記憶のない記憶








ボーッとしながらあてもなく教団の外を歩いていた。空を見ると今日は少し曇りがかっているけれど、雨は降っていない



『さっきのはあの時の記憶なのかな…』

毎度毎度、千年伯爵の名前を聞く度に頭がザワつく。これは入団した当時からだ。まだ数日しか経っていないけれど、未だにあと時…あの夜の事をよく思い出せない。誰と会って、何を話していたのだろうか…


『ロード…』

けれどロードは…聞いた事がない筈なのに何故か身に覚えがある気がする。会った事もない。ノアの1人ってアレンさんは言っていた…けどノアって…





ズグンッ!
『ゔッ…!』

心臓を鷲掴みにされた様な痛みが突然襲った
突発すぎて呼吸が吸えないッ…
胸を押さえ付けてかがみ込んだ。必死に息をするけれど、足りない。苦しいッ…痛いッ…

周りを見ると、幸い誰もいない。そういえばアレンさんがそろそろ朝ご飯の時間だと言っていた。みんな食堂にいるのかな…

震える手で懐で眠っているギャレットを取り出したアデラだったが…ギリッと歯を食い縛った

こんな事で誰かに助けを求めるなんて…情けないッ…
こんなのただの…ただの胸の痛みだ。誰かに助けてなんて言う程のものじゃない…

アデラは再びギャレットを起こさない様に懐にしまった。息がまともに出来ずに胸の痛みは酷くなる一方だった。すると、目の前に教会があるのに気が付いた。そういえば教団の中にも教会があるって言ってた…

よろけながらも一先ず教会の扉を開いて中に入った。入ったと同時に立っていられずその場に崩れ落ちた。ふいに顔を上げて、目の前の景色に唖然とした



『なッ……に…これ…』

目の前に広がっていたのは数百もの真っ黒な棺桶。誰もいないこの静寂な場所でより一層存在を際立たせていた

以前からコムイさんから教会へは入らない方が良いと言われてきて今日偶然入ったけれど…この棺桶の数ッ…

何の意味もなく棺桶だけが入ってる筈がない。ならこの中の全部に…亡くなった人がッ…






「死にたくないッ!」
『ぇッ…』

「誰も助けてくれなかった…俺はずっと1人なんだッ!」
「エクソシストなんかにならなければ良かったッ!」
「何で私が死ななきゃならないのよッ!」
「痛い痛い痛いッ!誰か助けてくれぇえええ!」


『何ッ…何でッ…』

確かに誰もいないのに…周りでたくさんの人の声が聞こえてくる。聞こえてくるというより、入り込んでくる様に生々しく脳に訴えかけられている



「俺の腕がぁああ゙ぁッ!」
「いや゙ぁあああ゙ぁッ!」
「助けてッ!たすッ…けてくれぇえ゙えッ!」


『い……やッ…やだッ……ゃッ…』

「まだ生きてぇ゙えよぉおおお゙ぉおッ!」
『あ゙ッ…!がッ…ぅ゙!』

激痛と共に何かが込み上げてきて激しく咳き込んだ。口元を抑えた手を見ると真っ赤な血が大量についていた。吐血だ…咳が止まらない。その度に血を吐き出す。それでも尚声は増えていく

みんな死にたくなかった…
でもエクソシストとして、AKUMAと戦わなければならない。逃げられない。死ぬまでAKUMAと戦う。普通の日常を送りたかったんだろう。普通に生きていたかっただろう…



『ごめッ…なさい…』

何故か謝罪の言葉ととめどなく涙が溢れてきた。私はこの人達を知らない。でも何故か死んでも尚こんなに訴えかけてくる



「ねぇねぇ」

他の苦痛の声とは違い、明るいあどけない女の子の声が聞こえてきた。途切れ途切れに聞こえる声だけれど、誰かと話しているように声



「あ…そぼ…よう。ねぇね…ぇ…」
「はいは…い、たくロードは…こど…もだな…ぁ」


ロード…それに男の人の声…?
どちらも聞き覚えがない。誰…何でこんな声が…



「俺はおま…の世話係じゃね…だか…な」
「いいじゃ…ん、ギャレットー」


ギャレットの名前をロードであろう少女が呼んだのに目を見開いた。ギャレットって…あのギャレット?



