※13話以降
"私の本丸のカレンダーでは、今週に十四日を迎えます。他の本丸でも同じなのでしょうか。日にちのズレなどは起きていないといいのですが……。白の審神者さんは、今年はどうされるか決めていますか? 私は、一体どうやって彼に渡せばいいか、ひとり悩み続けています。もしよかったら、今度お話を聞かせてください"
──手紙に書かれていた、そんな文章を見て、ふと上げた視界の向こう。今日の近侍の務めとして手紙を渡しに来てくれた刀の、肩越しにカレンダーを見る。
二月十三日。この貝殻の彼女からの手紙が書かれた日を予想すれば、恐らく彼女との時差? というものは無いと分かる。それよりも、十四日を迎える、とは、どういう意味だろう。数秒頭を悩ませた後、思わずひゅっと息を飲んでしまった。明日。二月十四日。そうか、そっか、そう、だった……!
審神者になった最初の一年は、毎日慌ただしくてそれどころではなかった。現代で生きていた二年は、意中の相手など居なかったし、付き合いの長かった友人とも、渡し合うなんて儀式じみたこと……というと語弊があるけれど、とにかくしていなかった。作るのも、渡しに行かなければならないという責任感を持つのも、億劫だと考える友人ばかりだったから、審神者になる前の数年はずっと、ちっとも。
……バレンタインデーという行事を、意識していなかったのだ。
きっと今年だって、気づけば十四日が過ぎていて、思い出したように「そういえばバレンタインだったんだなあ」とぼんやり振り返る程度だったに違いない。けれど、ここ最近めっきり演練に当たらなくなった貝殻の審神者さんからの手紙を見る限り、彼女は当然のように行事に参加するらしい。
……いやそもそも、付喪神とはいえ、日本の神様に外来の行事に参加させる、というか、あんな女性の自己満のような儀式……ではなく、行事を押し付けてしまっていいのだろうか。だって、何をどう頑張ってみても……横文字だ。「行事」よりも「イベント」という言葉の方が似合う、つまり、……それだ。
「……?」
「そんなに思いつめた顔をなさって、どうされたのですか?」
「っあ、な、……なっ、鳴狐!」
自分でも驚くほど大きな声が出て、びくりと近侍を務めてくれている鳴狐の肩……に乗っている、キツネが身体を跳ねさせた。ごめんね、驚かせるつもりじゃなかったんだ。
「買い物、えと、よ、万屋に行きま、行こう!」
「……よ、よく分かりませぬが、準備すればよろしいのですな!」
「うん、うん! そう! お願い、します」
「……わかった。待ってて」
何も考えていなかった。考える予定などなかったとはいえ。それでも、一度明日を意識してしまったら、もう無視なんてできなくて。不思議そうに小首を傾げてわたしを見ていた鳴狐に、掴みかからんばかりの勢いで付添いを頼むと、何も聞かずに二つ返事で答えてくれた。ああ、今日近侍を任せていたのが彼で良かった。と、心底思った。
すぐ戻る、と言った鳴狐は、指で狐の形を作り、わたしの額を軽く小突いてから書斎を出て行く。……それが、なんだか、「鳴狐が戻るまでに、頭を落ち着かせておいて」と言われているような気がして。
一人になってから、一瞬前に取り乱してしまった自分を、酷く恥じるのだった。
ココアに入れるマシュマロが無くなってきたから、という理由を取っ付けて万屋に来たは良いけれど、問題は何を作るのかだ。明るいうちに作っていると誰かしらに気づかれてしまうだろうし、隙を見て夕方頃にはこっそり作るとして。……ああ違う、そんな、こっそり作るようなものでもないのだけれど。いつもの、そう、感謝の気持ちというか、バレンタインに贈る理由の一つに、日頃のお礼ってあった気もするし。そうそう。
「あるじ」
「うっ」
こつ、と再び額に鳴狐の指が当たる。これを買うのではなかったのですかと彼の肩でキツネが尻尾をゆらりと揺らし、鳴狐がマシュマロの袋を差し出してくる。……そうだった。
万屋は万屋という名の通り便利なもので、和の品だけを売っている場所があれば、洋の品だけを売っている場所がある。とはいえ、立場上、外来のものが置いてあるこの場所に訪れる回数はそこまで多くないだろう。当然ながら、マシュマロもココアも和の売り場には売っていないものだから、それの為にわたしはよく足を踏み入れているのだ。
