ジワジワ
『夜遅くまでありがとうございました』
「いやいや、俺こそありがとう」
夜10時になり、練習を終えて、シャワーを簡単には済ませてそれぞれの部屋まで向かっていた
『やっぱりエアフェイクは難易度高いですね。一歩間違えたら捻挫しますよ』
「思ったんだけどさ…」
『はい?』
「エアフェイクに関してはやっぱり朱美ちゃんと練習した方が良いと思うよ」
及川先輩が立ち止まり、言った言葉。薄々は感じていた事だから驚きはしなかったけど
「練習してる最中に思ってたんだよね。俺のポジションはセッターだから、トス上げで練習を手伝ってあげられるけど実際にコート上で上げるのは朱美ちゃんだ」
『…はい』
「唯織ちゃんも分かったと思うけど、エアフェイクはセッターとの連携がかなり必要な技だよ。明日からでも朱美ちゃんと練習した方がいいと思う」
及川先輩の判断はいつも的確だ。やっぱり試合で本当にボールを任せる朱美とじゃなきゃ、今挑戦してる技は上達しない
わかりました、と指摘のお礼と共に一礼すると及川先輩は優しく微笑み頭を撫でてくれた。今日の今日まで頼りに頼ってきたのに、申し訳なさすぎ…
『…ありがとうございます。及川先輩。明日朱美に頼んで練習付き合ってもらえるか聞いてみます』
「うん、その方が良いよ。もしあれだったら俺達も練習混ざるし」
明日も頑張ろうね、と手をヒラヒラさせて及川先輩は男子部屋の方へ向かっていった。その背中を見送って、私も女子部屋の方へ戻って行った
◇◇◇ ◇◇◇
『おはようございまーす』
「あら、おはよう。夢咲ちゃん…だったかしら?」
朝一で起きた。悲しい事に朝のランニングは監督から禁止を言い渡されている為出来ないが、いつもの日課だったせいで早く目が覚めてしまった
みんなを起こさない様に部屋を出ていき、フラっと食堂へ顔を出すと既におばさん達が朝食の準備を始めていた
「ねぇねぇ、夢咲ちゃん。ちょっと聞きたいんだけどいいかしら?」
『あ、何ですか?』
「みんなの練習中に差し入れを持って行こうと思うんだけど、何が良いのかしらね?」
『あ、そうですね……定番ですけどレモンのはちみつ漬けとかですかね』
「あー、それがあったわ!ウチの子もそれ、持っていったら喜んでたわぁ」
「あら、やっぱりレモンが良いのね。あったかしらね?」
「ありがとう、夢咲ちゃん。早速作って渡しに行くからね」
作るものが決まり、気合いを入れ合っているおばさん達。思わず口元が緩んだ。此処は合宿所なのに、何故かお母さんがいる様な安心感があるから落ち着く
しばらくおばさん達と雑談をしていると、ちらほら寝起きの部員がやってきた
「あ、おはようございます」
「夢咲早くね?何時に起きたんだよ?」
『おはようございます。いやいや、私もついさっきですよ』
「おはよう、唯織ー」
「おはようございます、先輩」
みんな眠たそうに目を擦りながらやってきた。適当にみんな席に座り雑談をしていると、後から主将や及川先輩達がやってきた
「おぉ、みんなおはよう。全員集まったか?」
点呼をして、集まった事が確認されるとそれぞれおばさん達から朝食を貰いに向かった
「わぁい、魚だ」
『朱美って魚好きだったっけ?』
「ちょっとあんた幼なじみー」
そんな他愛のない話をしていた所に岩泉先輩がやってきた
「よぉ、2人共おはようさん」
「Σおッ、おはようございます!」
『おはようございます』
岩泉先輩の突然の挨拶に朱美は動揺しすぎて、何故か足早に席の方へ戻って行ってしまった。その様子に岩泉先輩は苦笑していた
「俺…何か嫌われてるか?」
『あぁ、いえ。朱美に関しては気にしないで下さい。嫌っている訳じゃ絶対ないので』
「…そうか。あ、そういえば昨日は悪かったな。練習付き合ってやれなくて」
