私は『真面目』な人間だ。自分でそう思ったわけじゃない。「なまえさんは本当に真面目な人ですね」と請け負った書類を指定期日よりも早く提出する度に周りから言われるものだから、私は真面目な人間なんだと自覚しただけ。
小さい頃は5時のサイレンが鳴る前に帰宅する子供だった。夕食の前におやつは食べなかったし、その日のうちに宿題を済ませて9時には就寝。朝6時半に目を覚まし教室にはいつも一番乗り。先生の指示には必ず従い、母親の言いつけもきちんと守り。模範的な生徒を率先して演じたのは、自分より何十年も失敗と成功を味わってきた人の選択はきっと自分のためになると信じて疑わなかったから。自分で選んで後悔して、泣きを見たことは数しれず。欲張らず、怠らず、実直に生きて損は無い、齢7にして学んだ上手な人生の歩き方。教えてくれたのは借金だけを残し家族を捨てた父親だ。
真面目と言われて眉を顰める人もいるらしいが私の眉は至ってなだらか。たまに冗談が通じないと陰で謗る人もいるが、その冗談が通じない短所を長所に捉え昇進を言い渡す上司がいるのだから真面目に生きて損は無い。馬鹿にされた二ヶ月後、真面目を嘲笑した貴方の上司は私だ。悔しければ真面目に生きてみろ怠け者が。

遊び知らずの優等生が選んだ就職先はマクロコスモス・バンク。言わずもがな、大企業。そこから実力を評価され、順調に堅実に出世コースを駆け上がっていた最中...まさかあんな小石に蹴躓くなんて思ってもみなかった。『社長椅子にふんぞり返り膝の上で丸くなったニャースを撫でながら47階建ての超高層ビル最上階から地上を愉悦に見下ろす』私の子供の頃からの野望を、漠然的で無計画な地球征服を企む気取った奴らと比べ非常に具体的で現実味のある女社長計画を、あんの脚長男!!!

「この子、オレさまのジムに回してくんない?」

呪ってやる...末の代まで呪ってやる、お前の子孫皆短足低身長の運命を背負うまで死んだ後もしつこく呪ってやるからな!ドラゴンストーム、キバナ!!

「うっわ、怖ぇ顔。フォロワー減るぞ?」

好きでこんな顔してるわけないだろ大馬鹿者が。今ここでお前のポケスタ炎上させてやろうか。『仕事サボって充電ちゅ〜』と腹立つ文面添えてその右手に持ったヒウンアイスごと6桁のフォロワーに晒してやろうか。
探していた人間はパラソルの下で足を組み呑気にアイスを食べていた。見つけた!と指を指されても顔色ひとつ変えず、よっ!と片手を上げる様子を見れば誰でも彼がサボり魔常習犯であることを分かってくれるはず。ズンズンと大股で距離を詰め緩いパーカーの胸元を掴みあげる。今日という今日は絶対に許さんドラゴンストーム。なぁにが『溜まった書類を片付けっかなぁ』だ。意気揚々と執務室の扉を閉め数時間後、執務室の窓から脱走するなんて聞いてない。しかも積み上げた書類は一枚もサインどころか手垢すらついていなかったなんて論外中の論外。ポケモンとバトルが絡んだ仕事は取り掛かりが早いくせに、どうして書類仕事になるとこうもルーズなのか。積み上がった書類に文句垂れたい気持ちも分かるけど、一日に加算される厚みはたった3cm弱、それを毎日後で後でと積み上げていくから堅牢な書類の城ができるのだ。

「仕事に戻ってください!はやく!今すぐ!!」
「まあまあ、これでも食べて落ち着けよ」

アイス一つでいちいち絆されていては貴方の秘書なんて到底勤まらない。しかも差し出されたアイス、どう見ても食べかけだし。デリカシーなし男、顔で誤魔化しが効くと思うな。
随分とながーい休憩を満喫されたご様子で。椅子に掛かったブティックの紙袋を掴み、仰け反る背を押す。向かう方角はもちろんナックルスタジアム。出世街道を走っていた私がどうして身長195cm大のベビーシッターまで担わなければならないのだ。更新されたポケスタを発見し、キバナの脱走を1番に気づいた人が連れ戻すべきだろ、普通。それなのに『秘書の貴方が連れ戻してきてください!』とかなんとか、筋の通らない理論で作成中の書類の保存も許されず、スマホロトムと共外へ放り出された私の気持ちを少しは考えて欲しい。呑気にテラス席に腰かけ無駄に長い足を伸ばしてアイスを食べる前に!

「仕事!仕事!!仕事!!!」
「真面目ちゃんだなあ」
「不真面目な貴方のせいで真面目にならざるを得ないんです!」

自分で歩け!ファンサをやめろ!
無駄に広いその顔に通りがかる人々は彼の名を呼び、手を振って、今日も元気ねえ〜と声をかける。それに対しこの男は、おう!と空いた方の手をヒラヒラと振ってだらしのない笑みで答えるものだから背中を押し続ける私は無防備な鳩尾をいつ蹴りあげてやろうか、そんな事ばかり考える。
時々、この憎たらしい笑顔を睨みつけていると首元まで釦を留め馬鹿真面目に黒いヒールを履き鳴らす自分を辞めたくなる。あと何回、草臥れたスーツに袖を通すのだろうか。一日に数回更新されるポケスタを頼りに不真面目な上司を探しにストッキングの踵を摩耗しなければならないのか。
いっその事、誰にも内緒で家を売り払い、書類の山に辞表をさりげなく乗せて、故郷の山で慎ましく暮らすことも冗談抜きで視野に入れているが、中途半端に放り投げることが苦手な私は湯船に浸かりながら浮腫んだ足を揉みほぐすことしかできないでいる。転職…これまでのキャリアと収入を手放すのは惜しい。

