雨にとかされる





壊れた時計がずっと壊れたままみたいに、ずっと名前が好きだったのだ。

「由井くんは優しいからさ。」

由井くんの彼女になれる人は幸せだね。

その手を握ってみると、彼女もまた握り返してくれたのだ。その記憶が紙切れになって足元に散らばっていて、捨てないで拾い大切に飾っていた。誰に言ったってその人と一緒にいては幸せになれないと言われた。自分だって逆の立場ならそう言うけど、それでもこれからもずっとこの手を離さないつもりでいたのだ。それがダメだったのか、一体何なのか。今になってはよくわからないけれど、名前がそう言った日から俺らは会っていない。



彼女のいないベッドは異様に冷えていた。もう会えないと言われたわけでも、会わないと決めたわけでもない。からただ座り込んでいたけれど、そうしてるとゆっくりと名前と終わってしまったことを理解していくのだ。何度だって言おうとしたんだ、「名前がいいんだ。」「好きなんだ。」「君の隣にいたい。」一番近くに居たくて、でも彼女は自分を必要としてないことなんて、よく分かってたからこそ言えなかった。でも俺なら上手くやれる、はっきりしない言葉も態度も不安にさせるようなことなんて何もしないのに。他の人で心の隙間を埋めさせるような事態になんて絶対。なのに。何でだろうな。

「好きだよ。」

どうしようもなく俺を好いてくれない君を好きになるばかりだ。

「好きなのに。」

こんなあっさり終わるなんて、考えてもなかった。

「…。」

薄っぺらいシーツに染みが出来ていく。いつか終わらなきゃいけなかったんだ、でもどこにも行ってほしくなかった。名前のいない部屋は寒いんだ。会えない時間があるだけで息ができなくなるようだったよ。ただ返信の来ていないトークルームに何度も入っては血液が冷えてく感覚を何度も繰り返す。でも返事が来ないかわりみたいに、にわかに足音がきこえてきて、ドアから金属音が響いて。足音が少し控えめに遠ざかっていく。

「、久しぶり。」

跳ね起きて誰かも確認せずにドアを開けた。

「濡れてるよ。」
「雨が降ってきて。」

言い切る前に抱きしめて、感触を確かめた。郵便受けには鍵が入っていた。彼女の大切にしていたキーホルダーもついたままで、俺は名前の手を握ったままキスをして鍵を持たせ部屋に入れた。彼女は空になったゴムの袋をぐしゃりと握りしめて捨てた。捨てて、それから元気だった?ってきいた。順番がめちゃくちゃだった。その時気付いたが、俺を見ない名前を好きだったが、俺を見る名前も好きだってことだ。アイシャドウの光る目元に触れて、髪で遊んで、名前から喋るのを促す。

「あれからどうしてた?」
「それなりさ。」
「いい人は見つかった?」
「どうかな、フラれてばっかだよ。」
「ごめんね。」

謝らなくていいよと言うべきなのか迷って言わなかった。

「俺は怖かったよ。」

名前と終わるのが怖かった。関係に名前をつけたら終わりが来てしまう気がして、俺のことどう思ってる?なんてきけなかったよ。でもそれですごく後悔したから…知りたい。

「ねえ、どう思ってる。」

…。外の雨が強く降る。窓に雫が垂れていくのが分かるくらいだ。華奢な肩をそっと撫でて、君のちっともはやくならない心臓と嫌になるくらい激しい動悸が同じくらいにならないかと試していた。

「鍵の意味そのまんまだよ。」

でもダメだった、壊れそうなくらいはやくなった鼓動に笑っていた。息を吸って、深呼吸して、目を閉じて。そっかと言うだけで精一杯だった。俺はそれでも好きだからという言葉に少し微笑んで彼女は言ったのだった


鍵。由井くんなら気付いてくれると思ったんだよ。回りくどくてごめんね。でも私だって怖かった、私は最低で、由井くんは素敵だから。好きになる資格なんて到底無いと思ってた、でもね私もう由井くんから逃げないよ。


ちょっと震え気味のその声は、間違えようもなく俺に向けられていた。飛び出しナイフみたいに抱きしめた。好きになるのに資格なんているはずがない、そんなことを気にする君を愛しく思った。彼女の髪からはもう煙草のにおいはしない、これからもずっと居よう。彼女の傍に居られるだけずっと。

「ねえ。」
「うん。」
「お願いきいてもらってもいい?」
「もちろん。」
「じゃあ、あともう少し雨の音をきいていよう。」


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