序章:ひとりかくれんぼ

 座ったままの死体は、ボタンで蓋の開く電気ポットのようだった。首の端の皮一枚で繋がり、まるで頭部そのものが、首から出る血液の柔らかい蓋であるかのように。
 板張りの床の上を鮮血が一定の粘度を持って進み、広がる。やがて濁った水溜まりが出来る頃には、私はその真ん中で、天をするほど大きな影を見上げていた。







「あーらら。だから言ったのに」

 夜の気配が血のような残照に染まる頃。
 伝統的建造物が軒を並べる村落の、唯一の教育施設――水生みぶ分校に五条悟は訪れていた。
 二階建ての木造校舎はあまりにも陳腐な建物で、本当にこんなところで学生らが勉学に勤しんでいるのだろうかと思う。それほどまでに、廃屋然とした見た目だった。
 突き当りに位置する教室の前で足を止めた五条は、頭を傾げて空の模様を見るような格好をし、考え込むように一度口をつぐんだ。片手で軽く顎をなでつつ、またじっくり中空を眺め始める。
 そして、五条の中の何かが結論付いたように引き戸に手をかけた。音も立てずに開いた戸の中、人の神経が肌に突き刺さってくるような、畏怖の念が渦巻く教室の真ん中には、天竺花が背中を向けるようにして立っていた。

「教室の中ってさ、ホントどこも似たような造りで面白みに欠けるよねー」

 整然と並べられた机と椅子のあいだを縫うように歩きながら、そう言った五条は教室の中を見回す。等間隔に整頓された机と椅子。黒板の隅に書かれた日直の名前、壁に張り出された個性豊かな『希望』の習字。教室の後方には通学鞄を入れるための棚が置かれ、使用者のいない隅の区画は学級文庫用のスペースとして使用されている。
 そして――教室の後ろ側の窓際の席に、己の頭部を首の皮一枚でぶら下げている生徒が三体座っていた。
 ぱしゃり。そう音を生み出した足は、五条の制服の裾を汚した。隠し持っていた拳銃を脇腹に突き付けるような距離で、天竺の背後に立つ。

「君が殺した?」

 そう言った五条の声のトーンは、がらりと変わった。
 しかし彼女の胸には、湖に沈んだ小石の波紋ほどの揺らぎもない。

「……いいえ」

 たっぷりと沈黙した天竺は、蚊の鳴くような声で否定した。

「彼らが殺されるところを見た?」
「いいえ」
「じゃあ、殺した犯人は――」

 そこまで言いかけて、五条は口をつぐんだ。
 濃度の高い悪意が漂う。静かで緩慢な逃れようのない死が、目の前の少女から湯水の如く湧き出ていた。

「モ゙……ィイ゙イ……ア゙、ぃ」
「ははっ、まじかよ」

 ぎゅるぎゅると狂ったバイオリンのように派手に軋んだ声が空気を震わす。
 そして顕現する元凶に、ぞんざいが五条の口を衝いた。


記録――2018年3月岐阜
同級生らと行った降霊術「ひとりかくれんぼ」により、特級仮想怨霊・迷蔵めいぞうが顕現。
天竺花を除く、3名の男子生徒が死亡。尚、迷蔵は天竺花に憑依。
呪術総監部より通達。天竺花を特級呪術師・乙骨憂太に次ぐ、特級被呪者と認め、


――死刑執行を宣告する。

砂糖玉の月