じれったさ






『ペットボトルチャレンジ?』

及川先輩と岩泉先輩が戻るまでの間にウォーミングアップを済ませた後に朱美が言い出した事だった。朱美が勝手に名付けているだけで、正式名ではないらしいけれど、要は反対コートの何処かしらの位置にペットボトルを置き、それをサーブで撃ち落とすというゲーム感覚の練習だ




「ちょっとした息抜きでさ。サーブ練にもなるし」
『良いけど…』

簡単そうだな…と少し気乗りしないまま、ペットボトル片手に反対コートへ駆けていく朱美を見守る。サーブは及川先輩に教わり始めた当初から練習している事もあってか、自信はあった




「唯織ー!良いよー!」

朱美がペットボトルを置いた位置は私から見てバックゾーンの左端。ヒラヒラと合図され、言われるがままエンドラインまで下がり、上にボールを上げ、ジャンフロでペットボトルを狙う。が…




「はい!ハズレー!」
『ぇッ…』

バコッ!と手応えのある音を発して真っ直ぐボールはペットボトルの方へ飛んで行った…筈だったのに、真横を通り過ぎて普通に外した

自信があっただけあり、健全と立っているペットボトルを見て思わず呆気に取られた。あんなに練習したのに…狙った場所に落とせなかった?え、え?ヤバくない?




「めっちゃスピードあったから、私が怖かッ…」
『もう1回!』

朱美がペットボトルを手に取ろうとした直後に思わず声を上げてしまった。内心めちゃくちゃ焦ってる。確かに最近エアフェイクばかりに没頭していたけれど…ここまで鈍るモノなのだろうか

エアフェイクも未完成で…ここに来て元々練習していたサーブまでも中途半端に下がってしまっては洒落にならないじゃん


もう1回同じ位置で!と続けて頼む唯織の様子に乗り気になったな、と朱美は満足気に口角を上げた






◆◆◆ ◆◆◆






「夢咲は何やってんだ?」

休憩から戻った岩泉が夢中でサーブを打ち続ける唯織をコート外で見守る朱美に尋ねる。岩泉が戻った事にも気付いていない様にただただ反対コートを凝視して唯織はジャンフロやジャンプサーブを打っている



「私から言い出したんですけど、思った以上にのめり込んじゃったらしくて…」

苦笑しながらサーブが打ち落とされている反対コートを指さす朱美。よく見ると、1本のペットボトルが立っている



「あぁ…あれ懐かしいな。よくやってたわ…つーか、夢咲の顔が怖ぇ…」

「何やってるの?」

岩泉の後ろから遅れてやってきた及川。朱美が同じく説明すると、面白い事してるねと微笑んだ




「あれ、何気に難しいんだよねぇ…」
「中学ん頃にやった時は掠りもしなかったもんな」

昔の事を思い出している2人の隣で黙って見守っていた朱美がねぇ!と唯織に呼び掛けた



「そろそろ私もやりたいんだけどー!」

そんな呼び声も聞こえてないのか、唯織は休む事なくボールを上げ続ける



「もぉ!先輩達も戻ってきたのに!」
「まぁ…あれはハマる奴はとことんハマるからな」

中学の頃に休憩がてらやって、いつの間にか顧問が戻ってきてもみんなでやり続けていたのを思い出しながら苦笑した岩泉。しびれを切らしてもう1度朱美が呼び掛けようとした直後、大人しく見物していた及川がコートに入った