男士の中でも、和服を着ている者たちは、やはりというかなんというか、洋風のものが置いてある場所では結構浮いて見えるのだけれど。洋服と呼べる服装をしている鳴狐は、そこそこ場に馴染んでいるから不思議なものだ。
途端に冷静になった頭でお礼を言ってから、彼が持って来てくれたマシュマロが、普段買っているものよりも二回りくらい大きいものだったことに気づいた。ココアに入れているマシュマロは、通常よりもずっと小さい……人差し指の第一関節程の大きさのものだ。それを三、四つ、ぽとぽと落として溶かして飲んでいる。砂糖を淹れなくても、マシュマロが十分甘みを出してくれるから、ココアの苦みが苦手な刀にも結構好評だ。
大きいマシュマロだと、淹れたてとはいえココアの表面温度ではなかなか溶けてくれない。まあ、大きいものは、牛乳と一緒に鍋に入れてかき混ぜながら溶かすくらいすれば、数秒で……。
「……あ」
マシュマロと、牛乳。バレンタインなのだから、当然そこにチョコを加えて。……あれなら簡単だし、マシュマロのほのかな甘みを好ましく思ってくれる彼なら、チョコを少しビターにすれば、甘ったるくて胸焼けすることもないんじゃないか……と、思う。……うん、決まった。
「どうした、あるじ」
「ううん! ……突然だったのに、付き合ってくれてありがとう、鳴狐。助かりました、……本当に、すごく」
「……どういたしまして」
「ですぞ!」
今度は小突かずに指で狐の形を作る彼に倣って、同じように狐を作り、軽く指先をとん、と重ねた。今日の近侍はまるでわたしの思考の制御担当だっただなと、ぼんやり思う。……鳴狐にも、お礼に何か作ろう。残りの材料……牛乳とチョコを探しながら、そう心に決めた。
―――――――
鶴丸を呼び出したのは、夕餉の後。皆が個々の部屋に戻っていく頃。
あれだけ眠ることに不安を抱いていたらしい彼が、欠伸を噛み締めながら歩いていたのを見た時は、やっぱり渡すのをやめようかと思ってしまうくらい嬉しかった。よかった、ちゃんと眠れているようで。申し訳なく思いつつも呼び止めると、欠伸を見られてしまったかと苦笑を漏らしつつ、ひらりと手を軽く振って気にしないよう伝えてくれた。
言葉に甘えて少しだけ彼の時間を借り、向かったのは大広間の隣にある、今の時期は炬燵が設置されている居間だ。この部屋の電気は壁に埋め込まれているスイッチ式ではなく、天井にぶら下がっている吊下式照明……ペンダントライトと呼ばれるもの。照明の紐をカチカチ、と二回引っ張り、内側の小さい電球と小型の豆電球だけ灯り点ける。座るついでに炬燵の電源を入れ、まだ冷たい毛布を膝に掛けた。
予め置いておいた小型の保温箱……俗にいうクーラーボックスを開け、ひんやり冷えた硝子瓶を二つ取り出して、机に置く。保温箱を使ったのは、冷蔵庫に入れっぱなしにして、誰かに食べられてしまわないようにするためだ。どこかへ出かけることもない本丸生活では、普段は全く使い道のない道具も数多くあるけれど。こんな風に思いもよらないところで活躍するなんて驚きだ。どんなものでも捨てずに取っておくものだなあとしみじみ思ってしまう。
「なんだい、これは」
「プリンだよ」
「ぷりん?」
作ったのは、そう、チョコプリンだ。卵の代わりに、マシュマロを使って。溶かしたチョコとマシュマロ、牛乳を混ぜて固めるだけの、なんとも単純でお手軽なデザート。
普通のプリンと色が違うことに疑問を持っているんだろう彼に、色が黒いのはチョコレートを入れているからだと伝えると、向かいで同じように毛布を膝に掛けて座り、頬杖をついてそれを眺めていた鶴丸が納得したように数回頷いた。……つくづく、長いこと人間の姿を謳歌している彼の耳が、横文字慣れてしまっているなと感じる。それが良いことなのか悪いことなのか、わたしには判断しかねるのだけれども。
本当は自分の分を作る気は無かったのだけど、瓶に入らなかったプリンの元が余ってしまったから、一回り小さい瓶に流し込んで作ってしまった。捨てるよりかは良いだろうと思いたい。因みに、チョコが入っていない普通のマシュマロプリンは、昨日の夕餉の後に鯰尾と、買い物に付き合ってくれた鳴狐に渡しておいた。皆に内緒、と一言加えて。
