クッキー






「自主練は終わりにして、休憩挟んだらまたポジション別でコーチにフォームとか動きをチェックしてもらうからね。水分補給ちゃんとしといてねー」

主将の声掛けで、個々でボールをひとまず片付け始めた。私も壁当てをやめて、一旦ボールを片付けた。男バレの方を確認すると、あちらもそろそろ休憩なのか、みんな散り散りになっていた




「はいよ、お水」
『あ、ありがとう。後でもらうよ』

「飲まないの?今飲んでおかないと次へばっちゃうわよ?」
『いや、ほら。これ渡さなきゃだし』

更衣室から持ってきておいた鞄の中から、例のクッキーを取り出した。朱美はそれを見て苦笑



「あんたってホントにタフね」
『渡しにいくだけなんだし、そんな大袈裟だよ』

んじゃ、と男バレの方へ向かって駆けていった唯織を朱美はバツが悪そうに見守った






◇◇◇ ◇◇◇






「夢咲じゃん。どうした?」
「珍しいね。こっちに来るなんて」

男バレのコートに唯織が入ってきたのに矢巾と渡が気付き、駆け寄った




『あ、休憩中にごめんね。京谷君何処かな?』

突然女バレの方から此方に来て、まさかの京谷の名が出た事に2人は目を丸くした。一体あいつに何の用なのか…

そんな中、3年の4人は休憩から戻ってくるや否や、滅多にこちらに来ない女バレの姿が目に入り、話に入った




「あれ、夢咲じゃん?」
『あ、お疲れ様です。休憩中にお邪魔してます』

首を傾げる松川に苦笑しながら会釈すると、横から花巻が唯織をマジマジと見て頷いた



「お気に入りちゃんが来たから、さぞかし岩泉はご機嫌にな…Σぶへッ!」
「余計な事口走ってんじゃねぇよ!」

青筋を立てた岩泉先輩からバシッ!と音が響く程に背後から頭を叩かれ、その場に倒れ込む花巻先輩に駆け寄ろうとしたが、及川先輩に止められた




「岩ちゃんの照れ隠しだから、気にしなくて大丈夫だよ。それで?もしかして、及川さんに会いに来てくれたの?」

『いえ、そのッ…』
「及川さんじゃなくて、京谷先輩を捜してたみたいですよ?」

後ろを振り向くと、物珍しそうな顔を浮かべながら金田一君と国見君がやってきた。貴方ではない、というのを言う勇気が出なかった中で、国見君が代わりに代弁してくれたから助かった



