鈍感
ドサッ!
「いったぁあ!」
「Σちょっと大丈夫!?」
練習中、後ろから派手な音が響いたと思えば、主将が足首を押さえて痛さに耐える様に表情を歪ませていた。すぐさま女バレ全員が駆け寄った
「主将大丈夫ですか!?」
「た…立てます?」
「うん…大丈ッΣいたたッ!」
「もう、主将ともあろうもんが転んで足首捻ってどうすんのよ!」
「担架持ってくるよ!」
先輩の1人がコーチの所へ行き、残ったメンバーが捻った足首を見て様子を伺う
『一旦靴脱ぎましょうか。楽にした方が良いですし』
唯織は慣れた手つきで主将の靴と靴下を脱がせた。周りのみんなはおぉ、と関心する様に微笑んだ
「さすが慣れてますなぁ」
「応急処置もしっかりしなきゃダメだものね」
「ありがとう、唯織ちゃん」
いえ、と応急処置を続ける唯織。しばらくすると、担架を貸してもらいにコーチの所へ行った先輩が浮かない表情で戻ってきた
「暫く使ってなかったから、壊れたまま放置されちゃってるんだって」
「担架が無理ならみんなで運びましょうか?」
「Σいやいや!大丈夫!保健室まで1人でッ…」
「ねぇー!及川ー!」
3年の1人が男バレの方へ呼び掛けた。呼ばれた及川はすぐに此方コートへ駆け寄ってきた
「何…ってΣどうしたの!?」
「ウチの主将がコケて捻挫したから、保健室まで連れてってくんない?」
「Σえ、ちょッ、別に先輩に頼まなくても…」
朱美が1人苦笑している中、及川も及川で唯織の目の前で他の女子に触れるのを躊躇していた。只でさえたらしだと思われているなら尚更これ以上勘違いされるのは避けたい
けれど、そんな心情を知る訳がない3年や1年はいつも平気で女子と接している及川しか知らないからか、運ぶ様に急かす
「え、何で俺?」
「なぁによ!いつも平気なくせに少しは労りなさいってば!」
「主将身長高いので、及川先輩なら丁度良いと思いますよ?」
ほら早く!と急かされ、唯織を気にしながらも及川はしゃがみこみ、おぶさる様に主将に促した
「ほら、早くおぶさりなって」
「あ、ご…ごめん。及川」
「気にしなくて良いって」
躊躇していたものの、最早くせになっている愛想笑いがまた出てしまった。申し訳なさそうにしている主将に対して、気を遣わせない様に向けた笑顔の筈だったのだが…
「なーんか、2人ってお似合いじゃん?」
「お互い満更でもなさそうにしちゃってー」
「主将同士って素敵ですねぇ」
ニヤニヤしながら冷やかす女バレに及川は冷や汗を流して、朱美を見た。朱美は苦笑して首を横に振った
『及川先輩』
「Σえ、な、何?唯織ちゃん…」
『一応応急処置はしました。保健室にテーピングがあれば、冷やした後に巻いて下さい』
「あ…そう。ありがとう…」
唯織の表情は至っていつも通りの真顔。寧ろ心配する様に主将の捻挫した足首を見つめている
「ごめんね、みんな。戻るまで副主将に代わって指示してもらうから」
コートを出ていく2人を女バレは変わらずニヤニヤ顔で見送った。2人の後ろ姿を見つめている唯織を朱美がそっと覗き込んだ
「ねぇ、唯織?」
『……』
「唯織?」
『Σぁ…な、何?』
「どうしたの?」
『何か…何だろ…』
唯織は及川が主将に笑い掛けた時から、チクチクと胸が痛くなっていた。モヤモヤもするし、みんなが主将と及川先輩がお似合いと言っていた時も何故か2人から目を逸らしたくなった
怪我人の先輩をせっかくおぶって運んでくれた及川先輩に対して…こうやって思うのは…かなり性格が悪い…
『ハァ…』
「…そんなに主将と及川先輩が心配?」
『Σなッ…何で先輩が出てくるの!私はただ主将の足首の事で…』
見るからにそれに対してのため息ではない事は、幼馴染みの朱美だからこそ分かった
焦れったいなぁ…
もぉ…何でそれを“嫉妬”とか“妬きもち”だと思わないのよ…
◇◇◇ ◇◇◇
「あんたさぁ」
「何?」
「何か…最近変わったよね」
保健室に着いて、主将を椅子に座らせた及川はしゃがんで、氷袋やテーピングで足首の手当をしていた。不意に言われた言葉に主将を見上げる
「何それ」
「何かさ…あんまりチャラくなくなったっていうか…」
呆気に取られた様に目を見開いた
突然言われたけれど、昨日の今日で朱美から言われた言葉もあり、あまり信憑性は感じない
「何だよ、急に」
「前まで普通に怪我した女子をおんぶしたり、何ならお姫様抱っことかしてたのにさ。さっき躊躇してたでしょ」