勿論味見はした。こんなに簡単に作れて、こんなに美味しいものが出来ていいんだろうかと思ってしまうくらい美味しかった。し、今日、先にあげた二人からも美味しかったという言葉と共に、胸が暖かくなる笑顔を受け取ったので、味は申し分ないはずだ。……そもそも、あの三つの材料で不味くなる要素なんて無いのだけれど。とは言っても、甘さ加減の好みまで知っているわけではないから、やっぱり、ちょっとだけ、不安はあって。
ひとくち掬って口の中に運んだ鶴丸の表情を伺いながら、ぎこちなくならないよう意識しつつ、どう? と聞いてみる。彼はゆるりと頬持ち上げて「罪の味がするな」とぽつり、言った。……よかった。
「こんな時間に食べてるってばれたら、また怒られちゃうかな」
「あいつら、説教が長いからなあ……」
深夜に外でココアを飲みながら二人で話をしていた日、電気をきちんとつけないままコップを洗ってしまったせいで、厨房の台に少しだけ零れてしまっていたココアパウダーに気づけなかったのだ。夜には無かったはずのそれを目ざとく見つけた料理担当の刀達に、予想通りこってり怒られてしまった日があったわけだが。足の感覚が無くなるくらい、痺れるまで正座をしたまま解放してくれなかったものだから、その後暫くは動くことすらできなかったんだっけ。
あれはもうごめんだなあ、と思いながら、チョコプリンを舌の上で遊ばせる。……うん、ちゃんと美味しい。この瓶はまた人がいない時にでもこっそり洗えばいいし、作った時に使用したボウルなんかは、他の洗い物と一緒に片づけておいたからバレていない。きっと、今回は大丈夫のはずだ。
それにしても、どうして急に。心底不思議そうにそう尋ねてくる鶴丸に渡した瓶の中身は、既に半分ほど減っている。お気に召したようで何よりだ。
「今日、現代では、バレンタインだから」
「……ばれん、たいん。そりゃまた、他の国の祝い事かなにかかい? 前は確か、はろうぃん、だったよな?」
「そうそう、そんな感じの。バレンタインは、ええと……。……女性からチョコを贈る日で。例えばお世話になってる人とか、んー……好意的に思ってる人、 とか? あと友人とか……。一番想いを込めたものは、一番大事な人に渡す……とか、そういうの」
そう、本命は、大事な人に。だから、他の刀には絶対に内緒ね、と人差し指を立てると、鶴丸は食べかけのチョコプリンの瓶とわたしを数回見比べて、ぎゅっと眉を顰めたと思うと「そういうことは先に言ってくれないか……!」と心の底から不満を吐き出したような声色で言われてしまった。……怒られるとは思わなかった。
そうと知っていればもっとゆっくり味わって食べたのにと呟く鶴丸が、酷く幼く見えるものだから、笑ってしまう。そういうことかと溢れてくる笑いを抑えながら、きっとまた作ると約束することで、むくれながら、それでも背後に桜をちらつかせたままプリンを掬う彼を宥める。そんなに特別な物だと思ってくれるのは嬉しいけれど、やっぱり照れくさい。確かに、今日だからこそ価値のあるものだけれど。それでも、彼へ贈りたいと思う気持ちは、いつになったって色褪せることはないのだろうから。
すっかり温まった炬燵と、ひんやり冷たいプリンの温度差を心地よく思いながら。また一つ、真雪のようなわたしの神様と、秘密の時間を増やしていくのだった。
"私の本丸のカレンダーでは、今週に十四日を迎えます。他の本丸でも同じなのでしょうか。日にちのズレなどは起きていないといいのですが……。白の審神者さんは、今年はどうされるか決めていますか? 私は、一体どうやって彼に渡せばいいか、ひとり悩み続けています。もしよかったら、今度お話を聞かせてください"
──手紙に書かれていた、そんな文章を見て、ふと上げた視界の向こう。今日の近侍の務めとして手紙を渡しに来てくれた刀の、肩越しにカレンダーを見る。
二月十三日。この貝殻の彼女からの手紙が書かれた日を予想すれば、恐らく彼女との時差? というものは無いと分かる。それよりも、十四日を迎える、とは、どういう意味だろう。数秒頭を悩ませた後、思わずひゅっと息を飲んでしまった。明日。二月十四日。そうか、そっか、そう、だった……!
