ひとり、ひとり、またひとり。別れの挨拶を交わしては、その姿が桜に溶けて消えていく。
先ほどまで地に足をついて立っていた、人型に形を取った刀の神様たちは、綺麗に綺麗に微笑みながら、時に涙しながら、それでも私との別れをしっかり受け入れてくれた。
「僕らにもたくさんの愛情を与えてくれて、嬉しかったです」
「ん、うんっ……!」
「ああもう、泣かないでください。最期に見る主がそんな顔なんて嫌だな、……刀解させてあげませんよ?」
「う、ごめ、ごめんね……」
「まあ、泣いてくれる主だって、分かってましたけど」
ひとり、またひとり。私のこの手で、消してゆく。
この場所に、私がいなくなった後も皆が残ることを考えたとき、鶴丸から示された道は、全刀の刀解だった。他の審神者に引き継がれるよりも、私の手で終えることを、皆が賛同してくれた。
今までありがとう、助けてくれてありがとう、力になってくれてありがとう。言葉を交わしては、涙目で笑いあっては、消えてゆく。消してゆく。貴方を選んでよかったと、選ばれて良かったと、初期刀にすら、別れを告げて。いつの間にか私の足元は、彼らが消える際に、最後の手向けのように舞った桜でいっぱいになっていた。
やがて長い時間が過ぎ、最後に残ったのは、誰より一番私に懐いてくれて、楽しいことを一緒に経験しようと常に笑顔を振りまいてくれていた鯰尾と。誰より一番傍にいて、隣で私が倒れないよう支えてくれた鶴丸の……私に、この本丸とって初めての脇差と、太刀の二振りだった。
「俺達が最後みたいですよ? 鶴丸さん」
「なに、皆が譲ってくれたのさ。気づいてただろ?」
「へへへ……まあね」
「さて、どちらから行こうか。……主?」
ああ、だめだ、手が震える。ここまで、瞳に溜まるたびに服に吸わせて、落とすまいと耐えてきたのに。最後に残った二振りを見て、今まで我慢していた涙がついに瞳からほろりと落ち、頬を撫でる。一度落としてしまうと、拭っても拭っても後から後から溢れて、もう止まらなかった。
とうとう、この二人の番になってしまった。刀解しなくては。刀解してあげたい。本当に? もちろん、本当に。だって、だって。この二振りが、例え善良な方だったとしても、他の審神者の元で政府からの命令をこなし続ける未来を、残しておきたくなかった。ここまで来て、二振りだけ残していくなんて酷なことは、したくない。……でも、だけど。
息が詰まる。呼吸がうまくできない。刀解は、刀に宿った付喪神の命自体を消してしまう……意味合いは違えど、私は、殺めてしまうことと同じだとずっと思っていた。それを、今、しているのだ。指先が氷水に浸かっているかのように、冷たくなるのを感じる。
刀解しなくちゃ、してあげなくちゃ、と思うのに、嗚咽を漏らしながら涙をぼたぼた落としていくだけで、そのまま動けなくなってしまった私に、見慣れた真っ白な羽織がかけられた。……鶴丸のものだ。私が気落ちした時や悲しみに暮れたとき、彼はそうやって周囲から守るように、沈んだ表情を周りに見せないように、羽織を貸してくれていた。いつだって、そうすると私の心が落ち着くと、彼は知っていたから。……いつだって。
「……そうか」
吐息と共に笑みを空気に溶かすように、鶴丸がそう言葉を発したと思うと、鯰尾が自分の手を私の手に絡ませてきて、困ったような表情で「もう、しょうがないんだから」と笑った。二人とも、どこか寂しげな、どこか安堵したような、そんな声だった。
「きみは本当に、俺達を好いているんだな」
「っ、う、あ……っ、たり、まえ……!」
「……主にこんなに想われる俺達は……幸せ者、なんですよね」
「ああ、本当に」
だって、だって。ずっとずっと一緒にいてくれたのは、沢山の想いを人一番くれたのは、君たちじゃないか。出陣するときも、演練に出向かうときも、何かに躓いたときも、なんでもない日だって。一番私という審神者の為に力になってくれたのは、君たちだったじゃないか。大事に思わない方が無理な話ではないか。
二人は、照れくさそうに……噛み締めるように、その言葉を受け止めてくれた。ごめんなさい、ごめんなさいと消えていった皆に謝る私の髪を、鶴丸が撫でる。謝る必要なんてない、何も悪いことはしちゃいない、と。……やがて、意を決したようにその表情を引き締めて、言葉を紡いだ。
