『窓』で細々と稼ぐ道もあったけれど将来の事を考えたら『補助監督』を目指した方が独り立ち資金が稼ぎやすいと思った。
煙いお香が壁に染み込みシールのような御札が部屋中に貼られている。一日中カーテンは閉じきったまま、時間になると写真に向かって手を合わせ謎の呪文を唱え続ける。土日になると胡散臭い笑みを浮かべた中年の男が頻繁に我が家を訪ねては冷蔵庫と財布を漁りガラクタを置いて去っていく。私の両親はカルト教団の熱心なカルト信者だった。物心着く前からこんな調子だった。だから私の物事に関する一般基準は両親の『ものさし』で構築され、私こそが『普通』で周りの人達は皆異質なんだと信じて疑わなかった。自分が異質だと気づかされたのは父方の祖母の葬儀の時、安らかに眠る遺体から飛び出した奇妙な生き物が両親の首を絞めている光景を目にしてからだ。『恥知らず』『馬鹿夫婦』『親不孝者』恨み辛みを吐きながら両親に纏わり付く生き物に向かって私は叫んだ。変なものがいるよ、お父さんもお母さんも死んじゃう!って。でも誰も相手にしてくれなかった。ただ1人、偶然葬式に参加していた呪術師以外は。
残念ながら私に呪術師としての才能はなかった。しかし呪術師にとって必要不可欠である呪力量と呪霊を視認する力を買われた私はカルト家族から抜け出すために命懸けのバイトで資金を稼ぎ、中学卒業と同時に上京。呪術師を目指しているわけではないため東京校の高専に通うことは叶わなかったが都内の学校に通いながら土日は補助監督見習いをさせて貰ってる。窓の仕事は歩合制、対して補助監督のバイトは月給制。平日は窓で食費を稼ぎ、土日にガッツリ働けば贅沢をしない限り一人で食べていける。学校生活はあまり上手くいってるとは言えないけど将来は高専で働くつもりだし、直属の先輩上司には可愛がってもらってるから友だち0人でも気にしてない。私はこの仕事が好きだ。稼げるし、特別な資格も要らない。間接的とはいえ呪霊と触れ合う機会も少なくはなく常に神経を削られる職場だが、それでも今日も元気に貴重な土日を高専に溶かしている。目的のひとつしては勿論お金が優先して挙げられるが、密かに第2の目的があったりもする。
「新田さん、その書類私が届けに行ってもいいですか!」
「コレっすか?別にいいッスけど。あ〜、なるほどなるほど。んじゃ、ついでにこの書類にサイン貰ってきてもらっても言いッスか?あ、急がなくてもいいッスからね!」
「はい。ありがとうございます!」
私が仕事熱心な人物じゃないことは新田さんにバレている。だから積極的に書類を届けに行きたいと手を挙げた私の魂胆など全て筒抜けで、だからこそ新田さんは急がなくてもいいと気を利かせてくれた。新田さんが上司で良かった。なまえは分厚い書類を受け取ると軽い足取りで寮の方へ足早に歩いた。
途中すれ違った真希さんから今日は自室でのんびりしてるらしいとの情報を頂き『よし、今日はツイてる』と心の中で拳を握る。前回は運悪く私のバイトと彼の任務が被っていたため、ポストに書類を投函して顔を見ることも出来なかったのだ。彼とは視線が会えば挨拶する仲だった。寛ぎ時間を邪魔するのは半ば気が引けるし、相手も面倒臭いと思うかもしれない。だが彼の顔を見るだけで私のモチベーションは1週間維持されどんな理不尽や疲労も耐えられる。だから申し訳ないけど私のモチベーションの為にお顔を拝見させて頂きたい。
共同スペースの壁掛け鏡でネクタイを占め直し身嗜みを整える。スーツマジックのお陰もあって制服姿よりも幾分か大人っぽく見える気がする。よし…行くか。
「おーっす。あれ、みょうじ男子寮になんか用なん?」
「…決戦へ」
「え、何、喧嘩?」
「狗巻先輩に書類届けに行くだけだろ」
“だけ”とはなんだ、“だけ”とは。私にとっては面接を受けに行くぐらいの緊張ものなんだぞ。
ここまで意気込んで部屋を間違えるのも嫌なので虎杖くんに部屋番の確認を取り例の扉の前で書類の枚数を数え、いざ勝負!と三度の躊躇いを挟み扉をノックする。
き、緊張する…いかんいかん。これは全部仕事内容の一つだ。逃げるわけには行かない。自分から望んだ回してもらった仕事でもあるし…
どん、どん、どん
声掛けって自分の名前を先に名乗るべきなのか、それとも家主の不在を確認するのが先だったか。叩いた後の迷いに思考を停止している間にも無慈悲に扉は開かれる。
「つなー」
はうわっ、顔が良い上に私服姿もかっこいい…うわぁ〜黒マスクがこんなに似合う人初めて見た…じゃなくて、書類渡せバカ!