『ギャレットッ…この子じゃない……誰…か?』
「思い出すなッ!」

何か…何か思い出せそうだったのに誰かが拒む様に頭痛がまた襲ってきた。さっきよりも一段と痛みが激しい。吐血も止まらない。色んな人の声も一気に聞こえてくる。もう何が何なのか分からない



『ぃ゙ゃッ…やめてッ……やだッ…嫌ぁあ゙ああッ!』
「グラシアナッ!」

身体を揺さぶられ、我に帰った。ゆっくり振り向くとそこにはハワードさんが切羽詰まった様な顔で私を見ていた



「何が…あったのですか」
『ぁッ…え?あれ…』

手元を見るとさっきまで確かに夥しい量の血を吐いた筈なのに…何もない。血の痕跡1つない。今に至っては先程の無数の声や頭痛すら消えていた。ただ涙は流していた様で頬がヒリヒリしている

唖然と目を見開いて固まっていると、ふとハワードさんが何故此処にいるのかという疑問が浮かんだ



『あのッ…ハワードさんが何で…』
「食堂で居合わせたノイズ・マリが伝えてきたんですよ。貴女の心音がおかしいと」

『でも…アレンさんは…』
「神田ユウとまた口喧嘩して手が付けられない状況だったので、私が捜しにきたのです。幸いノイズ・マリが貴女の居場所をすぐ特定出来たので迷わず来れました」

『わざわざ…来てくださったんですか…?監視のお役目があるのに…』

私の言葉にハワードさんは軽く咳払いをして浅くため息を吐いた




「ウォーカーは神田ユウと一緒にノイズ・マリが見ています。だから特に問題はありません。それに貴女には明後日の任務で大事な任があります。此処で何かあれば、任務に支障が出ますから」

ですが…とハワードさんは私の顔を見て続けた




「明後日の任務、貴女は降りた方がいいかもしれませんね」

コムイ室長に伝えてきます、と立ち上がろうとしたハワードさんの袖を思わず掴んでしまった。自分でも驚く程、今のハワードさんの言葉に焦りを感じてしまったからだ




『い、今の事ッ…誰にも言わないで下さいッ!』
「…貴女の今の身体の異常を見なかった事にしろと?」

お願い…します、と途切れ途切れにだが、アデラはリンクに懇願した



『私…皆さんの足で纏いになりたくないんですッ!コムイさんがせっかく私なら出来ると言って下さったのに…期待に応えたいんです…だから……だからお願いしますッ…!』

アデラの袖を握る手が微かに震えているのにリンクは気付いた。アデラのあの異常はただ事ではないのは一目で分かった。まるで何かに怯えて、何かを拒絶する…あの初任務以来の光景。だが、アデラ自身あの任務で両親の件については吹っ切れた様だった

なら今回は何について謝罪し、怯え、拒絶していたのか…



『あのッ…』
「分かりました。今回は誰にも言いません。ですが…」

もう少しご自身の身体の事も考えて下さい、とリンクはアデラの手を取って立ち上がらせた。すると、アデラの懐がモゾモゾッと動くとギャレットが顔を覗かせた

ギャレットはリンクがいる事にキョトンとした表情で見上げている



「ギャレットがいたのに誰も呼ばなかったのは、皆に心配を掛けたくなかったからですか」
『きっとギャレットはさっきの私を見たらすぐに誰かを呼びに行っていました。それは…避けたかったんです』

