※綺麗なシルヴァンもヒロインもいません。それでもいい人はどうぞお進み下さい。
貴方に一目惚れしました。遊びでもいいから付き合ってください。
そう深々と頭を下げ交際を迫ったのは艶やかな薔薇や華やかなガーベラでもなく、主役を立てる為に添えられるカスミソウのような女だった。
シルヴァンは僅かながらもその女と面識があった。青獅子の学級に所属し教室の隅でいつも一人本を読んでいる口数が少なく大人しい女。決して目立つような存在ではない彼女が何故、人で賑わう大広間に数人の女生徒に囲まれているタイミングで情熱的な告白をしてきたのかシルヴァンには女の意図が理解できなかった。しかし来る者拒まず去るもの追わず。自ら遊びでいいことを容認してまで彼女は自分を求めているのだから拒絶する選択肢はない。豊満な胸を腕に擦り付けながら、やれふしだらな女だ、平民のくせにと自らの行動を棚に上げ、丁度いい鬱憤の捌け口を見つけここぞとばかりに罵る女生徒たちだが、頭を下げたままの女へシルヴァンがスっと手を差し伸べると不満げな顔で口を噤んだ。一目惚れなんてただの理由付けに決まってる。この女も紋章と血統に群がる蟻の1匹、どこまで本音を隠し通せるのか楽しみだ。おずお ずと乗せられた小さな手、それをグンっと顔が近づく距離まで引くと、これまで相手にしてきた女とは随分と毛色の違う素朴な女を鼻で笑い、彼女に見合う有効期限を妬ましい感情の裏で弾き出した。
女癖に難ありの軽薄な男シルヴァンと口数少なく大人しいなまえ。『他人』の言葉が良く似合う、正反対な2人だったが付き合ってみると案外波長が合うようで。どうせすぐに別れるだろうと賭け事の対象にされていた2人だが、2日、3日と仲睦まじく肩を並べて歩く姿を見ていったい何人の生徒が膝から崩れ落ちたことか。なまえと付き合いだしてからというものシルヴァンの周りから女の影はなくなり、突然目が覚めたかのように一人の女を一途に思う誠実な姿に彼の幼馴染はたいそう心配していたらしい。何か悪いものでも食べたのかと問い詰められるとシルヴァンはなまえが作った手料理なら食べたと頬を掻きながら幸せそうに聞いてもいない味の感想までペラペラと語り出すものだから幼馴染はすっかり骨抜きにされた変わり果てたシルヴァンから何も言わずにそっと距離をとった。彼のあまりの変貌ぶりに皆信じられなかったのだ。
遊びでもいいから。顔に見合わない大胆な発言からシルヴァンと浅い関係から親密な関係を築き上げたなまえは人目もはばからず抱きついてくるシルヴァンを跳ね除けることなくその身で受け止めた。シルヴァンが求めるものをなまえはなんでも差し出し、シルヴァンは彼女の無条件の優しさに頬を擦り寄せ子供のように甘えた。
彼女はどこまで自分に尽くしてくれるのだろうか。手料理も口付けも抱擁も心も味わった上でシルヴァンは次の欲に手を伸ばす。優しい彼女の許容範囲を探るためにシルヴァンは勝算を立て雪のような肌を求めた。愛し合ってる者同士、いつかは経験する行為だろ?と逃げ場を塞ぎ追い詰めるような言葉を添えて。
流石にがっつぎすぎだろうか、断られることを覚悟して夜に誘ってみると彼女は少し恥ずかしそうに頬を赤く染めながらも「わかったよ」と頷いた。過去に素朴な彼女はまるでカスミソウのようだと遠回しに嘲笑っておきながら、惚れた弱みとは怖いもので、誘いに頷く控えめな彼女は主役を立てるなんてとんでもない。彼女こそが花瓶を飾る清廉な百合だった。
漸くシルヴァンも本当の恋を知ったんだと周囲は顔を寄せ合い絶えず色男の噂を蔓延させる。『あの女泣かせが真の恋を知り改心したらしい』と生徒の繋がりを超えマヌエラやセテスの耳にもその噂は届き、方や残念だと嘆き悲しみ、方や問題児が一人更生されたことに珍しく笑顔を見せていた。冴えない女が美しい貴族の男の心臓を撃ち抜き、共に手を取り幸せを共有するその微笑ましい光景は世代を超えて語られてきた御伽噺に並ぶと、夢見がちな誰かは高らかに肩を寄せ合う姿に気取った詩を読んでいる。その様子を遠くから眺めていたシルヴァンはハッと馬鹿にするように鼻を鳴らし背を向けた。ああ、馬鹿馬鹿しい。勝手に言ってろと。