「い、狗巻ずん一級ずずつし」
「たかな?」
やばばっ、絶対噛んじゃいけない単語で盛大に事故を起こしてしまった…た、立て直さないと。
「こ、こちらの書類ですが来週の任務の詳細が纏められていますので、か、確認のほどよろしくおねしゃす…」
「しゃけ」
大変だ…書類を握る手が震えてなんかアル中みたいな発作起こしてる。恥ずかしっ!しかも書類を強く握りすぎて渡す前から謎のシワ刻みまくってしまってるし…手汗が染み込む前に渡せてよかった。今度から手袋しよ。
「あ、あとこちらの書類に狗巻さんのサインが欲しいんですが」
「しゃけ〜…つな、こんぶー」
「あ、ペンならこちらをお使いくださっ」
ちょっと待てみょうじなまえ。このペンって確か…
『あ、ペン切れた…明日買いに行こーっと。新田さん、すみませんが一瞬だけペン貸してもらってもいいですか?そうなんですよ、ちょうどインク切れてしまって。今日の帰りに買います。土日は購買部もコンビニも閉まってますから高専生は買い出し大変そうですよね』
朝一でインク切れしたペンじゃん。インク切れしたペンを片思い相手に貸し出そうとするなんて好感度だだ下がり案件ではないか。ど、どうする私…差し出した手は引っ込められないぞ。
…よし、折ろう。追って逃げる口実を作ろう。
ボキッ
「す、すみません。このペン自発的にへし折れちゃうほどインクの調子が悪かったみたいで、急いで変えのペン買ってきます!」
「たかな!?」
へし折ったペンだけを握り私はとにかくその場から逃げることばかりを考えて走った。羞恥心は『ずずつし』発言からとうに限界を振り切っており、今日は暑いですね〜じゃ誤魔化しきれないほど顔は真っ赤だったと思う。
今日はいけると思った。自宅から高専までの道のりで1度も歩行者用信号機に捕まらなかったし、前髪の癖毛も珍しく手直しする必要が無いほど落ち着いていた。新田さんが偶然狗巻さん宛の書類を抱えていて、多分これは天啓なんだと直感し思い切って自分から行動してみたらまさかこんな結果になるなんて…なんでもいい、穴があったら入りたい。
「そんで受け取る書類も全部受け取らずに逃げてしまったってことね。ま、なまえにしては検討した方じゃない?」
「でもズン1級ずずつしって取り返しのつかない噛み方しちゃったし、思いっきりペンへし折っちゃった…」
「大丈夫だって、俺も呪術師の部分でよく噛んでるし、ペンもたまにへし折るからそんな落ち込むことないと思うよ。狗巻先輩ノリいいからそんなこと細かいこと気にしないって!」
私狗巻さんに変な子だって思われてないかな。片思い相手に嫌われたら生きる希望が消えてしまう。この業界に入った大きな理由はお金だけど、凄惨な現場を目撃した日のメンタルケアは狗巻さんの笑顔で賄っている。もし嫌われたら私のガラスのハートが砕け散っちゃう。
焦れったいからさっさ告白してこいと野薔薇ちゃんに背中を押されること数十回目。それで勇気が出ないとゴネて虎杖くんに当たって砕けろ!とろくでもないアドバイスを受けることこれもまた数十回目のやり取りだ。ねぇ、どうしたらいい?と机に頬を当て茶菓子を口に運ぶ友人二人へ答えを求めた時、ずっと腕を組んだまま眉間に皺を寄せていた伏黒君がバンッ!と感情に任せて机を叩いた。
「いいからさっさとペン持って狗巻先輩から書類貰ってこいよ!先輩今頃困ってんだろうが!!てかなんでお前ら毎回俺の部屋に集まるんだよ!!!」
「伏黒くんの部屋ってほら、アットホーム感あるから」
「確かに伏黒の部屋ってもの少ない割にはなーんか落ち着くんだよなぁ〜」
「切れる割には客人用のコップも人数分あるし、照れ隠しも程々にしなさいよ。ヒスはモテないわよ」
「うるせーよ。てかみょうじは仕事戻れよ」
「新田さんが急がなくてもいいって言ってくれたから」
「ここで駄弁って来いとは言われてねぇだろうが!」
それはそうなんだけどさ…どんな顔して狗巻さんに会いに行けばいいか分からないんだよね。仕事場に戻っても狗巻さんから書類を受け取らないと事務仕事が始まらないし、だからと言って今書類取りに行くのもなぁ。そうだ、伏黒君が代わりに書類取ってきてくれない?となまえは閃いたとばかりに指を鳴らした。すると妙に渋ることなく伏黒がよっこいせと腰を上げ「狗巻先輩の所に行ってくる」と部屋を出た。それから少しして釘崎も虎杖も伏黒の部屋から退出し、皆遅いなぁと足を崩して茶菓子を口に運んでいた時だ。