「…何があったのかだけでも教えて頂けませんか」

リンクの言葉にアデラは不安気な表情を浮かべたが、あの状態を見られてしまったからには誤魔化せないと諦めた。そして、誰にも言わない事を約束して話した

先程アレンからの奏者の資格についての説明の時に聞いたロードというノアの1人が気に掛かる事。急な心臓の痛みと頭痛。逃げる様に教会に入った途端に聞こえてきた無数の苦痛の声。そして…途切れ途切れに聞こえた2人の声の事全てをアデラはリンクに伝えた





「ギャレットが他に存在している?」
『恐らく…少なくとも会話が出来るのを考えたらゴーレムのこの子ではないと思います』

ギャレットは偶然見つけた各国の名前辞典で見つけた名前。その名前を…ロードという女の子が呼んでいた。もし…もしも頭に流れ込んできた会話の中のロードがアレンさんの言っていたノアの1人だったとしたら…ギャレットはッ…

考え込む様に険しく眉を寄せたアデラ。一方のリンクには心当たりがあった。アデラが入団する際にコムイから聞かされた事。ブローカーである両親によりアデラは千年伯爵と会わされていた事。アデラが千年伯爵の兄弟…即ちノアの1人である可能性がある事。全てコムイの憶測であるけれど、全く根拠のない話ではない

ギャレット…もしかしたらグラシアナの中に潜んでいるノアの名前…なのでは…



『私…本当に…1人なんですかね』

アデラのポツリと呟いた言葉にリンクは目を丸くした



「どういう意味ですか」

『私の中に別の誰かがいる様な…そんな気がするんです。極たまにその誰かが私に呼び掛けてくる時があるんです』

変な事言ってるとは思うんですけど、とアデラは苦笑した



「今はあまり深く考えない方が良いと思いますよ」
『そう…ですかね』

「貴女はエクソシストになってまだ日が浅い分、気に掛かる事が多いと思います。そんなに一気に全て考えてしまったら、きっとパンクしてしまう」

それでも気に掛かるのなら、私かウォーカーにでも話せば良いです、とリンクはアデラに言った。反応がないのにアデラに視線を向けると、目を丸くしてリンクを見上げていた



「どうしました?」
『その…本当にハワードさんはお優し方ですね』

おかげで気持ちが楽になりました、とアデラははにかんだ笑みを浮かべた。その表情を見て、リンクも柄にもなく心が安堵した様に気持ちが緩んだ



『ご迷惑でなければ、またお話聞いて頂けますか?』
「私でよければ、いつでも」







◆◆◆ ◆◆◆








『いよいよ明日。初護衛任務…』

次の日、外は生憎の雨。昨日少しばかり太陽が隠れていたからか、予想はしていたけれど…

時計を見るともう昼頃。太陽がないとあまり時間の経過を感じない気がする。自室で明日の準備をしていると周りを飛び回っていたギャレットが荷物の上に着地し、私を見上げた

この数日の任務でイノセンスは今の所問題は無い。定期的にヘブラスカさんの所で診断を受けているけれど…未だに私のイノセンスが何型なのかは判明しない。1番近いのはやはり寄生型らしい



『あ、そうだ』

ある事を思い出し、ギャレットに手招きした。すると、ギャレットは嬉しそうにすぐ私の膝まで飛んできて着地した



『ねぇ、ギャレット。私って二重人格…だったりするのかな?』

当然ながらギャレットは何も喋らない。けれど、いつも分からない事なら素直に頭を傾げたり、横に振るのに…この問い掛けに対してギャレットは無反応で此方をただ見上げていた



『貴方…何か知ってるんじゃない?』

ただじっと此方を見上げるだけのギャレット。でも直感で察した。この子は何かを知っていると…

私の中の…誰かについて…



『…ごめん、忘れてね』

反応のないギャレットにこれ以上問い掛けても答えは帰ってこない。しつこく問い詰めたら可哀想だし…もう詮索しない。浅くため息を吐くと、漸くギャレットは動き、いつもの様に私に擦り寄ってきた

…憎めないなぁ



【記憶のない記憶 END】

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