スパイス・ガール


 おしゃれな鏡台の前で自分の顔とにらめっこ。さぁさ、皆さま寄ってらっしゃい見てらっしゃい。お待ちかねの、当店自慢のかわいこちゃんたちの登場ですよ。
 化粧道具を目の前に並べると、気持ちが見る見るうちに昂っていくのを感じた。女に生まれたからには、全身全霊で“女”を楽しまなくっちゃね。
 土台工事をあらかた済ませると、トップバッターに手を伸ばす。この頃お気に入りのアイシャドウ。目蓋に載せるとたちまち気分が乗ってくる。そのまま調子良くアイライナーを滑らせると、目元が大分強調されてきた。そして“親の仇にでも会ったかのような気持ち”で念入りにビューラーで睫毛を上げ、マスカラでかさ増しをする。この世界、詐欺してなんぼなのだ。チークはさりげなく、女性らしさを演出するためふんわりと。
 あとは口紅を施したら、私の顔は大方完成する。うむ、我ながら今日の出来栄えも大変素晴らしい。これも長年培ってきた経験の賜物だ。友情・努力・勝利。まるでその全てを手に入れたような気分だった。

 ―― ああ、それにしたって、この化粧品たちの罪深いことよ! どうして化粧品って、こんなにも可憐ですてきで可愛らしいのかしら。期間限定カラーに心がときめいてついつい浮気しがちになっちゃうんだけど、やはり昔から支えてくれている王道の定番カラーも捨てがたい。
 その子たちを駆使して、自分を彩るのは何て楽しい行為なのだろうか。こういう時はね、自らを「かわいい、かわいい」って自画自賛したって別に構わないのよ。言葉は魔法になって、私たちの身体にすうっと染み込んでいくんだから。そうね。例えを出すとしたら、植物だって、同じことでしょう? 愛の言葉をかけ続けてお世話をしたら、その分元気にたくましく成長してくれるんだもの。
 まぁ、最良なのは“いちいち大げさ”に褒めちぎってくれる“彼”を見つけることだけどね。

「なるほどな。そうやって化けるのか。」

 私のうきうき気分が一瞬で瓦解する、水を差すような言葉が真横から飛んできた。これが誰の声なのかなんて、言わずとも知れている。
 ……クロロだ。

「ちょっと、今は営業時間外なんですけど。」

 女が身支度している姿を覗くだなんて、野暮な(ひと)ね。……なんて本音では言いたいところだけど、同室で過ごしている以上は致し方ない。

「っていうか、服ぐらいちゃんと着てよ。」

 シーツの隙間から、ちらとクロロの半裸が覗いていた。彼は気にも留めていないようで「別に良いだろ、見慣れてるんだから」なんて呑気なことを言っている。けれど、それはあくまであなたが提示している都合でしょう? 致し方なく同室にいる私が“いやだ”、って言ってるのよ。まったくもう、本当に自分勝手なんだから。
 私がにらみを利かせると、クロロはやれやれと肩をすくめて見せた。横目で彼がシャツに手を伸ばすのを確認して、ようやく安堵する。
 だって、だって……。
 未だにクロロの肌に慣れない初心な女だなんて知られたら、末代までの恥になる。絶対に後でからかわれるに決まっている。だから私は、彼に弱味なんて握られたくはないのだ。
 けれど、聡いクロロはとっくに気付いているのか、くつくつと笑いをこぼしている。

 ――はぁ!? なによ、もう! 揶揄されてるみたいで腹が立つわね! でも私は、絶対にクロロなんかには屈しないわよ。

「あっ、そうだ。興味があるんだったらクロロにもメイクしてあげようか? 下手したら、そこらへんの女よりよっぽど綺麗になると思うんだけど。」
「絶対にお断りだ。男がやるものじゃないだろ。」
「別に良いでしょ、減るもんじゃあるまいし。」
「イヤだ。」
 
 えー、似合うと思うのにー。 と追い打ちをかけると、どうやらクロロはへそを曲げたようだった。端正な顔をむっとしかめている。
 ふん。これに懲りたら、もう私に生意気な口を叩くんじゃないわよ。友情・努力・勝利。この三原則を手中に納めた私に、怖い物なんてないんだから。

「ところで、お前の作業はもう終わりか?」

 クロロはシャツのボタンを留める手を休めると、そう尋ねてきた。

「んーと、あとはリップと、髪型を整えたら完成かな。」
「なら、一度中断だな。」
「……は、」

 クロロは意地の悪い微笑みを一つ浮かべると、私の腕を掴みベッドに引き寄せた。「なに、」と不平不満を漏らす前に、組み敷かれて唇を塞がれる。
 ただそんな単純なことで、きゅうぅ、と唸ってしまう心臓に「あんた、正気?」と文句をつけてやりたい。

「な、なになになに? っていうか、せっかく顔つくったのに崩れるからやめて!」
「崩さないよう、極力努力する。」
「は? え、は? まるで意味が分からないんだけど。」
「それよりもまず、オレとジャイ子の関係性を改めておく必要があるよな?」

 あ……これまずい。“男スイッチ”が入っちゃったやつだ。どうしよう。友情・努力・勝利なんて何の役にも立たないじゃない。
 でも、私が“誰のため”に可愛くあろうとしているのか。その事実は瞭然である。
 少しばかり釈然としない気持ちを抱えつつ、“クロロのため”に可愛くありたい私は、このまま彼を受け入れるしかなかったのだ。