鯰尾が明後日だって、と笑っていたのは一昨日。そんな柔らかな表情を見るたびに、えぐり取られてしまうんじゃないかと思うほど、心臓が痛くて、痛くて。
 「そうだね」と笑みを作ったわたしの手を、鯰尾は握ってくれた。「そうだね」と呟いたわたしの頭を、鶴丸は撫でてくれた。……気づいているんだろう。わたしが考えていることくらい。あのふたりには、お見通しなのだ。それが、余計に……つらかった。
 ――何が、何が、四周年なんだ。わたしは、……わたしは。その内二年もの間、この場所には居なかったというのに。演練で出会う、同時期に審神者になった人たちの、お日様の様に温かな表情が。期待に胸を膨らませながら、四周年までもう少しだねと笑う声が。どうにもわたしの心臓を突き刺す刃物のように感じて、たまらなかった。……おかげでここ最近は、演練場に向かう足がとても重かったように思う。
 祝杯を上げよう、と意気込んでいた刀達も多くいる。きっと皆の元へ行けば、眩しい笑顔とお祝いの言葉がたくさん降り注がれることだろう。……それが、ひどく憂鬱だと、思えてしまうのだ。実際は、審神者に就いて四年目でもなんでもないのに。一年経った頃、現代へ逃げた。それが今と同じ冬頃。あれから二年経ち、此処へ戻ったのは夏頃だ。実際は審神者としての活動期間はまだ二年……にも満たない程度、なのに。
 もう一度、深く息を吐く。くしゃくしゃに丸まった昨日のページをゴミ箱に押し込んで、昨日の夜中から電源を点けっぱなしにしていたパソコンを見た。夜遅くまで作業していると、シャットダウンまでの数クリックさえ眠気に負けて億劫になってしまうものだ。寝る間を惜しんで作業していたと知られれば、また怒られてしまうかもしれないけれど。幸いなのは、本丸には光熱費という概念が無いことだろう。……多分、それがあったらこの本丸はとっくに破産していると思う。
 受信箱に、いくつか新着メールが届いている。件名を確認しながら、ひとつひとつ開封していく。予想通り、政府からの四周年記念品……本丸運営に必要な、些細な物資が添付されたメールだった。本文上部にある受取ボタンをクリックすれば、添付されていた数値分の資源が、自動的に資源保管庫に補充されるという……時空の狭間ならではの謎システムも、もう慣れたものだ。本当に仕組みが未だに全く分からない。
 政府からの祝いの品を無事受け取り終わって、パソコンをスリープ状態にする。今日の夜も作業に使う予定なので、次にパソコンを立ち上げる際の時間は短縮したい。……そうやってシャットダウンする機会を減らしているせいで、時々更新データがあるからと、強制的に再起動されてしまった時は正直泣きたくなるのだけど。
 書斎机から離れ、櫛で軽く髪を整える。本当に祝われるのはとても複雑、だけれど。お祝いをしようとしてくれている刀達の想いを無視するような真似はできないし、したくない。わたしが審神者に戻ってから、初めてこの本丸に顕現した、わたしにとってのひと振り目になる刀も数多くいる。そんな彼らは、こういう祝い行事自体初めてであり、楽しみにしているのだろうから。わたしの勝手な気分で、その気持ちを封じ込めることになる……なんて。それこそ本丸全体が憂鬱になるというものだ。
「……よし」
 弱気になりがちな自分を叩き起こすように一声入れ、意を決して戸を開く。けれど冬の冷たい空気が一瞬にして体を包み、ぶるりと肩が震えた。用事が何もなかったなら、正直今すぐに部屋に戻りたいところだ。覚悟はしていたけれど、予想よりも……さ、寒い。冬の景趣にしている時期は、この広い本丸で部屋から部屋へ移動する際に、一度外の空気に当たらなければいけないこの内装が心底憎たらしく思えてしまう。そんなところも趣があると、皆言うけれど。
 後ろ手に書斎の戸を閉め、一歩踏み出したとき、ふわりと……柔らかな何かに、肩から背を包まれて。驚いて声をあげるより先に、次いで後ろから回り込むように視界に入った白が、待ちわびたと言わんばかりに表情に花を咲かせた。
「おはよう、主! 驚いたかい?」
「お、おは、えっ。おはよう、つる、まる……。びっくりした……!」
「はは! そりゃよかった!」
 満足そうに笑って、わたしの前に立った彼……鶴丸は、小さな細長い瓶を差し出してきた。中には、いくつもの小さな白い花が入っている。それは――いつか鶴丸と見た、鈴蘭だった。瓶に入っている鈴蘭は、よく見ると乾燥しているようだったけれど、液体に浸かっているわけではない。ハーバリウムとは違うようだ。
「ドライフラワー……?」
「そうそう、どらい、ふらわあ? というんだそうだなあ。薬研に渡した鈴蘭をきみにと、ひとつ分けてもらったんだが、乾燥加工した方が長持ちする……ってんで、作ってみたんだ」
「……わたしに?」
「ああ、きみに。もちろん、毒抜きはしてあるぜ!」
 鈴蘭は幸福の訪れだと言っていただろう。そんな花と、あの時鈴蘭のようだと言われた俺と、俺の羽織をきみが被れば、……そら、どうだ! 至極目出度いだろう! ……なんて言いながら、鶴丸は私に羽織らせたフードをパサリと頭に被せてきて、またも満足げに笑う。「少しは寒さも和らぐだろ?」と付け加えて。
