少女を捨てた日
ひやりとした冷たい手はドラ美の体温を奪っていく。それがしっとりと吸い付くように肌を滑るころ、ドラ美は己の選択が誤りだったことを知る。
恐怖で身震いしたのはこれが初めててはなかったが、"この行為"においては初めてのことだった。
見上げた先にあるふたつの目はいつもと変わらず深い夜の闇そのもので、その考えを読み取ることはできない。
「怖いの?」
ドラ美は黙ったまま首を横に振るしかなかった。
兄が行う訓練は、己の足りないものを補うために必要なことだとドラ美は幼い頃より理解していた。だから、「いつもと違う訓練をするけど、いい?」と聞かれたとき一も二もなく頷いた。
"いつもと違う訓練"といっても、身体を鞭でうつところを針で爪と皮膚の間を刺されたり、新種の毒薬を飲まされたり、といった普段とあまり代わり映えしないメニューのことだろうとドラ美は思っていたのだ。
そもそもここで断るという選択をとれる立場ではない。
しかし、それでも断るべきだった。
ドラ美は徐々に捲れ上がっていく服の裾を元に戻すすべを知らないのだから。
「そう。いい子だね」
「怖い」とはとてもじゃないが言えなかった。彼女にとって兄の存在は絶対であり、ここで彼の訓練を拒否することは体罰を受けることと同義であるからだ。
子供じみたスポーツブラから、ワイヤーの入ったものに変えたのはついこの間のことだった。口を開けば「めんどくさい」だの「ダリー」だのと文句を垂れる双子の兄と比べ、何段か先に大人の階段を上っていると妙に高揚したのを覚えている。
そんな彼女にとって大人の象徴である下着のホックを兄は片手で簡単に外してみせた。それにより体の締め付けは楽になったはずなのに、何かに縛られているかのようにドラ美は強張った。
今から自身の身に起こることが何なのか全く知らぬほど幼くはない。家業柄、末の兄弟たちも含めていずれ通らなければならない道だとわかっている。
しかし、この行為を一から十まで把握しているわけでもなかった。
あらゆる痛みや苦しみを経験してきたドラ美にとっても、ここから先は未知の世界。怯えるなという方が酷であった。
「安心しなよ。今日は鞭も針も使う予定ないから」
"今日は"。
この訓練は今日以外も行われるのか。兄にしては比較的思い遣りのある言葉かけだったが、その先のことを考えてドラ美は更に身を固くする。
背骨をなぞる兄の手。まるで毛虫が這っているよう。ドラ美はその動きに身震いした。
一度服の中から這い出てきたと思えば、今度は触れるか触れないかの距離を保ちながら首の後ろから耳の裏を這う。
見上げた先にある兄の瞳には、欲のかけらはひとつとして浮かんでいない。いつも通りの闇すら飲み込んだ無機質な黒が二つあるのみ。
ーーひっ
思わず喉の奥から漏れ出そうとした悲鳴は、誰の耳に届くこともなく吸い込まれていった。