「主、刀解を提案したのは俺だ。俺はそれが一番いいと……心から、思ったんだ。使われるなら、他の誰でもないきみがいい。きみを守るために、この身を振るいたい。きみがこの場から居なくなるなら、主が居なくなるなら、俺達も一緒に消えたほうがいっそ幸福だと思った。……そうだな、これが本望……ってやつだと」
「俺も、きっと他の皆も、同じ気持ちだった筈ですよ。だから皆賛成したんだ。……でも、主がそんなに泣くほど心を痛めてくれるから、名残惜しくて……困っちゃうな」
「っあ、ご、ごめんなさ、」
「え、あ、いやいや! 違う違う! 責めてるわけじゃなくて! ただ、ね。その……」
助けを求めるように、鯰尾が鶴丸に視線を向ける。言葉にしていいものか、悩んでいるようだった。そんな彼に鶴丸は苦笑して、そうだよなあと相槌を打つ。……なん、だろう。二人の雰囲気に戸惑うまま、言葉を待った。暫く口を閉ざし、考えを纏めるように視線を落としていた鶴丸が、一息ついてから私に向き直る。真っ白な神様の、月色の瞳が、確かな決意という熱量を持っていた。
「それが、一番いいと思っていた──が、今のきみを見ていたら。少し、考えが鈍った。今更かと思うかもしれないが、きみと……きみと過ごした、この場所を残していくのが……今、とても惜しいと、思ってしまったんだ」
「そ、れって、まさか。……っそんな! でも、でも、残していくのは私の方で……!」
「ねえ、俺からもお願いします、主」
「う、待って、でもそんな、そんなの……」
「……きみは、俺達の事を忘れてもいい。どうか元の時代で、何にも縛られることなく、何にも苦しめられることなく、平和に暮らしてくれればそれでいい。だからその分この場所で、きみのことを、俺達に覚えていさせてはくれないか──」
――――――――――
「──わっ!」
「っひい?!」
「おおっと、……あっはは!大丈夫かい?」
大丈夫じゃない。今日は鶴丸に近侍にお願いしていたのに、朝から見当たらない彼を探して本丸を歩き回って、池の近くに咲いている桜の木まで来てみたのは良いものの。木の枝に足を引っ掛け、器用にぶらんとぶら下がり、逆さの顔をそんなわたしの目の前に落としてきたのだ。こんなの、驚かない人なんてそうそういないだろう。思いっきり体を後ろに引いて飛び上がり、よろけそうになったところを、ぶら下がったまま腕をつかんで、支えてくれたけれど。そのまま倒れたら池に落ちていた。危ない。
わたしの本丸の鶴丸は、こういう物理的な脅かしもそこそこ行うのだけれど、怪我をしてしまうような、例えば落とし穴を作ったり等の悪戯はしたことがなかった。どちらかというと、日常の変化や相手の反応から、美しさ、新鮮さ、自分にはない発想への驚きを探しているように感じる。……だから余計に、たまに今のように脅かされると、慣れてくることもないわけで。大げさに驚いてしまうのは仕方のないことだと思う。
きみも慣れないなと、けれどすぐに「桜が綺麗に咲いているだろう、良い驚きだ」と笑う、全く悪びれていない彼の顔を、抗議のつもりで人差し指をぷに、と押し付けた。どんな表情でも儚さと美しさを醸し出す彼の整った顔が、わたしの指の介入で少しだけ崩れる様が、なんだか可笑しい。
「んん?」
「慣れないように、毎回違う脅かし方をしてくるのは、鶴でしょうに」
「ん、ふは、ばれてたか!」
「だって毎回……、あれ、鶴、もしかして寝坊でもした?」
「? いや? いつも通り起きてたぜ?」
「じゃあ……、ふふ」
桜の木の上からくるりとわたしの目の前に降り立った鶴丸を見て、思わずくすくす笑みが漏れる。「なんだなんだ?」と首をかしげる鶴丸に屈むよう手招きすると、不思議そうにしながらも素直に従ってくれる。いつもより低い位置にある頭を、少しだけ抑えるように撫でた。手を離すと、手を当てていたところから髪がぴょん、と立ち上がって、またぷすりと笑いが零れてしまう。……これは、寝癖だろうか。鯰尾のようなあほ毛が、アンテナのようにぴょこんと立っている。収まるようにと撫で、手櫛で整え、また撫でて。なかなか癖が戻らない髪が珍しくて、つい、くすくす笑ってしまう。そうやって少しの間、寝癖を直しつつも、真っ白な柔らかい髪の触り心地を密かに堪能していたのだけれど。
