略取






その後、母上から全て教えられた事をじぃじに伝えると、じぃじも私に隠していた事実を打ち明けてくれた

頻繁に城を出入りしていたあの見知らぬ男性はカハタレドキ城の使い。出入りしている頻度から考えると、尚しつこく縁談の話を持ち掛けているらしい

カハタレドキ城は欲しい物を手に入れる為なら手段を選ばない。縁談を拒否し続けている現状、武力行使という手に出る可能性も捨てきれないとじぃじは教えてくれた

城下町での髪染めや町人が私の名前を呼びなくなった理由も私が攫われない様に厳重に警戒しての行動だった。髪を黒くするだけでも、相手の目を誤魔化すには十分だというじぃじの発案らしい

そして、同時にじぃじは己がただの侍従ではない事を告白した



『じぃじが…忍?』

まさかの忍という本当の姿。こんな穏やかなじぃじからは想像がつかないけれど、どうやら父上専属の忍であるらしく、今回のカハタレドキ城への調査もじぃじが行ったのだという



「あんな外道に心白羽様を差し出すなんて爺には出来ませぬ」

母上同様にじぃじも私を抱き寄せると、強く抱き締めた



「心白羽様は私が何としても守ります故、ご心配なさらないで下さいませ」

何でじぃじも母上も父上も…言葉一つ一つが消え入りそうなほど弱々しいのだろうか。母上に至っては髪飾りまで持たせて…まるで永遠の別れを暗示している様に不吉だ

じぃじに頭を撫でられても、私の胸騒ぎが治まる事はなかった。ただの気のせい…みんなそのカハタレドキ城の評判を聞いて、過剰に意識してしまっているだけだ。そう思っていた

だが、そんなみんなの行動の意味は残酷なほどに早く理解する事になる









◆◆◆ ◆◆◆









『ゲホッ!ゲホッ!』

その悲劇はある日突然起きた。いつもと変わらず、じぃじに遊んでもらい、父上に稽古をつけてもらい、母上に髪を束ねてもらった。そんな何の違和感のない日を過ごしていた城が…燃えている

夜、眠れぬ私に母上が本を読んで下さっている時だった。突然の轟音。何事かとじぃじは音の鳴る方へ向かって、そのまま戻ってこない。下の階は何やら悲鳴や複数の足音で騒がしい。私は初めての経験に母上にしがみついていた

今は危険を感じ取った母上が私の手を取り、部屋を出て廊下を駆けている最中。床が熱く感じ、何処からか焦げ臭い黒煙が煙っているのを見て、城が燃えているのだと悟った

見慣れた廊下なのに、今は何処を走っているのか分からないほど頭が混乱し、切羽詰まっていた




『母上ッ…ゲホッ!母上ッ…!』

必死にただ母上を呼ぶしか出来ない。すると、漸く母上は立ち止まった




「爺、無事でしたか」

思わず母上の背中越しから前を覗き込む。そこには確かにじぃじの姿があったが、いつもの直垂姿ひたたれすがたではなく、見慣れない真っ黒な服に身を包んでいるまるで黒子の様だった




