結局、私たちは同じ筋書きを辿るだけで、皆を救うなんて大それたことなどできやしなかった。選んだ命、捨てた命、これで良かったんだと迎えた結末にFinを書き記そうとする度に本当にこれで良かったのか過去の自分が問い質す。他に道はなかったのかと。
騒がしい幼女は口を噤み、初めて父親に敬称を つけて呼んだあの日から、他人が歩む人生を羨み、自分ならもっと上手くやれたと口を尖らせ随分と山頂が近い死体の山を妬ましい眼で眺めてきた。どうか笑ってくれ、どうか罵ってくれ。全てを剥奪された私から全てを引き継いだ貴方へ飛ばし続けるこの取るに足らない嫉妬心を。

「大司教猊下はこの結果に満足しているのですか」

助成金を増やしてくれと一文で解決する内容を
長い羊皮紙につらつらと。書き手の語彙が豊富なお陰で読み手は随分と苦労させられる。私の問いかけはそれほど難しくはなかったはずだが、羊皮紙から顔を上げた大司教はたっぷりと時間をかけて肺をしぼませる。ベレトは厳かな机の上に肘をつき組んだ手の上に顎を乗せる。セテスが見たらだらしがない!と一喝しそうな体勢だなと手持ち無沙汰な思考を適当に動かしていると何がそんなに面白かったのか、ベレトはくっくっと声を抑えるように小刻みに笑った。

「なんだ、不服か?」
「貴方が決めた未来だ。外野が文句をつけたところでこれ以上変える気は無いでしょう?」

それとも、もう一度始めからやり直して最善の未来を見つけて下さいと頭を下げれば貴方はまたあの凄惨な地獄を踏み歩いてくれるのですか。私たちは大修道院の中であまりにも多くの思い出を作りすぎてしまった。人が変わっても、選択を変えても、彼らの強い意志までは何十何百と繰り返しても変えることもねじ曲げる事もできないことを傍観者になってようやく気づいた。
足掻いても、嘆いても、物事はなるようにしか動かないし、無理に筋書きを変えようとした結果愛おしい者達すら手をかける始末。けれど筋書き通り進んだところで納得する未来なんてありはしない。それならいっそ全部知らないふりをして、ただの一教師として愛おしい生徒との時間を大切にし、彼らの悔いが残らぬよう強く育て導く。それが心臓のない私達に与えられた役割で、私の中にいたソティスや、貴方の中に還ったソティスが強く望んだ願いなのかもしれない。

「大司教、先日の件について返答を頂きたい」

大陸が一つに纏まった今、この先に待つ出来事は私の知らない世界。大修道院に留まる理由も私が教師を務める理由も恒久の平和が約束されたことで無くなってしまった。これ以上不必要に思い出を増やす必要もあるまい。私の目は既に大陸の外へと向かっている。

「ああ、書類は既に用意してある。あとはあなたがここに署名さえすれば手続き完了だ」

引き出しから取り出された一枚の紙をベレトはコツコツと伸びた指の先で叩く。レアに雇われていた時は契約書など書かなかったが、セテスの入れ知恵かそれともこの短期間で体制が変わったのだろうか。どちらにせよ私にはもう関係ない事だ。
既に記載が済まされたそれは私の名前を書くことで完成する。元傭兵にしては整った字が記されている、彼と私が同じ存在なのか疑いたくなるくらいに美しい字。普段の私なら筆を受け取り内容を読むのは億劫だと躊躇うことなく筆を走らせていたことだろう。しかし書類仕事に消極的なベレトが珍しく口角を上げ、試験中に教室を見廻る教師から答案用紙を隠す生徒の如く大部分の文字を手で隠すように差し向けたその行動がどうも私の中で引っかかったのだ。決して自惚れている訳では無い。ただ、セテス殿に負けず劣らずベレトを献身的に支えてきた私が何も告げず一言退職したいと伝え、はいそうでかとベレトが快く送り出す人間では無いことは敵に回った生徒に情けをかける姿を見ているだけに違和感を持たざるを得ない。少なくともいつ出立する気なのかは問い詰めてくるだろうなと身構えていたが、何一つ詮索してこないとは、彼は本当に私が知るベレトなのだろうか。確固たる証拠はない、しかし女の勘は案外命中率がいい。慈愛に満ちたその仮面の裏に何を企んでいるのか餌を撒いて獲物の様子を伺う。名前の最後のスペルをわざと書き損じ、筆を置いて書類から手を離す。すると奪い取るように用紙を握りしめたベレトは「セテス!!」と大声で叫びながら颯爽と謁見の間から飛び出して行ったかと思えば…1分も経たずしてしょんぼりと肩を落とし、上等な椅子に再び腰を下ろすとまるで被害者のように加害者の私をじっとりと見つめてくる。

「話が違う」
「それはこっちの台詞。人を騙して結婚しようだなんて大司教の風上にも置けないよ」

間抜けな結婚詐欺師でも貴方よりもっと誠実に騙すだろう。くだらない事はしなくていいからさっさと退職届けをよこせと掌を向けるもベレトは拗ねた子供のように頬を膨らませ罪のない私を視線で責める。

「全部なまえのせいだ。俺はきちんと然るべき手順を踏み指輪を携えて女神の塔で一日中待っていたのにお前は来なかった」
「いや、仕事しなよ」

大司教が一日中女神の塔で時間を浪費していたなんてセテス殿が聞いたら卒倒しそうだ。そういえば一日中大司教の姿を見なかった日があったが、まさかあの日…頭が痛い人だ。悪いことは言わないから今すぐにでも大司教の代わりを見つけた方がセテス殿の胃もフォドラの平穏も守られるだろう。
だいたい然るべき手順ってなんだ。私とベレトとの間に支援会話は用意されていなかったはず。まさか道から外れようとしたベレトに何度か先人として助言を与えたあれが支援会話だったというのか。どうなっているんだ支援会話。あんな業務連絡のような会話のどこに恋愛要素があったというのだ支援会話。

