懐疑






それから数日、漸く左手の感覚が徐々に戻り、リハビリを始めていた。あの貫かれた直後を思い出すと、感覚が戻るのかすら不安だったけれど、神経は無事だったらしい

まだ傷は完治していないから、点滴での抗生物質投入は続いているけれど、動かせる様になっただけでもありがたい



『ふんぬぬぅッ…!』

手を握る開くの動作を繰り返すのを定期的に繰り返す様に婦長さんから言われ、今はリナリーさんに付き添われながらリハビリ中。手に意識を集中させて、ゆっくり動作を繰り返す

何故か力み気味になってしまい、変な声が出るけれど構わず続ける



「アデラ、すごい汗よ。少し休憩しな?」

はい、と水の入ったグラスを手渡されて、一気に飲み干した。思いの外体力を使っている気がしているけれど、気合いを入れているだけで身体は手しか動かしていないから、何か変な感じだ



『手を動かすだけでこんなに疲れるなんて…毎日当たり前に動かしていただけあって違和感がありますね。このリハビリは』

「不便になって初めてありがた味を感じるっていうのはよく聞く話よね」

『うぅ…治ったら体力作りをしないといけませんね。こんな事で疲れている様じゃ…』

標準の人よりも体力のない私。イノセンスのおかげで日頃の貧弱な身体が嘘の様に戦闘では動けているけれど、自分自身の身体自体強くならなければイノセンスに頼りっきりになってしまう

いざ、イノセンスが使えない事になっても、普通に戦える様に…






「もし、貴女がこの先エクソシストとして利用価値がないと判断が下った時は躊躇なく切り捨てる…私はそんな人間です」

ハワードさんのあの時の言葉をふと思い出した。使い物にならなくなったら…切り捨てられる。私は化学班の方やジョニーさん、医療班の方やジェリーさんの様に普通の人間としての能力なんて持っていない。手先が器用な訳でも頭が良い訳でもない

イノセンスがない私には…どんな価値があるんだろう




「あ、そういえば…この前出掛けた時のお土産、リンク監査官に渡せた?」

『ぇ、あぁ…渡せましたよ』
「どうだった?」

ずいっとリナリーさんが詰め寄ってきた。特に隠さず、恥ずかしくもその場で着けてもらえた事を話すと、リナリーさんは目を丸くした後、満面の笑みで拍手した



「良かったじゃない!貴重な1歩前進ね!」
『ぇ、あ、えっと…』

多分…リナリーさんが思っている様な発展ではない。私はハワードさんから直接聞かされたのだから



「私がいつも考えているのは貴女方、エクソシストの事ではありません。この聖戦の勝利と中央庁への貢献だけです」

はっきりと言われた言葉。その言葉で既に私はハワードさんにとってはただのエクソシストであるのだ。こんな私では尚更女性として…見られない




「その場で着けるなんて、なかなかやるわね。リンク監査官も」

『リナリーさん、多分そういう感じではッ…』
「リンク監査官は!?何て言ってた!?」

最早聞いてもらえないのか、リナリーさんはテンションが上がっている様で、尚食い付いてくる



『えっと…そういえば、お礼にケーキを作って下さる事になりました。ハワードさんのケーキが食べてみたいとお伝えしたら』

たじたじになりながら話すとリナリーさんはへぇ、と口角を上げて何やら怪しく笑った



「これは早く左手、動かせる様にならなきゃね」

何でその話の後に改めてそれを言ったのか分からず首を傾げると、リナリーさんは私の頭を撫でて続けた



「復帰したら、監査官と一緒にケーキを作るのよ」

『ぇ…いやいや!ダメですよ!只でさえ不器用ですし、お邪魔になるだけですよ!』

「頼めば作らせてもらえるかもしれないわよ?あの人、アデラには優しいし」

だから頑張ろう!、とグッドサインをするリナリーさんに苦笑しか向けられなかった。貴女もそう思うよね、と振られた窓際で日向ぼっこしていたギャレットも何の事か分からずにキョトンとしていた








◆◆◆〈数週間後〉◆◆◆








「もう大丈夫そうね」

リハビリをし始めてから数週間。当初と比べて大分違和感なく左手は動かせていた。婦長さん曰く、ダークマターを打たれたとは思えない回復スピードらしいけれど、それは恐らく私が寄生型寄りだからだと思う

ダークマターを打ち込まれても内部で浄化する力のある寄生型。それは事前に教えてもらえていたから、私自身はあまり驚かない。そして、今は長く続いた点滴を外し、数週間ぶりにまともに左手を拝める日なのだ

婦長さんが丁寧に巻かれた包帯やテープを剥がしていく。傷口もすっかり塞がり、通常の日常生活が送れる程には回復しているのだが…全て剥がし終えてからの左手の状態を見て、婦長さんは何故か悲しそうな表情を浮かべた