「カハタレドキ城の襲撃です!此処は時期に焼き崩れます故!早くお逃げ下さいませ!」

「旦那様はどちらにおられるのですか」

母上の言葉にじぃじは言いにくそうに口を噤んだが、上段の間にいらっしゃると続けた。早く父上もお連れしなくては、という私の言葉の前に母上が言葉を発した



「心白羽、貴女は爺と共に行きなさい」
『ぇ…な、何を言い出すのですか!?母上も早くッ…』

言葉を遮って、強く腕を引かれ、気付けば母上の懐に埋もれていた。今までにない強さで抱き締められる



「貴女を1人にする酷い母を…どうかお許し下さい…」

愛しております、と耳打ちされ、最後にいつもの微笑みを浮かべながら頭を撫でられた



『母上ッ…母上ッ!私も一緒にッ…!』

袖を掴んでせがむ私を抱き上げたのはじぃじ



「爺、心白羽を頼みましたよ」
「かしこまりました…」

『やだッ…!離してじぃじッ!嫌だッ…!母上ぇえッ!』

遠くなる母上は終始笑顔で手を振っていた。私が最後に見た、母上の最期だった




『うわわぁああッ!母上ぇええッ!』

大声で泣き喚く私を抱き抱えたまま、じぃじは走る。だが、どんどん失速していき、とうとうじぃじは膝を付いてしまい、その拍子に私は地面に転げ落ちた



『じぃ…じッ…?』

起き上がった先のじぃじの姿に目を見開いて息が止まった




「申し訳…あッ…りません…心白羽様ッ…」

ドサッという重たい音と共にじぃじは倒れ込んだ。慌てて駆け寄って、何とかじぃじの体勢を仰向けにした。そしてやっと気付いた。じぃじは腹部や足に大怪我を負っていた。黒服だったから分からなかった…

ヒューヒューという聞き慣れないか細い呼吸をするじぃじの姿にただ頭が混乱し、涙しか出て来ない



『じぃじッ!じぃじッ!』

何度も揺さぶると、虚ろな目のじぃじの視線が私に向けられた



「心白羽様ッ…お逃げ下さ…い…」
『じぃじッ…!何でッ…じぃじも一緒に逃げなきゃッ!』

「この先を真っ直ぐ行けば…外へ…出れ…ます…」

今から走れば間に合います、と途切れ途切れにじぃじは廊下の奥を指さした。ほんの前までいつもの様に笑顔で話していたのにッ…元気に私を追い掛けてくれていたのにッ…



『1人になりたくないよッ!じぃじが残るなら私も此処に残るッ!』

嫌だ嫌だとじぃじの身体にしがみつきながら駄々を捏ねた。母上も父上もいなくなって、じぃじもいなくなったら本当に1人になってしまう。まだ10歳に満たない私でも、此処でじぃじを置いていったらもう二度と会えない…それだけは分かった




「心白羽様…」

頭に力なく手が乗せられた。ゆっくり…ゆっくり撫でるその動きにまた涙が溢れる。周りにも火の手が迫っているというのに、じぃじの手は寒気を感じるほどに冷たい



「私は…幸せです…こんな…老いぼれの為に…涙を流して下さるなんて…」

じぃじは撫でる手とは逆の手で懐から何かを取り出し、私の目の前に差し出した。それはいつもじぃじが私の為に用意してくれた金平糖を入れる見慣れた巾着。所々焦げて黒くなっている。震える手で受け取るとじぃじは安心した様に微笑んだ



「私を…お傍に置いて下さり…あり…が…とうございます…」

じぃじは笑っている。いつもの…いつもの笑顔だ。でもその目尻からは一筋の涙が溢れた



「丸…腰ではご不満でしょう…私の腰元の刀を…お持ちくださいませ…」

じぃじはもう力が入らないのか、頭を撫でる手も止まり、巾着を差し出した手も床に落ちた。すすり泣きながらじぃじの腰元の刀二刀を鞘ごと引き抜いた

稽古で使うよりも遥かに短い短刀。それを抱えると、じぃじは大きく息を吸うと最後にと言わんばかりの大声を上げた




「誰か助けてーッ!」

その声に思わず目を見開いた。私の声だった。その声の後には城の中から聞きなれぬ男達のあっちだ!、見つけたぞ!等という声が聞こえてきた



「少しは…似てますか…ね…?」

忍である為の技ですよ、とじぃじは悪戯に笑ってみせる。でも私は決して笑えない。じぃじの顔色はどんどん悪くなる一方で、落ちた手に至っては最早氷に等しいほどに冷えきっていた



「輩が声に気を…取ら…れている…間に…お行きください…」

『じぃじッ…』

「心白羽様ッ…貴女と…共にいれた日々は幸せ…そのものでした…どうか…どうかッ…心白羽様も……しあわッ…せ……にッ…」

語尾に関しては消え入りそうなほどか細く、それ以降…じぃじが言葉を発する事はなかった。泣き叫びたい声が喉に突っかかるが、じぃじの行為を無駄にしない為にも口を手で抑えて必死に声を殺した

