「心白羽、外出する時は必ず髪を染めて下さいませ」

次の日、朝起きてから朝食をとっている時におじ様はそう言った。その言葉とほぼ同時に隣に座るおば様が差し出してきたのは真っ黒なひょうたん

受け取ると、ある程度の重みがあり、軽く振ると中に液体が入っているのに気付いた



「それは髪染めの塗料です。ザクロの皮などを煎じているモノで、心白羽がお城で使っていたモノとほぼ同じですから安心して下さいね」

私がやって差し上げましょうね、とおば様に連れられ、お風呂場で暫くなされるがまま髪染めをされた。終わった直後のおば様の表情は満足気であり、どんな仕上がりになったのか分からない私は頭に?を浮かべたまま、おじ様の元へ戻った




「おぉ、綺麗に染めてもらいましたな」

おじ様から手鏡を受け取り、恐る恐る見てみると、全く別人がそこにはいた。城では髪染めをした状態で鏡を見る事なんてなかったせいか、素直に驚いた。髪色だけでこんなに変わるのかと思う反面、何処か…母上に似ているとふと思ってしまった



「黒髪も似合っておいでですよ?」

私が感傷的になってしまったのを察してか、後ろからおば様がにっこり笑いながら頭を撫でてくれた



「この髪染めはそう簡単には落ちませんが、やはり完璧ではごさいません。水に当たればすぐに薄れてしまうモノなのです。なので、雨の日などは外出を控えて頂くしかございませんが、普段の生活であれば5日は保ちます」

もし雨に打たれれば3日と縮まる、とおじ様は続けて教えてくれた



『あの…何故こんな髪染めを…』

「カハタレドキ城が貴方様を諦めたと断言出来ないからです。そのままではとても目立ちますし、何しろ花霞家の外見の特徴といえばその髪色と瞳です。ひと目で貴方様が心白羽姫であるとバレてしまいます。瞳は装えなくとも、髪色だけでも人は欺けます故…」

面倒でしょうが辛抱して下さい、とおじ様は頭を下げた。此処から城までは大分距離はある…けれど、あの茂みにまで追っ手を向かわせたほどだ。かなり広範囲に渡って探し回っているだろうというおじ様の憶測はきっと合っている



『分かりました…わざわざご用意して下さり、ありがとうございます』

髪染め…おば様に染め方を教わって、1人でも出来る様にしなければ…

その後、おば様とおじ様の農作業を手伝う事にした。おじ様は聞けばフリーの忍をしており、依頼が来るまでは普通に農作業をし、収穫した農作物を街へ売りに行って生計を立てているのだと教えてくれた

家の外は本当に辺鄙な所で、時間が過ぎて昼頃になっても誰1人として家を訪れる人も道を通る人も現れなかった。だからこそ、忍を本職にしているおじ様は此処に住む事を決めたのだともおば様は教えてくれた




「昔から決めたらすぐに行動する人でしたからね。此処も土地の状態を見て即決されたのですよ」

少し離れた場所で作業をするおじ様の後ろ姿を何処か懐かしそうに微笑みながら見つめるおば様



『あの…おば様』

その表情を見て、失礼だと思いつつも口が勝手に開いた



『おば様はおじ様と出逢えて…幸せですか?』

私の唐突な尋ね事に振り向いたおば様の目は丸くなっていた。ぁ…と慌てて口を抑えたが、もう言ってしまった後では遅い



『す、すいません…失礼な事を…』
「幸せですとも」

その言葉に今度は私がおば様に目を丸くした



「あの方と共にご飯を食べる事も、こうして農作業をする事も、私にとってはどれも幸せなのです」

何故なら…あの方を誰よりも愛しているのですから、とおば様は微笑んだ



「きっと出逢える筈です。貴女を心から愛してくれる、そんなお方が」

「心白羽にもきっと訪れますよ。そんな日が」

母上とおば様の姿が重なる
私を…愛してくれる人
幸せだと思える日々

幸せって何処からが幸せなの?
愛するって…どういう気持ち?
私がじぃじ達に向ける大好きという感情とは何か違う事だけは分かるけれど、そこからの差がよく分からない



『変な事を聞いて…申し訳ありませんでした』

そう一礼して、背を向けて作業に戻った心白羽の後ろ姿を見て、まだ分かるには早いかしら…とおかみは苦笑を浮かべた







◆◆◆ 数ヶ月後 ◆◆◆







「心白羽、ありがとう。もう良いぞ?」
『いえ、もう少しで完成するので』

おじ様と一緒に草鞋を制作中。もうあれから早くも数ヶ月が過ぎ、私もおじ様もおば様も本当の家族の様に打ち解けていた。前まで少しよそよそしかった2人も完全に娘として接してくれている