シルヴァンにとってなまえは目を覆いたくなるほどに眩しい存在だった。親密になるきっかけはあまり褒められた台詞ではなかったが、共に穏やかな日々を過ごすうち体の内からどんどんと彼女の色に染められていることに彼は嬉しくもあり不快にも感じている。
性格もよく気立てがいい。しかし遊びでもいいと軽率に自らを売った生娘にいい人生の教訓になるだろうとシルヴァンは適当な理由をつけ人通りの激しい玄関ホールになまえを呼び出すと飾電灯の下で濃厚な口付けを交わした。手を繋いだだけで頬を赤く染めるなまえの事だ、この程度の悪戯にも耐えれないだろう。胸を叩き抵抗するなまえにシルヴァンは頃合を見計らって体を離し「付き合ってるならこのぐらい普通だろ?」といけしゃあしゃあと宣った。異性とキスもしたことがないことを証明するように真っ赤に染まった頬を唇ごと両手で覆ったなまえは今にも泣きそうな目をしている。このあとの展開はいつもと同じだ。別れたいと泣きじゃくって、散々人を悪者に仕立て上げ、気が済むまで泣いたら平手打ちしてさようなら。人を叩いたことがない硝子のような手が傷つかないように背を曲げて頬を差し出してやる。しかし彼女は平手打ちどころか、怒りもせず、タチの悪いシルヴァンの悪戯に「そう、なのですか…すみません。私何も知らなくて」と無知な自分を責めたのだ。てっきりビンタの一つや二つ飛んでくると覚悟していたシルヴァンはまさかの反応に面食らった。当たり前であろう。いくら付き合っているとはいえ関係を結んでたった2日。お互いの名を呼び合うことすらしていない内に公衆の面前で淫らな接吻をされ憤怒しない人間など人形ぐらいだ。
思考を激しく乱され言葉が出ないシルヴァンだったが、頭が真っ白になった理由はなまえの恋愛知識の貧しさだけではなかった。見てしまったのだ。透明の糸をわざと長く引きながら羞恥心を煽るように唇をゆっくりと離していく最中、一瞬だけなまえが見せたギラギラと獲物を狙う鋭い眼差しを。ドンッと突き上げるように心臓が強く鼓動を打ち、静かに燃え始める黒い炎へシルヴァンは不快と苛立ちを焚べる。
たいそう大事に育てられたのだろう。初で加虐心を唆られる反応や行動は遊び慣れた色男を虜にするには十分な設定付けではあったが、気を抜いたほんの一瞬に見せた黒い素の表情が負の感情を掻き立てる。不愉快な視線に幾度となく晒されてきたシルヴァンは早々に勘づいてしまった、彼女がなぜ自分に近づいてきたのか。
一目惚れなんてやはり狙った獲物との距離を埋めるための都合のいい嘘でしかない。惚れたの好きだの愛を語り近づいてくる女達は皆シルヴァンという人間に愛を囁いているわけではなく、狙いは彼の体に流れる崇高なる紋章に唾をつけるためである。過去の女もそうだった。この先名前も知らずにその場の流れで抱き合う女も皆そうだろう。
なまえが紋章を狙っていることに気づいたからと言ってシルヴァンは邪険に突き放すことはしなかった。自分じゃない自分を作り上げてまで必死に気を引こうとするなまえの行動には同情せざるを得なかったからである。たとえ共にした時間が一時であっても、肥えた目に留まるよう試行錯誤したその努力はは賞賛する他ない。どいつもこいつも大っぴらに紋章が欲しいと主張していたことに対しなまえは慎ましくも黒い欲望を厚い皮で隠していたのだから。