クソっ、嵌められた。
姿勢を正し気まずそうに視線を逸らしたなまえの正面では眉間に皺を寄せた狗巻が腕を組み厳しい視線をなまえに寄せていた。わざと開け放った扉の端から三人分の視線が頭が真っ白であろう少女をハラハラとした面持ちで見守っている。こそこそと蚊の鳴くような話し声が聞こえてくる。表情から察するにこの背筋が凍りつくような重苦しい空間を生み出した人物は誰か罪を擦り付けあっているのだろう。私から見たら3人とも同罪だ。許さん。
構図で言うなら浮気がバレ体の外も中も冷や汗たらたらな夫とそうなるに至った経緯を突き詰め慰謝料を頭の中で弾いてる妻だ。やっぱり美人の睨みというのは恐ろしい。気の利いた言葉はちっとも出てこないくせに涙は容易く零れ落ちそうだ。
「な、長くお待たせしてすみませんでした。ペンを借りてきたので、もし宜しければ」
「おかかー」
「うっ…ですよね。役立たずですみません」
私のバカ。もっと早い段階でペン渡しとけ。
サインが記された書類を狗巻さんから受け取った。うわぁ…綺麗な字。インクの途切れもない完璧な文字だ。私がペンを差し出していたらこんな綺麗な文字は拝めなかった…いや、そうじゃないな。私がインクを切れた時にすぐコンビニか購買部にペンを買いに行ってればよかったのだ。新田さんみたいにインク切れを見越してペンは2本スーツのポケットに日頃から刺しておくべきだったし、補助監督として専門用語は噛まずに言えるよう練習しておくべきだ。人に渡す書類を汚したりシワをつけたりするなんて補助監督以前に未来の社会人として気をつけておくべきだった。緊張していたから、なんて理由にならない。緊張している状況こそ補助監督としての自覚を持ちやるべき事をやらないと、もしこれが現場だったら私は間違いなく狗巻さんの足を引っ張りに引っ張った挙句呪霊に呪い殺されていただろう。もっとしっかりしないと。
「わ、わたしは!…補助監督目指していながら専門用語いつも噛み噛みだし、持ってくる書類は力余って皺だらけ率も高いし、ペンもへし折ってしまうダメ補助監督見習いです。狗巻さんが眉間に皺を寄せるのも無理ないです。でも!!」
(あんさ、ふと思ったんだけど片手でペンへし折るって何気に凄くね?)
(伊地知さんとか新田ちゃんでも両手使ってぎり折れなさそう。ま、アンタなら余裕なんでしょうけど)
(おう!)
(いや、おう!じゃねぇんだよ。補助監督の腕力をゴリラ目線で語んじゃねぇよ)
頼りなかった自分から脱するためになまえは拳を握り少しだけ折り畳んだ足を浮かせる。
「でも!!いつか、敏腕補助監督へ成長してみせますから!」
緊張感を持って、でも狗巻さんの前ではなるべく緊張しすぎないように心がけながら今日のような事がないよう努めていきます。だから、だからどうか私のことを見捨てないでください。まだ私の生きる糧として私の前から去らないでください。これからの私の目を見張るような成長をどうか、
「見守っていてください。狗巻準1級呪ずづし!!」
ん?あれ、
「……」
「……」
はー…大事故発生だ。呪術師って言葉ほんと嫌いだわ。手術室と同レベルで嫌い。好きになれないわ。
狗巻さんは眉間に皺を寄せたまま自身の心臓部分にて両指の親指と人差し指を繋ぐ。それから全て演技でしたーとネタバラシするかのように表情を和らげると
「しゃけ♡」
プリチーなハートマークになまえはそうじゃないんです、一切ふざけてないんですと『おかか』を連発し、まるでコメディのような完璧な落ちに伏黒が吹き出して笑った。つられて笑い出す残りの2人になまえは自らの顔を覆い「補助監督もう辞めます」と声を震わせながら口にした。しかし狗巻が手を握り説得した途端、なまえはカッと目を見開いて「やっぱりもう少し頑張ってみます!」とコロッと手のひらを返した。
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