Syndrome








01



初恋性ストックホルム症候群

いつかその恋で死ねたなら



  心はとうの昔に壊れていたのかもしれない。

 色褪せた空から零れる雨が、眼前の墓標を静かに濡らし続けていた。胸中に押し寄せる感情は、降りしきる雨と同じく止まることを知らず、溢れ出す。
 二人で思い描いた未来は、こうも呆気なく──誰も望まない形で終わりを迎えてしまった。もう二度と、二人で笑い合うことも、喧嘩することも、語り合うこともできない。
 「デュース」
 墓標に刻まれた名前を、指でなぞる。
 冷たい雨に打たれながら、最愛の恋人の名を何度も口にして──頬を伝う雫が、雨なのか涙なのか、もう分からない。
 「一人にしないでよ」
 震える唇が、掠れた声を漏らした。雨音に搔き消されてしまいそうな小さな声。
 どれだけ願っても、どれだけ祈っても、あのピーコックグリーンの瞳はもう何も映すことはない。 黒く染まった空から落ちる雨粒が、全身を容赦なく打ちつけ体温を奪い去っていく冷たい感覚も、今は何も感じなかった。

 瞼を閉じれば、今でも鮮明に思い浮かぶ。照れくさそうに笑みを浮かべて、「好きだ」と言ってくれたあの日のこと。
 二人で永遠の愛を誓って、二人で同じ未来を夢見て、毎日を生きることができたのなら。


 「そっか」
 ──その為なら、自分を犠牲にすることだって厭わない。



 やがて、降りしきる雨の中でゆっくりとエースは顔を上げる。その表情は、どこか穏やかなものだった。
 「もう一度、初恋を始めよう」
 墓標に刻まれた名前を指先でなぞりながら、青年は愛おしそうに囁く。

 「大好きだよ、デュース」
 それは、もう誰の耳にも届かない告白。青年は片膝をつき、そっと墓標に口付けを落とした。

 雨はまだ、降り止みそうにない。
 

image song*花が散る世界
 


02



純愛性リマ症候群

ハッピーエンドを夢見てた



 「おはよう」
 愛おしげに此方を見つめる孔雀色の瞳が、柔らかく細められる。口元に笑みを浮かべた彼は腕を伸ばすと自分を抱きとめた。

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 式場へ続く大きな木の扉の前、エースは一人立っていた。ついにこの時が来たのだ、心臓の音が聞こえてしまいそうだった。高鳴る胸を抑え扉を見つめていると名前を呼ぶ声が聞こえる。
 「……エース、」
 「ん……」
 ゆっくりと振り向けば、純白のタキシードを着た姿のデュースが立っていた。──ずっと望んでいた姿に、ずっと夢に思い描いていた姿に、込み上げるものがある。
 
 何度も彼の死を繰り返した。冷たくなっていく、その感触を今でも思い出す。
 何度も彼を殺す度、心に穴が空いていくような感覚がした。
 その度に、思わずにはいられなかった。自分がデュースとの未来を望まなければ、デュースが死を繰り返すことにはならなかったのにと。

 けれど、そんなエースを救い上げたのもデュースだった。
 『ずっと一緒にいてほしい、…エースは僕の大切な人なんだ』
 彼を喪う前、未来を誓ったあの日。告げられた言葉にどれだけ救われただろうか。何度出会っても彼は彼のままであったし、また自分は彼に惹かれてしまうのだ。
 これはオレの未練、オレの願い──デュースと一緒にいられる未来を、オレはずっと望んでいる。

 二人きりの式場で、結婚式は執り行われた。
 待ち望んだ瞬間、エースはデュースと顔を合わせる。
 ──ああ、幸せだ。
 そう思うのに何故だろうか、涙が止まらない。指の腹で拭うが、それは止まることなく溢れてくる。

 彼のことを愛してしまった。彼を喪う未来を何度も何度も繰り返してきた。だからこそ、彼と共に居られないことを頭のどこかで理解していたのだ。
 彼の頬を撫で、口付けようと顔を近づける。柔らかく重なった唇に、エースは涙を流した。
 甘く、優しい誓いの接吻は、涙の味がした。

 「……ありがとう、デュース」
 デュースをきつく、離さないというように、強く抱きしめると、エースは呟いた。
 ──これは、最後の我儘だ。
 「ずっと、ずっとここにいてくれる?オレと、いつまでも一緒に生きてくれる?」




