大修道院内で落し物を発見することはそう珍しいことじゃない。士官学校に入学し凄腕の傭兵が教鞭を振るうまでの短い期間はそこら中に高価な物が落ちていたし、不用心に名前も書いていないものだから拾った商人や孤児はしれっと高値で売払い、家宝が商品として売られていたと貴族出の生徒が腹を立てることも多かった。正直地団駄を踏む前に家宝を懐に持ち歩いた挙句に落とした自分に非があると思うのだが。貴族が腹を立てる度に皺寄せを喰らうセテスさんはどうしてこうも落し物が多いのだと嘆いていたが、新しい先生が着任してからは落し物関連で頭を抱えることはなくなったようだ。とはいえ先生一人に対しうっかり屋さん数百人の落し物を拾い届けるには時間も労力も足りない事は当たり前で、散歩中に躓く頻度は格段に減ったものの目を凝らせば茶葉に香水に剣帯と持ち主不明のものが多く転がっている。いつもの私なら先生が拾って持ち主に届けるだろうと踏みつけないように歩幅を広げ素通りしていた。持ち主が平民ならまだしも驕り高ぶった貴族が相手なら平気で善意を踏み躙るからなるべく関わりを持ちたくないのだ。ただ、今日だけは違った。突風の如く敷地内を走る先生を数刻前に見たからだろうか、それとも小石と思って靴先で蹴り飛ばしてしまったからだろうか。カツンカツンっと金属特有の澄んだ音に私は膝を曲げ指を伸ばし“それ”を拾い上げた。拾い上げて直ぐに後悔した。飾り気が少なく目を凝らさずとも分かる小さな傷だらけの銀の指輪だったから、てっきり戦闘用の物かと思って拾ったらまさかまさかのただの高価な装飾品とは。これが温室での出来事なら適当に植物の影に隠したものの、中庭で拾ったのはまずかった。人目につきやすいし、今更拾い上げたものを懐にしまうと誤解されるだろうしだからといってまた地面に落とすのも持ち主の耳に入ればどんな目に遭わされるか。貴族の仕返しとは恐ろしいものである。ちょっと肩がぶつかっただけで不敬だ穢れたと騒ぎ立て最後はぶつかった村人どころか村一つ焼いたとかなんとか。ああ、恐ろしい。関わり合いたくない。
とりあえずこの指輪は先生に渡した方が良さそうだ。忙しい先生へ負担をかけることになるのは心苦しいが身と村の安全を第一に考えないと、休暇中に村が燃やされて帰る場所がありませんでした、なんて洒落にならない。
「名前くらい書けばいいのに」
流石に指輪に名を書いておけとまでは言わないが、本や羊皮紙、武具くらいは名を書いておいて欲しいものだ。こうして善意と好奇心で拾った人間が自分の身を案じ不安に苛まれないためにも。さて、先生は何処に向かっただろうか。いつまでも命よりも重い指輪を握っていたくないのだけど。骨董品にしては真新しく、小指の爪程の翠玉はそんじょそこらの貴族の持ち物では無さそうだ。私の予想としては十傑関係者の持ち物か、もしくは教団の上層部あたりとみた。恐らく婚約を持ちかけようとしていたのだろう。指輪の小ささからして渡す相手は恐らく女性、継ぎ目のないその指輪の内側には傷に隠れて小さな文字が精巧になまえと...
「なまえ?...私と同じ名前?...まさか、ね」
なまえなんて平凡な名前特別珍しくもないし、偶然拾った指輪になまえと刻まれていただけで驚くことは無い。ほらこの通り、拾った指輪は私の薬指へ吸い付くように嵌って人違いであることを教えて...