「おっ!バトルコート空いてるぜ」
「書類の認印も空いたままなんです」

特徴的なパーカーの前ポケットから顔を出す小さなボールにそうはさせるかと内側のユニフォームごと鷲掴む。バトルコートが空いているからといって利用する理由にはならない。そもそもバトルの相手がいないのにバトルコートに立ってどうするつもりなのか、大人しく書類の山を片付けてくれ。身長差35cm弱の睨み合い、勝ったのは勿論私。
さぁ、寄り道はおしまいだ。
さっさとスタジアムに戻るぞと壁のように反り立つ背中をグイと押して曲げた腕を伸ばす。後ろを振り返った不満げな浅葱色の瞳になまえは気にせず背中を押すが、ふいに目の前が明るくなり、首にスナヘビが回ったような重さと感触になんのつもりかと腕を組んだ。彼の視線は依然としてバトルコートに向いている。何故急に首に腕を回したのか、黙ったままコートを見つめるキバナが何をなまえに求めているか気づかないほど他人の思考に鈍感ではないが、なまえはふいっと顔を背けあえて気付かないフリをした。仕事内容にバトルは含まれていなかった、それに報酬のない接待バトルは嫌いなんだ。

「先に帰ってますから」

貴方は顔が広い。そこらを歩く強そうな顔に声をかければ相手になってくれる人なんて掃いて捨てるほどいるじゃないか。素人とのバトルより同じジムリーダーやジム巡りのチャレンジャー、ワイルドエリア帰りのトレーナーの方が白熱した試合になるに決まってる。技の見せ方も、勝敗を濁すような上手いバトル展開も。
他を当たってくれ。飛んでくる視線を手の平で防ぎ、わざとらしいため息を吐く。しかし瞳よりも深い青を仰ぎ見た彼は面倒な香り漂う悪巧みを思いついたらしい。なんとも気味の悪い笑みを浮かべながら髪留めから落ちた後れ毛を指に巻き付ける彼は真似るように大きなため息を吐く。…私への当て付け?肩にかかる体重に背どころかヒールが折れそうだ。近い!重い!鬱陶しい!パーソナルスペースを守れ、ドラゴンストーム。

「週刊誌にツーショットなんて洒落にならないので離れてもらってもいいですか」
「はぁ〜...久しぶりに見たいなぁ、お前のトゲキッスが放つマジカルシャイン」

人の話は聞くようにと学校の先生に教わらなかったのか。全く、どこまで不真面目なんだ。しかも、マジカルシャインって。貴方が来ているユニフォームはいったい何タイプですか。手持ちが泣くぞ。

「ドラゴン使いが何を寝惚けたことを...わたし、貴方に手持ちのポケモンについて話したことないですよね」

ふと立ち止まり冷静になる。止まった思考が暴れ出さないよう、慎重に、噛み合う歯がずれないよう、歯車を回す。ゆっくり咀嚼するように言葉を噛み砕き飲み飲む。そして何度も何度も思い出せる分の会話履歴を遡り洗い直して見るのだが、何故だろう、一向に思い当たる節が見つからない。誰かと間違えているのではないだろうか?そんな考えも頭をよぎったが、ニヨニヨと裏を感じさせる笑みに彼は何か確証を持って発したのだと、背筋に走る悪寒で直感した。軽くなる肩。頭の上で手を組んだキバナはバトルコートに向かっておもむろに歩きだし、破壊力のある一言を回り出す歯車へ放つ。

「47階の超高層ビルか…オレの家は32階のタワーマンション。階数はちょっとばかし足りないが眺めは保証するぜ。残るはニャースと社長椅子だっけか」

凍りつく心臓。膨れ上がる羞恥心。へーこらへーこらと頭を下げ積み上げたプライドが音を立てて崩れていく。
...なんで、なんで誰にも話したことがない夢を貴方が知っている。しかもビルの回数まで克明に。まごつく口に彼はイタズラ大成功と言わんばかりにケラケラと腹を抱えて笑い、ひとしきり腹を震わせると垂れた眼を逆三角形の如く吊り上げた。

「バトルで勝ったら教えてやるよ。フリーズ村のなまえちゃん」

フリーズ村のなまえちゃん。覚えのあるフレーズを口にしたドラゴンストームの好戦的な表情は昔折った天狗の鼻を記憶の砂を掘り起こし、連想させる。印象的な人だった。クラスの中で一番背が高く、傲慢で、友達が多くて、たった一度の負けを酷く悔しがり、田舎での背中を影のように付け回してはバトルを吹っ掛けてきた負けず嫌いの鬱陶しい...顔も名前も思い出せないのに行動だけは鮮明に覚えているなんて可笑しい話だ。

「私強いんで、泣かないでくださいよ」

私は真面目な人間だ。売られたバトルは勿論買いますとも。久しぶりに立つ白い枠の中、鋭い眼光に膝が震えたが、あの少年に似た悔しがる顔を拝んでやろうと企んだ途端、嘘みたいに指の震えが止まった。ポケットに潜り込ませたボールを握りサイドスローで放り投げる。久しぶりの空に舞い上がっているのは私だけじゃないようで、雲を突き抜け春風のように舞う白いハートに私は溜まった鬱憤を投げるように勢いよく腕を振り下ろした。
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