喉を鳴らして外套の如く丸い肩に腕を掛けじゃれつくように手入れの行き届いた髪に顔を擦り付ける。擽ったいと身を攀じるなまえに「逃げないでくれよ」と甘えるようにシルヴァンが耳元で囁くとなまえは顔を両手で覆い控えめに体をシルヴァンの方へ寄せる。あの日以来彼女はあのギラついた目を見せることはしない。しかしシルヴァンの頭の中にはなまえと目が合う度にあの挑発にも取れる鋭い眼光が瞼の奥にこびりついたままであった。いつまでも素を隠し続けている優しいなまえにシルヴァンは今日もかと苛立ちまじりに誰の耳にも拾われないよう小さく舌を打ち、同時に己の限界を試すように聳え立つ岩壁を前に高揚する。手強い相手だ。厚い鎧を身に纏い純粋無垢で飾り立てた隙のない仮面の裏を澱んだ榛色の瞳が見透かす。この混じり気のない白にどれほど深い闇を隠しているのか。薄汚い好奇心が口角を上げる。塗り重ねた偽りが剥がれ置いた時、彼女はどんな鋭い視線で睨みつけるのだろう。その柔らかな表情はどれほど歪むのだろう。
甘い声で囁く度、体に触れる度、なまえの頬は赤く色づき恥ずかしそうに顔を覆う様子にシルヴァンは堅牢な城塞の陥落まであと一歩だと指を折る。存外なまえと共に過ごす時間は嫌いではない。博識で話の間のとり方が上手くどんなにつまらない話でも耳を傾ける姿勢は気立てのいい…を超越し傀儡を連想させるような従順さと不気味さを孕んでいる。しかしこれまで遊んできた女のどれにも当てはまらない人間性にシルヴァンは興味を引かれた。遊びの延長線上だと理解しながらも彼女の器の広さについ本気が入り交じってしまう己の詰めの甘さを反省し、今日も軟派な男を演じる。
もしも持たざる者として生まれてきたなら。真っ直ぐに彼女の手を取っただろう。鼻につく甘ったるい匂いを掻き分け、どこにでも居そうな平凡な少女の首に頑丈な輪をかけて、腕の中に閉じ込めていたのだろう。紋章も名家の出でもない男へなまえはこれまでと同じように愛と優しさを与えてくれるだろうか。触れることを許さない並々ならぬ事情を抱えていながらいつだって広げた腕の中に収まる存在にくだらない願いを押し付ける。僅かな希望を掛けるのは彼女に絆されている証なのだろうか。乾いた笑いが口から零れる。
形のいい唇が名前を呼ぶ。夜の誘いに今から緊張しているらしく潤んだ瞳は慎ましく煌めきながらシルヴァンを見上げている。眩しいなぁ。肩に手を掛けることさえ憚ってしまうほどに。愛らしい横顔をいつまでも見つめていたいと思いながら両手に収まる細い首が誘うように視界にチラつく。恋人のように抱きしめたいのか、躊躇なくなだらかな喉仏ごと絞め潰したいのか、らしくもなく煮え切らない思いを抱いてしまったこの女をどうしたいのか、分からない。
このモヤモヤとした気持ちを人は『恋』と呼ぶのだろうか。御伽噺や人々が語る物と比べ随分と舌が痺れるような酸っぱさに口の端が下がっていく。まるで檸檬を皮ごと飲み下したように喉の奥から這い上がってくる苦味を帯びた酸っぱさは甘い蜜だけを選び吸ってきたシルヴァンには酷であった。せめて少しでも甘さがあれば好きになれたかもしれないが、シルヴァンが手にした甘い香りを放つ果実は実も種も殺人的な酸味で肥えた舌に針を刺した。
「そんなに積極的に迫られると流石の俺も動揺しちまうなぁ」
肩に爪をくい込ませベッドへ押しつぶすように力を入れる細い腕がか弱いなんてとんでもない、男らしく突き出た喉仏に宛てがう短剣にシルヴァンは参った参ったと口角を上げたまま白旗を振る。時間通りシルヴァンの部屋を訪れた緊張した面持ちのなまえにシルヴァンは部屋の中へと招き入れ手早く部屋の扉に鍵と閂を掛けた。邪魔されることは無いとは思うが念の為である。ある程度の知識入れてきたのだろう、強ばった体を解すようにシルヴァンはなまえを抱きしめると顎に手を添え早速行為に取り掛かった。子供のように重ね合う口付けを繰り返し、皺を寄せていた眉間がフッと緩んだ途端、片手で収まる後頭部を掴み引き寄せ、貪るように深く僅かな隙間を滑るように舌を潜らせる。だらしなく口の端から零れる唾液はシルヴァンの親指に絡みつき、舌を強く吸われる度に浮いた踵はふわふわと上下する。