ぱにっくるーむ
「う、うそでしょ…」
「いやぁ、困りましたねぇ〜」
私は隣で楽しそうに笑う男を横目に、自分の置かれた状況に絶望していた。
待って、いくらなんでもこれはない。巷の噂、都市伝説のレベルでこの部屋の存在は耳にしていたけど、ほんとにあるなんて!しかも、よりにもよって何故この男と!?
「扉、壁ともに攻撃してもビクともしない。というか、協会にこのような部屋はないはずなので、明らかに念で作られた空間でしょうね」
パリストンは顎に手をやりながらふむふむと考えているようだったけれど、その攻撃を試したのも私であってこいつに自分で動く気はない。というか、まともに考える気があるのかすら怪しい。
四方をただの白い壁に囲まれた十スクウェアフィートほどの広さのこの部屋には、固く閉ざされた両開き扉以外、家具などは何も置かれていなかった。
「おや?」
それまで一歩も動かずにぐるりと部屋の中を見回していたパリストンは、ふと、何かを見つけたらしく声を上げる。
既にじんわりと嫌な汗をかいていた私は、とうとう彼が床に置かれていた一枚のメモをわざとらしく拾い上げるのを見て声を詰まらせた。
「っ、パリストン、あんた、これ…!」
「見てください、ジャイ子さん、【〇〇しないと出られない部屋】と書いてありますよ。よかったですねぇ、どうやら出る方法はあるみたいですよ」
そう言って向けられたのは一見爽やかな笑顔だけど、それを見て素直に受け取れるほどパリストンの心象は良いものじゃない。どちらかといえば、うさんくささの方が先にくる。
「でもこの〇〇とは一体何の事でしょうか、どこかにヒントがあればいいんですが…」
「ねぇっ!」
「はい、なんでしょうか?」
「あんたがやったんじゃないの、これ…!?」
ストレートに聞いても無駄だとはわかっている。わかっているけど、聞かずにはいられない。私の発言に驚いたような顔をして見せたパリストンは「というと?」と首を傾げて聞き返してきた。にやにやと笑いながら否定されることはあっても、まさか質問されると思っていなかったので動揺してしまう。
「だ、だからこれ、全部あんたが仕組んだことでしょって言ってんの!」
「ボクが?どうしてそう思うんです?」
「それはあんたがその、人に嫌がらせをして楽しむような奴だから……」
「心外だなぁ。ジャイ子さんはボクのことそんなふうに思ってたんですか?」
それは私だけじゃなくて、たぶん皆思ってる。パリストンだって、いつも人をおちょくって、楽しんでることを隠そうともしない。
それなのに改めて眉を寄せられると、私はなんて言っていいかわからなかった。だって、今のところ証拠もないし。完全なる決めつけだし。
パリストンは私が黙り込んだのを見て、大きく肩を竦めた。
「ボクだって閉じ込められて困っているのは同じです。これでも副会長として立場がありますからね。午後の定例会はもう始まっているんですが……」
「そんなのいつもマジメに出席しないでしょう」
「はは、それを言われるとつらいなぁ。でも、普通にサボるのと違って、こうしてジャイ子さんと密室で二人きりというのは、少々外聞が悪いと思いませんか?」
ねぇ?と笑ったパリストンは、ちっとも困ってなさそうに、拾ったメモをぴらぴらとそよがせた。そこに書かれている文字を思い出して、私はかあっと自分の顔に熱が集まるのを感じる。
こいつ、やっぱりわざとやってんじゃないかしら。
「私の方こそ、いい迷惑よ!なんでよりによってあんたと、その……しなきゃ、なんないなんて……」
「ほう、何をですか?」
「と、とぼけないでよ!あんたも噂くらい聞いたことあるでしょ!」
「そう言われても、あいにく噂には疎いものでして。もしかしてジャイ子さんは何か知っておられるんですか?何をすればいいんでしょう?」
近づいてくるパリストンに、私は思わず後ずさる。
でもそう広くない部屋だ。すぐに背中が壁に当たって、ハッとしたときには目の前に彼の顔が近づいていた。
「ひっ…!」
「どうしたんですか?そんなに慌てて」
「は、離れて…近い!」
「では、この部屋から出る方法を教えて頂けます?」
「そ、それは……」
言えない。私には言えない。だけど、パリストンは答えるまで許さないとでも言うように、私の顔の横に手をついた。逃げ場がない。
「ジャイ子さん、どうしました?そんなに言えないようなことなんですか?」
「……」
「困りましたねぇ。このままではずっとここで二人きりですよ。いや、もしかしてそれがジャイ子さんの狙いですか?」
「バカ言わないで!」
「じゃあ教えてください。本当にそれをするかどうかは、聞いてから考えましょう。ボクだってジャイ子さんがそこまで嫌がることなら少し怖いですからね」
「……」
そう言ったパリストンが少しだけ身を引いたので、私は思わずふぅ、と息を吐いた。ほんとにこいつの仕業じゃないんだろうか。ほんとに噂の部屋のことを知らないんだろうか。まだ疑いは残っているものの、ここから一刻も早く出たい気持ちは変わらない。
ええい、ままよ!!
だいたい私が聞いたのはただの噂でこれが正解かどうかもわからないし、こんな男相手に恥ずかしがること自体が屈辱だ。
ん、待てよ。やっぱり私はこいつに遊ばれてるんじゃない?きっと私に恥ずかしいことを言わせるのが狙いなんだ。動揺する私を見て楽しんでるに違いない。
そうだとすれば、こいつが満足するかがっかりするか、そのどちらかの結末を迎えない限り私はここから出られない。
がっかりさせてやろうじゃないの!
パリストンの圧を受けた私は、まだ上手く回らない頭で自分を奮い立たせる。「わかった、言うわよ…!これは私の聞いた噂だけど」何も考えるな。ポーカーフェイス、ポーカーフェイス…。
覚悟を決めた私に、パリストンの茶色い瞳がきゅっと細められた。
「…ここは、キ、キスしないと出られない部屋」
「え」
「だから、その、キス!口付け!」
半ばやけくそになって叫べば、パリストンはぽかん、と口を開けて固まった。一瞬、いつもの演技かと思ったけれど、たぶんこれは本当に驚いている。彼がそんな無防備な表情をするとは思わなくて、私は余計に恥ずかしさに襲われた。
てっきり、馬鹿にされるか、からかわれるか、そのどっちかだと思ってたのに!ほんとにこの部屋はパリストンの仕業じゃなかったの!?
「キス…ですか?」
「わ、私が聞いた話ではそうってだけ!!ていうか、私に恥ずかしいこと言わせたいだけのイタズラだと思ってたから、だからその、これはっ…!」
「参りましたねぇ、まさかそうくるとは」
見上げたパリストンの表情は、もういつも通りのうさんくさい笑顔に戻っていた。これは何かよからぬ事を企んでいる顔だと感じ取った時には、もう、遅い。
「では、今回はそれで許してあげましょう」
ちゅっ、とわざとらしく音を立てて唇を奪った彼は、なぜか呆れたように小さく笑った。それもまたいつものパリストンとは違う表情で、今されたことも合わせて、私の脳は処理しきれずにいる。
「じゃあボクは定例会がありますので」
そう言うと、パリストンはさっと離れてまるで何事もなかったかのように扉を開ける。私が全力で、念を使っても開かなかったのに、彼はいとも容易くそれを開けた。
「今度はもっといい噂、仕入れておいてくださいね」
部屋から出る直前。
振り返ってぱちん、とウインクつきで言われた言葉に、私は声にならない声をあげた。