どうしようッ…どうしようどうしよう…
明らかに質が落ちてる。何で…そんなに期間を空けた訳じゃないのにッ…


「唯織ちゃん」

思考の中に突然名前が割り込んできた事で我に返り、慌てて振り返ると、及川先輩が立っていた



「随分集中してるね」
『ぁ…す、すいません。戻ってらっしゃったんですね』

汗を裾で拭いながら会釈した。コートの外を見るとムスッとした顔の朱美と苦笑している岩泉先輩が…



「少しくらい代わってよー!私だってサーブ練したいんだからー!」

不機嫌気味なその表情に、多分気付かない内に何度も私を呼んでいたんだと悟った。息を切らしながら謝り、コート外へ足早に出た



「俺もやる。邪魔か?」
「Σえぇ!?い、いえいえ!そんな事ないです!寧ろやりましょう!」

岩泉先輩も一緒にコートに入った途端に不機嫌気味だった表情は消え去り、いつもながら目にハートが浮かんでいると言わんばかりにうきうきな様子な朱美に一先ず安堵した

私が舞台上に座り込み、水分を取っていると、及川先輩が舞台の壁に寄りかかって来た




『先輩はやらないんですか?』
「うん、まぁ…よくやってたけど、今は気分が乗らないからさ」

そう言う及川先輩の表情は私が完全に舞台上で座っているせいか、分からない。でもその後ろ姿からは何処かいつもの余裕そうというか爽やかというか…ともかくいつもより覇気がない様に思えた

確かめる為に舞台上に座ったまま足を投げ出し、隣を見るとやはり先輩の横顔は何処か険しい




『先ぱッ…』
「動きに焦りが出てる」

気の利いた言葉なんて思い付かないまま呼び掛けようとしたが、遮られた。発せられた言葉がさっきの私のサーブについてだと分かり、意識はそっちに逸れてしまった



「感覚少し忘れちゃった?」
『すいません…あんなに教えて下さったのに…』

どストレートに言われた言葉には苦笑しか浮かばず、咄嗟に謝罪する。ずっと練習を付き合ってくれたのに、怪我をした時ですら嫌な顔1つせずに教えてくれたのに…今更サーブの感覚が鈍くなった?

普通なら腹立たしく思われてもおかしくないのに、隣の及川先輩は小さく口元を笑わせて謝らなくて良いと一言言ってくれた



「上達していけば、次はこれ次はこれって挑戦したくなるのは仕方ないよ。俺もそうだし」

『1つの事にしか集中しなくなるのは昔からの悪い癖なんです。もうあと1週間しかないのに…』

まだ飛ぶ直前までの感覚はある。でも手首のスナップとか踏み出した後の感覚がうろ覚えだ。あと1週間…本当に1週間だ。待ってなんて効かない。練習あるのみ

勝つ事だけを考えろ。あの人達と決勝になろうがそうでなかろうが関係ない。ネットを挟んだ時点で倒すべき相手であるのには変わらないんだから

唯織は表情を強張らせてバシッ!と両頬を叩き、舞台から飛び降りた。突然の乾いた音に及川は目を丸くして見るが、お構いなく床に無造作に転がっているボールを1つ手に取った唯織はコートが空くまで壁当てをし始める

頬が赤くなったままのその真剣な横顔を見つめながら、及川は浅く息を吐いた






◆◆◆ ◆◆◆






あの後、ちゃんと順番を守りながら4人交互にペットボトルチャレンジを続けて、気付けば練習時間はそれでほとんど潰れてしまった




「あれ結構良い練習になるじゃない?最後の1週間の練習メニューに入れてもらっても良いかもね」

『うん…』

部室で着替えながら練習中の動きを頭で往復させる。及川先輩や岩泉先輩から直すべき所を指摘されたおかげで一応イメージは取り戻せた。あとは身体の感覚を取り戻すだけだ



「やっぱり基礎練は大事って思い知ったわぁ。私もサーブ本番までに自信つけとかなきゃ」

『そうだね…』

歩幅は変わってなくて良かった。変な癖もやっててあまり目立ってなかったから、やっぱり細かい踏み出し位置や打点の位置が心ぱッ…

「ねぇ、聞いてる?」

ひょこっと横からロッカーと私の間に割って入った朱美にぎょっと目を丸くして驚き、思わずうぇ!?なんて情けない声を出してしまった



「聞いてないよね?」
『ぁ…ご、ごめんなさい…』

やっぱり、と肩を落とした朱美に謝るが更に不機嫌気味に眉を寄せてびしっと指を刺された



「さっきからずっと話してるのに生返事だし。独り言のつもりはないんですけど?」

『ご、ごめんて。ちょっと考え事が多くて…』

ごめん…と謝罪を連呼する唯織の表情には明らかに元気がない。朱美は更に突っ込もうとしたが、あの組み合わせの変更やサーブの引っ掛かりの事もあり、敢えてこれ以上はやめにした。そして一言



