星への旅路


(原作前・シリアス)


 毎日毎日飽きもせず思い出す少年がいる。
 今だってそうだ。冬に入る一歩手前の秋空、一年の中で一番空が高くなる季節。薄く伸ばした雲を抱いた青空に、あの少年の笑顔が思い出される。もう何年も前だというのにあの少年だけは思い出にはならない。



 人を、殺す仕事をしていた。
 所謂、暗殺業という仕事だ。有名なところではゾルディック家もあるが、私の仕事は一家揃っての稼業ではないし、ましてや高額な報酬をもらって受けるほど有名でもない。きっかけはアルコール依存で暴力まみれの糞みたいな父親を殺したことだった。どこにでも転がっている話だ。糞とはいえ血のつながった父親を殺したら、人を殺すことなんて簡単なことに思えた。人体にはいくつかの急所がある。男女の力の差はあっても、その急所を的確に押さえれば人は死ぬのだ。私がまだ成人に遠い少女だったにしても、そのことを知れば人殺しは単純な作業であり、難しいことには思えなかった。
 はした金をもらって人を殺した。私から理由は聞かないのに、勝手に理由をしゃべる依頼人は阿呆ほどいた。どの理由も私が糞という名の父親を殺した理由と大差なかった。お金、浮気、権力、暴力、虐待、それに逆恨み。人を殺すほど殺し方が上手くなったけれど、殺すよりも警察の捜査の手などから逃げたり隠れたりする方が苦労が多かった。

 あの日、空は晴れていた。
 月は細く、真っ暗な夜空に宝石をぶちまけたように星が輝いていた。冬のはじまりの冷たい空気が私を凍えさせたが、星を一段と輝かせている。その夜空の下、依頼を受けた年端もいかない子供を殺した。
 夕方にひとり公園で遊んでいるところで声をかけ、そのまま人気のない所まで連れてきた。今頃両親は血眼になって我が子を探していることだろう。

 この島は寒い
 声にならないほどの独り言を呟いたとき、背後から声をかけられた。

「その子、死んでるの?」

 声変わりもしていない少年の声に怯えはなく、私の体の下で首を絞められて横たわった子供の遺体も認識しているのか分からない様子だった。遺体の上から立ち上がる。そうして少年の目からも遺体がはっきりと見えるようになると、少年の目の色が変わった。

「どうして殺したんだ」

 驚いた。少年の声には突然の死を迎えた遺体に対して、私への怒りがあった。
 私は答えない。

「その子がお前に何か危害を加えたのか」

 私の顔は見えているだろうか。星明りだけでは子供の記憶にはっきりと残らないだろう。目撃者になるにはなりえない。実際、私にも少年の顔はぼんやりとしか見えないのだ。

「答えろ」
「依頼されて、殺した」

 少年の声が太くしっかりと届くのに、私の声は小さく細く闇に溶ける。まるで私が被害者のような声だが、これは幼少に父親の暴力で声帯を痛めたことが原因だ。そのせいで今も声がまともに出せない。だから私はあまり口を開きたくないのだ。
 そんな事情を知らない少年が、私のこの細い声をどう受け止めたのかは分からない。ただ強い瞳の色も殴り掛かってきそうな姿勢も、少しも緩むことはなく私を責めている。

「依頼されたってことは、お前には関係ない子なんだろ?」
「そう。知らない子」
「どうして知らない子を殺せるんだ」

 どうしてだろう。
 聞かれたことがない問いかけに立ち尽くすと、少年は拳をかざして私に殴り掛かってきた。私と少年にはまだかなりの身長差があって、ふりかぶった少年の拳は私の脇腹に当たる。それは、致命傷でもなんでもないただの暴力だ。鈍い痛みは痛みだけで、骨まで砕くわけでも肉に食い込むわけでもない。同じところを2回ほど殴られて、もしかしたら痣くらいはできたかもしれないという痛みだけだった。
 全力で殴ってきただろう少年は、その2回で拳をおろし俯く。

「反撃しないのか」
「きみを殴る理由がない」
「──あの子だって!」

 張り上げた声は行き場なく、息をすいこむ。そして言葉を落としてしまったように、今までと別人のような静かな声を出した。

「あの子だって、あなたに殺される理由はなかった」

 私には理由はなかったけれど、依頼主には殺す理由があった。
 それを返さなかったのは少年と無駄に争いたくないわけではなく、ただ声を出すことに疲れたからだ。
 私が何も返さないと、少年は私の脇をそのまま抜けて草むらに転がる遺体に近付く。まだ開いていた瞼を片手で閉じて、わずかながら黙祷らしき姿勢をみせたあと、黙ったまま私の横に戻った。そして何故なのか、あの遺体になった子供の首を絞めた私の手を握る。