「お疲れ様です。京谷先輩なら、さっき体育館の外で座ってましたけど」
『あ、ホント?ありがとう。金田一君』

金田一君に会釈して、足早に体育館外へ。珍しすぎる展開にその場の部員もお互い目を合わせて首を傾げた



「残念だったなぁ。京谷に捕られちまって」
「は?何が残念なんだよ」

ツンツンと岩泉を軽くつついてからかう花巻の横で、及川は体育館外へ駆けていく唯織を怪訝そうに見ていた



「唯織ちゃん、狂犬ちゃんと仲良いのかな?」

「お前も何だかんだで夢咲お気に入りだもんな。気になる?」

「…別に」

及川はニヤニヤする松川から目を逸らして言い捨てた。別に京谷と唯織が仲良かったとしても、どうこう言うつもりはない。ただ気になっただけ…




「俺…初めて夢咲先輩と話したかも。結構落ち着いてる人なんだな」

「あんまり話す機会ないからね。学年も上だし」

金田一と国見が話している隣でコソコソと矢巾が渡に耳打ちして尋ねた



「夢咲って…京谷と接点あったのか?」
「いやぁ…どうだろう。京谷自身あまり人と馴れ合わない感じだし。況してや女子と喋ってる所とか想像つかない…」

女子どころか男子とも日頃話している様子がない京谷。一体どんな用があるのか…矢巾と渡は誰にも気付かれない様に唯織を追った







◇◇◇ ◇◇◇







『京谷君』

彼は座って、私は立っているから、必然的に京谷君が此方を睨み上げる様に振り向いた。あまりそういう事に恐怖心がないからか、そのまま隣に座った


「なッ…何だよ」

京谷自身、自ら近付いてくる女子なんてそうそういなかったからか、少し戸惑いを見せた。そんな事お構いなく、唯織は持っていたクッキーを差し出した




『これ』

「…は?ンだよ、それ」

『渡しといてなんだけど、私も誰からかは分からないんだよね。友達が他の子から預かったのを私が代わりを受け持っただけだから』

京谷君へって、と付け足して再度差し出した。京谷君は慣れない事をされたからか、警戒する様な目付きでクッキーを見つめて固まっていた

まぁ、誰からか分からないモノをあっさりもらう訳ないか…




『別に無理に貰わなくても良いよ。やっぱりこういうのは本人が渡さないと意味ないし』

苦笑しながら言うと、京谷君は暫く無言。気長に待っていると、警戒しながらも京谷君はゆっくりクッキーを受け取った






「おい、京谷がクッキー貰ってるぞ!」

「まッ…まさか夢咲…京谷の事ッ…!」
「いやいや、どう見ても本命じゃないですよ」

体育館を出た矢巾と渡がコソコソと物陰に隠れて2人を見守っている所に突然国見、金田一がひょこっと現れた



「見た感じだと…誰かに頼まれたのを渡したって雰囲気じゃないですか?本命にしては夢咲先輩冷静ですし…」

「おぉ、金田一。お前勘が鋭いな」
「いやいや、それほどでもッ…Σて、先輩ッ!?」

突然の花巻の登場に驚いた金田一が上げた声が思いの外大きく、着いてきた3年はしーっと手でジェスチャーしながら近くまでやってきた



「おぉ、京谷が警戒しながらもクッキーを貰ったぞ」
「若いって良いねぇ。とうとうあの京谷にも春がやってきたかぁ」
「いや、あの…多分本命じゃないですって」

興味津々といった様に見入る松川と岩泉に金田一が苦笑しながら伝える。その隣で花巻は腕を組んで微笑ましそうに頷いていた


「いや〜、女子は回りくどいからなぁ。羨ましい限りですわ」

小さくからかい混じりに笑っている面々の中で、何故か及川だけ真剣な表情で2人を見つめていた。その違和感に岩泉が首を傾げた




「何だよ、及川。いつものうぜぇテンションがねぇぞ?」
「ぇッ…あ、な、何!?」

その反応に及川がいつものテンションではないと松川も花巻も気付いた



「いつもの俺の方が100倍モテる!・・・・・・・・・・・・とか女の子は全員俺に夢中だし!・・・・・・・・・・・・・とか」

俺は宇宙1の美男子!・・・・・・・・・・とか、それから…」
「Σまっつんもまっきーも何なの!?そんなイタい事いつも言ってないっつーの!」

口を尖らせながら反抗する及川に松川と花巻はいつも通りだったか、とからかったが、岩泉だけはやはり幼馴染みだからこそ分かるのか、及川への違和感は残っていた







◇◇◇ ◇◇◇







そんな男バレが見てる事など知らない唯織と京谷。クッキーを意外にも受け取った京谷に唯織は目を丸くした




『貰ってくれるの?』
「…腹減ってる。だから貰う」

『あ…なるほどね。まぁ、貰ってくれてありがとう』

助かるよ、と口を緩ませ、立ち上がった。京谷君は険しい表情のままクッキーの袋の紐を解こうとした。が、不意に見えた掌の異変に気付き、思わず彼の手を取ってしまった

行動を突然妨げられたのに、京谷は目を丸くして唯織に再度目を向けた




「何しやがッ…」
『手、怪我してる』

