不屈






『あのッ…何をされてたのですか…』

唇の震えを堪えて尋ねた。あの時…怒鳴られた光景を思い出し、心臓がバクバク鳴っている



「てめぇに関係ねぇだろうが!おら!食満!早く立て!」

先輩が私を通り越して背後に手を伸ばしたと思えば、留三郎の腕を強引に掴んだ。本当は身体だって震えているし、あの時の事が過ぎるけれど、留三郎の痛そうな顔を見た瞬間…身体が勝手に動いてしまった




『やめて下さいッ!』

そんな声を上げて、朝丘あさおか先輩の腕を両手で掴んでしまった。怖くて泣きそうになるけれど、震える手に力を込めて掴む




『か、関係ないかもしれないですがッ…留三郎は、わ、私の大切な友達なんですッ!だッ…だから乱暴にしないで下さいッ!』

「心白羽…」

声を張り上げて言ってしまった。先輩の顔なんて恐ろしくて見れないから、掴んだ腕を見ながらだ。自分でも分かる程に視線の先の私の手は震えている

暫くの間の後、朝丘あさおか先輩が留三郎から手を離した。それにホッとして、つい声を上げてしまったのを謝ろうと顔を上げた直後だった






パンッ!

間髪入れずに左から何か迫ってくるのに気付いた時には左頬を強く叩かれた。大きく乾いた音が響き、男の力だったからなのか平手打ちでも反動でその場に倒れてしまう程の威力だった



「なッ…心白羽!」

突然目を疑う光景に留三郎は咄嗟に心白羽に駆け寄った。朝丘あさおかは盛大な舌打ちをすると、落ちている用具箱をさっさと拾い、心白羽と留三郎を睨み下ろす



「弱ぇ奴が反抗すんじゃねぇよ。目障りだ」

そう吐き捨てると、背を向けて歩いて行ってしまった。ふざけんな!と食って掛かろうとしたが、やはり何年も上の先輩となると反抗出来ない。気迫と威圧感に圧されて何も言えない悔しさに顔を歪ませながら留三郎は朝丘あさおかが去って行った先を睨みつけていた。が…




『留三郎、大丈夫?』

普段と変わらない口調で呼び掛けられ、すぐに振り向くと、殴られたのが嘘の様に平然としている心白羽が。殴られた左頬は赤く腫れている



「は、え…?おまッ…」
『よく見たら頬以外も怪我してるじゃない。医務室に行こう』

泣いてもおかしくないだろうと傍から見ても思う程強く叩かれた筈の心白羽の予想外にも普通の反応に留三郎も呆然とし、逆に冷静になってしまった

一緒に立ち上がり、一先ず医務室へ向かう事に…







「な…なぁ、心白羽」
『ん?』

「その…痛くなかったのか?」
『留三郎は私の心配するよりも自分の心配をしてよ』

留三郎に聞かれて、思わず立ち止まってしまった。どう考えても私よりも痛々しく傷を作っているくせに何で私を気に掛けるのか…




『絶対おかしいよ…』

叩かれて吹っ切れてしまったのか、中身の何かが切れてしまったのか、直前までの私の中のあの人への恐怖心は何処かに消え去り、代わりに憎悪と軽蔑、失望感しかなかった



『手を上げるなんて間違ってるよ。留三郎が何をしたとか関係ないし、先輩だからって何でもして良い訳じゃないでしょ』

留三郎は何か言いたげな反応をするが、口を噤んで我慢している様だった。いたたまれなくなり、留三郎の手を取って再び歩き出した



男神おがみ先輩はどうしたの?』
「あ、あぁ…先輩は何人か連れて用具委員の道具の調達に行かれてるから今はいない。仙蔵も連れてってたな…」

男神おがみ先輩が留守の間は次に年長である朝丘あさおか先輩が用具委員会を任されているのだというけれど…そんなの私の中では関係ない

友達が…大切な友達が傷付いているという事実に腸が煮えくり返る気分だった



『用具委員会…辞めた方が良いと思う』

歩きながら勧めるけれど、留三郎からの返事はない。でもその代わりに繋いだ手に力が入ったのに、気持ちが伝わってはいるというのは察せた

そして、お互い無言のまま医務室に着き、障子を開けた




「ん、あれ?2人してどうしッ…Σて、え!?どどどうしたの!?」

薬を薬研やげんですり潰していた伊作が私達を見るや否や驚いた様に駆け寄ってきた。その声に気付いたのか、棚で何かを弄っていた綿谷わたや先輩も振り向いた途端にぎょっとした




「随分腫れているじゃないか!一体どうしたんだぃ!?」

『そ、その…実は朝ッ…』
「鍛錬してたら怪我しました」

私が事情を話そうとしたのを留三郎が割って入り、そう言い放った。そんな嘘にえ、と呆気に取られる私に構わず、木から落ちたやランニング中に転んだとそれっぽい嘘を留三郎は言い並べる



