純情、ゆらゆら


 懺悔したいことは、たくさんある。
 後悔していることがたくさんある。
 資格もないのに、哀しんでしまう。
 ――告白することを、恐れている。

「わたしは……罪をおかしました」

 街の小さな教会は、星月夜に照らされ酸化とともに、黄ばんだ姿を闇夜に浮かべて静かに眠る。
 彼女がここへ訪れたのは、たまたまだった。海を渡って、ふらふらと立ち寄った街。旅人を出迎えた彼らはとても優しく、暖かく……、己が息をしてきた世界とはまるで違う、きらきら輝く場所だった。

「うそを、つきました」

 嘘はきらいだった。どんなに汚く卑しい環境で生きていても、嘘だけはつかないと決めていた。それなのに……
「ひとを、あざむきました。自分さえ、いつわりました」
 普通に、生きたかったのだ。世界にありふれた街、家族、友人に囲まれて……、ただの女の子として生きたかった。
 ――スラム街の、片隅。彼女が呼吸する場所はそんな日の当たらない空間だった。
 親などしらない。顔も覚えていない。自身の年齢もわからない。名前さえ、知らない。言語はゴミ溜めから覚え、世界は外からの訪問者に教わった。

「ただ、にんげんで、いたかったのです」

 ひと目みて「綺麗だ」と思った男がいた。だから、身なりをそれなりに整えて、身分を偽って、固有名詞を選んで近くへと寄った。笑顔を向けられ笑顔でいた。幸せとはこういうことである、と思えるほどに(ぬく)い世界だった。それが壊れるまでは。
 崩壊への亀裂は「親」というワードだったと思う。情愛がすすみ、互いを知るべく内側に「親」という存在は必要不可欠だったことを知った。

 彼女はすべてが暴かれることを恐れて、逃げ出した。朝日が昇る頃……彼がモーニングコーヒーを飲む前に、飛び出した。
 愛した男から、輝けたはずの未来から、全てを殴り捨てて、逃げ出した。
そうして、辿り着いたのはかつて読んだ物語に刻まれたような、教会だった。

 懺悔は届いたのか。
 後悔は薄れるのか。
 哀しんで良いのか。
 告白はできたのか。

 分からないまま、彼女は歩く。教会から離れて、穏やかな海沿い。夕暮れの空は朱色がさし、海と交じる境界線が幻想的に色味を深ませている。
 世界を「綺麗だ」と思ったのは初めてだった。海、空、空気、砂浜。視覚と嗅覚と触覚と聴覚。

 ――いきている。
「いきて、いる」

 心と脳がリンクした、瞬間――強い風が巻き起こった。
 咄嗟に髪をおさえて、目を瞑る。顔を少しでも隠したくて被っていたスラウチハットが空を舞う。口が「あ」と形どって、地へと向かう帽子を視線だけで追う。押し上げる力を失った帽子の着地点は、少年の足元だった。
 帽子を拾い上げる手は、健康的な肌色でしっかりと男の子の骨格を描いている。持ち上がる帽子を辿り、自然と視線も浮上していった。

「――、」

 宝石をはめ込んだみたいに、きらきらした2つのまあるい目。日が傾いて、差し込む色は黄昏色なのに、世界が真昼のように白んでみえた。

「この帽子、きみの?」
 声変わり前の少し幼い声が柔らかく空気に触れる。彼女はその声が、心の中へと溶け込んでいくのを感じた。
 丸い目がぱちくりと瞬く。差し出された帽子を受け取りながら、彼女もひとつまばたきを、した。

 頬にほろりと熱が、ひとしずく。

 どうしてか、分からなかった。
 懺悔は届けたと、思ったのに。
 後悔は置いてきたはずなのに。
 心が……、ほどけてしまった。

「なんで……、」
 少しだけ驚いた少年が小さく呟いた。
「……わからない」
 彼女は、うつむいてゆらゆら答えた。

「いやなことでも、あったの?」
「ううん、いやなことをしたの」
「後悔してるの?」
「うん……ずっと」
「そっか」

 ねえ、と声がして顔を上げる。宝石がふたつ、暗がりに煌めいた。

「きみ、名前は? オレはゴン!」

 きっと、この瞬間に彼女は――生まれることができたのだ。