心地が良いと、蕩けた表情でなまえは不安定な重心をシルヴァンに凭れかける。恥ずかしいのか、背中に手を回す勇気が出ず胸の前でまとめた小さな両手ごとシルヴァンの長い腕が包み込み、節くれだった無骨な手は丹念に柔らかい腰を撫であげた。ゾクゾクっと煽るように揺れる腰。モノ欲しげに見上げる潤んだ瞳にシルヴァンは喉を上下させトンっと手馴れたようになまえをベッドへ押し倒した…筈なのだが。体が後ろへと吸い込まれていく最中、前方へと伸ばされた腕がシルヴァンの首元を掴んだ次の瞬間、その細腕からは想像のつかない腕力で重心が前へと傾いた。ギシッと弾力のある弾機を軋ませベッドに体を沈めたのはシルヴァンで、抵抗する隙も与えず腹部に跨ったなまえは薄皮が剥げるほど手荒く制服で口を拭い嫌悪感を丸出しにシルヴァンを見下ろしている。上下に揺れる喉元へ短剣を押し当てる彼女は蕩けて表情を剥ぎ鋭い眼光で睨みつける。
静かに絶対零度の怒りを放つなまえを相手にシルヴァンは意外にも冷静に状況を伺っていた。爛れた関係に刃物を突きつけられた経験は数えきれないほどのシルヴァンにとってこの程度の修羅場に膝をつき命乞いなど馬鹿馬鹿しい。お気に入りの体温が離れていくことは残念に思うが、この女もまた愛に狂った女の一人だったというわけか。どいつもこいつも皆同じか、狂気を孕んだ女の顔を下から眺めているうちに冷水をかけられたように火照るような熱も冷めていった。
「遊びでもいいって関係を迫ったのはお前の方だろ?狂っちまうほど俺を愛してくれているのは嬉しいが本気になったらお終いだ。ほら、そんな危なっかしいもの早く仕舞えよ。この状況じゃあ庇い立て出来ねぇよ」
「黙れ痴れ者」
飄々とした態度で女の激情を小馬鹿にしながらも今ならまだ引き返せるぞと宥める。しかしなまえは丹念に研ぎ澄ました刃物のような言葉でシルヴァンの情けを荒々しく切り捨てた。
怒気を孕んだ声。女性らしい丸く穏やかな口調を捨てた荒々しく棘のある口調こそが本来のなまえなのか。訂正しよう、彼女は百合ではなく
菫だ。あの日以来の再会となるギラついた瞳を剥き出しになまえは握る短剣に力を入れた。真っ白な首元に浮かんだ一滴の液体、それがゆっくりと赤い筋を伸ばしながらシーツに滲む様を見つめる瞳は凍りつくほどに冷えきっている。
「この期をどれほど待ちわびたことか、お前には計り知れまい」
呑気に女を漁るお前に付け入ることがこれほど簡単だったとは拍子抜けした。厚い仮面を外した名女優は予想以上の変貌ぶりに唖然と見つめる男を鼻で笑った。身動きを塞がれた哀れな男へなまえはこれまで腹の底に貯め続けた鬱憤を吐き散らす。 手を握られたことも口付けられたことも肩に手を回し名を呼ばれたことも体中を掻きむしりたくなるほどの蕁麻疹と鳥肌に皮膚を剥ぎ取ってしまいたいほど不愉快であったと躊躇いもなく。眩しい笑顔に隠したなまえの本音にシルヴァンは怒りも悲しみも芽生えることはなく、あぁ、成程とこれまでなまえが見せてきた表情の一つ一つに納得がついた。あの頬の赤みは羞恥心や幸福感ではなく嫌悪と怒りを混ぜた色だったのか。だから彼女は与えるばかりで求めることはなかったのか。嫌った男から求めるものなど命以外何も無い。どおりで他の女の話を持ち出しても反応を示さないわけだ。 とはいえこの状況はまずい。明確な殺意を抱いた女に押し倒された挙句丹念に研がれた鋭い短剣が首に当たっている。
シルヴァンは参った降参だと両手を顔の横にあげた。何故なまえが自分に殺意を抱いているのか検討もつかないが、怒らせたお詫びとして紋章持ちの有力貴族を紹介してやる。だから下手な真似はするなとシルヴァンは頭に血が上っているなまえへと巫山戯た交渉をもちかけた。よくもまぁこの緊迫した状況で嘘をついたものだ。紹介出来そうな紋章持ちの有力貴族など心当たりもないというのに。しかし紋章や有力貴族の単語に反応しない女はいないことを知っているシルヴァンだからこそ、態とらしくその二単語を強調するように声を張りこの殺伐とした場から命を運び出す算段を講じた。