周囲から男達の声が近くなっていく。恐怖と悲しみが入れ混じっておかしくなりそうだったが、小袖を脱いでじぃじに被せ、短刀と巾着を落とさない様にしっかり抱き抱えて、走った







◆◆◆ ◆◆◆







どのくらい走ったのだろうか。外の城下町も変わり果てた姿になっていた。所々で倒れている町人に声を掛けるが、みんな既に息を引き取っていた。正に地獄絵図だ。もう誰も手を引いてくれない。誰も助けてくれない。誰も傍にいてくれない…どうしようもない恐怖が頭をいっぱいにし、気付けば森の中へ逃げ込んでいた

後ろを振り返ってももうあの燃え盛る城が遠くに見えるくらいにまで走った所で膝から崩れ落ちた。母上とじぃじの最期が頭に過ぎる。涙が乾く訳もなく、身体の水分が全て失くなるのではないかと思うほどに涙は流れ続けていた

みんな死んだ。大切な人達が…大好きな人達が…みんな死んだ。もう私は…1人なのだ…

震える手でじぃじの巾着から金平糖を数個取り出し、口に含んだ。涙と混ざってあまじょっぱい



『私…頑張って走ったよ…?褒めてよ…じぃじ…』

涙を服の袖で強く拭った時、不意にカツンッと地面に何かが落ちた。拾うとあの時母上から貰った髪飾りだった。頭に付けていたのだけれど、熱で真っ黒に変色してしまっている

その髪飾りを見てふと思った。母上や父上、じぃじは多分…こうなる事を分かっていたのではないかと。元気がなかったのも、私を諭す様に話していたのも…いつかくるこの時の為だったのかもしれない



『みんな…ずるいよ…私だけ置き去りにして…』

1人がこんなに心細くて辛いなら…いっそ私もみんなと共にいれば良かった。あの場で果てれば…楽だったのかもしれない…









「本当にこんな所まで来てるのか?」
「殿の意向だ。文句言うんじゃねぇよ」

まだ距離はあるけれど、確かに数人の男達の声が聞こえた。ガサガサと草木を掻き分ける音も聞こえてくる。一気に血の気が引き、すぐさま立ち上がってその場から離れる

でも無我夢中で走っているせいで身体に草木が掠れる音が森に響き、そのせいで居場所が男達にバレてしまった




「おいおい!本当にいたぞ!」
「花霞のガキだ!ぜってぇ見つけろ!」

息が絶え絶えになる。頭が酸素を必要としているのに、上手く呼吸が出来ないまま走っているせいでくらくらしてくる。でも本能が走る足を止まらせない

捕まったら何をされるか分からない。私の縁談の話と関係あるか分からないけれど、あんなッ…あんな酷い事をしてくる城なのだ。どう考えてもまともじゃない

怖いッ…怖いよ…
母上…父上…
じぃじッ…



『たッ…助けてッ…!助けてッ!じぃじッ!』

恐怖で思わず叫んだ直後にズルッ、と足を踏み外した。崖だったのだろう。視界は逆転し、身体を強く打ち付けながら転げ落ちた

一気に落ち、やっと地面に辿り着いた時には私の意識は最早ないに等しく朦朧としていた。鈍い痛みが身体中を襲い、身動きすら取れない

こんなッ…こんな知らない所で…独りぼっちで死ぬの…?
このまま冷たい森の中で…

かなりの高さだったのか、すぐ背後まで迫っていた男達の声は聞こえず、虫の声すらも聞こえない静寂が私を包んでいた…筈だった




確かに…微かに枯葉を踏みしめる足音が聞こえた気がした。閉じようとしていた瞼をゆっくり開けて、視界がボヤける中で音の方へ視線を向けると、真っ黒な足袋を履いた人が此方に歩み寄ってくるのが見えた


逃げ…きれなかった…?
殺される…死ぬッ…

結局死ぬなら…みんなと一緒が良かったのに…
せめて…せめてッ…あの世で…会えますように…

ただそう願いながら、プツリと意識の糸が切れた



【略取 END】

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