「心白羽ちゃんも一緒に鍛錬してたの?」
『ぇ、あ……はい…』

勢いで私も便乗してしまった。綿谷わたや先輩は疑う訳でもなくて鍛錬をするのも程々にね、と優しく注意すると、私と留三郎を隣同士で座らせて怪我の手当てをし始めた

綿谷わたや先輩の指示でわたわた動く伊作を眺めつつ、チラッと視線だけ留三郎に向けるが、彼は薬を塗られる傷だらけの自身の腕をじっと見下ろしていた



「はい、出来た」

包帯を巻き終えた綿谷わたや先輩が私と留三郎の頭を撫でながらそう言った。隣にやって来た伊作は未だに心配気に眉を下げている




「鍛錬とはいえ、無茶はしないでね。2人共」

『あ…うん。ありがとッ…』
「ありがとうございました。失礼します」

立ち上がった留三郎が足早に医務室を出て行こうとするものだから、慌てて後を追いかけた





『留三郎!』

用具委員会に戻ろうとしているのか、庭を歩く留三郎の手を掴んで呼び止めた



『行かッ……あ…』

行かないで、と言い掛けた言葉が詰まった。委員会に入った以上、行かないなんて選択肢はないのに、配属すらしていない私が勝手な事は言えない

言葉に困りつつも、掴んだ手を離せずにいると…



「ごめんな、心白羽」

そんな謝罪の言葉に顔を上げると、留三郎は振り向いていて、表情は何故か申し訳なさそうだった



「俺のせいでお前までそんな怪我して…」

留三郎は私の手当てされた左頬に触れながらボソッと言った。何で留三郎が謝らなきゃいけないのか分からずに首を左右に振り、頬に触れる手を掴んで言い返す



男神おがみ先輩に言わなきゃ駄目だよ!知らない所で理不尽に暴力を振るってるって伝えれば先輩が何とかッ…』
男神おがみ先輩には絶対言わない」

何で!と食って掛ると、留三郎は腫れた自身の頬に触れながら表情を強張らせた



「こんな事で毎度毎度男神おがみ先輩の困り事を増やしたくないんだよ」

『こんな事ってッ…何言ってるの!そんなに痛そうにしてるのに!』

思いの外大きい声で言ってしまったのがいけなかったのか、留三郎にしー!と口元を押さえられながら木の陰に連れて行かれた




「静かにしろって!」
『本当の事じゃない!』

引く気なんてさらさらなかったけれど、そんな私の反応に留三郎は雑に頭を掻くとボソッと言った



「俺が言ったら、また違う奴にその暴力がいくだろ」

そんな言葉に思わず、固まってしまった。他の子に…いく?



「八つ当たりみたいに暴力は激しくなるだろうし、先輩に言った所で収まるとも思えねぇし」

『で、でもッ…』
「最初に手を出された時は言ったんだ。でも、男神おがみ先輩に注意されたら逆ギレして、仙蔵や他の下級生に当たってたらしい。注意されてからは男神おがみ先輩の前で派手に手を出さなくはなったみてぇだけど…まぁこのザマって訳だ」

肩を竦めて言う留三郎。あの光景が初めてではないという口調に私は寒気を感じた。仙蔵も同じ目に遭っているのにもショックだが、今の私には何も出来ない事の方がショックだった

私が勝手に誰かに相談してしまえば、報復が留三郎達にいく…
今になって、綿谷わたや先輩が言っていた話を思い出した。手当てされた用具委員会の下級生は怪我の原因を言おうとしないと…

みんな…報復を恐れていたのだ…




「心配してくれてありがとうな、心白羽」

悶々と考え出した思考を留三郎に遮られた。落ちていた視線を上げると、留三郎は痛々しい手当後に似つかわしくない笑顔を向けていた




「あの時心白羽が言ってくれた事…すげぇ嬉しかったんだ。身体張ってまで止めてくれたし…」
『あ、当たり前じゃない!友達だもの!』

「はは、でも…俺もお前が大事だから言っておくぞ」

留三郎は少し表情を強張らせた



「もし、さっきみたいなのを見ても止めに入るな」

『ぇ…何でッ…!』
「何でもだ!」

両肩を掴まれて、言い聞かせる様に言われた



「俺だってお前が怪我する所なんて見たくねぇんだよ!あの時みてぇにッ…」

留三郎が一瞬表情を曇らせたのに気付いた。あの時…とは手裏剣の時の事だろうか…



「分かったな」
『ぅ…うん…』

留三郎のそんな悲しそうな表情を見たら…頷いてしまった。了解する気なんてなかったのに…

そんな私の心情とは打って変わって、留三郎は安堵した様に表情を緩ませた。そんなホッとした顔を見たら…もう何も言えなかった


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