入れ子の非日常


 退屈な日常が、いきなり終わる。
 そういう妄想をしたことはない?

 あたしはねぇ、いっつもやってる。たとえば、朝起きて目の前に広がってるのが見知らぬ天井だとか、駆け込み乗車した電車が存在しないはずの路線で、気づくとあたしのカムパネルラが目の前に座っているだとか。
妄想癖って言われちゃそれまでなんだけど、とにかくあたしは日常に飽きている。
 でもきっと、みんなだって一度くらいはあるはずでしょ。HRの最中に、突然テロリストが乱入してくる妄想とか定番だもん。

 でもってあたしは今日そういうド定番の、ありふれた非日常の妄想をして、午後の退屈な授業時間を潰してた。正直、あたしにしては独創性の欠けらもないと思うんだけど、たまには初心に帰るってのも大事でしょ。うん、ネタが尽きたとか、そういうんじゃないの。

 頭のてっぺんが寂しくなった数学教師が、聞かせる気がないんじゃ?と疑いたくなるくらいの小さな声で式の解き方を説明する。自称進学校のここには騒いだり立ち上がったりするようなバカはいないけど、みんな数学の教科書の下で、こっそり次の英語の小テストの勉強をしていた。  あぁ、違う意味で、バッカみたい。 

 教室には先生含めて36人のもの人間がいるのに、みんなそれぞれ自分の世界にこもっている。
もしもここに今、武装したテロリストがやってきたら、みんなの気持ちはひとつになるんだろうか?

――バンッ!

 突然、勢いよく教室の扉が開いて、もともと静かだった室内は水を打ったような静けさに包まれた。全員の視線が集中する先は、廊下に繋がる教壇側の引き戸だ。あっちは確か立て付けが悪かったはずなんだけど、まぁ、蹴破られたのなら関係ないか。そこに立っていたのは全身黒づくめのテロリスト――では捻りがないから、そうねぇ。黒づくめのコートを羽織った男にしよう。男の顔は良いほうがいい。悪い奴だけど、どきりとするくらいセクシーなの。

 男は数人の仲間を連れていて、どうやら扉を蹴破ったのは、いかにもチンピラ風のジャージの男らしかった。あれ、待って、なんだかちょっと統一感がないんじゃない?さらに後ろに立ってる男も腰に刀なんて差して、いかにもジャポンですって格好してる。あ、まだいた。最後の一人は子供?たぶん、高校生のあたしよりも背が低くて、やたらとゆとりのある衣装で口元まで隠してる。

 うーん、同じチームなら、もうちょっと服装揃えたほうがいいんじゃないかな。あたしの妄想、いくらなんでも独創的すぎ。これじゃあコスプレ集団じゃない。あまりにちぐはぐすぎて、あわせにもなってないけど。

「ウスラーというのはお前か」

 そう言った黒コートの男の声は、顔面通りやっぱり素敵だった。高すぎず、低すぎず、でもどこか蠱惑的な響きを含んでいる。耳元で囁かれたら腰が砕けそうだ、とあたしが妄想の中の妄想に入りかけたところで、ここまで沈黙していた冴えない数学教師がことり、とチョークを教卓の上に置いた。

「まさかこんなにもすぐ、見つかるとはな」

 ウスラー。それはあたしたち生徒が、先生の頭髪の寂しさをネタにして付けたあだ名だ。いつもはそう呼ぶと顔を真っ赤にして怒るくせに(それでも相変わらず声は小さい)今日はどうしたことか、ハゲを否定しないし声も大きい。ウスラーがハゲを認めると、コートの男はくつくつと笑った。オールバックの髪型は、人のことを笑えるほど余裕がある髪型でもないと思うんだけど。

「捕らえろ」

 コートの男がそう指示するのと、ウスラーが動いたのはほぼ同時だった。っていうか、正直速すぎてよく見えなかったんだけど、気づいたときにはグラウンド側の窓が割れていて、ウスラーが子供?に取り押さえられていた。体格差のせいで、休日に寝転ぶお父さんの上に生意気盛りの子供がのしかかってる構図のようなのに、よく見たらしっかり関節が固められている。あぁ、ウスラーよ、一瞬で捕まってしまうとは情けない……。男達はウスラーをいとも簡単に捕らえると、ウスラーが暴れるのも構わず教室から連れ出した。彼らは武器も使わず、脅しもせず、人質にもうら若き女子高生を差し置いてしみったれた親父を選んだ。テロリストらしい要求も立てこもりもない。用が済んだらさっさと帰る。

