ダリアンがアーク本部の直属エージェント専用ラウンジの扉を開けた時、そこには既に二人の男がいた。 リミナス局長からは、「今日から貴様の同僚となる者たちだ。アークの盾として、彼らとの連携も任務のうちと心得よ」と、ただそれだけを命じられていた。 道具だった俺を「守護者」として選んでくれた主の命令だ。拒否権はない。だが、傭兵団時代とは違う「同僚」という響きに、ダリアンは測りかねる居心地の悪さを感じていた。
「あ、来た! 君が三人目かな?」 高級そうな革張りのソファに、大柄な男が寝転がっていた。健康的に焼けた肌、太陽のような金髪。まるで緊張感というものを知らないような、屈託のない青い瞳がダリアンを捉える。 「俺はエルド! 開発局のアルティオス局長に言われてきたんだ。よろしくね!」 「……ダリアンだ。保安局所属だ」
「ふふ。保安局か。リミナス局長の……なるほど。見るからに堅物そうだな」 窓際に立っていた、もう一人の男が振り返った。 薄い桃色の長髪、整いすぎた中性的な美貌。だが、その薄紫の瞳は、全てを値踏みするようにダリアンを見ている。 「俺は医療局のセレス。よろしく頼むよ、堅物の君」 「よろしく、セレス!」
エルドと名乗った男の能天気な声が響く。 ダリアンは眉をひそめた。お人好しそうな大男と、真意を掴ませない色男。こんな者たちと連携など、本当に可能なのか。
その時、三人の視線が、おずおずと開いた扉に集まった。 そこに立っていたのは、場違いなほど普通に見える女の子だった。艶やかな黒髪、大きな青い瞳。歴戦の猛者や異能者が集うアークにおいて、彼女の存在はあまりにも柔らかすぎた。
「あ、あの……今日から、こちらで……情報戦略局の、向日葵、です」
エルドが一番に反応した。 「わあ! 女の子だ! よろしく、向日葵ちゃん!」 エルドがソファから勢いよく立ち上がり、彼女に駆け寄ろうとした。その時だ。彼が無造作に床に放り出していた、やたらと大きなダッフルバッグに向日葵が気づかず、その足を引っかけた。
「きゃっ……!」 小さな悲鳴と共に、彼女の体がバランスを崩す。
ダリアンの体が、思考より先に動いていた。 一瞬で距離を詰め、倒れ込む向日葵の腕を掴み、強く引き寄せる。彼女の柔らかい体が、鍛え抜かれたダリアンの胸にぶつかって止まった。 護衛対象を守るための、染み付いた反射行動だった。
「だ、大丈夫か」 「あ……は、はい。ありがとうございます……」 腕の中で、向日葵が顔を真っ赤にして固まっている。 「わっ、ごめん! 俺のバッグのせいだ!」 エルドが慌ててバッグをどける。
その一部始終を、セレスが壁に寄りかかったまま、楽しそうに眺めていた。 「おや。これは驚いた。アークの『盾』は、随分と情熱的な歓迎をする」 その揶揄うような声に、ダリアンは我に返り、慌てて向日葵から体を離した。 「……!」 「ふふ。堅物の君も、可憐な小鳥の危機は見過ごせないと見える。初日から役得だな」 「……貴様」 ダリアンがセレスを睨みつけるが、セレスは涼しい顔で微笑むだけだ。
ダリアンは深く、深く溜息をついた。 人懐っこすぎて危機感のない男。 人をからかうことしか考えていないような男。 そして、見るからに危なっかしい、壁をすり抜けるという噂の少女。
リミナス局長。 どうやら俺の苦労は、今日、この瞬間から始まるようです。 ダリアンは、これから自分が背負うであろう「まとめ役」という名の重責を確信し、こめかみを押さえた。
「……改めて。保安局のダリアンだ。色々と、よろしく頼む」 その硬い声は、曲者揃いのエージェントチームが産声を上げた、最初の音だった。
始まりの不協和音
直属エージェントとしてチームが結成されてから三日後、ついに最初の合同任務が下された。 場所は、ヨーロッパの山中に放棄された旧時代の研究所。そこから微弱だが危険な超常エネルギーの漏出が観測された。 任務は、内部調査と原因の特定。可能であれば、エネルギー源の「サンプル」の回収。
ラウンジのモニターに映し出された薄暗い施設を見ながら、四人はそれぞれの反応を見せていた。
「うわ……なんだかジメジメしてそう」 向日葵が、持参したフクロウ型のクッションを抱きしめて不安げに呟く。 「面白そうじゃん! 探検みたいだ!」 エルドは既に戦闘用ジャケットのジッパーを上げ下げし、落ち着きがない。 「ふふ。古い建物には、古い怨念が溜まっているものだ。厄介なことにならなければいいが」 セレスは優雅に足を組み、まるで他人事のように微笑んでいる。
ダリアンは、支給された見取り図を睨みつけていた。 「全員、気を抜くな。これは遊びではない。リミナス局長から直々に、俺が現場指揮を任されている。俺の指示に従え」 「はーい」 「堅物の君の言うことを聞けと? 状況によるな」 エルドとセレスの気の抜けた返事に、ダリアンの眉間の皺が深くなった。
現地に転送ゲートで到着すると、冷たく湿った空気が肌を刺した。 研究所の入り口は、分厚い鋼鉄の扉で物理的に封鎖されている。