「いや…別に躊躇なんて…」
確かに躊躇はした。唯織ちゃんにこれ以上軽い男だと思われたくないのが、すぐに頭を掠めた。主将には悪いと思いつつ…
「何よその反応は。好きな子でも出来たの?」
「…言いたくない」
「えー、良いじゃん。教えてよー」
「しつこいと怒るよ」
ムッ、と眉を寄せた及川に主将はへぇ…とニヤけた。ムキになる所からして、答えなくても答えているようなモノだった
「あんたさ、いるならいるで良いけど」
「な…何だよ」
「慎重になりすぎない事ね」
「は?」
主将はテーピングを終えた足首を軽く回しながら、ため息混じりに続けた
「あんたみたいなタイプって、何にも思ってないの子達の前ではいつもみたいに愛想振りまけるけど、本気で好きになった子の前に限ってあーだこーだ考えて奥手になりやすいんだから」
「…というと?」
「悠長にしてると、他にとられるかもよ?って事」
ドクンッ、と低く鼓動がなった。朱美からも言われた言葉が重なる。3年間の付き合いなだけに、朱美よりもドシンとくる
「なッ…なぁにそんなに落ち込んでんのよ!冗談よ冗談!」
あははは、と及川を軽く叩く主将。だが、及川には冗談として受け入れられていなかった
◇◇◇ ◇◇◇
「はいはい、休憩ぇ。お昼食べるよー」
主将が戻らぬまま、そして及川先輩も戻らぬまま、午前中の練習が終わった。男バレ側も岩泉先輩の指示で、食堂へ向かう為にコートから出てきた
「まだ先輩帰ってきてないの?」
「うん。まだだね」
「すぐに戻ってくると思ったんだけどな」
「もしかして……2人っきりの一室でまさか!」
「ありそうで怖いわぁ…」
「まぁ、こうも長時間いなくなられたらな」
ケラケラと話しながら歩く部員達の後ろを朱美と唯織は歩いていた。朱美はまた始まったと言わんばかりにため息を吐きた
「よぉ、お疲れさん」
「Σお、お疲れ様です!先輩!」
『お疲れ様です。及川先輩…戻らなかったそうですね』
「あぁ、ほんっとにいい加減な奴だよ。主将の仕事ほっぽってよぉ。さっさと戻ってこいっつの」
あーぁ、と気だるそうに頭を掻いた岩泉を朱美は必死に慰めた。唯織は浮かない表情のまま、歩き続けた
「夢咲、何か表情が険しいけどどうした?」
「Σえ…そんな事ないですよ」
「さっきからなんですよ。そーんなに及川先輩が心配なの?」
『Σ違ッ!主将の具合が心配なの!』
及川が聞いたら泣くなぁ…と岩泉は苦笑した。岩泉自身も名指しで指名されて、主将を運んでいくのを見た時はまたやりやがったと思ったが…
まぁ、あの場を無理矢理拒否するのは人間性的にマズいから断らざる負えないのは分かるがな
「おーい、みんなー」
背後から及川の呼び掛けが聞こえ、前を歩いていた部員もすぐ振り向いた。小走りで苦笑しながら岩泉と朱美、そして唯織の傍まで駆け寄った
「お前おせぇよ。午前中終わっちまったじゃねぇか」
「ごめんてば。そんなすぐにも蹴りが飛んできそうな威圧感出さないでよ」
「先輩、主将の具合は…」
「うん、大した事ないよ。今冷やして安静にしてる。でも今日は見学の方が良いかもね」
それに朱美は安堵した様に胸を撫で下ろす一方で、唯織は及川を見つめたまま黙っていた
「あれ、唯織ちゃん。何でそんなに怖い顔してるの…かな?」
苦笑しながら唯織の顔を覗き込む及川。さっきの行動は自分自身でも引っ掛かってはいるが、敢えていつも通り接した
『怖い顔なんてしてません。主将を運んで下さってありがとうございました』
「ぁ…うん」
軽く頭を下げて、スタスタと歩いていく唯織。前方にいた部員達は逆にニヤけ顔で及川の方へ歩み寄った
「なぁなぁ、2人で何してたんだよ?」
「イチャついてたんじゃないだろうなぁ?主将さん」
「Σちょッ、違うよ!」
慌てて詰め寄ってくる部員達を宥める及川の肩をグイッ、と掴み、岩泉は耳打ちで尋ねた
「本気で何してたんだよ?夢咲の事想ってんならこんな長時間女と2人っきりのっつーのはマズかったんじゃねぇか?」
「だから岩ちゃんまでもぉ!俺はただあいつから好きな子に対してのアドバイス聞かされてただけだよ」
「は?まさか…誰かってのは言ったのか?」
「俺から言う訳ないでしょうが!あっちから一方的に話だしただけだよ全く!」
疲れ切った様に肩を落として、及川も部員達を掻き分けて食堂へと向かった。その後ろ姿を見送りながら、岩泉は浅く何度目かのため息を吐いた
【鈍感 END】