 ええっと、いくらあたしの妄想力がずば抜けているからって、これはあんまりなんじゃないか。これじゃあもう、テロリスト乱入妄想がド定番なんて言えないじゃないの。

 男達が出ていくと、教室の中は再び静けさに包まれた。もともと聞こえにくかったウスラーの声も、もうどれだけ耳を澄ましても聞こえない。

「ジャイ子、」

 不意に、後ろの席のクラスメイトがあたしの背中をつんつん、とつついた。「今の……なに?」戸惑いを孕んだ声は潜められているくせに、周りが静かなせいでやたらと大きく響く。今度はクラス中の視線があたしに集中していた。

「知らない……」

 そんなことあたしに聞かれたってわかるわけないでしょ。だってあたし、細かく設定練るタイプじゃないもの。っていうか、あんたいつからあたしの妄想を覗けるようになったのよ。これは全部、あたしの妄想なの。あたしが退屈のあまり、あたしのためだけに生み出した妄想――。


「ジャイ子、いい加減にしろ」

 その言葉と共に、ゴツン、と鈍い衝撃が頭に落ちてきた。生理的な涙がこみ上げ、思わずあたしは殴られた箇所に手をやる。たんこぶ、後からできそうなんだけど。
痛みに顔をしかめながら目の前のクロロを睨みつければ、彼は呆れたように肩を竦めて読書に戻った。どうやら凶器はあの分厚い本の角っこらしい。

「ひどい、なにすんのよ」
「さっきから、ぶつぶつうるさいんだ。妄想するなら黙ってやれ」
「仕方ないじゃない。だって、そのほうが上手く妄想できるんだもん」

 そもそも全部クロロがいけないんだ。ごく普通の、ありきたりな日常を送ってた平々凡々なあたしを、クロロが誘拐したりなんてするから。お前の能力は面白い。お前の妄想には未来を暗示する情報が含まれている、なーんてそんな妄想少女もびっくりの厨二病発言するんだから。

「いつになったら、あたしを家に帰してくれるのよ」

 クロロの部屋は積み上げられた古書のせいで、埃っぽい。あたしは彼に誘拐されてから、もう1週間も外に出ていなかった。いくら三食昼寝付きの快適ニート生活だって言っても、閉じ込められっぱなしじゃ飽きてしまう。あたしは確かに日常に飽きていたけれど、知らない男に誘拐監禁されるっていう非日常も、続けばだんだん日常になってしまうの!

「意外だな。帰りたいのか?」
「当たり前でしょ。非日常を美味しく味わうためには、日常にいなくちゃだめなの。おなかが減っていなければ、ご飯は美味しくないの!ここでの生活は退屈なの〜!!」
「……なるほど。それも一理ある」

 クロロは顎に手をやって考え込むと、やがてぱたりと読んでいた本を閉じた。「お前の妄想が捗らないのは、こちらとしても問題だからな」人の妄想を聞きたがる、という謎の趣味を持つ(そのくせ読書中は静かにしろと言う)彼は、あたしにもっともっと妄想してほしいらしい。ところどころ革張りの禿げたぼろっちいソファーから立ち上がると、クロロは厳重に施錠されたドアの方へと向かった。

「どうした?行かないのか?」
「え、」
「お前が退屈だって言ったんだろう。オレが今以上の非日常に連れて行ってやる」
「今、以上の……非日常?」

 まったくこの男、全然あたしの話聞いてない。あたしは家に帰してほしいって言ったの。あたしは本物の非日常が好きなんじゃなくて、退屈な日常の中で想像する非日常が好きなの。本当の非日常になんか突っ込まれたら、あたしの妄想ネタを現実が上回っちゃうじゃない。それってうーん……退屈はしないけど、どうなの?