シルヴァンの命乞いになまえは目を大きく見開いた。好感触か?上半身を持ち上げ膝立ちになったなまえにシルヴァンは体を起こそうとするが、
「巫山戯るなよ」
赤く染まったシーツを押し潰すように拳を叩き付けたなまえに額から冷や汗が流れた。我らの血を吸った醜い紋章を誰が欲しがるか、そう吐き捨てた感情が失せた顔にシルヴァンは漸くなまえが自分に殺意を向ける理由を悟った。日に焼けた皮膚からは全く検討もつかなかったが、彼女の瞳はいつだってどの顔のパーツと合わせても浮いたように薄い色をしていた。
「我が同胞を刺し殺した忌々しい“ 破裂の槍”そしてそれを振るうに必要な“ ゴーティエの紋章”。永く我らを苦しめた負の遺産の一つを、この手で潰えさせる。その為に私は大修道院に潜り込んだ。全てはお前を殺すためだけに」
汗ばんだ掌がシルヴァンの首を絞める。短剣を握った手は狙いを定めるように天高く掲げられいつ振り下ろされてもおかしくはない。爛々と目を光らせ待ちに待った瞬間にゴクリと唾を飲み込むなまえにシルヴァンは抵抗もせず一人興奮し盛り上がる女をただただ見上げている。そんな大人しく様子を見守る態度にさえなまえは苛つき舌を打った。
「お前の兄は紋章を持たず廃嫡され、残るゴーティエの紋章はお前と現当主。お前さえ殺せば残った老耄も何れ我が仲間が始末し、破裂の槍を扱えるものはこの世から消え我らスレンの民が不遇に虐殺されることは今後一切無くなる。同胞の魂も浮かばれることだろうよ」
語気を強め喉元が一段と高く上がった瞬間、躊躇いもなく短剣を握り直し振り下ろす。漸く胸を張って故郷に帰れる。この男から開放されると思うだけで喜びで口が緩む。これまで幾度となくこの男に辱められてきた数々の愚行も、この一撃で精算してやろう。赤黒く固まった小さな印目掛け嬉々とした表情でなまえは短剣を振り下ろした。しかし押し倒されてからは抵抗もせず大人しくなまえに跨がれたままのシルヴァンが急に目の色を変え短剣を握る手を捻るように掴んだことで懐かしい故郷の景色は掻き消された。
突然の抵抗になまえは驚きはしたが依然として短剣を握りしめシルヴァンの首を狙っている。互いに1歩も譲らない攻防戦。しかし結果は既に出ていた。短剣を持つ手が震え徐々に後退することへ苛立つなまえをシルヴァンは容赦なく細い手を捻った。小さな呻き声と共に落下していく短剣。なまえの視線が短剣へと向かっている隙にシルヴァンは無防備の首に腕を押し付けベッドへと押しつぶす。空っぽの掌になまえは焦りながらももう一本隠し持っていた短剣を取り出すが、目にも止まらぬ早さで腕を振り払われ、あっ!と声を上げた時には部屋の壁に短剣が1本転がっていた。容赦なく体重をかけのしかかるシルヴァンになまえはもう1本ベッドに転がった短剣を手探りで探す。しかし顔を上げシルヴァンと目が合った途端、どこかで見た黒い渦を巻いた瞳に背筋が凍りついた。顔を引き攣らせるなまえの首をシルヴァンは押しつぶすように腕を押し当て柔らかい首元に短剣を突きつける。嘘みたいな形勢逆転になまえは強く唇を噛み締め目を瞑る。
「騒がない方が身のためだぜ。下手に動けば命を落とすぞ」
一切の優しさを取り払った警告になまえは不敵な笑みを浮かべる。その顔にはかつてシルヴァンを包み込んだ慎ましく穏やかな女の面影はどこにもなく、喉を潰され苦悶に満ちた女が嘲笑うように顔を歪めていた。
「故郷を離れた時からとっくに覚悟は出来ている。刺すなり突き出すなり好きにすればいい。だが覚えておけ。私が死ねば新たな刺客がお前を殺しにくることをな!」