 思わずふす、と、笑みが落ちた。鶴丸がフードを被るからこそ鈴蘭のようだと言ったのに、これじゃあ意味がないじゃないかと。笑って言ってやりたいのに、開いた唇が震えて、閉じる。何も、言葉にならなかった。彼が今日という日に、この花をくれたという事実に、胸がいっぱいになってしまったのだ。先程まで憂鬱だ複雑だなんだと嘆いていたのに、なんて、なんて現金な感情なんだろうか。自分に嫌気がさしてしまうくらいには。
 と同時に、思い知る。ああきっと、今日という日は、わたし……わたしという審神者にとっての記念日なのではなくて、彼らの。きっと、きっとわたしにとっての初期刀として存在する鶴丸と鯰尾にとっての、記念日なのだろうと。
 この日をわたしが迎えることができたのは、この本丸があの頃のまま廃れずに存在していたからだ。この本丸が消えずに存在できていたのは、彼らが、ここを宣言通り守ってくれていたからだ。……わたしを主だと想い続け、誰の元へも引き継がれることなく、ただ思い出の残るこの場所を無くしたくない一心で、此処で生き続けてくれていたからだ。
 手渡された鈴蘭のドライフラワーが入っている瓶を胸に抱いて、鶴丸を見上げる。とろけてしまいそうなくらい美しい金色が、柔らかな光を帯びている。そこに映っているわたしは、彼にとって……この四年もの間。確かに、確かに主であり続けたのだ。わたしにとっては二年にも満たない、記念日にもならない日、だけれど彼らに、彼にとっては。鶴丸にとっては。本当の意味で。
「う、嬉しい、すごく」
「……全く。きみは本当に、泣き虫だなあ」
 ぽたぽた溢れては落ちる雫を拭ってくれようとするその手に触れ、まん丸になったふたつのお月様を見つめて、言った。今までを、今を、そして続いていく明日を守ってくれた彼に、精一杯の想いを込めて。
「鶴、あの、っあのね」
「ん? どうした?」
「ここを、わ、わたしをっ、"四年間"、支えて、っくれて! わたしの、刀でいてくれて、っあ、りがとう……!」
 声が震えてしまった。ひくりと、喉が鳴る。鶴丸が口を閉じて、言葉を紡ごうと開き、しかし音は出ないまま閉じた。二年ぶりに彼と対面したいつかのようだと、思った。
 ぎゅっと眉を顰め、表情を歪めた鶴丸は、たまらずといった表情で、触れていた手をわたしの腕に滑らせて掴み、くいっと引いて。羽織ごと、包み込まれる。彼にしては強い力で。彼にしては珍しく、ちょっとだけ痛いくらいの、強い力で。耳元で、鶴丸が笑った。その笑い声が、声を出すためにすっと息を吸う音が、震えている。
「──は、……泣かないでくれ、きみ。……いやあ、困った……。つられてしまった、じゃないか」
 するり、彼の指が髪を撫でる。くすくす笑っているはずのその声が、静かに静かに、湿っている。「お礼を言うのは俺の方だ」と、また僅かに腕に力が籠った。恐る恐る彼の背に片腕を回して、指で軽く叩く。わたしをいつも落ち着かせてくれるリズムを真似るように。とん、とんとん。擽ったそうに息を漏らす彼に、自然と口角が上がった。
「そうか……。そう言ってくれるんだな……」
 じんわり、心に染み込ませるように。そうか、そうかと繰り返す鶴丸に、もう一度ありがとうと伝える。四年間生きた、この本丸を守ってくれて。四年目になるこの本丸の審神者である、わたしを支えてくれて。四年という長い時間、見捨てることなく、わたしを主人だと思い続けてくれて。
「なあ、きみ。……四周年、おめでとう」
「……うん」
「"四年間"、俺の主でいてくれて、ありがとう」
「──」
「っはは!きみは、まったく。……っ参ったな、泣かないでくれと言ったばかりなのに。……今日ばっかりは、俺のために泣いてくれることが、こんなに……嬉しくて、たまらない」
 きみを喜ばせようと思って来たはずなんだがなあ。言いながら、とん、とんとん。と先程のわたしと同じリズムで、わたしの背を彼の指が叩く。もう何も、何も声に出来なくて。ただ嗚咽を抑えながら、いっぱいいっぱいになった胸から溢れ出す感情を、涙として流していくことしかできなくて。二人して声を、瞼を濡らして。お互いの顔も見れないまま、ありがとう、おめでとうを言い合って。なんて滑稽なのだろう。なんて、……なんて、愛おしいのだろうか。
 空白の二年間はいつまでもわたしに付きまとう罪だけれど、それでも。それでも、鶴丸の言ってくれた言葉が、きっと、わたしがここにいる理由であり。……彼にとっての、全てなんだ。これからもどうかよろしくねと伝えた言葉を、鶴丸とても嬉しそうに受け取ってくれる。瞼から頬へ流れ、ぽたりと零れた一滴が、片手に持つ瓶に落ちて、伝っていく。
 ──ああ、幸福は、確かに訪れている。
 前も後ろも真っ白に染められながら、お互いに顔を見られたくなくて、離れることができない状況がおかしくて、小さく笑い声を響かせながら。……そんなことを、想っていた。

19.01.20