迫る時間








「声で騙す?」

朱美が首を傾げながら聞き返してきたのに頷いた。岩泉先輩と朱美が戻ってきて4人でスポドリ片手に休憩中、さっき及川先輩にアドバイスされた事を言った


「確かに声で騙すのはありだな」

岩泉先輩もフェイクをする上での目線や声掛けについては考えてくれていたらしく、納得した様に頷いた



「よくあるのはAって言ったらBクイックで打つとかBって言ったらCクイックで打つとかかな」
『でもそれってパターンバレたらすぐに対応されない?』

「じゃあ色々変えてパターン化しない様にするしかないかな」
『試合中の切羽詰まった時にパターンを覚えてるか心配…』

確かに…と朱美も腕を組んで唸った。私も同様に考え込み黙っていると、及川先輩が手を軽く叩いて呼び掛けてきた



「明日の昼休みとかに2人で考えてみなよ。今即興で決められるものでもないしさ」

時間も時間だし、と体育館の掛け時計を見上げる先輩に釣られて見上げると、時間はもう9時になろうとしている。そろそろ片付けて下校しなければいけない為、二手に別れて片付けを始めた










「朱美が夢咲の事言ってた」
「何を?」

片付けが終わり、部室で着替えている最中に岩泉が口を開いた。及川はワイシャツのボタン留めながら尋ねるが、岩泉の答えに思わず手が止まった



「夢咲があの例の奴らと中学卒業してからも接点があんじゃねぇかって」
「接点ねぇ…」

だんだん焦りが出始めているのが自分でも分かる。もし接点があるとして、相手がモラハラしていた奴らとなるとまともな関わりではないだろう。そうすると…嫌でも自分が想像している憶測が頭に浮上してくる



「お前、何考えてる?」

さっさと着替え終わった岩泉がロッカーを閉めながら尋ねる。その問い掛けに及川は目を丸くしてキョトンとした。ついさっき、朱美にも言われた事だったからだ

及川は口元を緩ませるとさっさとワイシャツのボタンを留めて、ブレザーを羽織った



「考えてる事はあるよ。でも、それは俺の憶測でしかないからね」

決定的根拠がある訳ではない以上、今言う事ではない。そう及川は思っている。だから岩泉に唯織の過去のいじめについて話した時も言わずにいたのだ



「去年の春高もそうだけど、あんな頑張り屋の子があそこまで動けないでいたのには絶対に何かしら理由はあるとは思うよ」

「だな。試合で緊張して動けねぇ様な奴でもねぇし」

あんな根性ある奴は滅多にいねぇよ、と岩泉がカバンを肩に掛けながら呟いた。それには及川も同感であり、そうだねと小さく微笑みながらカバンを持ち、岩泉と共に更衣室を出ていった








「さっきあぁ言ったけど、私も切羽詰まってたらミスりそうだわ」
『やっぱりそうだよね』

更衣室から出て、先輩達を待つ間、門前で立ち話をしていた。内容はやはりエアフェイク時の声掛けについて



「声にプラスして指でサインしてみるとか」
『指?』

「ほら、人差し指上げたらAクイックで親指上げたらBクイックみたいな」

その際は後ろに手を回して前の相手に見えない様に合図する、と朱美は続けた



『んー…なるほど』
「ね?そしたら声で迷わないでしょ?」

「良いんじゃない?」

及川先輩の声が聞こえて慌てて振り向いた。2人がいつの間に背後にいたのかと話に集中しすぎて全然気付かなかった




「俺達も中学の時はそうやってたよ」

『今は違うんですか?』
「何言ってんのよ、唯織。先輩達ならもう阿吽の呼吸なんだよ」

何も合図を出さずとも思考が一致している
そういう事なのか…



「それを言うなら朱美ちゃんや唯織ちゃんもそうなんじゃないの?」
「お前らだって幼馴染で長い事バレー一緒にやってきたんだろ」

岩泉先輩達に照れ臭そうにいやいや、と答える朱美を不意に見る。朱美との阿吽の呼吸…確かにタイミングとか癖とかもお互い把握しているつもりではあるけど、あまり意識した事ないな



『阿吽の呼吸というより…朱美がペースを合わせてくれるので助かってるんですよね、私としては』
「え?そうなの?私てっきり唯織がトスミスをカバーしてくれてたんだと思ってた」