「明日の朝10時くらいに連絡するから起きてなさいよ。付き合ってほしい所があるから」

『え?』

聞き返す前に行くわよ、と朱美はバックを持って部室を出て行こうと扉へ向かって歩き出した。私も慌ててバックに荷物を入れて後を着いて行った






◆◆◆ ◆◆◆







「夢咲の元気がない?」

唯織と及川と別れて、2人っきりになった所で朱美は岩泉に話を切り出した



「はい、何か…唯織の元気がないんですよ」
「そうか?あんなにバシバシサーブ打ってたのに」

「そうなんですけど…何て言えば良いんですかね。まぁ…今日は組み合わせが変更されたとかイレギュラーな事が起きたからかもしれないですけど」

組み合わせ変更の話を男バレは聞かされていなかったからか、岩泉はは?と聞き返した



「このタイミングでか?」
「はい…あ、因みにこれが変更後の表です」

朱美はゴソゴソとバックを漁って4つ折にされた表を岩泉に手渡した。すぐにその変更内容を把握した岩泉は頭を掻いた



「こりゃあ…あいつ的には調子狂うだろうな」
「ですよね」

それで…と立ち止まった朱美は俯き気味に視線を下へ向けた



「唯織からは言わなかったですけど、多分気にしてると思うんです。何か上の空だったし…だから、元気付けに何か出来ないかと思って」

明日此処に連れていこうと思いまして、とスマホを少し操作してから画面を見せた。そこにはある大きめな神社のホームページが…



「何だそこ」
「たまたま見付けたんですけど、勝負事に強い神様が祀られていて、結構大会目前の学生とかがお参りに来るらしいです。何か…気分転換になるかなぁっと思いまして…」

変…ですかね、と自信なさ気にボソッと呟いた朱美の様子を見て、岩泉は1つ間を開けるとそんな朱美の頭をポンポンと軽く叩いて、わしゃわしゃと撫でた



「お前、ホントに良い奴だな」

愉快そうに笑って言う岩泉とは打って変わって見上げたまま目を見開いて、朱美は空いた口が塞がらんばかりに硬直していた



「全然変じゃねぇから大丈夫だろ。あいつ元々顔に出さねぇタイプみたいだしな。お前くらいしか変化に気付いてやれねぇだろ。しっかり支えてやれよ」

「はッ……は…い…」

お前も無理すんなよ、と歯を見せて笑い掛けて再び歩き出した岩泉の後ろをいそいそと慌てて着いて行く朱美の顔は茹でダコの様に真っ赤。今にも頭上から湯気が出そうである



「もッ…もう拝まなくてもよくなっちゃったよ…」





◆◆◆ ◆◆◆






「あと1週間だねぇ。そろそろ俺も緊張してきた」
『先輩でも緊張するんですね』

朱美と岩泉先輩と別れてから、いつもの様に雑談しながら歩く。練習の終わり頃からジンジンと痛みだした手を擦りながら話しをしていると、及川先輩の視線がその手先に向いたのに気付いた



「手、痛いの?」
『ぁ…これはその…久しぶりにあんな連続でサーブを打ったので』

正直情けないと思った。あの程度の回数で手が痛むなんて。エアフェイクの練習で走り出しのステップや相手を騙す方法を考えて朱美と打ち合わせる事の方が多かったからか、部活外練習中のスパイク自体の回数が減っていたのだ



『こんなにすぐに鈍るなんて…油断してました』
「鈍くなってないよ。あの後結構な本数ペットボトル倒せてたし」

笑顔でフォローしてくれる先輩だったが、岩泉先輩と及川先輩は私以上に余裕でペットボトルを倒していた。先輩達だってきっとインターハイに向けて技を向上させようと練習している筈で、私と状況は変わらないというのに…サーブの質が落ちたなんて思わせないコントロールで…やっぱり実力の差を見せ付けられた気がした



