やさしい君へ





慌ただしく流れていく日々をずっと一人で過ごしていた。人に流され、夜にあぶれて、さ迷っていた。どこに居てもここは自分の居場所じゃないと思えた。だから一人で、ずっとこのままでもいいと思っていた。

「こんにちは」

そういう時に君は現れた。人の懐に入るのが上手くて、簡単に私は惑わされた。でもいつか消えてしまうものだと君を大切にしなかったのだった。でも一緒にいるうちに惹かれていくのが分かった。それでも見ないふり、いなくなってしまうからと突き放して。でも内心彼を求めているのにそれは口には出せなかった。

「名前と一緒にいるからね」

手を繋いで、君と私は色んな所へ行った。彼は色んな所へ連れだし、私の知らなかった事を沢山教えてくれた。彼といなければきっと見る事などなかった景色、経験、知識、人達。それは全て私の中に染み込んでいって、君と出会う前の自分とは丸きり違う人間になっていった。君はいつも笑顔で、優しくキスをした。少しずつ君が私の一部になっていくのを感じた。

「離れてほしくないよ」

喧嘩した時、君はそう言った。私は何度もいとも簡単に君を手放そうとした。でも私の中の君が大きくなっていくうちにどうしても涙が出てくるようになった。君はその度に、強く抱きしめるのだった。

そして二度目の春が訪れようとしている時、君は私の中に随分と行きわたっているようだった。彼と過ごす日々を楽しんで、毎日一緒に居られるのに喜びを感じていた。君と行きたい場所なんてどこでもあった。これからもずっと一緒にいようと小さな約束もしていた。それでも、急に破滅っていうものは訪れるものだった。

「もう一緒にいられない」

次の日私が起きた時にはもう彼はもうベッドからいなくなっていた。私は強がってまた彼を手放そうとした。彼は私といると苦しくなる、そう言っていた事を考えながら何となくカメラロールを見返すと、彼と出会ったその日から私の携帯には君との思い出が溢れていた。君と過ごした季節の中の日々がハッキリと残っていた。その日を境目に私の思い出は君だけだった。君しかいなかった。きっとここで彼を手放したら、私の記憶にはなんと大きな穴ができることだろう。君に電話をかけ、あてもなく外に出た。この街はもう君との思い出しかない。どこの曲がり角、公園、どこも君との場所だ。あの海も、動物園も、山も、森も、ラーメン屋さんも、桜並木も...。

電話が繋がって、君の声をきくと私は何も言えなくなった。駅前で佇みながら君の名前をぽつり溢した。

「瀬戸くん」

瀬戸くん...。それ以上何も言えずに黙っていた。


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