「何をぼさっとしてる。行くのか、行かないのか」

 クロロは開錠されたドアのノブに手をかけて、やや面倒臭そうにこちらを振り返った。あたしはもう一度、たんこぶができていないか頭を触って確認すると、だっ、と彼のもとに走り寄る。

「あたしの妄想、未来と関係あるって言ったよね。クロロの頭、ウスラーみたいになるってことだったらどうする?」

 ごつん、と二度目の衝撃が来た。その衝撃は、あんたの頭皮にプレゼントしたほうがいい。しいたけ栽培みたいに、もしかすると刺激で髪が生えてくるかもしれないでしょ。あたしは別に、たんこぶ栽培はしてないんだから。

「縁起でもないことを言うな。解釈はオレがすると言ったはずだ」
「あんな妄想に解釈も何もないよ」
「いいや、そうだな。たとえば……」

 クロロは考えるのが好きだ。あたしに文句を言えないくらい、独り言が多い。自分の思考の世界に入って、こちらが指摘しなければときどき自分の食事を忘れていることもある。

 考え込んだ彼のすぐ隣のドアは、既に半分ほど開きかかっていた。ちら、と視線を向ければ、これまたぼろい廊下が続いている。ここがどこなのかはわからなかったけれど、少なくとも廊下の窓からは光が漏れていた。案外、どこかの田舎だったりするのかも。今ならクロロは上の空だし、不意を突けば逃げ出せるかもしれない。

そう思って、あたしがドアの隙間をすり抜けようとしたのと、クロロの手があたしの襟首を掴んだのはほぼ同時。いや、正直に言うと速すぎてよくわかんなかったんだけど、気づいたときにはクロロにがっしりと掴まれていた。

「先ほどの妄想は、お前が逃げ出そうとしてもこうなる、という暗示だったんじゃないか」

 そう言ってにやりと笑ったクロロは、ムカつくくらいかっこよかった。あたしは悔しくなって彼のむこうずねを蹴ってみたけど、彼の方は痛がる素振りもない。っていうか、蹴ったあたしのほうが痛いってどうなってんの。こんなの普通じゃない。

「わかったわかった。大人しくするから早く外に連れてってよ!」

 退屈な日常が、いきなり終わる。
 そんな妄想をしなきゃよかったのかもしれない。

 でもあたしはねぇ、まだまだやる。たくさん妄想して、いつかこの男から逃げ出す未来を探し出してみせる。クロロは一筋縄ではいかなそうだから、あたしの妄想にもレベルアップが必要だ。極上の非日常ネタが要る。これまでは考えつかなかったような、とびきりの非日常が必要だ。

「おい待て。外は寒い。何か上から羽織る物を、」
「ないよ、制服のまんま攫われたんだから」
「あぁ、そうだったな。じゃあこれから買いに行くか」
「ええっ、フツーじゃん!」
「……わかった。フェイと行け。あいつは財布を持たない主義だから」

 クロロが呆れた隙に、あたしはわーい!と叫びながら部屋から飛び出した。嬉しさのあまり、というのは演技で、もちろんこのまま逃げるつもりである。しかしながら、人生そううまくいかない。
 そのまま廊下を全力疾走した先で、あたしは床に組み伏せられることとなった。

「団長、しかり捕まえておかないとだめね」
「あぁ、すまない。だが、未来が現実になったようだ」
「は?」
「それよりフェイ、今からジャイ子と服を盗ってこい」
「なんでワタシが」
「ジャイ子のご指名だ。たっぷりオレたちのやり方を見せてやれ」

 オレたちのやり方ねぇ……。あたしはすぐさまこれから行われるであろうことを妄想してみたけど、どう頑張っても素敵な妄想は降りてこなかった。これが未来に起こるくらいなら、いっそ家で大人しくしていたほうがいいんじゃないかってくらい。

「わかたよ。ほら、ささと行くね」
「いや〜!!やっぱり外になんか行きたくな〜い!!」

 抵抗空しく、妄想の中のウスラ―よろしく、あたしはずるずると引きすられていく。助けを求めようにも、クロロは面白そうにあたしを見ていただけだった。


 さよならあたしの退屈な日常。
 こんにちは、非日常。