波に呑まれる前に
頬を撫ぜる冷たい潮風。海には似合わない季節。予定していなかったクロロの気まぐれ。「久しぶりだな」と連絡も無く現れたクロロに「一年と五ヶ月と一四日振りよ。何の用かしら?」と不機嫌を隠さずに答えた午前二時二十三分。
鬱陶しい。嘆かわしい。愛しい。口には出さなかった綯い交ぜた感情を隠して何も言わないクロロの背を追った、午前二時二十九分。
引っ越してきたばかりの家から海までは歩いて十分も必要としなかった。
何度も砂に足を取られて躓く度にクロロは私が歩き出すのを待った。鞄を持たないクロロの両腕は空いているのに、簡単に手を伸ばしてはいけない。無邪気に手を繋ぐ事も手を貸してと強請ることも出来なかった。
「次に会いに来るときに覚えていたら汚れた靴のお詫びに、何か買ってくるよ」
「……べつに、何もいらないわよ」
「会いに来るだけで良いのか?随分素直な口になったんだな」
昔のドラ美に戻ったみたいだと付け足す。誰のせいで捻くれたと?詰ってしまいそうになる喉を、強く抓る。言いたくないことを言わない為の自衛は痛い。クロロに言わなくていい言葉を投げつけて、困らせた過去は自分を追い詰めるには丁度良いどころかおつりが出てしまう。
「シャルに引っ越しの相談したんだってな?」
「一番詳しいの、シャルかなって」
「俺だって出来ない訳じゃない」
「忙しそうだったからさ」
決して嫌味ではなく本心だったけれど、クロロは納得していないのか気に食わないと顔に書いてあるのがありありとわかった。
「俺は大人になったんだ」
「いきなりなに?」
「……ドラ美の可愛い我侭くらい、聞いてやれる」
「はあ?クロロに言わなきゃいけない我侭なんて無いわよ」
珍しく要領の得ない会話に首を傾げる。というより我侭を飲み込めんで愛想笑いを浮かべられるようになった私のが大人になったんじゃない?と言ってやれば、これまた珍しくクロロは困った顔をした。それ何の表情よ?と聞きたくなるくらいに眉を寄せている。一体、クロロは何を言いたいのか。
止まっていた足がもう一度動き出す。何となく手持ち無沙汰で腕時計に目をやる。午前三時を回って、五分。
「海の見える家に住みたいとずっと思っていたんだ」
「……初耳だけれど」
「なぁ、これでもまだわからないのか?」
「なに?」
「一緒に暮らさないか、って言ってるんだ」
それは紛れもない、二人だけの夜明け。