はだかのひとみ


どこかで見た顔だな、と思った。
黒髪。よく言えば優し気で、悪く言えばぼやっとした表情。どこにでもありそうな既製品のワイシャツとスラックスに包まれた身は、背丈も体格もごくごく普通。

気のせいか、と思った。
上にあげたような特徴は、どれも目を惹くものじゃない。駅前から少し離れた、小さな本屋にいる格好としても変じゃなかった。本の背表紙をなぞる傍ら、ちらりと横目で確認してみても記憶の蓋はごつごつと引っかかって開いてくれない。

結局、見ず知らずの人なのだと私が納得し始めた頃、視線に気づいたのか、彼はこちらを見て「あ」と声をあげた。

「ジャイ子さんじゃないですか。こんなところで奇遇ですね」

そう言ってすたすたとこちらに歩み寄ってくる彼に、当然私は慌てふためいた。やっぱり知り合いだったのか。だけど、声をかけられてもまだ彼が誰だか思い出せない。向こうは私の下の名前を呼ぶくらいなのだから、そう浅い付き合いでもないはずなのに。どうしたものか。

「ひ、久しぶりですね」
「……なぜ、いきなり敬語を?」
「えっ、あ、いや、」

敬語なのは相手がそうだったからそうしただけ。でも彼の怪訝そうな顔を見た感じ、私は彼に対してもっと気さくに話していたらしい。誤魔化すようにへらりと笑えば、「ジャイ子さん?」彼は何を思ったのか、鼻先が触れそうなくらいに顔を寄せてきた。

「なっ!」
「よかった。近くで見てもジャイ子さんですね」

のほほん、と笑顔を浮かべる彼は、どうやら目が悪いらしい。突然の行動に私の心臓は飛び出しそうになったけれど、そこで思い出した。知っている。こんな無防備なことをやらかしておきながら、ふんわり笑う男の知り合いなんて一人しかいない。

「ウ、ウイング、眼鏡はどうしたの」
「すみません、今、壊れちゃってて……」

てへへ、と困ったように頭をかいた彼は、姉弟(きょうだい)弟子にあたる男だった。ビスケの元で先に学んでいたのは私。半年遅れで、師事するようになったのが彼。ほとんど差なんてないのに、それでもウイングはいつも私のことを立ててくれた。

「壊れたって、そんな目悪かったの?」

それなら出歩かなければいいのに。いくらオーラや気配で他人の位置がわかると言っても、やっぱり不用心だ。昔からしっかりしているようで抜けているので放っておけない。
最後に会ったのはたぶん3年ほど前だったかな。眼鏡のせいで気づかなかったけれど、こうして改めて向き合ってみるとなんにも変わっちゃいなかった。

「いえ、裸眼でも生活に困るほどではないのです」
「じゃあなんだってあんなに顔を近づけるの。びっくりしたでしょ」
「すみません、ちょっと久しぶりで自信がなかったものですから」
「私は何も変わってないよ」

眼鏡がないだけで彼を判別できなかった私が言うのもなんだけど、自信がないとはどういうことだ。私が少しむくれると、いつもより幼さの増した笑顔でウイングがゆるりと笑う。

「綺麗になりました、とても」
「……」

あぁ、やっぱり本質は何にも変わっちゃいない。
私は赤くなった顔を誤魔化すように、わざと怒った調子で言う。

「それじゃあ、昔は綺麗じゃなかったみたい」
「い、いえ、そういうつもりで言ったのでは……」
「そんな近くで見なきゃ綺麗ってわかんないって、やっぱめちゃくちゃ目が悪いよ!早く眼鏡新しいの買って!」
「は、はい」

変わってない中身にいつもと違う素顔なんて、タチの悪さがピカイチだ。せめて見た目だけでも普段通りにしてもらわないと、弾んだ心臓が落ち着いてくれそうにない。

「あと、シャツ出てない!」
「は、はい、すみません!って……あれ?」

反射的に腰のあたりに手をやったウイングは、珍しく仕舞い込まれたシャツの裾に首を傾げる。
それを見た私は綺麗な(ひと)の慎みも忘れて、ぶふっと噴き出したのだった。