言の葉、ぷかぷか


ジャイ子が言葉を発するのを辞めた理由は、小さい頃、両親に言われた「声が汚い」という心ない言葉からだった。
確かにジャイ子は女の子にしては低めの、万年風邪を引いているようなガラガラ声で、自分でも自分の声が嫌いだったので、他人が好きになるはずないと思っていたが、実の親である父と母に言われては、両手をあげて降参するほかなかった。
『私、今日から喋るの辞める』
新しいノートのはじめのページ、丸っこい小さな文字で宣誓した日から、本当に一度たりとも声を出したことがない。
幼少期のジャイ子の片手にはボールペンとノートが常にあった。

そうして数十年が経って、ジャイ子は相変わらずノートを手放せないでいた。
唯一、ボールペンを手放すことができたのは彼女の血の滲むような努力の結果である。


「お前、聾唖なの?」
コテンと首をかしげたゾルディックの長男に、ジャイ子は 違いますよ と現して見せる。

違いますよ

ジャイ子を取り囲むように現われた文字。
彼女のすぐ側でプカプカと浮き上がり、まるで、漫画の吹き出しにある台詞のように。

「何ソレ、念?」
はい、そうです
「他に何ができるの?」

ジャイ子は手にしていた、分厚いノートを開いて見せる。
すると、彼女の周りにあった文字がすぅっと吸い込まれ、ノートには今しがたのやり取りが台本のように書かれていた。

議事録には中々便利ですよ。私が会話に混ざっていないと発動しませんが、念を知らない人なら見えないし、勝手に会話に混ざってしまえば問題ありません
「ふぅん。戦闘には全く使えないんだ。まあいいや、仕事の説明するから着いてきて」




「僕の友人が困っているみたいなんだ」
ピエロメイクと胡散臭い笑みの組み合わせは、不信感を煽るには充分な要素だ。それでもジャイ子が、目の前の男――友人であるヒソカの話を黙って聞いていたのは、ちゃんとした理由がある。

それ、報酬は出るよね?
「モチロン。それなりの額が出ると思うよ、なんせ取引相手はゾルディックだし」

言葉を話さないことは、慣れてしまえば楽だけど、生活はいつだって不自由だ。
まず、まともな職には就けない。話せる相手も限られてくる。だから知人・友人が持ってくる仕事はかなり貴重だった。とはいえ、ジャイ子の能力は戦闘向きではない。制約を課して、浮かんだ文字で物理的に攻撃できないかとも考えたが、自分の言葉が相手に攻撃する様を想像すると、あまりにかっこ悪い。必要に迫られたときに、最終手段として頭の片隅に留めてあるが、今の所まだ出番がない。

ヒソカも知っての通り、私の能力ってコレだけだけど。仕事になるの?
「むしろキミにぴったりだと思うけど」
……それじゃ、ぜひお願いします
「OK、イルミに伝えておくよ」




イルミの後を追ってゾルディック家の長い廊下を歩いていた。
――まさか自分がゾルディックと手を組んで仕事をする日が来るなんて。ヒソカはああ言っていたけど、本当に大丈夫だろうか。
ジャイ子の口から、無意識に溜息がこぼれ落ちる。
すると、歩いていたイルミが足を止め振り返った。

「ねぇ、今ため息吐いた?」
ごめんなさい。吐きました
「なんだ普通に喋れるんだ」
ため息って喋るにカウントされないと思いますけど……
「じゃあ何か話してみてよ」
は?
「声帯が使えるなら、話せるって事だろ?」
話せなくはないと思いますけど、話しませんよ
「なんで?」

真意の読めない深い瞳に、ジャイ子はほんの少し怯んで、自身の周囲に文字を浮かべて見せた。別に隠している話でもないからだ。それに下らない理由と言われても、今更、何とも思わない。
だからまさかイルミがさっきのため息を「かわいい」なんぞと形容するとは、ジャイ子は思ってもみなかった。