「今日の買い出しの付き添いは千景さんにお願いしてもいいですか?」



久々の俺の休日は監督さんの一言で潰れることになった。

出張に行っている間に新しくここで暮らすようになった雛咲姫、という女はどうやら監督さんの親戚にあたるらしい。出張に行く前にMANKAIカンパニーの仲間が増える話は聞いていたし、監督さんの親戚だということも、彼女の複雑な事情もある程度は聞いていた。他の団員もみんな受け入れていた様子で、俺も女、という点を除いては反対の意見はなかった。

女は苦手だ。全ての女が、という訳では無いが少なくとも俺の周りにいるような女は必要以上に干渉してくる面倒な存在でしかない。
監督さんはほかの女とは違って面倒な存在ではないが、俺の女嫌いを知っていて今日の彼女の買い出しの同行者に俺を指名したことに関しては少し憎んでしまった。
監督さんのことだし今日が初対面である俺たちを少しでも仲良くなれるようにといった気遣いなのであろうが、俺にとってはありがた迷惑でしかなかった。
内心断りたい気持ちでいっぱいだったが前もって休日だと伝えてあったし、特に予定はなかったため、断る理由もなく彼女に付き合うことになってしまった。


「初めまして、雛咲姫です。先日からここで監督さんのお手伝いをさせてもらうことになりました。よろしくお願いします。」


「卯木千景。茅ヶ崎と同室で春組に所属してる。よろしく。」


第一印象は茅ヶ崎の好きなアニメやゲームに出てくるような女だなと思った。オッドアイにクマのぬいぐるみ…。俺を見る目が少し怯えているような視線で、年下ということもあり余計に接しづらい。高校生にしては落ち着いていて騒ぐようなタイプには見えないのが救いだった。


「早速行こうか。昼時になってくると混むだろうし。」


「は、はい!今日はよろしくお願いします。」


「じゃあ乗って。まずはどこから行くんだ?」


「…?車で行くんですか?」


「歩いていくつもりだったのか?荷物も乗せられるし車の方が楽だろう。」


「今日は重たいものを買う予定はないので歩きで大丈夫ですよ。」


「そう、なら歩いていこうか。」


女と出かける時なんてほぼ確実に足に使われることが多かったから少し驚いた。同じ劇団の仲間とはいえ初対面の男の車に乗ることに抵抗があっただけかもしれないが。俺としては車の方が早く用事が済むし、荷物持ちの時間も短くなるため有難かったのだが。


「今日は何を買う予定なんだ?」


「えっと、夕飯と明日の分の食材の買い出しと…。あとは生活用品の買い足しくらいです。」


「それなら今日はスーパーによるだけでいいかな。」


「はい!それで大丈夫です。」



それだけならすぐに終わりそうだな。昼過ぎには帰れるだろう。目的地にたどり着くまで無言というわけにもいかないため他愛もない話をしながら歩く。購入する予定の食材の話やシャンプーはどこのメーカーのものだったか、とか本当に中身のない話だ。まぁ色々詮索してこないだけまだ有意義な会話だが。それほど寮から距離は離れていない場所に目的地があるとはいえ徒歩で行くには少し時間はかかるため、それまでの時間会話をするのも面倒だとは思ったが、彼女が落ち着いた喋り方をするせいか、思っていたより苦痛ではなかった。



「あ、着きましたね。卯木さん、もし面倒なようでしたら近くのお店で待っていていただいても大丈夫ですよ。」


「いや、俺も行くよ。2人で行った方が早く終わるだろうし。」


「…そうですね。じゃあこのメモに書いてあるものを探してきて頂いてもいいですか?私は他のものを探してくるので。」


「了解。終わったらそこのレジの近くで待ってるよ。」



控えめに差し出されたシンプルに紙の右下にクマが書かれているメモを受け取る。シャンプーと洗剤、それとティッシュ。生活用品担当か。特別なものを使っている訳でもなさそうだしこの3つならすぐに探し終わるだろう。

食材を任せられなかったのは俺がスーパーで買い物をすることに慣れていなさそうに見えたからだろうか。食材の方が時間もかかるだろうし量も多い。寮で生活している人数分の食材なんてかなり多いだろう。あの細い腕でそれだけの量を持てるようには見えない。幸い任された目的の物はすぐに見つかった。このまま待ち合わせ場所に向かっても待ちぼうけになるだろう。そう考えて食料品売り場に向かった。



「雛咲さん。頼まれてたもの持ってきた。」


「あ、ありがとうございます。早かったですね。」


「3つだけだったしね。あとは何を探してるんだ?」


「あとはこのお米だけです。お待たせしてすみません…。」


「…俺がやるよ。」



カートに重たそうに米を持ち上げて乗せようとしている彼女を見ているだけなのも感じが悪いなと思い彼女の手から袋を取りカートの下に乗せる。男からすればこのくらい大して重いものでもないのだが、彼女のような細身の女からしたら力がいるのだろう。