お互いにキョトンとしながら目を合わせたのに、及川と岩泉は小さく吹き出した



「こいつらホントに仲良いのな」

「岩ちゃんは俺にもう少し優しくしてくれても良いと思うけどねぇ」
「十分優しいはアホ」









◇◇◇ ◇◇◇








「唯織ちゃん」

岩泉先輩と朱美と別れていつも通り及川先輩と2人で歩いていると、突然前を歩く先輩の足が止まった



『何ですか?』

振り向いた先輩の表情は険しくもなければにこやかでもない真顔。何だろうと首を傾げていると、先輩は何やら言いにくい事なのか頭を掻いてえっと…と声を漏らす



「唯織ちゃんはバレー楽しい?」
『…はい?』

今更な事を聞かれた気がする
楽しいかどうかって…そりゃあ…



『楽しいですよ』
「そっか…なら良かった」

苦笑した及川先輩は再び歩き始めた。私も後をついて行くけれど、先輩の背中を見つめながら怪訝に思った。何で今更楽しいかなんて聞くのだろうか

先輩はそれしか言わずに私の家の前に着くまで何も話さなかった




『いつもありがとうございます』
「いえいえ、じゃあまた明日ね」

そのまま背を向けて数歩進んだところで及川はまた足を止め、振り向いて唯織を呼び掛けた。それに唯織は玄関の扉を開けようとしていた手を止めた



「バレーが好きなら自分の事も好きになってよ」

及川は目を丸くしている唯織の目の前まで引き返して続けた



「唯織ちゃんはスゴいよ。いつも頑張ってるし、誰よりも諦めずに自分を高めていってる。本当にスゴいと思ってる」
『いえ、そんな事…』

「そんな唯織ちゃんがあんなプレーするとは考えられない」

照れ臭そうに頬を掻く唯織の手が止まり、そして目を見開いたまま固まった。その反応に及川はドクンッと重く嫌に鼓動が鳴ったのに気付いた



「去年の春高の唯織ちゃんの動き、無理くり言ってコーチから見せてもらったけど…明らかにおかしかった」
『…何でそんな風に思うんですか?』

「だって、目はボールを追い掛けられてたから。基礎的な体勢も出来てたし。あの時の唯織ちゃんなら零さずボールは取れてた筈だよ」

唯織は及川と視線を合わせずに俯いて聞いている。及川は唯織の反応を見て、自分の最悪な憶測が確信に変わりそうで表に出さずとも焦った。その焦りから思わず唯織の両肩に手を置いて言いたくなかった言葉を漏らした







「誰かに…脅されてたんじゃないの?」

心の中で言ってしまったと思ったが、もうすぐインターハイが始まり、組み合わせ表も貼り出され、嫌でもあの聖高の名も見ている今の唯織に問わずにはいられなかった

暫くの沈黙。すると、俯いていた唯織が顔を上げた。その表情は…微笑んでいる




『何言ってるんですか。そんな事ある訳ないじゃないですか』
「唯織ちゃん…」

『初めての春高で緊張してたんです。先輩達と優勝したいってポジティブな気持ちと負けたらどうしようってネガティブな気持ちがごちゃごちゃになってしまって』

思う様に身体が動かなかったんですよ、と続けて自傷気味に微笑む唯織だったが、全く及川の心の引っ掛かりは取れない




「違うよ…唯織ちゃんは本番で動けなくなる様な子じゃない。エースでいれるかが賭かった俺達との試合の時だってッ…」
『あれは相手が先輩達だったからですよ。安心して試合が出来たので、いつもみたいに動けただけです』

確かに相手が顔見知りかどうかでモチベーションは変わるし、放課後一緒に練習しているから安心出来たかもしれない。でもエースのポジションを降板させられるプレッシャーは重く、そんな気軽に考えられるモノじゃない筈なのだ




「そっか…何もないなら良いんだ」

恐らくこれ以上詮索しても唯織は何も言わない。でも尋ねた時の反応や実際の春高の様子を見るに何かあったのは間違いない。唯織自身が明かさないなら此方で少しずつでも探るしかない

及川はそう考えて今日は一先ず折れた。一方の唯織は内心戸惑いつつも顔に出さずに会釈した。本当は聞かれた直後に冷や汗がどっと流れて息も詰まった。ダイレクトに言われた及川の憶測が的中していたからだ



『明日もよろしくお願いします』

至って自然にいつも通り会釈して、唯織は家に入っていった




「朱美ちゃんの親友の勘は当たってるのかもね…」

及川はどうしたもんかな、と頭を掻いて唯織の家を後にした


【迫る時間 END】

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