審神者になった最初の一年は、毎日慌ただしくてそれどころではなかった。現代で生きていた二年は、意中の相手など居なかったし、付き合いの長かった友人とも、渡し合うなんて儀式じみたこと……というと語弊があるけれど、とにかくしていなかった。作るのも、渡しに行かなければならないという責任感を持つのも、億劫だと考える友人ばかりだったから、審神者になる前の数年はずっと、ちっとも。
……バレンタインデーという行事を、意識していなかったのだ。
きっと今年だって、気づけば十四日が過ぎていて、思い出したように「そういえばバレンタインだったんだなあ」とぼんやり振り返る程度だったに違いない。けれど、ここ最近めっきり演練に当たらなくなった貝殻の審神者さんからの手紙を見る限り、彼女は当然のように行事に参加するらしい。
……いやそもそも、付喪神とはいえ、日本の神様に外来の行事に参加させる、というか、あんな女性の自己満のような儀式……ではなく、行事を押し付けてしまっていいのだろうか。だって、何をどう頑張ってみても……横文字だ。「行事」よりも「イベント」という言葉の方が似合う、つまり、……それだ。
「……?」
「そんなに思いつめた顔をなさって、どうされたのですか?」
「っあ、な、……なっ、鳴狐!」
自分でも驚くほど大きな声が出て、びくりと近侍を務めてくれている鳴狐の肩……に乗っている、キツネが身体を跳ねさせた。ごめんね、驚かせるつもりじゃなかったんだ。
「買い物、えと、よ、万屋に行きま、行こう!」
「……よ、よく分かりませぬが、準備すればよろしいのですな!」
「うん、うん! そう! お願い、します」
「……わかった。待ってて」
何も考えていなかった。考える予定などなかったとはいえ。それでも、一度明日を意識してしまったら、もう無視なんてできなくて。不思議そうに小首を傾げてわたしを見ていた鳴狐に、掴みかからんばかりの勢いで付添いを頼むと、何も聞かずに二つ返事で答えてくれた。ああ、今日近侍を任せていたのが彼で良かった。と、心底思った。
すぐ戻る、と言った鳴狐は、指で狐の形を作り、わたしの額を軽く小突いてから書斎を出て行く。……それが、なんだか、「鳴狐が戻るまでに、頭を落ち着かせておいて」と言われているような気がして。
一人になってから、一瞬前に取り乱してしまった自分を、酷く恥じるのだった。
ココアに入れるマシュマロが無くなってきたから、という理由を取っ付けて万屋に来たは良いけれど、問題は何を作るのかだ。明るいうちに作っていると誰かしらに気づかれてしまうだろうし、隙を見て夕方頃にはこっそり作るとして。……ああ違う、そんな、こっそり作るようなものでもないのだけれど。いつもの、そう、感謝の気持ちというか、バレンタインに贈る理由の一つに、日頃のお礼ってあった気もするし。そうそう。
「あるじ」
「うっ」
こつ、と再び額に鳴狐の指が当たる。これを買うのではなかったのですかと彼の肩でキツネが尻尾をゆらりと揺らし、鳴狐がマシュマロの袋を差し出してくる。……そうだった。
万屋は万屋という名の通り便利なもので、和の品だけを売っている場所があれば、洋の品だけを売っている場所がある。とはいえ、立場上、外来のものが置いてあるこの場所に訪れる回数はそこまで多くないだろう。当然ながら、マシュマロもココアも和の売り場には売っていないものだから、それの為にわたしはよく足を踏み入れているのだ。
男士の中でも、和服を着ている者たちは、やはりというかなんというか、洋風のものが置いてある場所では結構浮いて見えるのだけれど。洋服と呼べる服装をしている鳴狐は、そこそこ場に馴染んでいるから不思議なものだ。