「天国のジェラルトも母さんも俺たちの結婚を祝福しているはずだ。見ろ、指輪もぴったりだ」
「ぜんっぜん嬉しくないんだわ」

物語が終幕する際は必ず左手の薬指に嵌めていた指輪がまさかこんな形で返ってくると誰が予想したか。勘弁してくれと顰めっ面で指輪を抜き取ろうとすると、ベレトはすぐさま左手を掴み取り輝く指輪を指の腹で撫で幸福に頬を綻ばす。

「なまえ、改めて言わせてくれ。俺と結婚してくれ」
「なんでほぼ同じ存在と結婚しなくちゃいけないの。私から貴方に向ける感情は嫉妬と羨望しかないよ」
「心配するな、5年経てば愛情に変わる」
「私シルヴァンじゃないからなぁ」

自らの全てを肯定できない人間がほぼ自分と同じ存在と結婚するなんて正気の沙汰とは思えない。性格と行動さえ目を瞑れば顔は悪く無いんだし、素敵な女性は沢山いるよと視野を広げるよう助言するも彼は首を横に振るだけ。普通ここまで拒否されたら凹むか諦めるかの2択しか残されていないだろうに、0に等しい勝算へ彼はまだ時間を賭けるらしい。無駄な事を。敗走を知らない凄腕軍師の手にかかっても私の決意は変わらないというのに。
いつまでも戯言に付き合っていられるか。絡む手を解き居心地の悪そうな指輪を外し持ち主へと握らせ軽く会釈する。そうしてくるりと踵を翻し部屋を後にしようとする背中へベレトは待ってくれ!と手を伸ばすも素っ気なく振り払われて、言葉ではとても動きそうにない決意を固めた強い瞳を前に傷つくことを覚悟の上で一歩強引に前へと踏み出す。握り潰すように、しかし骨が折れないように。揺れる手首を掴みグンっと引き寄せ、上がる小さな悲鳴ごと呑み込んだベレトになまえは腕の痛みに顔を歪める余裕もなかった。
何が起こっている。腫れたように熱を帯びる唇がなまえを大きく戸惑わせ、瞬くことも忘れているうちに鼻先が触れ合う距離で微笑む顔は躊躇うことなく再度隙だらけの唇へ自らを重ね赤く熟れた頬に両手を添える。

「好きだ、傍に居てくれ」

…な、なんて奴だ。なんて男だ。一方的に感情を押し付けるだけに飽き足らず、気持ちが返ってこないなら接吻でねじ伏せようとするなんて。接吻は大切な奴とだけしろとジェラルトの教えを今日まで守り抜いてきたと言うのに、寄りにもよってなんでコイツに、ベレトに、私の生まれ変わりみたいなやつに奪われなければならないんだ。
私に可愛げがあれば音だけの平手打ちで済ませていただろうが、生憎傭兵じこみの思考は手を握らずにはいられない。

「痴れ者が!」

手の甲に走る痛みも熱と、鈍い音が執務室に鳴り響き憎たらしい存在が床に伏せることで初めて己の突発的な行動に罪悪感を覚える。少し、いや、大分やりすぎた。長く戦場で剣を振るうあまり力加減というものをすっかり忘れていたのだ。元を正せば殴られる理由を作ったベレトが悪いのだが、今の状況をもし誰かに見られでもしたら。就任直後の大司教猊下を殺害あるいは殺害未遂の容疑をかけられても私一人では誤解を解く事は難しいだろう。
力が抜けた長い足を肩にかけ近くの長椅子まで引き摺る。少し休めば目が覚めるだろう。大丈夫、もし目が覚めなかったとしても女神の力でどうにかなる…はず。
さてと、面倒事が降りかかる前にさっさと身支度を済ませてフォドラの外へ逃げなければ。薬指に嵌ったままの指輪を抜き取り倒れた体の薬指へと嵌めてあげる。いつの間に鍛冶屋に頼んだのか、ご丁寧に手直しされた指輪はベレトの指の第一関節で引っかかり手を振っただけで飛んでいきそう。指に嵌めて返すべきか、大司教の机にでも置いておこうか指輪を握り考えあぐねているとドタドタと騒がしい足音がこちらへと向かっていることに気づき息を呑む。1人じゃない、最低8人以上の足音だ。予定の変更さえなければ今日は大司教と謁見する者はいないはずだが…いや、そんなことよりもこの状況を見られるのはまず…

「「「大司教猊下!なまえ先生!婚約おめでとうございま…えっ、」」」
「げっ」

駆けつけるにしても速すぎはしないだろうか。机の裏に隠れる前に扉を蹴破る勢いで部屋に雪崩込む花を握る生徒たちになまえは顔を引き攣らせる。床に花が散った。横たわる大司教の姿に目を丸くし、金目のものを手に脱走を試みる恩師の姿に生徒たちは言葉を失っている。

「なまえ先生、説明してくれまいか」

生徒達の背後から現れたセテスのこめかみには分かりやすく筋が浮いている。これはまずい。説教、いや下手したら首が飛ぶ。こうなった経緯には深い訳が…後退りながらなまえは弁解を図ろうと試みるが、話せば話すほど泥沼化していく現場になまえは溜息をつきながらも、命あっての自由だと仕方なしに薬指に指輪を嵌めた。
backtop