岩泉先輩曰く、及川先輩から昨日の私との練習の様子を聞いていたらしい。バツが悪そうに眉を下げている岩泉先輩に慌てて首を左右に振った
『私が勝手に練習してるだけですし、只でさえいつも部活後に付き合って頂いてるので謝らないで下さい』
「エアフェイク…練習してんだって?」
『…相当難しいですけどね』
やってて思い知ってます、と付け足した。そういえば岩泉先輩もエアフェイクの練習してたんだっけ。挫折してしまったらしいけれど…
「あの技はかなり難易度高ぇけど、まぁ頑張れよ」
背中を軽く叩かれて、岩泉先輩は男子組の方へ戻って行った。私も自分の席へ戻り、小さくため息を吐くと隣で未だに顔を真っ赤にしている朱美に話し掛けた
『朱美、茹でダコみたいになってるけど大丈夫?』
「いッ…岩泉先輩からおはようって言われたッ…!どうしよッ…!朝からテンションが抑えられないッ!」
『あ…元気で何よりです』
◇◇◇ ◇◇◇
『主将』
「ん?どうしたの?」
朝食を終えて、早々練習が始まった。合宿なだけにやはりいつもの練習よりも細かくフォームチェックや実践練習を中心行っていた
『主将は3年間レギュラーだったんですよね?あの…部員の中にエアフェイクを実践してた人っていますか?』
「エアフェイク?……あぁ、そういえばいたわね。先輩で。誰かは覚えてないけど」
『何かこう…コツとかありませんか?』
「え、もしかして唯織ちゃん。エアフェイク挑戦してるの?」
ギクッ、と思わずたじろいでしまった。エアフェイクは本やネットで見る限りだとやはり難易度が高いと書かれている。それをこんな2年の何とかエースとしてここにいれている私なんかが挑戦してるなんて…
「いいんじゃない?」
『え?』
「エアフェイクは実践できればかなりいい戦力にもなるし、唯織ちゃんはこの前の選抜で見た限りじゃフェイク系は得意そうだし」
そう言うと主将はボールを1つ取りに行き、空いているコートの方へ向かった。そして、そこに朱美も呼び出した
「呼びました?」
「うんうん。いつものセッターの所に立ってね」
言われるがまま朱美はセッターのポジションへ。そうすると、主将は私の所へ戻ってきた
「要するにエアフェイクは如何に相手を惑わすかだからね。まぁ、フェイクってついてる時点で分かると思うけど」
『はい』
「いい?自分の目線自体でもう此処にボールが来るって思わせる様にするから、絶対に目線は正面ね。絶対足元とか見ない」
主将はフェイクのコツを丁寧に教えてくれた。それに朱美は未だに何故呼ばれたのか分からなかったからか、主将に声を掛けた
「主将、結局私は何したら良いんですか?」
「あぁ、ごめんごめん。今から唯織ちゃんのエアフェイクの練習するから協力してね」
「エアフェイク?」
唯織がエアフェイクについて説明すると、朱美は眉間にシワを寄せて何とも険しい表情を浮かべた
「あんた…またそんな難易度高めなの選んで」
『いや、ほらフェイクって意外にコートで役に立つしさ。それで…そのエアフェイクってセッターとの相性とかもあるから一緒に練習してほしいなぁ…て』
お願い!と手を合わせた。朱美は険しい表情のまま。只でさえセッターはコートの中の動きを把握していなきゃいけないのに、フェイクのタイミングにも配慮しなければならないとなると、朱美への負担は少なくない
長い付き合いなだけに呆れてるかなと思った。けれど、朱美は表情を緩ませて頷いた
「いいでしょう。正セッターとしてあんたの練習に付き合います」
『え…良いの?』
「幼馴染みをなめらないでっての。何回あんたの無茶ぶりこなしてきたと思ってんの?フェイクのタイミングくらい合わせるのなんて朝飯前よ」
『…ありがとう、朱美』
はいはい、といつもの様に笑った朱美に胸を撫で下ろした唯織。その2人の様子に主将も安堵した