 デュースはそっと、肩を押すと、悲しげに微笑んだ。彼はゆっくりと距離を置くと、ピーコックグリーンの瞳を濡らしながら、口を開く。
 「…お前のことは好きだ、愛してる。だけど…ずっとこの場所にはいられない」
 「……そっか。」
 エースには分かっていた。デュースが、何と答えるか。

 彼の為にも、エースは彼の手を離さなければならないのだ。
 「なあ、デュース。オレの初恋、オレの全て。」
 夢のような時間は、もう終わり。
 チャペルの瓦解と共に、デュースは踏み出す。その一歩はエースにとって長い長い夜を終わらせるものだった。
 「これからもずっと、ずっとそばにいる。」
 ぽたりと耐えきれず、涙が落ちる。それを誤魔化すようにデュースの手をとり、そっと左手の薬指に口付けた。

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 つんと鼻をついた焦げ臭い匂い、眼前に広がる星空。デュースが目を覚ました時、テラコッタの柔らかな猫毛の青年が心配そうに覗き込んでいた。
 「お前、なんでこんな場所にいんの?大丈夫?」

 夢は終わり、新しい朝が始まる。

 胸の奥、僅かに残る愛おしさを感じながら、デュースは手を伸ばした。
 薬指に光る指輪が、月に照らされきらりと煌めいた。

image song* Good Morning, Polar Night


03



片恋性リマ症候群

いつの日か君に逢えたらね


 夢を見ていた。いつか、叶えられなかったあの日の夢、その続きを。

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 ライラックの花が一面に咲き誇る場所。そこに白いタキシードに身を包んで、二人の青年が立っていた。
 互いに見つめあって、不意にデュースの腕をエースが摑む。驚く間もなくエースの腕の中に抱きすくめられ、体温と鼓動が伝わってきた。

 「……好き」
 掠れた声で囁かれる愛の言葉。タキシードを摑む手に力が籠り心臓が早鐘を打ち始める。顔を上げれば、瞳に涙を滲ませてエースがこちらを見つめていた。
 「もう、離さないから」
 背中に回していた手を離し、デュースの頰に触れる。その手つきは壊れ物を触るように優しい。紅色と視線が交われば、デュースは孔雀色の瞳に柔らかな光をたたえ穏やかな視線を向けた。
 「…エースが僕のことを助けようとしてくれたこと、知ってるんだ」
 目を見開くエースに、デュースは微笑む。
 何度も時間を遡り、デュースの運命を変えようとした。でもそれはいつも失敗に終わり、彼の精神は摩耗していった。
 「ずっと、僕のことを想ってくれていたことも」
 頰に添えられた手に自分の手を重ね擦り寄せる。見開かれた瞳に笑いかけると、彼は堪えきれずに涙を零した。
 その雫が頰を伝い落ちる前に、デュースは彼を強く抱きしめる。腕に力が籠り、肩口に顔を埋められる。嗚咽を漏らす彼の背に腕を回しながら、デュースは囁いた。
 「ありがとう、エース」
 ──ああ、やっと言えた。ずっと伝えたかった言葉をようやく彼に伝えられたのだ。
 柔らかくて触り心地が良い彼の髪を撫でる。しばらくそうしていると、肩口に顔を埋めたまま、ぽつりぽつりと彼は言葉を紡ぎ始めた。
 「…何回も、失敗した。お前のことを、助けられなかった」
 彼が涙混じりに語る声に耳を傾けて、デュースは腕に力を込める。
 「でも、やっと……」
 その言葉にデュースは小さく頷く。彼の背中に回した腕を解き、身体を少し離すと二人は見つめ合った。エースの瞳は濡れ、目尻が赤く染まっている。エースはデュースの手を取ると目を細めて愛おしそうに頬擦りした。
 「デュースの手、温かいな…」
 その言葉とともに、彼の指がデュースの薬指をなぞる。なぞられた箇所が熱を持ち、そこから全身に火が灯ったかのように温かくなる。
 「オレと、一緒に生きてくれる?」
 答えはもう決まっている。口付けることでその答えと返せば、エースは悪戯っぽく微笑んだ。
 ──その笑顔は、ずっと見たかったものだ。
 再び唇に柔らかな感触が伝わり、瞼を閉じれば、頬に涙が伝う。

 「愛してる」
 その言葉に、デュースは幸せそうに笑って頷いた。

image song*心の星

My Dearest.