「すみません、ありがとうございます…!」


「別に大したことはしてないよ。」



彼女は謝り癖でもあるのだろうか。それとも俺が心底迷惑そうな顔でもしているのか。顔には出していないつもりだけど勘違いをしているのかもしれない。まぁ特に訂正する気もないのだが。

目的の物は全て揃ったためレジに向かう。カートを押していこうかと思ったがまた謝罪の言葉が出てきそうな気がしたためその役目は彼女に渡した。


会計を済ませスーパーの外に出る。時刻は12時少し前。ここで昼食にでも誘うのが普通だろうが彼女と2人でいるよりは寮に戻ってほかの団員も交えて食事を取りたい気分だった。


「昼食は寮に戻ってからでもいいかな。休日だし、今日はほかの団員もいるだろうから。」


「私はそれで大丈夫です。今日はこのまま帰りましょうか。」


「ああ。じゃあ戻ろうか。…袋、持つよ。重たいだろ?」


「いえ、お買い物に付き合って頂いた上に荷物まで持っていただくのは申し訳ないので。」


「ならせめて重い方だけでも持つよ。雛咲さんに全部持たせるのも悪いし…あぁ、悪い。先に戻って貰ってもいいか?少し寄りたいところが出来た。こっちは後で持ってくから。」


「そこまで時間がかからないようでしたらここで待ってますよ。その間荷物も預かっておきますので!」


「そんなに時間はかからないと思う。それならここで少し待ってて。戻ってきてから荷物は預かるよ。」


あんなところにスパイス屋があったとは。思わぬ発見をしてこのまま寮にまっすぐ帰る選択肢は消えてしまった。彼女には申し訳ないが、重たい荷物を1人で持たせて帰らせるより数十分待ってもらう方がマシだろう。近くのベンチに腰掛けた彼女を見てから新たに発見したスパイス屋へ向かった。







✩.*˚


思っていたより時間がかかってしまったかもしれない。あのスパイス屋、あまりほかの店では売っていないものも扱っていたから色々見てしまった。想定していた時間より遅くなってしまったため、少しペースを上げて彼女が腰掛けていたベンチに向かう。



…いないな。待ちくたびれて先に帰ってしまったのだろうか。そこまでの時間は経っていないはずだが。連絡もなしに先に帰るようなタイプではなさそうだとは思ったが、そういえば連絡先を交換していなかったためどうしようもなかった。それに、あの荷物を持って1人で帰るのにはかなり時間がかかるだろう。他の店へ入っていったことも考えにくいため、先に寮に向かったと仮定し寮への道のりを歩いた。



「…さっきの女の子、大丈夫かしら?あの男の子2人とは友達のような雰囲気じゃなかったけど…。」



すれ違った女性からそんな会話が聞こえた。
…雛咲さんのことでは、さすがにないよな。このあたりはそんなに治安も悪くないはずだ。違うとは思いつつも少し気がかりになって、来た道を振り返り少し距離の空いた女性に声をかけた。


「…すみません。少し会話が聞こえてしまって気になったのですが、今の話を伺ってもよろしいですか?」


「え、ええ…。さっきスーパーから少し離れたベンチに中学生くらいの女の子が座ってたんだけど、そのあと男の子2人組が声を掛けてて。そのまま向こうに歩いていっちゃったのよ。歳が近いようには見えなかったから初対面だったんじゃないかと思って…。」


「その女の子の特徴を聞いても?」


「綺麗な桃色の長い髪で、瞳の色が左右で違うように見えたの。光の加減かもしれないけど。華奢な可愛らしい女の子だったわ。」


「…ありがとうございます。助かりました。」



どう捉えても雛咲さんだ。彼女が特徴的な外見で良かった。男2人組…。監督さんの話だと彼女には友人がいないと言っていたし、恋人である可能性も低い。そう考えるとやはりナンパだろうか。今どきそんなことするやつまだいたのか。

すれ違った女性の指した方向に向かうと人気のない路地裏にたどり着いた。いかにも怪しい奴が連れ込みそうな場所だ。少し入り込むと男女の会話が聞こえてきた。



「あ、あの…スーパーはこっちの方面ではないですよ?」


「は?それ信じてついてきたの?ははっ、可愛いね。スーパーなんか行く予定ないよ。可愛い子が1人でベンチに座ってたからナンパ待ちかなって思って声掛けたんだけど。」


「ねぇ、君目の色が左右で違うね。カラコンでも入れてるの?それにしては綺麗で珍しい色だけど…。」


「まぁそんなことより早くしようぜ。誰か来たらやばいだろ。」



「そうだな。こんな可愛い子めったに捕まらないし。うわ、肌白…」



「…ぇっ、あの、やめてくださ…っ」










「男2人がかりで襲うなんて感心しないな。」


「はぁ?誰だよおっさん。」


「おっさん、と呼ばれる歳ではまだないと思うんだけど。まぁいいや。その子、嫌がってるように見えるけど。」


「あぁ?そんなのあんたに関係ねえだろ、」



「仮に関係なかったとしてもこの状況を見て見ぬふりするのは出来ないな。キミたち、学生っぽいけどこんなことしてるのバレたらまずいんじゃない?あぁ、そういえばさっき巡回中の警察官がいた気がするな。今すぐ呼んできてもいいんだけど…、」



