本能が告げている


(名前変換は偽名にあたります)



「ジャイ子様、ようこそいらっしゃいました」

 強面の執事に出迎えられ、私は思わずごくりとつばを飲む。
 あぁ、本当にこの瞬間がやってきたのだ。

 屋敷にたどり着く前の大きな門で既に死を覚悟したというのに、扉の奥の不穏な空気に思わず足がすくむ。
 本来ならば私がこんなところに『こんな役割』でいるのはまったくもっておかしいことなのだ。

「イルミ様、お連れしました。クラウリアート家のジャイ子様でございます 」

 室内に入るとまず視界に飛び込んできたのはソファーに座る男性の姿。
 あの人がこのゾルディック家のご長男であり『ジャイ子様』のお見合い相手の方だろう。
 もちろん彼のほうだって、今日客人が来るのはわかっているはずなのだが、彼はこちらをちらりとも見ずに何やら資料のようなものを手にしていた。

「それでは失礼いたします」

 特に説明が無いのは、こういったお見合いは何度も行われているからか。
 先程までこの執事のことを怖く感じていたのに、今となっては行かないでとすがりつきたくなる。

 イルミ様は一見無表情だったけれど、纏うオーラからして絶対に機嫌が悪いのだ。
 本当に殺されるかもしれないなと思えば思うほど緊張が高まり、それでもご命令には従うべきだと考えて、私は半ばやけくそになりながら挨拶をした。

「はーい!イルミちゃんよろしくね!」

 できるだけ明るくうざったく。それはもう渾身の決め台詞のように。
 売れない地下アイドルよろしく、愛嬌だけが取り柄だと言わんばかりに。

 ぱさり、と紙が落ちる音がして、彼が手に持っていた資料が床に散らばる。

「……」

 これ以上ないくらいに見開かれたイルミ様の瞳に、私はああ、死んだな、と確信した。




 全てはお嬢様の無茶ぶりから始まった。

 そもそもクラウリアート家というのはゾルディックに及ばないまでも代々続く由緒正しき暗殺一家である。
 そしてそこの娘ジャイ子様はたいそう暗殺の才能がある方で、彼女が仕事をするようになってからのクラウリアート家はさらにその名声を轟かせるようになった。

 そこまではとても良い話なのだが、そうなると当然ジャイ子様を嫁に欲しいという家がいくつも現れる。ゾルディック家から見合いの話が舞い込んだのも、そういう経緯があってのことだった。

 しかし問題はそのジャイ子様。
 彼女は見た目も申し分無いほどに麗しいのだが、何かと天邪鬼で縛られるのが大嫌い。家に決められた相手なんかと結婚するのはまっぴらごめんで、彼女の使用人である私に身代わりになるように言いつけたのだ。

「大丈夫、そんなに難しいことじゃないわ。
 実物を見て美人じゃなかったら諦めるでしょ」

 その実物……というのが私のことであるからしてかなり失礼なわけだが、相手が才色兼備のお嬢様だから仕方無い。
 実際私は彼女のように見目麗しいわけでも特別暗殺術に秀でているわけでもないから、天地がひっくり返ったって選ばれるようなことはないだろう。

 要は格上のゾルディック相手に、波風立てずに縁談を済ませたいのだ。
 こちらから断れば角が立つが、向こうからなら問題ない。
 嫌われてきてね、と背中を押され、好かれるよりかはできるだろうと、私はお嬢様の命令通り『身代わり』としてゾルディック家を訪れたのだった。


 しかし、目の前で彫刻のように固まるイルミ様を見て、流石にやり過ぎたと後悔した。
 具体的に嫌われるためにはどうしたらよいのですか、とお嬢様にお伺いしたところ、彼女は私に『バカのふり』をしなさいと言ったのだ。暗殺技術にケチがついては商売に関わる。だからバカでうざい女を演じなさいと。

 そのため、素直にその忠告に従った私は初対面からぶちかましてさっさとおいとましようと思っていたのだが、緊張しすぎて逆にハイになってしまった。
 その結果がこれである。
 イルミ様はようやく気を取り直したのか落ちた資料を拾い集めると、ちらりとこちらを見て、またもう一度こちらを見た。つまり二度見された。
 殺すなら一思いに……と内心泣きそうになっていた私だが、彼は何やら考え込んでいるらしい。

「ジャイ子……だっけ?」

 探るように発せられたその声は、単調ながらもわずかに戸惑いの色を滲ませていた。

「そ、そーだよ、えへっ」こうなったらやりきるしかない。

「……」

 再び無言になったイルミ様に、もういっそ早く殺せと言いたくなる。私だってこんな恥ずかしいことをしているのは不本意なのだ。

 だがイルミ様は何を思ったか、座りなよ、と促した。流石良家のご子息はどんな状況でも礼儀を忘れないらしい。私としてはここで追い返されるのがベストだったのだが、ひとまず彼の正面のソファーに腰を下ろした。

「あのさ、お前ほんとにジャイ子?」
「っ……!」

 私はどこで何を間違ったのだろう。いや、そもそも一介のメイドごときがお嬢様のふりをすること自体に無理があったのだ。
 咄嗟の言い訳すらも思いつかずに唇をわなわな震わせていると、目の前のイルミ様はふぅと深い溜息をついた。 

「まぁ、ひとまずお前でいいか」
「はっ?」

 良くない。困る。だって私はただの『身代わり』。お嬢様にもこの縁談をぶち壊して来いと言われているのだ。
 けれども慌てて立ち上がろうとした私の足は、イルミ様のひと睨みで瞬時に役立たずと化した。いっそ偽物ですと自白しようかとも思ったが、目の前の彼の無表情がわずかに嘲笑で歪んだのを見て、言葉が出てこなくなる。

「よろしくね、『ジャイ子』」

 そう言ったイルミ様は確実に、私が本物のジャイ子様でないことを理解していた。そのうえで、なぜか私をクラウリアート家のお嬢様として扱ったのだ。
 絶対、100億パーセント、何か企んでいるに決まっている。

「よ、よろしくお願いします……?」

 それでも私にはもうどうしようもない。体力でも頭でも私ではこの人に勝てっこないと本能が告げている。
 それから私の本能はもう一つ、実にありがたくない予感も告げてくれた。

 この先、常人の人生最大のピンチが私一人に、何十回、何百回も降りかかる予感を――。