途端に冷静になった頭でお礼を言ってから、彼が持って来てくれたマシュマロが、普段買っているものよりも二回りくらい大きいものだったことに気づいた。ココアに入れているマシュマロは、通常よりもずっと小さい……人差し指の第一関節程の大きさのものだ。それを三、四つ、ぽとぽと落として溶かして飲んでいる。砂糖を淹れなくても、マシュマロが十分甘みを出してくれるから、ココアの苦みが苦手な刀にも結構好評だ。
大きいマシュマロだと、淹れたてとはいえココアの表面温度ではなかなか溶けてくれない。まあ、大きいものは、牛乳と一緒に鍋に入れてかき混ぜながら溶かすくらいすれば、数秒で……。
「……あ」
マシュマロと、牛乳。バレンタインなのだから、当然そこにチョコを加えて。……あれなら簡単だし、マシュマロのほのかな甘みを好ましく思ってくれる彼なら、チョコを少しビターにすれば、甘ったるくて胸焼けすることもないんじゃないか……と、思う。……うん、決まった。
「どうした、あるじ」
「ううん! ……突然だったのに、付き合ってくれてありがとう、鳴狐。助かりました、……本当に、すごく」
「……どういたしまして」
「ですぞ!」
今度は小突かずに指で狐の形を作る彼に倣って、同じように狐を作り、軽く指先をとん、と重ねた。今日の近侍はまるでわたしの思考の制御担当だっただなと、ぼんやり思う。……鳴狐にも、お礼に何か作ろう。残りの材料……牛乳とチョコを探しながら、そう心に決めた。
―――――――
鶴丸を呼び出したのは、夕餉の後。皆が個々の部屋に戻っていく頃。
あれだけ眠ることに不安を抱いていたらしい彼が、欠伸を噛み締めながら歩いていたのを見た時は、やっぱり渡すのをやめようかと思ってしまうくらい嬉しかった。よかった、ちゃんと眠れているようで。申し訳なく思いつつも呼び止めると、欠伸を見られてしまったかと苦笑を漏らしつつ、ひらりと手を軽く振って気にしないよう伝えてくれた。
言葉に甘えて少しだけ彼の時間を借り、向かったのは大広間の隣にある、今の時期は炬燵が設置されている居間だ。この部屋の電気は壁に埋め込まれているスイッチ式ではなく、天井にぶら下がっている吊下式照明……ペンダントライトと呼ばれるもの。照明の紐をカチカチ、と二回引っ張り、内側の小さい電球と小型の豆電球だけ灯り点ける。座るついでに炬燵の電源を入れ、まだ冷たい毛布を膝に掛けた。
予め置いておいた小型の保温箱……俗にいうクーラーボックスを開け、ひんやり冷えた硝子瓶を二つ取り出して、机に置く。保温箱を使ったのは、冷蔵庫に入れっぱなしにして、誰かに食べられてしまわないようにするためだ。どこかへ出かけることもない本丸生活では、普段は全く使い道のない道具も数多くあるけれど。こんな風に思いもよらないところで活躍するなんて驚きだ。どんなものでも捨てずに取っておくものだなあとしみじみ思ってしまう。
「なんだい、これは」
「プリンだよ」
「ぷりん?」
作ったのは、そう、チョコプリンだ。卵の代わりに、マシュマロを使って。溶かしたチョコとマシュマロ、牛乳を混ぜて固めるだけの、なんとも単純でお手軽なデザート。
普通のプリンと色が違うことに疑問を持っているんだろう彼に、色が黒いのはチョコレートを入れているからだと伝えると、向かいで同じように毛布を膝に掛けて座り、頬杖をついてそれを眺めていた鶴丸が納得したように数回頷いた。……つくづく、長いこと人間の姿を謳歌している彼の耳が、横文字慣れてしまっているなと感じる。それが良いことなのか悪いことなのか、わたしには判断しかねるのだけれども。