掌を間近で見ると、やはり見間違いではなかった。擦り傷の様なモノが出来ていて、血が滲んでいる。丁度スパイクでボールを打つ位置だ。怪我を負ってたのに練習してたのか…



『ちょっと待って』

唯織はズボンのポケットから手持ち用の救急セットを取り出した。その行動に京谷はムッとした表情で握られている手を振り解いた



「うるせぇ。関係ねぇだろ。何なんだよ、お前」

関わんじゃねぇよ、と唯織から目を逸らした。が、唯織は構わず平気顔で再度手を出す様に促す




『早く出して』

「うるせぇ」
『早く』

「…お前ホントに何なんだよ。俺の手がどうなろうとお前に関係ねぇだろ」

一向に手を出さない京谷にシビレを切らして小さくため息を吐いた



『丁度スパイクを打つ場所だから、練習する度に刺激を受けて治りが悪くなる。そうなると、鈍い痛みが邪魔してスパイクに集中出来なくなるよ?』

彼の肩がピクッと動いた。血が滲んでいるんだ。少なからず痛みはある筈。あんな派手な威力でボールを打ってるんだから尚更に…



『同じスパイカーとして、見ちゃったら放っておけないだけだよ。コートでは清々しいくらいバシッ!とボールを打ち込みたい筈でしょ?私だってそうだし』

だから早く、と再び促す。暫くすると京谷君は此方を見ないものの、ゆっくり手を此方に差し出した。手のひらが赤くなっている。痛くても我慢して練習していた証だった




『少し痛むかもだけど、我慢してね』
「お前、変な女だな」

『え?』
「お人好しだっつってんだよ。普通ここまで拒否られたら折れるだろ」

『いや、まぁ…お人好しっていうか、私はただバレーが好きなだけだよ』

消毒を付けながら口にする唯織に思わず京谷は目を丸くした



『本気で頑張る人が怪我なんかで練習出来なくなるとか…嫌じゃん。こうやって消毒するだけで治る怪我でなら尚更さ』

唯織は淡々と消毒しながら続けた。京谷は黙って聞いている



『京谷君、真面目に練習やってるから、血が滲んで痛くても誰にも言わず続けてたんでしょ?』

ちゃんと消毒しないとだからじっとしてて、と釘を打たれ、京谷は大人しく処置してもらっている自身の掌を見つめた






「Σおいおいおいおいおい、何か良い雰囲気じゃね?」
「手のひらにガーゼ当ててる所を見るに、怪我の処置してもらってるって感じですね。ていうか服伸びるんですけど」

矢巾が国見の身体をグラグラ揺らしながら言った。矢巾だけでなく他のメンバーも思ったより2人が親しそうに見えるのに驚いている様だった




「あの京谷のツンケンした雰囲気の中でよく冷静になってられるよな」
「ホントホント。度胸のある子だなぁ」

その場が小さく盛り上がっている中、及川だけさっきと変わらず表情が険しくなっていた




「おい」
「……」

「及川」
「……」

1人だけさっきからテンションが違う及川を岩泉は何回か呼ぶが、本人は気付いていない様子。それにシビレを切らしたのか、頭を軽くど突いた



「Σぐぇッ…!なな何さ、岩ちゃん」
「お前、すげぇ表情してたぞ」

「…は?俺が?」
「他に誰がいんだよ、ボケ」

及川は目を丸くして自分の顔に触れた。反応的にあの険しい表情は無意識に…という事なのかキョトンとしている




「自分の事なのに気付かねぇなんて、マジでボケてんじゃねぇのか?」

「いやぁ…何だろうなぁ。俺もよく分からないんだよね。ただ何故かさ…」

苦笑した及川は岩泉から京谷と唯織の方へ再び視線を向けて、目を細めた




「…無性に狂犬ちゃんにイラついてんだよねぇ。今」

及川の声のトーンが突然低くなった。本当に不機嫌の時の声だと岩泉はすぐに察した

今までこの感じ経験した事なかったのになぁ、と及川は瞬間的にいつもの笑顔に戻り、岩泉に笑い掛けた






◇◇◇ ◇◇◇





『はい、出来た。少し厚めにガーゼ貼ったから打ちにくいかもしれないけど、治りが遅くなるよりマシでしょ』

救急セットを片付け始めた唯織。京谷は貼られたガーゼを眺めながら、口を開いた




「…やっぱ、お前お人好しだ」

『お人好しでも何でも良いから、あんまり無理してスパイク打ちすぎない様にね。身体が疼いちゃう気持ちは分かるけど』

唯織は言いながら口元を少し緩ませた。同じスパイカーとして、コートに立つ以上、ボールを追って打つのは身体が勝手に動くくらい染み付いている事だと感じている。だからこそ、京谷の小さな怪我なら気にせずコートに立つ気持ちは分かっていた

唯織は救急セットをポケットに入れて、自分を見上げている京谷に微笑み掛けた



『スパイカー同士、頑張ろう』

京谷は目を見開いて固まったまま。唯織はそろそろ戻らなきゃ、と足早に体育館の中へ戻っていった。京谷は暫くその場で固まったまま処置された手を見下ろしていた


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