てっきりちょっとした身嗜みの失態に恥ずかしがるかと思いきや、鶴丸から全く反応が返ってこないことにはたと気がつく。どうかしたのかなと、普段より近い位置にある金色に視線を向けたのだが。恥ずかしがるどころか、愛おしいものを見るような、とろけそうなほど穏やかな表情をしていたものだから、一瞬でわたしの方がこっ恥ずかしくなってしまった。……なんて、なんて顔をするのだろう、この神様は、本当に……。
ピタリと動きの止まったわたしに気づくと、いやすまん、と一つ誤ってから、姿勢を元に戻して。寝癖も何も立っていないわたしの髪を、わたしがしていたよりも優しく撫でて、微笑んだ。「なに、最近のきみは、前のように笑顔が増えてきたなと思ったら、な。その理由に俺が含まれているのなら。……これほど、喜ばしいことはないさ」と、その理由を口にして。
髪を撫で、するすると指に通して、毛先を指先で撫でて。喜びを噛み締めるように言葉を紡いだ鶴丸に、思わず唇をきゅっと引き締め、……しかし、直ぐにそれを解いた。吐息と共に、微笑む。口を開こうとして、……けれど、滲んで来そうになる涙のせいで喉が震えてしまったから、一度閉じて。浅く息を吸って、吐いて。もう一度、今度こそ開いて。
「それ、わざと、言ってるの?」
ふ、と溢れる笑みが、やはり涙で濡れてしまった。本当に、わたしはあの日から涙腺が脆くなったようで、すぐに視界が滲んでしまってしょうがない。でも、今溢れてくるこれは、あの日流したものとは真逆の、暖かい感情からのものだ。拭ってくれる手を捕まえて、両手で包む。
あの日とは違う意味でゆらりと揺れる金色の瞳を、この想いが伝わりますようにと、真っ直ぐに見つめた。
「わたしが今、こうやって過ごせているのは、二人が……鯰尾と、鶴が、ずっと此処に、居てくれたからなのに。わたしのこと、ずっと想って、……いて、くれていたからなのに。ずるい言い方を、……っするんだね」
声が震えないように、大事に大事に言葉にしたそれを聞いた彼は、一度だけ、くっと眉を顰めて、瞼を震わせて。しかし心に染み込ませるような瞬きをゆっくりした後、くしゃりと表情を崩した。そうか、そう、そうなんだな。そうか。とぽつりぽつり紡がれる声に、喜びと、切なさと、眩しいくらいの幸福感を含ませて。泣きそうに眉を少しだけ下げ、儚い微笑みを浮かべた。
「ああ……いや、確かに、ずるかったかもしれない。言葉を強請っているように聞こえたかい? そんなつもりは、なかったんだがなあ……。まあ、それでも、……っはは、そうか、……きみに、そう、言われるのは、……っ」
ぐっと、手を握り返される。あの時、刀解を最初に提案したのは彼だった。この場に残らせて欲しいと懇願したのも彼だった。それを受け入れたのはわたしだけれど。もしかしたら、彼の胸の中で、ずっとそのことが巣食っているのかもしれない。もしかしたら、その事を気に病むこともあったのかもしれない。自分を責めたことも、あったのかもしれない。わたしは彼が言ったからと責めようなんて、一度たりとも思ったことはないし、考えもしなかったけれど。
もしも。もしも一瞬でも、そうであったなら。わたしは、何度だって彼に伝えたいと思う。伝えなければいけないと思う。こんなにわたしを、この場所を大切に思ってくれる、こんなに大事にしてくれる、主従のそれ以上の気持ちをくれる鶴丸がいてくれて、本当に良かったのだと。貴方がいたから、わたしは今ここにまた立っていられるのだと。貴方がわたしの刀でいてくれて、心から嬉しいのだと。
綺麗に咲き誇る桜の木の下で、頬に一筋、涙の痕を残した彼に向けるわたしの表情は、きっと……先程彼が浮かべていた表情と、とてもよく似ていることだろう。だってこんなにも。わたしのことで幸せそうにする彼が、こんなにも愛おしくて、もう、どうしようもないのだ。
「ああ……本当に……っ、こんなに、嬉しいことはないなあ……!」
2018.10.18