「こら、心白羽。手がかすり傷だらけじゃないか」

言われて気付いた。作業の手を止めて、掌を広げてみる。かすり傷だらけなのは本当で、所々で血が滲んでいた



「あらあら、大変。早く傷薬を」

洗濯物を干して戻ってきたおば様も私の掌に気付いて、足早に薬箱を取りに部屋を出ていった。私はボーッと掌を見つめる



「痛くないのか?」
『はい…』

「そうか…」

おじ様は傍まで来ると、私の頭を優しく撫でた



「この数ヶ月でも…痛覚の欠如は進んでいる。俺達の手伝いをしてくれるのはありがたいのだが、自分の身体の事も気に掛けなさい」

『…ご心配ありがとうございます、おじ様』

私は微笑んで、傷だらけの掌を摩った



『でも、今の私にはこれくらいしか出来ないので…』

これからも手伝わせて下さい、と続けると、おじ様は困った様に眉を下げた



「貴女の年頃は皆遊んだりしているのだから、そこまで頑張らなくて良いのだぞ?今の生活でも窮屈だろうに」

『良いのですよ、私は楽しいですし。お2人の力に少しでもなれていれば、それで…』

母上や父上、じぃじに甘える事しか出来なかった私に出来る事なんて、たかが知れているだろうけれど、何もせずにはいられない。甘えてばかりの私のままじゃ…ダメだと思うから。私を守ってくれているこのお2人の負担を少しでも背負える様な人間に育たなければいけないと思うから



「心白羽、明日私と一緒に町へ行きましょう」

薬箱を持ってやってきたおば様からそんなお誘いをもらった。そういえば…この数ヶ月で外に出たのは農作業か近所の山へ山菜採りに行く時くらいだった

目の前に座ったおば様は私の手を取り、傷薬を塗り始めた



「いつも来ているお着物はお古ばかりですし、新しいお着物を心白羽に贈りたいのですよ」

『Σそ、そんな新しいのなんてッ…』
「良いじゃないか。好きなのを選んでくると良い」

おじ様まで、と苦笑する。おば様はもう既に行く気満々なのか、うきうきしている様子。呆気に取られている私におじ様がこっそり耳打ちしてきた



「前まで町へ出ては水茶屋や白粉屋に行って楽しんでいたのだが、この頃忙しくてな。久しくそんな要件で街へ出向いていなかったから楽しみなのだろう。あんなにうきうきして…妻の誘いに乗ってやっておくれ」

苦笑するおじ様に苦笑しかえした。おば様のあの上機嫌な様子を見てしまっては、もう断れない。悪いと思いつつ、私は頷いたのだった







◆◆◆ ◆◆◆






「さぁさぁ、行きましょう」

朝から上機嫌なおば様に手を引かれて、家を出た。おじ様は昨晩の夜中から忍の仕事で留守にしている



『おば様、あの…おじ様はこの時間までお仕事ですか?』

「えぇ、いつもですよ?忍の依頼は密書として渡されるそうなので、私は1度も目にした事はありませんが」

この数ヶ月で1度もおじ様の忍としての仕事を見た事はなかった。仕事をするにあたり、いつも2日ほど家を留守にするらしいけれど…



『心配…ではないのですか?』

おば様と手を繋ぎながら話す。以前、おじ様に立ち入った事だと知りつつも、忍についてほんの少し教えてもらった事があった

忍は生きるか死ぬかという事。言い渡される任務の成功率は極めて低いけれど、それ相応に報酬はあるという事。己以外に決して、身内といえど任務内容は明かしてはならない事。明かしたら最後、無関係な者まで巻き込む事になるからとおじ様は教えてくれた



『おじ様がお仕事へ行かれる度に…その…怖くならないのかと思ってしまいました』

おば様が足を止めた。失礼な事を聞いてしまっただろうか。そんな私の心配とは裏腹におば様はいつものにこやかな表情を浮かべていた



「心配です。無事帰ってくるかも分かりません。ですが、だからこそ…日々の1つ1つを大切に過ごしているのですよ。私も旦那様も」

旦那様と共に生きると決めた日から…そのいつか来る日は覚悟しております、とおば様は内容とは真反対ににこやかだった。その表情に胸が何故か苦しく感じる。それと同時におば様は…強い人だと思った



「そんなに悲しい顔をしないで下さい。心白羽はそのいつかについて、まだ考えなくて良いですからね」

苦笑しておば様は私を抱き寄せると、背中を優しく撫でた。何でおば様がそんな行動を取ったのか分からなかったけれど、頬に生暖かい違和感が…



「本当に…心白羽は良い子ですね」

私は泣いていた。そんな気はなかったというのに、無意識なのか咄嗟に袖で拭うと、やはり濡れている。何で泣いているのか…




「心白羽、しっかり食べないと大きくなれないぞ?」
「寒くないか?もう少し、囲炉裏に薪を足そうか」


まだ数ヶ月しか経っていないというのに、私は何処かでおじ様とじぃじを重ねて見ていたのかもしれない。また…また死ぬ。大切な人が死ぬ…




「心白羽様も……しあわッ…せ……にッ…」

じぃじの最期の笑顔が頭に過ぎって、一気に涙腺が崩れた様に大粒の涙が溢れ出た。もう誰の死ぬ所も考えたくもないけれど、間近で見てしまった大切な人達の最期が未だに頭に焼き付いている



「まだ日が浅いというのに、私達の事も大切に思って下さる心白羽は優しい子です。お父上様やお母上様もきっと素敵な方だったのでしょうね」

すすり泣く私の頭を撫でておば様は笑って見せた



「安心して下さい。私も旦那様も貴女を独りにはしません。今では心白羽の笑顔も私達の生きる糧になっているのですから、笑って下さい」

ね?、とおば様に促され、目元の涙を雑にだが拭い、笑って頷いて見せた。ひりひりする目元をおば様は優しく撫でると、再び私の手を引いて街へ向かった


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