なんて素敵なシャングリラ
草木も眠る丑三つ時。いつもはチラチラ瞬く星々も今日は闇に紛れて見えず、満月だけがぽっかりと夜空に浮かんでいる。私以外の何もかもが眠りについてしまったような静けさ。
そんな中、特に何かをするわけでもなく、月の光で青白く照らされる手のひらをぼおっと見つめていると、ガチリと鍵の回る音が静寂を突き破った。突如として大きく響いた無機質な音に微かに心がざわついたが、それもほんの一瞬。この部屋に来る人間なんて一人しかいない。
扉に目を向ければ、ほら。
「こんばんは」
「変わりはないか」
「ご覧の通り」
そうか。そう呟いて彼は私の頭をそっと壊れ物を扱うように撫でた。男性にしては滑らかで綺麗な指が、私の大して長くもない髪をさらさらと弄る。その感触を味わっていると、ふと彼と目が合った。月のない夜をそのまま閉じ込めたような、深い闇色の瞳。その中に何の感情も映していない小さな私がいる。
そしてそのまま吸い寄せられるように互いの唇が合わさった。最初は軽く啄ばむように。何度かそれを繰り返せば、徐々にゼロ距離の時間が長くなり、やがてねっとりとした侵食がはじまる。くちゅりくちゅり。最早どちらが出しているのかも分からない水音をぼんやり聞いていると、体がゆっくりとベッドに沈んだ。いつもの流れだ。彼はこうしてふと思い出したようにここへ来ては、私に与えられるだけの熱を与えて夜明けを待たずに出て行く。
「少し痩せたな」
「そりゃこんな所にずっといたらしょうがないんじゃないですか」
「外へ出たいか?」
「別に」
「……そうか」
私は今後この部屋から出ることはないだろうし、できない。ここで生き、そして彼が私を見捨ててここに来なくなってしまえば、私は一人誰にも知られず死んでいく。
別にそれでもいい。むしろ何の不満があると言うんだろう。衣食住はきちんと確保されているし、俗世に溢れる辛いことや苦しいこととは無縁でいられる。そして何より、私の肢体をなぞる彼のひやりとした指が、彼の体の内から与えられる熱が心地よくて。それさえあれば他のことはどうでもよくて。
ドラ美、ドラ美と私の名を呼ぶその低くて落ち着いた声がたまらなく愛おしい。
「クロロさん」
ぽたり。彼の汗が私の肌を伝う。
「何だ」
「私、この生活気に入ってるんですよ」
クロロさんがうっそりと笑った。