初めてだった俺へ

※短い


 ──はらりと桜が舞う。……と言っても、数秒間隔で二枚や三枚程度だ。左へ右へ、どこからともなく現れたと思えば、不安定な動きでひらひら落ちていく一枚の桜の花弁を、主が手のひらで受け止めた。しかし手のひらに触れた瞬間、溶けるように消えてしまったその花弁に、主がおやおやと小首を傾げる。
 消えちゃった。心底不思議そうに言う彼女に、本物じゃないからな、などと言っておいた。別に何故と理由を問われたわけでも、答えないといけない声色でもなかったけれど、なんとなく、自分がそう答えるのが当然のように思えたからだ。すると、言葉を受けた主は少しだけ驚いた顔で、……しかし、少しだけ嬉しそうに、納得しながら頷いていた。
 まだ主が審神者として足を一歩踏み入れただけの、まだ俺を選び、こんのすけからの詳しい説明を受けたばかりだった時の話だ。

 本物ではないからだと言う瞬間までは、主がこんのすけと俺に質問をし、それに応える、という業務的な会話しかしていなかったから。思えば、初めて俺から話しかけた……わけでもないのだが、彼女へ言葉を投げたのは、あの時だったように思う。
 ……別に、特別なことを言ったつもりはない。けれど、初めての業務以外の雑談、というものだった。だから、あんなに表情が明るくなっていたのかもしれない。……今更、あの時の事を聞こうとも思わないが。
「俺達が好調な時は、今のように桜が舞うらしい」
「へえ……! 消えちゃうのはちょっと勿体ない気もするね」
 そうだろうか。消えないまま積もっていけば、刀が増えていくと共に掃除が面倒になるだろうに。それは確かにと小さく笑う、今代の俺の主となる人間。彼女は今、自分の言葉を聞いて笑ったのだ。と思うと、なんだか少しだけくすぐったく感じて。逃げるように、視線を逸らした。
「本物じゃなくても、こんなに綺麗なのに」
 だから、思わず息を止めてしまったその言葉を、どんな表情で言っていたのか、結局、分からないままだ。




「──あれ、寝てる……?」
「……いや、起きている。……どうかしたか」
「あ、ううん、どうもしてない。風邪引いちゃうよって起こそうと思っただけで」
 何をするでもなく、居間でぼんやりと本丸に漂う記憶に向けていた意識を、やって来た主に向ける。集中するために目を閉じていたから、眠っているのかと思ったらしい。
 片手に持っていた電動の給湯器をごとりと音を立てて床に置き、もう片方の手に持っていたお盆は、落とさないよう注意してかゆっくり机に置いた。なんでそんな給湯器を、と一瞬口を開きかけたが、お盆の上には急須等の他に湯呑が複数乗っていて、何も言わずに閉じる。
 誰かを茶に誘ったのか、そのうち誰かが来るだろうと予想しているのか、湯は多めにあった方がいいと考えた……そんなところだろう。
 机に置かれた湯呑に手を伸ばすと、主は茶葉を急須の茶こしに乗せながら、小さく笑った。……何だ。ちらりと目線だけで訴えれば、彼女は「出て行かないで居てくれてよかった」とはにかむ。どうやら、俺が「そのうち人が来るならば俺は退場しよう」と考えるかもしれないと、思ったようだ。
 ……考えなかったわけではない。行かないでくれとも、此処にいてほしいとも言われなかったけれど。ここで誰かが来るまで、……誰かが来ても、彼女と過ごすことが、当然の選択のように感じただけだ。
 まだ湯すら入っていない湯呑に、はらりと落ちてきた俺の桜の花弁が一枚、落ちる。底に着く前に溶けてしまったそれを見た主が、ああ、惜しい、と呟いていた。もう少しタイミングが遅ければ。茶を注いだ後だったなら、と言いたいのだろうが、茶柱でもないのだし……桜が湯に浮かんだところで、別段良いことがあるわけでもないだろうに。
「こういうのは、気持ちの問題なんです」
「……なら、これはあんたが使え」
「え?」
「俺の桜は湯ではなく、この湯呑に溶けたんだ。……良いことがあるかもしれないんだろう?」
 茶を注ごうと急須の取っ手を持ったまま、一瞬ぽかんと俺を見ていた主が、紙に水がじんわり染み込んでいくように、表情が喜色で染まっていく。それが、なんだか、妙にくすぐったく感じて。

 ──けれど、ここで目を逸らしてはいけないような気も、して。
「それは、きっと素敵なことが起こるね」
「……どうだかな」
 嬉しそうに、ほろりと柔らかく崩れる表情を目に焼き付けながら、漸く視線を逸らし、ふっと息をつく。
 ……きっと、……きっと、あの時も。"俺ではない俺"が見落としたあの時も、こんな表情をしていたんだろう。漠然と、そう思った。

 別の湯呑に茶を注ぐコポコポという音を聴きながら、目を伏せる。あのひと時の記憶が色濃く残り、俺に受け継がれたのは、僅かな後悔からか、僅かな未練からか。それ以外の何かからなのか、記憶だけを受け継いだ二振り目である俺には、知る由もないけれど。
 確かに見届けたぞ、と、届きもしない報告を贈る。彼女の、"初期刀だった刀"へと。


19.01.26