「ついてきて」

 言いながらすでに握った手をひかれた。
 少なからず混乱していた。今までも何度か、殺す現場を目撃されたことはあったが、こんなことになったのは始めてだ。
 少年は草むらから闇が濃い森へ向かう。私は手を引かれるままについて行く。この寒さで虫や動物は息を潜め、この夜の帳に人もあたたかい家に篭る。ひときわ風の冷たい川のほとりは、川に星が反射して少しだけ足元が明るい。

「きみは、あの子の友達?」

 ひんやりと頬を冷やす空気の中で、私は自分が口を開いたことに驚きを隠せなかった。しかも、聞いても何も得ることのないこんな質問をするなんて。

「知らない子だった」

 握っていた手に少しだけ力が加わり、すぐに戻った。返事をしてくれた少年の声は静かではあるが強張っている。

「私は、依頼を受けて人を殺すことで、お金を受け取って生きてる」

 しばらく待っても、少年から返答はない。歩く中で私の細い声は聞こえなかったかもしれない。二度も同じことを繰り返すつもりもなく、それ以上は何も言わず歩いた。歩き出して、20分ほど経っただろうか。
 川沿いから少し小高くなる真っ暗な森を抜け、唐突に前が開けた。足取りや道に迷いがなく、慣れた感じだったことから、おそらくそこは少年が通うとっておきの場所なのだろう。

「星が、落ちてる」

 わずかながらの小さな森をまたいだ向こう側は、先ほどの川と繋がっている湖だった。その湖の全貌を臨める切り立った丘の上で、少年は私の手を放した。
 木々が途絶え、迫り立った丘から空はまるで手が届きそうなほど近い。その空を下方で映し出す湖は天然の鏡で、私の立つ上下で星が瞬いている景色は圧倒的な美しさだ。

「きれいだよね」

 少年の声から強張りが消えていた。私が頷くと、さらに続けられる。

「星って、もう死んでるだって。もう死んで存在しない星の輝きが、何年も旅をして今のオレたちの目に届くんだ」
「そう、なの?」
「うん。ミトさんからの受け売りだけどね。あ、ミトさんってオレの育ての親みたいな人なんだ」

 数十分前に怒りをあらわに私に殴り掛かってきた少年と同じとは思えない声色で、少年はミトさんという人について話し続ける。まるで、私が殺人を重ねる暗殺者であることも忘れたみたいに。ミトさんの次は実の父親の話だ。話の途中で今度はこの森のさらに奥に棲む生き物たちの話になる。
 いつの間にか少年は座っていたが、私は星空と星の湖を前に立ち尽くしたまま、彼の話を聞いていた。
 なんてことはない、小さな島の少年の話。普段は元気いっぱいのようで、この森や野山を駆け回っているのが好きで、釣りもして、ミトさんに怒られている少年。

 そして私は、泣いていた。
 星の輝きがまぶしくて、ただまぶしくて、痣になったかならないか程度の脇腹が痛かった。

「ミトさんは、きみに帰りを心配してない?」
「心配してるよ。きっと鬼みたいに怒るかも」

 少年が笑った。空の星と湖の星で、その表情(かお)がはっきりと見えた。
 まだあどけない瞳に、行き場のない怒りはなく、ただ私に何かを求める色が見える。背丈だってまだまだ子供で、話していたことはありふれた日常だ。外見も内面も大人には程遠く、私の年齢にも程遠く。ただ彼は、私が父親を殺した年齢に近く、そのとき私が求めてやまなかった全てを、屈託なく持っていた。

 彼のように生きたかった。

 そんな夢を見ることもそんな生き方があったかもしれないことを、知らずにいた私に、少年は意図してか意図せずか、現実を突きつけたのだ。



 私はいま、監獄にいる。
 監獄のひと部屋で、毎日背丈より上にある届かない小さな窓から空を眺める。

 出頭することを少年には言わなかった。けれど、丘についてから少年が殺人のことで私を責めることは一切なく、怒りを見せることもなく、私が泣くのをやめた頃に去っていた。

 証拠不十分で関わった殺人のすべてが立証されなかったため、終身刑は免れたが、出所はまだまだ先だ。
 あの島の名前だけは忘れないように、毎晩夜空を見上げながら口の中でとなえる。

 あの夜、涙が止まったあと彼に告げたのはたったの一言だ。「いつかここに住みたい」と。名前も知らない少年が父親を探し終えてあの島に戻っていたら、また私と星を見あげてくれるだろうか。