インスタントガール





寒かった。手の甲の皮がめくれあがってくるんじゃないかと思ってしまう位だったから、しきりに擦りながら待っていたのだ。

別に待ってたって意味は無い。鳴が私に会いに来ないことなんて見当が付いていたけれど、そんなの関係なかった。寂しい気持ちを比べっこなんてしてもどっちが勝ちかなんて分かるわけないのに、街頭に流れる雑音に捕まえられて出ない答えを探し続けていた。だから私は会う約束を律儀に守っているわけで。でも確かに、喧嘩した理由に関して。どっちが悪いとかもう分からなくなる位に言い合って貶してボロボロにし合った上でのことである。

「ごめん遅れて。」

寒かったでしょ。と声に振り向けばそれは全く違う人で、彼の性格を思い出せばこんなの時間の無駄だってわかってるはずなのに。そんなことを考えては冬の刺さるような空気から守るようにまた手を重ねている。手袋を忘れて飛び出したことはもう思い出さないことにする、それより会ってちゃんと話がしたいから。でも。突然の通知に何も考えずに震える手で画面を見ても、違う人。違う人。違う、違う。そんなことを何度も飽きるほど繰り返していると、こんな時だというのに電話がかかってきた。

「お前なにしてんだよ。風邪引くぞ。」

こっちこっち、という声が随分ハッキリと重なって聞こえてその方を見れば御幸だった。目が合うとニヤついた顔でずかずかと歩いてくるのを見ると、きっと馬鹿にしに来たのだろう。約束すっぽかされて街中に一人で寒さに凍えている女を罵倒して何が楽しいのか。外道にもほどがある。目に憎しみを込めながら通話は切らずに何の用ですかと吐き捨てた。

「まあまあ、そう怒んなって。」
「帰ってよ。おもしろいのそんなに。」
「おもしろくないわけねえだろ。」

どうせ喧嘩でもしたんだろ?俺もドタキャンされて寂しいんだよ、どこぞの彼氏を待ってるであろう誰かさんも凍えちゃって可哀想にね。とやっと耳から携帯を離して私に喋りかけた。万が一ここで鳴が来た場合とんでもないことになるのはお互い分かっていたので、待ち合わせの店から歩き出したのだった。歩き出したのは私だった。形はどうであれ、鳴のことを考えて頭がパンクしそうでしょうがないのに。馬鹿みたいに御幸とは目も合わせずにいるのに。裏切ったのは私だった。





でも手を繋いできたのは御幸からだったのだ。指先を絡めたのだって御幸からだし御幸が全部悪い。最初から強く握らないで、やわらかく繋いで逃げられるよなんて騙して、ほどこうとしたらぎゅっと捕まえて、俺の手結構あったけえだろってずるく笑った。あったかくて体温にとかされそうだった。ずっとこのままでいられればいいのに、と少し思ってしまった。はっと呼吸を忘れ、自分が何を考えてるのか本気で疑い、背中に嫌な汗が噴き出したように感じた。

「だめ、私行かなかきゃ。」

一歩踏み出すとさっきまで離れなかった手はするりと解けて、そう残念に感じられる位呆気なく。その手はこちらの腕を掴んで、私が振り返ると彼は眼鏡を外して。冷えきった唇に同じくらい冷えた乾燥した唇が触れた。私の瞼に御幸の髪が触れていた。疎らにグロスのついた口元が至近距離で、やけにスローモーションで離れていくのを見ていた。一瞬だった、瞬間に御幸の肩越しに街灯がついた。眩しい色。それは。鳴の。鳴。

私は今にも叫び出したくなって思わず力任せに御幸の腕を掴み返した。でも僅かに開いた私の口に、御幸はキスをして舌をねじ込んできたのだった。眼鏡を持ったままの手で逃がさないようにと押さえつけて、頭が沸騰してそんなつもりなかったのに、と嫌だ嫌だと全身が逆撫でされたみたいな不快感と吐き気で抑えられず。ぎゅっと目を強く瞑ったのだった。





その日の夜は何もする気になれなくて、鳴は結局待ち合わせには行かなかったみたいだし。御幸はいつも通りのニヤけ顔で、またなと去っていってしまうし、それでなんでこんなほっとしているんだか。安心っていうのとは明らかに違うはずなのに。家に帰ってもなんとなくでしか歩けなくて足が上手く動かなかった、まるで体に重りがついてないみたいだった。

『名前なんてしーらないバーカ』
『勝手に凍えちゃえ』

返信する気力もなくただ通知欄にほっぽって私は真っ先にシャワーに入った。
御幸は。私を連れてトイレにこもった。変に泣き出した私を抱きしめて脱がせては、その妙にあったかいままの手と指先で触れて、濡れてないままに押し込んで、それからゴムを結んでゴミ箱に捨てた。本当にそうだった、何があったろう。それしか本当に思い出せないのだ。夢だったろうか、と。あれが本当に御幸だったのかさえも定かではないじゃないか。変な悪夢だ。でも太ももにたれていく液体を無視しても、いくらなかったことにしても。私疲れてるんだって、現実じゃないんだろうなって思っても、不意に訪れる

「夢じゃねえぞ。」

と、突かれた奥が。ずき、と痛んだのだった。


back