嘘吐き










「唯織ちゃん、遅いね」

「お前気にしすぎ」
「まだ10分くらいしか経ってないですよ」

体育館では揃った3人だけで練習を始めていた。岩泉と朱美はいつも通りフォームチェックなどをする中で及川だけ何度も出入口を気にして身体が止まっていた



「先輩って唯織の事気にしすぎじゃないですか?」
「今に始まった事じゃねぇだろ」

こそこそと小声で話す2人に気付かずに及川は不満そうな表情を浮かべたままコートに入った。でもやはり落ち着かない




「俺やっぱり迎えに行ってくる」

「はぁ?んなガキじゃあるまいし、待ってりゃその内来ッ…」
「もう行っちゃいましたよ」

朱美の言葉に岩泉は即座に振り向いたが、既にそこにいた筈の及川の姿はなく、駆けて遠くなっていく足音が聞こえていた



「あいつ、きめぇな」
「せ、先輩…辛辣…」









◇◇◇ ◇◇◇








「唯織ちゃん…まだ教室なのかな」

軽く駆けながら廊下を進む及川。すると、目の前の階段の死角から話し声が聞こえ、立ち止まった。1人が唯織だという事はすぐ分かったけれど、もう1人は…






『及川先輩?』

唯織の隣にいたのは京谷。遅くなってすいません、と苦笑して会釈する唯織に対して京谷は及川に鋭い目付きを向けている。一方で及川の表情も決してにこやかではない




「狂犬ちゃんと一緒だったんだね」
『はい、たまたま廊下で会って』

2人の目の前まで歩み寄った及川はそこで気付いた。唯織の額が微かに赤くなっている事に。その痕に触れて、キョトンとする唯織に構わず及川は隣の京谷を睨み下ろした



「何これ。狂犬ちゃんがやったの?」

京谷は無言で睨み返す。無言の雰囲気であるけれど、及川が変な誤解をしていると悟った唯織は慌てて呼び掛けた




『京谷君は何も悪くないんですよ。私に喝を入れてくれただけで』

「何それ」
『えっと…と、とにかく京谷君は何にもしてないんです』

唯織がそう言うも、及川と京谷の睨み合いは続く。けれど及川の方がそっか、と声を漏らして背を向けた




「岩ちゃんと朱美ちゃんが待ってるよ。早く行こう」

そのまま歩いていく及川に慌てて唯織は京谷に再度お礼を言って、後を追い掛けた。遠くなる2人の背中を見つめながら京谷は何度目かのため息を吐いて玄関口へ向かっていった








『先輩』
「……」

『あの、せ…先輩?』
「さっき言ってたのってどういう事?」

振り返ることなく歩きながら及川先輩は口を開いた。さっきのって…京谷君に喝を入れてもらったという話の事だろうか。何処か雰囲気がピリピリしてる気がする…

そこの点について尋ねたかったけれど、聞いてももっと悪化しそうだったから私自身はいつも通りの調子で答えた




『そのままの意味ですよ。京谷君に励まされたというか…やっぱり喝を入れてもらったというか…』

デコピンされた額を摩りながら言った
先輩の反応はない

まさかなかなか練習に戻ってこなかったから怒ってるのでは。もうインターハイを間近に控えて呑気に話し込んでしまったから呆れているのでは。そんな考えが頭に浮かんでいく



「不安な事でもあるの?」
『えッ…』

反応のなかった先輩から急に尋ねられて少し戸惑う。何とも情けない内容だし、それは教えてくれている及川先輩、岩泉先輩や朱美、チームのみんなを裏切っている考えだと京谷君に言われた直後なだけあり、言いにくい




『馬鹿らしい事なので言えないです…』
「狂犬ちゃんには言えたのに?」

立ち止まった先輩。振り返る訳でもないから表情が見えないけれど、より一層空気が張り詰める感覚がした




『京谷君にも、その…言うつもりはなかったんです。でも話してたらどんどん気持ちが込み上がってしまって…』

怒鳴る様に言ってしまった自分のモヤモヤ。聞いていた京谷君も表情は変わらずとも急に吠えられて驚いただろう。我ながら馬鹿な事をしたと後悔している。朱美にすらあんな風に言った事ないのに…


『あの…すいません、先輩。インターハイが近いのに悠長な事してて』

申し訳なくて俯いた。すると、視線の先の先輩の足が此方に向き、振り向いたのだと気付いたけれど、雰囲気が変わらないから顔を見るのが若干怖い…







「俺はただの先輩でいたくない」

恐る恐る顔を上げた先に見えた及川先輩は険しいのではなく、真剣な表情をして言った



「唯織ちゃんにとって頼れる人でありたいし、辛い事も苦しい事も気兼ねなく言える人でいたいんだよ」

唯織が何に対して悩んでいるのかも、プレーに集中出来ないでいるのも及川には大体予想は出来ていた。自分の憶測はほぼ当たっている。それを唯織は隠している分、誰に打ち明ける事もなくもんもんと考え込んでいる




「唯織ちゃんに気を遣わせる先輩は嫌だな」

だから吐き出したい事があれば言って欲しいし、頼って欲しい、と及川は続けた。唯織は目を見開いたまま及川を見上げて固まっていた

言ってしまおうか…
でも言ったとしても証拠もないし、信じてくれるかも定かじゃない。私だってバレーの試合の為に脅迫めいた事をするなんて馬鹿げていると思うし、誰かにそう相談されてもピンと来ない

誰かに相談してもどうにもならない
相談した事でその人に危害が加わるのではないか
信じてもらえるかどうか分からない
余計な心配を掛けたくない

これが誰にも打ち明けられない理由の根元にある気持ち。及川先輩に言ってどうなる。言ってもただ先輩を危険に巻き込むリスクが多くなるだけ




『先輩にはいつもお世話になってますから、これ以上心配をお掛けしたくないと思ってるだけですよ』

私は及川先輩や朱美、岩泉先輩やチームメイトが大切だから…



『気持ちもスッキリしましたし、もう大丈夫ですから』

心を隠して、気持ちを偽る








◇◇◇ ◇◇◇








「あ、唯織!おそーい!」
「おぉ、やっと来たか」

体育館にやってくると、すぐさま朱美と岩泉は2人に駆け寄った。唯織は苦笑しながら謝罪し、朱美にコートへ連れていかれるが、及川は唯織を浮かない表情のまま見つめて動かない



「じっと見てんじゃねぇよ、バカ川」

隣の岩泉に肘でつつかれ、我に帰った様に及川はえ?と返した




「何かあったのか?」
「唯織ちゃんはやっぱり何かを隠してる」

「は?」
「やっぱり分かるんだよ、好きだとさ」

朱美とトスをし合う唯織。楽しそうに話しながらやっているけれど、それが余計に及川の胸を締め付けた

何でそこまで我慢するのか
何で誰にも相談をしないのか
何でいつも1人で何とかしようと抱え込むのか

及川には分からなかった。中学の頃は唯織と同じ様に自分が努力すれば解決出来るのだと信じていたが…岩泉からのあの言葉を聞かされて以降、1人でもんもんと考えるのはやめようと決めた。1人で考えてもダメなものはダメだし、余計に塞ぎ込んでしまうリスクの方が高い

それはきっと唯織も分かっている筈なのだが…




「岩泉先輩!及川先輩!唯織のアップ終わったので練習始めましょう!」

元気よく手を振りながら朱美に呼び掛けられた岩泉は2人の元へ駆けていく。及川も腑に落ちない事があるもいつものにこやかな笑顔を浮かべて3人の元へ駆け寄っていった

【嘘吐き END】

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