本当は自分の分を作る気は無かったのだけど、瓶に入らなかったプリンの元が余ってしまったから、一回り小さい瓶に流し込んで作ってしまった。捨てるよりかは良いだろうと思いたい。因みに、チョコが入っていない普通のマシュマロプリンは、昨日の夕餉の後に鯰尾と、買い物に付き合ってくれた鳴狐に渡しておいた。皆に内緒、と一言加えて。
勿論味見はした。こんなに簡単に作れて、こんなに美味しいものが出来ていいんだろうかと思ってしまうくらい美味しかった。し、今日、先にあげた二人からも美味しかったという言葉と共に、胸が暖かくなる笑顔を受け取ったので、味は申し分ないはずだ。……そもそも、あの三つの材料で不味くなる要素なんて無いのだけれど。とは言っても、甘さ加減の好みまで知っているわけではないから、やっぱり、ちょっとだけ、不安はあって。
ひとくち掬って口の中に運んだ鶴丸の表情を伺いながら、ぎこちなくならないよう意識しつつ、どう? と聞いてみる。彼はゆるりと頬持ち上げて「罪の味がするな」とぽつり、言った。……よかった。
「こんな時間に食べてるってばれたら、また怒られちゃうかな」
「あいつら、説教が長いからなあ……」
深夜に外でココアを飲みながら二人で話をしていた日、電気をきちんとつけないままコップを洗ってしまったせいで、厨房の台に少しだけ零れてしまっていたココアパウダーに気づけなかったのだ。夜には無かったはずのそれを目ざとく見つけた料理担当の刀達に、予想通りこってり怒られてしまった日があったわけだが。足の感覚が無くなるくらい、痺れるまで正座をしたまま解放してくれなかったものだから、その後暫くは動くことすらできなかったんだっけ。
あれはもうごめんだなあ、と思いながら、チョコプリンを舌の上で遊ばせる。……うん、ちゃんと美味しい。この瓶はまた人がいない時にでもこっそり洗えばいいし、作った時に使用したボウルなんかは、他の洗い物と一緒に片づけておいたからバレていない。きっと、今回は大丈夫のはずだ。
それにしても、どうして急に。心底不思議そうにそう尋ねてくる鶴丸に渡した瓶の中身は、既に半分ほど減っている。お気に召したようで何よりだ。
「今日、現代では、バレンタインだから」
「……ばれん、たいん。そりゃまた、他の国の祝い事かなにかかい? 前は確か、はろうぃん、だったよな?」
「そうそう、そんな感じの。バレンタインは、ええと……。……女性からチョコを贈る日で。例えばお世話になってる人とか、んー……好意的に思ってる人、 とか? あと友人とか……。一番想いを込めたものは、一番大事な人に渡す……とか、そういうの」
そう、本命は、大事な人に。だから、他の刀には絶対に内緒ね、と人差し指を立てると、鶴丸は食べかけのチョコプリンの瓶とわたしを数回見比べて、ぎゅっと眉を顰めたと思うと「そういうことは先に言ってくれないか……!」と心の底から不満を吐き出したような声色で言われてしまった。……怒られるとは思わなかった。
そうと知っていればもっとゆっくり味わって食べたのにと呟く鶴丸が、酷く幼く見えるものだから、笑ってしまう。そういうことかと溢れてくる笑いを抑えながら、きっとまた作ると約束することで、むくれながら、それでも背後に桜をちらつかせたままプリンを掬う彼を宥める。そんなに特別な物だと思ってくれるのは嬉しいけれど、やっぱり照れくさい。確かに、今日だからこそ価値のあるものだけれど。それでも、彼へ贈りたいと思う気持ちは、いつになったって色褪せることはないのだろうから。
すっかり温まった炬燵と、ひんやり冷たいプリンの温度差を心地よく思いながら。また一つ、真雪のようなわたしの神様と、秘密の時間を増やしていくのだった。
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