「お、おいこいつなんかやばそうじゃね?もう行こうぜ…」



「…チッ。」



男2人組は手を出すまでもなく逃げていった。大した度胸もなかったらしい。余計な面倒事に巻き込まれなかったのは幸いだった。



「…う、卯木さん…っ」



「大丈夫か?戻ったら雛咲さんがいなくなってたから先に帰ったと思ってたんだけど、こんな所に連れ去られてたから驚いたよ。」



「すみません、助けていただいてありがとうございます…」



「いや、俺の方も1人で待たせてしまって悪かった。無事でよかったよ。大丈夫?怖くなかった?」



「だ、大丈夫です…平気です。早く帰りましょうか。」



「…それなら良かった。帰ろうか。ほら、立てる?」



しゃがんだまま立ち上がろうとしない雛咲さんの手をできる限り優しくとり立ち上がらせた。握った手はかなり震えていて、口では平気だと言っていたが怖い思いをした、という気持ちが手から痛いほどに伝わってきた。



「さっき袋を落としてしまったので、卵が割れてしまっているかもしれません…大丈夫かな、?卯木さん…?」



「雛咲さん薄着だったから、春とはいえ少し寒そうだなと思って。俺は上着着てきたし少し暑かったから、良かったら帰るまでそのまま羽織ってて。」


「…?今日は暖かいので、私も上着を来てこなかったんですけど…、あっ…!」


「…そういうこと。大丈夫、ボタンが取れてるのしか見てないから。それと今、完全に卵が割れた音がしたね。」


「す、すみませんお見苦しい格好を…!それに卵も結局割れちゃった…。買い直さなきゃいけないかな。」


「雛咲さんって、結構色んな表情をするんだね。」


「え?へ、変な顔してましたか…?」


「いや、そうじゃなくて。今朝あった時は俺の事怖がってるように見えたし、目も合わなかったから素を見せてもらえると思わなかった。」


「あ、すみません…怖い、というか、初対面で年上の男性っていうのはMANKAIカンパニーに来るまではほとんどなかったので、未だになれなくて…。」



「それと、そうやって謝らなくていい。怒ってるわけじゃないし、謝られても困る。」



「…卯木さんは優しいんですね。」



「…あぁ、よく言われるな。外面はいいから。」


「内面も、ですよ。…正直、今日卯木さんに初めてあった時、劇団の人とはいえ、初対面の方といきなりお出かけするのは不安だなぁと思ってたんです。でも、そんな心配いりませんでした。歩いている時は車道側を歩いてくださったり、買い物の途中も重たいものを運んでくださって。…それに、さっきもここまで私を助けに来てくれました。今日数時間一緒に過ごしただけで、こんなにも沢山助けられちゃいました。今日は本当にありがとうございます。卯木さんは私にとって、ヒーローみたいな方です!」


彼女は俺の前で初めて微笑んだ。そんな風に言われたのは、初めてかもしれない。車道側を歩くのも、荷物を持つのも、いつもはご機嫌取りのためにしかしないような事だった。…でも今日は、そんな考えは一切なくて、何となく。しようと思ってしたことではなかったけど、無意識にそうしていたのだ。途中で別行動になって、待ち合わせ場所に戻って彼女がいなかったことには内心俺は珍しく焦っていた。その焦りは彼女がもし危険な目にあっていたら、監督さんに任された付き添いの役目を果たせないだとか、古市さんあたりに説教をされてしまうとか、そんなことではなくて。俺自身が、彼女を心配していたんだということに気づいた。



「雛咲さんは笑顔が1番似合うな。」



「ふふっ、卯木さんも、今みたいに自然に笑った顔が1番お似合いです!」



今日俺は雛咲さんの前で自然に笑った時があっただろうか。常ににこやかにしているつもりだが、自然になんて、簡単に笑顔を見分けられてしまったのは初めてだった。そう思いつつ、荷物を持ち直し雛咲さんと歩き出す。人気の無い路地裏を出て、再び寮までの道のりを歩き出した。ふと見た店の窓に写った俺は、確かに少し、自然に笑っていたかもしれない。完全に無意識だった。こんな風に、寮のみんな以外の初対面の人に自然に笑ったのはいつぶりだっただろうか。そう思っていると、不意に横切った優しい思い出に、自然と穏やかな気分になる。ペテン師なんて呼ばれたこともあったが、こんなにも無意識に感情をだしてしまうペテン師なんて、いっそ鼻で笑おうか。


きっと君の前では、自分に嘘をつけない気がしているから。