「ダリアン、これどうする? 俺が吹き飛ばす?」 エルドが拳を鳴らし、その体温が周囲の空気を揺らめかせた。 「待て。内部構造を破壊すれば、エネルギーが暴走する危険がある。……向日葵」 ダリアンに促され、向日葵がおずおずと前に出た。 「は、はい! いってきます!」
彼女は鋼鉄の扉にそっと手を触れると、その体は水面に溶けるように、音もなく壁の向こう側へと消えていった。 エルドが「うわあ、本当に幽霊みたいだ」と感嘆の声を上げる。 数秒後、重いロックが解除される機械音と共に、扉が軋みながら開いた。
「……すごい」 扉の向こう側から現れた向日葵に、エルドが素直な称賛を送る。 「ありがとう、ダリアン。助かったよ」 セレスも、彼女の異能の有用性を素直に認めたようだった。 ダリアンは「行くぞ」と短く告げ、大剣の柄を握りしめて暗い内部へと足を踏み入れた。
内部は、カビと腐臭が立ち込めていた。 ダリアンを先頭に、後方をエルドが固め、中央に向日葵とセレスを配置する防御陣形だ。 だが、その隊列はすぐに崩れた。
「ねえ、あっち! 何か光ってる!」 エルドが、ダリアンの制止も聞かずに通路の角へ駆け出した。 「馬鹿! 隊列を乱すな!」 ダリアンが舌打ちし、後を追う。
エルドが飛び込んだ先は、広い実験ドームだった。 そして、その中央に「それ」はいた。 漏れ出した超常エネルギーが、研究所の残留思念やカビを養分に成長した、アメーバ状の巨大な怪物。それは脈動し、不気味な光を放っていた。
「うわ……でっかいスライム」 向日葵が青ざめる。 「面白そう!」 エルドは、その言葉と同時に炎を纏って突撃した。
《ドラグーン・ソウル》。 灼熱の拳がアメーバの巨体に叩き込まれる。だが、敵は悲鳴も上げない。それどころか、エルドの炎を吸収し、さらに巨大化していく。 「なんだこれ! 効かない!」
「エルド、下がれ!」 ダリアンが叫び、エルドの前に躍り出た。 アメーバが触手を伸ばし、ダリアンに襲いかかる。それは物理的な打撃ではなく、精神を汚染する呪詛の波だった。 「させるか!」 《ガーディアンズ・シールド》。 不可視の防御結界が展開され、呪詛の波を「拒絶」し、霧散させた。
「……なるほど。あれは純粋な生命エネルギーの塊だ」 後方で冷静に分析していたセレスが口を開いた。 「物理攻撃も炎も、奴にとってはただの餌だ。まったく、厄介な相手を引いたものだ」 「じゃあ、どうするの!」 エルドが焦れたように叫ぶ。
「セレス、貴様の能力でどうにかならないか」 ダリアンの問いに、セレスは肩をすくめた。 「《ライフ・タッチ》で吸収できるかもしれない。だが、あれに触れた瞬間、俺が逆に飲み込まれる。リスクが高すぎる」
その時、ダリアンの盾に隠れていた向日葵が叫んだ。 「あそこ! 真ん中の、赤く光ってるところ! さっきからずっと、あそこだけ変な音がしてる!」
ドームの中央。アメーバの核。 「……あれがコアか」 ダリアンは即座に決断した。 「エルド! 全力で奴の注意を引け! 俺が貴様を守る!」 「任せて!」 「セレス、向日葵。……賭けだ」 ダリアンは二人を振り返った。 「向日葵。貴様の力で、セレスをあのコアの真横まで運べるか」
「ええっ!?」 向日葵の顔が恐怖に引きつった。 「人とは、やったことない……それに、あのスライムの中を……!」 「ふふ。初仕事で心中とは、随分とロマンチックな命令だな、ダリアン」 セレスは、こんな状況でも不敵な笑みを崩さない。 「だが、面白そうだ。試してみるか? ただし、俺を途中で落とすなよ、子猫」
「いくぞ!」 ダリアンの号令で、エルドが再び最大火力で突撃する。ダリアンも盾を最大に展開し、二人の注意を引きつけた。
「いきます!」 向日葵はセレスの手を強く、強く握りしめた。 「しっかり掴んでいてください!」 「ああ。君の命運も、俺が握っている」
二人の体が、現実の位相からずれていく。 物理的な壁を、そしてアメーバ状の敵の巨体の一部を、すり抜けていく。冷たく、不快な感触。だが、向日葵はセレスの手を離さなかった。
コアの真横に実体化する。 「今だ!」 セレスが、赤く脈打つコアにその白く美しい手を突き立てた。
《ライフ・タッチ》。 今度は治癒でも看取りでもない。強大な生命エネルギーの、強制的な「吸収」。 「ぐ……っ!」 セレスの顔が苦痛に歪む。彼のキャパシティを超えるエネルギーが、その身に逆流してくる。
アメーバが断末魔のように痙攣し、急速にしぼんでいく。 そして、光と共に消滅した。
ドームに静寂が戻る。 セレスはその場に膝をつき、荒い息を繰り返していた。 「……最悪だ。胸焼けがする」 「セレスさん! 大丈夫!?」 向日葵が泣きそうに彼を支える。
「すっごーい! 二人とも、やったね!」 エルドが駆け寄ってくる。 ダリアンは、大剣を下ろし、深く息を吐いた。 「……全員、無事か。任務完了だ」
連携は無茶苦茶だった。 お人好しの突撃バカ。 飄々とした皮肉屋。 臆病だが、鍵を握る少女。 そして、堅物なだけの盾。
ダリアンは、この曲者ぞろいのチームを率いる自分の未来を思い、再び深く、重い溜息をつくしかなかった。