MY CRUSH





脳みその代わりに頭が炭酸飲料で満たされた時の感覚に似ている。沸騰して弾けて、溶けて二人このまま一緒になるんだと、彼女の首の熱に触れながらキスをする度強くそう思うのだ。

「それ、最近よくきくね。」

つけっぱなしのテレビから流れてくるエアー。流行りのドラマの主題歌だ。チカチカ点滅するように切り替わる画面に照らされる彼女の目元は綺麗で目が離せなくて、頭の奥に耳鳴りとなって入り込んでくるみたいだった。俺はそれを口ずさむ名前の横顔に吸い込まれるように口付けてゆっくりと髪を撫でてみせる。

「由井くんは好きな子とかいるの?」

色を帯びた唇は濡れ、光に照らされた粒がキラキラと光っている。今までかなりの時間を共有してきたのに初めてきいたその質問はずっと名前と話したかった事についてだった。ただこの瞬間をだけを待っていたんじゃないかと思える位に、高揚する気持ちを抑えるように息を吐き。俺は目を細めて、彼女の表情の微かな変化も見逃さないようにただじっと見つめてみせる。

「いるよ。」
「じゃあキスはもうしちゃダメだよ。」

名前がそう言った時、途端に心臓がドクと嫌な音を立て正しい脈を刻めなくなったのだ。当たり前だ。ききたかった答えと全く違うのだから。その行き場のない感情を抑えようと咄嗟に息を止めていたが、きっと顔にも出ていたと思う。しかし名前はこっちなんて少しだって見ずにぼおっとテレビを眺めているのだ、だから余計に変な動悸がして。俺はろくな返事もできないまま逃げるように部屋から出たのだった。

俺はいつだって名前との関係のことを上手く説明出来ない。高校の時からの知り合いだけれど、それこそ最初は問題なかったのだ。同じ学年の人、クラスメイト、友達…。そうやって括りに入れて連絡を取り合ってたまに出かけて、バイト前の隙間に会って。名前の事を見つめる距離が段々と近くなっていく内に気が付いたら体を重ねていた。長い抱擁から始まって、体を執拗に求め合って、手なんて繋ぐよりも先にキスをした。好きという言葉を使わないゲームをしているみたいにそんな言葉は一度だってきいたことがなかった。最初はそれで良かった。でも彼女とのことを誰かに説明する時に言葉が見つからないのだ、セフレ。違う、二人で出かけることもあれば特に何もせずただソファーに座っているだけの日だってある。友達。不定期に寝る間柄が友達な気がしない。恋人。

「恋人?」
「みたいなもんだろ。」

何日か前にした会話では確かに俺らは恋人のはずだった。

「次会った時にきいてみろよ。」

俺らって付き合ってるよなって。俺は今日そのつもりで会いに来た。
ずっと曖昧で、名前はいつだって一緒にいても何を考えているか分からないから正直自分がどう思われているのかなんて分かった試しがなかった。もし自分と同じ気持ちならそれこそ死んだっていい位幸せなのに。蛇口から出てくる水は透明で、指をすり抜けそのまま排水溝に流れて消えていく。分かってた。名前が自分の唾液を飲んでみせる度酔っていたのだ。名前の携帯の通知だって気付かないフリをしていた。言葉は交わしていないけれど俺らは付き合っているんだと思っていた、思っていたかった、それ以外の選択肢を認めたくなくて考えないようにしていて。だからこの関係が終わるのが嫌でずっと避けていたのだ。彼女から否定されるのを。一番恐れていたのにな。
はは、と笑っていた。
胸の辺りを感情がせり上げて圧迫してくる。きっとこれ以上考えたら目から溢れてきてしまうだろうからと、水を思いきりぶつけるみたいにして顔を洗い、垂れて落ちゆく水滴を手の甲で拭った。

「_。」

洗面所から戻ると彼女は相変わらずあの歌をきいていた。テレビは消されていて、部屋にある光は閉められたカーテンの隙間からのものだけだった。青白い光が鼻筋を照らし出し、頬に影が落ちている。横に座るとベッドが軋んで、そのまま顔を寄せてキスをしようとすると名前は体を傾けて避けて、その時やっと俺の目を見て喋ったのだ。

「ダメだって。」
「俺は名前のことが好きだからキスしたい。」

いいよね、と見つめる。時計の針が進む音はさっきと変わらず一定だった。少し驚いたような顔をして、それから名前は嘘をついた。



何やってんだろうな、俺。馬鹿みたいだ。

動きに合わせて揺れる胸、色のとれた唇、甘い声。全てが思考をかき混ぜるようにしてダイレクトに自分の中に入ってくる。いつもより丁寧に触れていつもより全てがスローなはずなのにどうしてか感覚は鋭く普段以上に自分を刺激するのだ。それに彼女とは確かにいつもと変わらず同じように繋がってるはずなのに、距離はもっともっと遠くに感じていた。手を伸ばしその汗ばんだ体に触れても、肌をどれだけ密着させても心は満たされなくて。彼女を抱くのは自傷と何ら変わりなかった。傷口が熱を持ち、気を抜くとどうにかなってしまいそうになる。彼女の吸わないはずの煙草のにおいがする部屋でする行為はいつだって虚しくて、それでいて唯一安らぎを感じる。

「私も由井くんが好き。」

分かってる。どうしようもないなんて分かっててやってるんだよ。なんだってあんな酷い嘘をつかれてもまだ名前を好きでいるんだ、もうどうやったって嫌いになんてなれないだろう。だからこんな疑似的両想いに縋って、だけど彼女がその声で自分を求めるから余計に抜け出せないでいて。思えば初めて会った時からずっとそうだ、彼女が何を考えてるか分からないのは俺に好意がないからなんだ。今更そんな事に気付いてしまった。離れられない程縺れてから、こんなシンプルな事実に。でもそれならいっそ嘘だと気付いていないフリをしてしまおう。

「由井く、やだ。」

きっといつかその嘘を本当にしてみせるから、どうかそれまでは、

「好き。好きだよ。」

もう嘘をつかないでくれ。そうして名前の奥深くに入り込んで腰を何度もぎゅうと押し付けるようにしながら、彼女の吐息が唇にかかるのを夢うつつに感じるだけだった。それからお互いの息だけを吸って呼吸をしそのまま彼女に凭れかかるようにしてその夜を終わらせた。


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