『まだまだだって…言いたい所ですけど、もうそれは言い訳くらいにしかならないです。今回のインターハイでは後悔しない為にも…あとの1週間は大切にします』

俯かせながら何処か自傷気味に微笑む唯織の横顔を見て、不意にズキッと締め付けられる感覚が及川を襲った。言わずにいたもの…敢えて触れずにいつも通りに振舞っていたのに、口から勝手に話題を出してしまった




「壮行会の時さ…」

自分から切り出したのに、及川はしまったと咄嗟に片手で口を覆った。一方の唯織は目を丸くして、歩く足を止めた。嫌な沈黙で更に罪悪感が及川を襲う



「ぁ…ごめッ…」
『あれが当然の反応なんですよ』

及川の言葉を遮って、きっぱり言い捨てた唯織の表情は真顔で感情が読み取れない




『申し訳ない事を言えば、こうやって先輩方やチームのみんなが優しくしてくれる事の方が不思議というか…』

主将は寄って集ってと言っていたけれど、私の事を良く思わない人達の方が多いのが事実で、今日の壮行会でそれを改めて思い知った



『生徒のほとんどがあんな風に思ってるって事なんです。教えて下さってる岩泉先輩と及川先輩にあんな光景を見せてしまって…申し訳ないです…』

頭を下げて謝った。顔を上げた先の及川先輩は何故か悲しそうな…辛そうな顔をしている。何で先輩がそんな顔をしているのか分からないから、首を傾げた



『先輩?』
「謝らないで」

『え?』
「唯織ちゃんが謝る事じゃないでしょ」

先輩は私の両肩に手を置いて、訴える様に真剣な顔で続けて言う



「確かに俺は唯織ちゃんがあんな風に言われてるの見たくなかった。ずっと頑張ってるのを見てきたから尚更だよ」

『ぁ…ありがとうございますッ…』
「でも、見たくなかった以前に唯織ちゃんの頑張りを知りもしない奴等が好き勝手に罵倒してるのに腹が立ってる」

先輩の真っ直ぐな瞳に逸らせずに固まった



「でも…そう思ってても…俺はあいつ等に黙れの一言も言えなかった」

私よりも寧ろ先輩が傷付いている様な表情に自然に目を見開かせてしまう。この人は何処まで優しい人なのか、と疑問に思う程にそれは予想外な言葉だった



『せ、先輩…私の為にそんな思い詰めた様な顔しないで下さい。先輩は関係ないんですから』

「関係なくないよッ!」

悪気があって言った訳じゃない事だったけど、その言葉を聞いた途端、私の両肩を掴む及川先輩の手に力が増したと思えば、そう即答された

思いの外大きい声だったのと、またも予想外な言葉にぇ…と小さく声が漏れて先輩を凝視した。一方の先輩は我に帰った様にハッとした顔をした



「ぁ…えっと…お、俺にとって唯織ちゃんは…た、大切だから…」

照れ臭そうに言う先輩を見て、以前に朱美から聞かされた事を思い出した。及川先輩は私をお気に入りだと思ってくれている。怪我をさせたりしてしまった後でもそう思ってくれているのだろうか…

好きな人がいる先輩に余計な心配をさせてしまっているのは心苦しいけれど…素直に嬉しい



『先輩は…本当に優しい人です』

不謹慎ながら、自然に笑みがこぼれてしまった


『気に掛けて下さって、ありがとうございます』

先輩やチームの為にもうじうじしてる場合じゃありませんね、と小さくガッツポーズをして見せると、及川先輩は目を丸くした後、何故か苦笑したがら頭を掻いた



「大切って意味…分かってる?」
『はい。教えて貰ってばかりの私を大切だって仰って下さるなんて、やっぱり先輩は優しい人ですね』

あぁ…やっぱりそっちで受け止めるよね、と及川は口に出さないものの肩を落とした。完全にそう思っている…というか恋愛に対して経験がほとんどない唯織にはそもそもそれしか選択肢がない

あのさ、と言い掛けた及川だったが、目の前で再度ありがとうございますと笑顔で頭を下げてくる唯織の姿にまた言葉を飲み込んだ

俺って…ホントにヘタレだな…

【じれったさ END】

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