「やっぱり…痕は残ってしまったわね…」

左手の甲と平には貫かれた痕が。傷は塞がり、新しい皮膚で覆われているものの、やはり元々の肌色とは別で赤みの残る皮膚。申し訳なさそうに手を摩ってくれる婦長さんに微笑み掛けた



『分かっていた事ですから、大丈夫です。寧ろ此処まで回復出来たのは婦長さん達のおかげなんです。だから…そんな悲しい顔をしないで下さい』

ありがとうございます、と頭を下げると、婦長さんの私の手を摩る手が止まった。顔を上げた先の婦長さんの顔は切なげに眉を下げている



「普通なら…貴女ぐらいの子はあんな団服なんて着ずに、もっと可愛らしい服を着るべきなのよ。こんないつ命の危険が及ぶか分からないこんな閉鎖的な場所で過ごす事も…ないっていうのに…」

理不尽だわ…と婦長さんは私の左手を見下ろしながら悲痛な表情を浮かべた。こんな場面で不謹慎かもしれないけれど、胸の中が温かくなる感覚が滲んだ。こんなに身体の事を心配してくれて、自分の事の様に想ってくれる…

婦長さんだけじゃない。他の皆だって…やっぱり私にとって、此処は特別な場所だ

婦長さんの顔を見て、改めて思った。この人達がAKUMAを恐れずにこんな辛い事をせずに過ごせる日がいつか…やって来る様に…

今の私に出来る事。治療された以上、まだ役に立つと思ってもらえている今はAKUMAを倒し続けるしかない。1体でも多くこの世界からAKUMAを減らす事しか…



『私には必要ないんですよ』

婦長さんは私がボソッと呟いた言葉に驚きなのか、目を見開いて顔を上げた



『私の存在理由は此処で皆さんをお守りする為に戦う他にありません。皆さんが笑顔で…少しでも生きやすい世界になれるなら』

その為の命ですから、と微笑んで見せた。嘘偽りはない。これが私の想いであり、本当の事だから。そして、再度ありがとうございましたと感謝を伝えると、婦長さんは何か言いたげではあったものの、優しく微笑んでくれた

婦長さんは優しいからこんな事を言う私に何か想ってくれたのかもしれないけれど、本当に私にとって私自身の命はそれほど価値があるものではないと思ってる。皆がいてこそのモノだと逆に信じている

だから…命は大事だとかそんな事ないとか言われてもその優しい言葉に嬉しさを感じるだけで、この気持ち自体はきっと変わらない。そもそもハワードさんとアレンさんが助けてくれなければ今頃消えていた命なんだから…







◆◆◆ ◆◆◆







『えっと…おはようございます』

病院を出て、食堂へ。顔を出すとエクソシストの皆さんが揃っていて、私に気付くとリナリーさんが駆け寄ってきた




「無事に復帰出来て良かったわ」

『ぁ…あの、皆さんお揃いでどうかされたんですか?』

「本当は立ち会いたかったんだけど、婦長が騒がしくなるからって止められちゃって…だからみんな此処でアデラが来るのを待ってたのよ」

リナリーさんはそう苦笑しながら私の手を引いて待っているみんなの所へ



「元気になって良かったさ」
「最初から無理に身体動かしちゃダメよ?」
「顔色も良くなって安心したである」

みんな詰め寄り気味に心配していたという声を掛けてくれる。合間を見ては病室まで来てくれていたけれど、こうして改めて顔を合わせてもこんなに心配してくれるみんなは本当に優しい



『ご…ご心配お掛けしました。またこれからお願いします』

目の前のみんなが微笑んで返してくれた。けれど、ふと見渡してアレンさんとハワードさんがいない事に気付いた



『あのアレンさんとハワードさんは…』
「あぁ、あの2人なら今日は早朝から任務でいないんさ。夕方位に帰ってくるんじゃねぇか?」

2人にも感謝を伝えたかったのだけれど、任務なら仕方ない。無事を祈って待つ事にした。それからはジョリーさんが私の為にと料理をたくさん作ってくれたらしく、みんなで美味しく頂いた









「え?体力作り?」

みんな任務や作業があり、料理を食べ終えた頃には食堂にはちらほらとしか人はいなくなっていた。そんな時に偶然今日は非番であるというリナリーさんに先日言った事を改めて伝えてみた




『多分、私はイノセンスに頼りっきりで自分自身の力というかそもそもの身体能力がないというか…』

「体力作りは確かに大切だけど、そこまで考え込まなくても良いんじゃない?」

リナリーさんはそう優しく言ってくれるけれど、甘えてはいけないと首を左右に振ってリナリーさんに尋ねる



『リナリーさんは何かトレーニングとかされてます?』
「そうねぇ…」

暫く首を捻って唸るリナリーさんだったけれど、思い付いた様に手を叩いた


「私は特にトレーニングはしてないけど、アレン君や神田はよくトレーニングしてるわよ?」

『…え?』

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