お前がゴーティエの紋章をぶら下げて生き続ける限り我らの苦悩は終わらないと棘だらけの憎しみを露わにするなまえにシルヴァンは獣のように憤りをぶつけてくるこの少女の始末を考えあぐねていた。普通ならば異常者として教団に突きつけているところだが、予想の遥か斜めをいくなまえの可哀想な言動に僅かながら同情心を抱いてしまったのだ。この女もまた紋章に苦しめられている一人。更に踏み込んで言うと何れ命を奪うかもしれない相手だった。
洗脳されているのかそれとも自分の意思なのか、いつ喉を引き裂かれてもおかしくない状況下で啖呵を切り威勢よく噛み付いてくる姿勢は嫌いではない。寧ろ尊敬に近い感情が生まれていた。紋章に縛られ大人の陰謀に嵌められながらも積もりに積もった汚い感情を吐き捨て逃げ場のない現実に命を削りながら必死に抗う様が、感情をぶつける術を忘れたシルヴァンには一際眩しく、小枝のような脆い首に手をかけて絞め殺してやりたいという強い衝動を駆り立てる。互いに周りに虐げられて生きてきたはずだというのに何故彼女の瞳は水のように澄んでいるのだろう。嗚呼、眩しい。鏡のような瞳に映る濁った瞳は底深く嫉妬と羨望が渦巻いている。
どうすればこの澄んだ瞳は濁るのだろう。シルヴァンは抉るよう視線をなまえへ向けた。そして天高く輝く二つの星に狙いを定めると救いようのない底なし沼に引きずり込むようにシルヴァンは手を伸ばす。
あの眩しい光が自分と同じ底まで堕ちた時変わらず輝き続けるのか試さずにはいられなかった。
突きつけた短剣を唐突に床に投げ捨てたシルヴァンになまえは不覚にも動揺を露わにする。なまえはてっきりあのナイフで八つ裂きにされるのかと思っていたが、殺すどころか全く手を出さないシルヴァンに不安と不快が同じ高さに募っていく。
「なんの真似だ」
「アンタを殺せば代わりの奴が命を狙いに来るんだろ?なら生かしておけばいい話だ」
「浅はかだなシルヴァン=ジョゼ=ゴーティエ。例え私を生かしても私が仲間を呼べば良い話だ」
「確かに、お前の言う通りだ。だが、きっとお前は仲間を呼ばない。いや、正確には呼べない、か」
肩を掴みベッドへ押し倒したままもう片方の空いた手をなまえの腹に当てる。ゾクリと身体を震わせたなまえの顔は青く額には汗が浮かんでいた。初めて見せた素の怯えた表情にシルヴァンは胸を震わせる。このあとの行為を想像するだけで粟立つほど興奮しつい手に力が入ってしまう。壊れた笑みを向けるシルヴァンになまえは唇を震わせシーツの波を手繰り寄せた。そして身をよじり、必死に床に転がった短剣へと手を伸ばすが、あと一歩で手が届かずベッドの中心へと引き戻された。大きな片手が両手を頭上で纏め上げ、もう片方の空いた手で制服の上着を開きブラウスをめくり上げる。現れた柔らかそうな肉体にシルヴァンは音も立てずに息を呑むと真っ黒な感情を塗りつぶすように腹を撫であげる。
「忌み嫌うゴーティエの紋章を腹に宿した時、お前の表情がどこまで歪むのか楽しみだよ」
腹に描くゴーティエの紋章になまえはカッと体を紅潮させ拘束から逃れようと暴れたが力の差がなまえを絶望へと引きずり下ろす。嫌だ嫌だと涙を流し情を煽るように首を振るなまえをシルヴァンは悪魔のような笑みを浮かべて静かに見下ろしていた。拒絶の色を示すなまえへお構いなく、シルヴァンは捲れ上がったブラウスから覗く下着に指を差し込む。信じられないと見開かれた瞳は絶えず揺れて、なまえは震えながらシルヴァンを見つめている。怒りだの嫌悪だの負の言葉を並べ頬の赤みを隠していたが、結局のところ生娘であることを隠す建前だったとは笑ってしまう話だ。
恐怖の色に染まったなまえにシルヴァンは恍惚の眼差しで見下ろす。そして自身の影ですっぽりと怯えた体を覆い
「一緒に堕ちようぜなまえ」
固く結んだ唇へ強引に舌をねじ込むと薄らと空いた隙間へ苦い苦い猛毒を流し込んだ。
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