「やぁなまえ」
ゾクリと背筋が凍りつく感覚に私は分かりやすく肩を震わせ背後から聞こえた声に向かって体を回転させる。 いつから見られていたのだろう。邪な気持ちなんて少しもないのに背後に隠してしまった左手は罪深く汗ばんでいる。
声を掛けた人物とは特別接点はない。話しかけられた理由としては私の性別が生物学上女で、手頃な遊び相手を探して声を掛けたに違いない。貴族の中の貴族、顔よし、声よし、将来性よし、ただし人間性は下の下。それが周りから聞いたこの男、シルヴァン=ジョゼ=ゴーティエの評価だ。
何度修道院内ですれ違っても声をかけてこなかった女好きの貴族様がなぜ今更話しかけてきたのか、指輪を見つけていなければ分からなかっただろう。まずいな...村が燃やされる。
「こ、こんにちはゴーティエ様。私に何か用事でも?その、私ちょっと先生に急ぎの用事を伝えなければならなくて」
「おっと、そいつは引き留めて悪かった。けど奇遇だな、俺も急ぎの用があるんだ。他でもないアンタにな」
色男から送られる茶目っ気たっぷりなウインクに世の乙女は黄色い悲鳴をあげるのだろうが、村の存亡を薬指に嵌めた私にはウインク一つ死刑宣告のように見えて笑顔の引き攣りを隠せない。今すぐ逃げ出してしまいたい。しかし目の前の男は腰を曲げると遠慮なく距離を詰めた。硬い凹凸の掌が肩を掴む。覗き込んだ榛色の瞳は奥底で何かを渇望するように黒く渦をまいている。まるで深淵を覗いているような気分だ。
「ここらで大切な落し物をしたらしく探してるんだよ。見なかったか?翠玉が嵌った銀の指輪、ちょうどアンタの薬指に嵌っている物にそっくりなんだ」
肩を滑り腕を撫で握った手の薬指に嵌るそれを長い指が弄る。わざとらしい口調で、表情で、じわりじわりと罪の意識を掻き立てる男は噂で聞いていた人物よりも最低で、けれど自分も村も守りたい私がとるべき行動はひたすら下手に出て許しを乞うのみ。
「...こ、これはつい出来心と言いますか。盗むなんて気は全く!これっぽっちもなくて!!あまりに綺麗な指輪だったからちょっと嵌めたあと先生に落し物として届け出ようと思っていた次第で...お願いしますから村だけは焼かないでください」
どうかお許しくださいと指輪を差し出し頭を下げる私をシルヴァンは静かに見下ろし、指輪をその手に収めると何を思ったのか抜いたばかりの指へと翠玉を嵌めた。顔を上げた私の視界にはよく似合っていると垂れ目がちな目尻を下げ控えめに輝く銀を指の腹で撫でるシルヴァンがいた。肩を掴んだ時にみせた表情とはまるで違う柔和な表情を浮かべる彼は世にいう二重人格というやつなのか。嘘みたいに黒を巻いていた渦は穏やかに小波を打っている。
「10本ある指のうち寄りにもよって薬指に嵌めるなんてな。期待していいってことか?」
「な、何のことでしょうか?」
問われた意味を考えながらそれに並行して何故10本の指のうち1番軽々しく嵌めてはいけない指を選んでしまったのか自問する。無意識の愚行だった。でもあの指輪を拾い上げた時まるで神の啓示を受けたかのように私の頭の中では薬指に嵌める選択しか思い浮かばなかったのだ。
「ゴーティエ様」
「シルヴァンって呼んでくれよ」
するりと腰に回された手が慣れた力加減で距離を詰める。まるで舞踏会に迷い込んだかのような姿勢は今にもステップを踏み出しそうで、転ばないか心配になる。浮いた踵に分かりやすく息を詰まらせているとシルヴァンは揶揄うように頬を撫でフーっと髪に隠れた耳へ吹きかけ、粟立つ肌を嬉しそうに眺めている。
「未練がましく携帯してはいたが、これでも諦める努力はしたんだぜ?誠実な男と結ばれて、平凡な家庭を築いて、十分に長生きした後優しい奴らに看取られるなまえはどんなに穏やかな顔をするのか遠くで静かに見守ってやろうってさ。だが、無意識とはいえ“この指”に嵌めたアンタを見て指を銜えて見ていられるほど俺も器の広い男じゃないんでね」
心臓に悪い甘い匂いが鼻を刺激して蜂蜜のような甘い言葉に拐かされそうだ。けれど額がぶつかる寸前でドンッと胸を叩き距離を取った私は急いで指輪を引き抜くと不敬だの穢れただの考える余裕もなく持ち主へと押し付けるように返した。悪い夢を見ているみたい。だって可笑しいことだらけだもの。初めて会話した最低貴族様が私の名が刻まれた指輪を持って告白まがいな言葉を。相手は紋章持ちの貴族様で修道院一の遊び屋だ。それと比べて私は...冴えない村娘Aがいいところ。紋章もない、お金もない、確定した明るい将来もない。そんな私にゴーティエ家のお坊ちゃまが指輪を?有り得ない。揶揄われているに決まってる。
「心配すんなって。俺の全てをかけて今度こそ幸せにしてやるからさ」
背を向けた私に腕が伸ばされる。縄のように腹部へと腕を回しグッと引き寄せたシルヴァンは満足気な笑みを浮かべ、その表情がどこか壊れそうな機械人形のように見えた私は両足をばたつかせ地面に降り立つと
「結構です」
村が燃える想像に心を痛めながらも真っ白な革靴の先を狙って踵を落とした。
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