やっぱりもう少しだけ様子を見ましょうか。
萎びた包帯が解かれ、マヌエラから受け取った手鏡を握りしめながらなまえはゆっくりと瞼を開いた。自身の身に起こった変化についてなまえは予めマヌエラから聞かされていた。だからだろうか、まるで眼球をはめ替えたような奇抜な変化を目の当たりにしてもなまえに動揺する素振りはなく、暫く自分の顔を見つめると納得したように手鏡を下ろした。視界に異常はないかとマヌエラに問われなまえは首を横に振りむしろ視力が上がったと冗談と事実を混ぜた笑いで用意されていた新しい包帯を断った。こうしている間にも資格試験が刻々と迫っている。いつまでも悠長に寝台で眠っている訳にはいかないのだ。久しぶりの明るい世界になまえは眩しそうに瞬きを繰り返し、目頭を揉みながら寝台から足を下ろす。本当にもう動いて平気なのかと心配顔のマヌエラになまえは1週間ぶりの明るさに目が眩んだだけだと説明すると両腕を上げ凝り固まった体を伸ばした。そしてふと視界の端で揺れる不揃いな髪の先を摘んだなまえはマヌエラの器用さを信じ一つ頼み事をした。

髪型よし、服装よし、荷物よし。この姿なら通行人からギョッとされることは無いだろう。

「まだ病み上がりなんだから寄り道はしないこと。返事は?」
「はい。分かってます」

マヌエラ先生って意外に心配症なんですねと揶揄うなまえにマヌエラは当たり前でしょう?とため息をつく。マヌエラがため息をつくのも無理はない。当初は早くても3週間は完治に時間がかかると見積もっていた傷がたった1週間で傷跡も残さず回復したのだ。驚異的な生命力、あれほど傷が塞がらないと頭を掻きむしり昼夜医務室に入り浸り医学書を漁っていた日々は一体なんだったのだろうか。げっそりとマヌエラがやつれる一方でハンネマンだけは『紋章の力が関係しているに違いない!』と興奮し自主的に自室へ引きこもりがちになっていることは言うまでもない。
資格試験の勉強がしたいから外出許可が欲しいと頼んだなまえにマヌエラはやはり病み上がりということも考慮し、少しだけならばと書庫と医務室の往復を許可した。
この服に袖を通すのは何節ぶりだろうか。破れた制服の代わりとして久しぶりに傭兵服へと袖を通したなまえは教科書5冊に羊皮紙数枚、筆と印矩を一つずつ腕に抱えた。

「夕食はいつも通りベレト先生が医務室に運んでくるから食堂には行かないこと。それと遅くとも6:30には医務室に戻ること。いいわね?」
「分かってます!」
「本当にわかっているのかしら...」

また無茶をするんじゃないだろうか、そんなマヌエラの心配をよそになまえはちょっと行ってきます!とマヌエラに手を振ると医務室の扉を閉めた。
さて、書庫に行って勉強...の前にひとつ寄る場所が。女性らしさを残した短髪の少女は書庫に繋がる右の道ではなく、一人の顔を思い浮かべながらすぐ向かいの部屋まで歩くと前髪を調え閉じた扉を軽快に叩いた。扉を叩いた直後、室内から聞こえてきた聞き馴染んだ声になまえは鼻を膨らませ勢いよく扉を開けた。そして

「ジェラルトさんお帰りなさ!…す、すみません!!まさかお話中だったとは」

怪我ひとつなく無事に仕事から帰ってきたジェラルトに安堵し、それと同時に彼の前に佇む大司教の存在になまえは顔を青くした。
どおりで普段は開け放たれた扉が閉まっていた訳だ。急用じゃないのに大司教様との討議を遮ってしまった。なまえは自身の軽率な行動を恥じ、出直しますと顔を真っ赤にして扉を閉めようとした。しかし大司教は「出直す必要はありませんよ」と扉の取っ手に手をかけたなまえを引き留め、少し話をしませんかと息が詰まるような厳かな空間に膝皿が震えた少女を招いた。

緊張する。ジェラルトの真横に立ち大司教と初めて対面したなまえは強ばった面持ちでピンッと背をのばし指先を震わせる。大司教、つまり彼女はセイロス教の長で、この建物の中で一番偉い人と言うわけだ。軽くジェラルトさんに顔を見せに来たはずが偶然にも大司教様と鉢合わせし、その上少し私と話がしたいと仰るなんて…私の人生ってなんで不必要な場面で積み上げた徳が消費されていくんだろう。何かの嫌がらせか?

「なまえ、と言いましたね?」
「は、はい!ジェラルトさんの娘のなまえ=アイスナーです!」
「そうですか。良い名前ですね。…なまえ、とお呼びしても?」
「は、はい!」

丁寧な言葉遣い。洗練された立ち振る舞い。加えて生徒の名前はみんな覚えていますよと自ら名乗るよりも先に大司教から名を呼ばれ、なまえは分かりやすく取り乱していた。変に畏まる必要は無いと緊張した面持ちのなまえに大司教は肩の力を抜くよう勧めるが、その神秘的な容姿と汚れを嫌う白い衣服に厳かな装飾品を纏う格好になまえは益々肩に力を入れ、緊張のあまりぐるぐると目を回した。
畏まらずに接するなんて大司教様相手に誰ができるというのか。部屋に招かれてからずっと指先を震わせている私をジェラルトさんは緊張し過ぎだと笑っている。なるほどこれが手本か。恐れ多くて私にはとても真似できそうにないな。

「前節の課題出撃についてセテスから話は聞いています。さぞかし辛い経験をした事でしょう。その後、体調の程はどうですか?何か体に違和感はありませんか?」

医務室から外出するのは今日が初めてでしょう?と大司教に言い当てられなまえはピクっと肩を震わせ瞬いた。というのも大司教様はセイロス教の長であると同時にフォドラ大陸の安寧を守る責務を担っている人だ。毎日偉い人と話し、信者に教えを説き、多忙な毎日を送っているだろうし、生徒一人一人の名前は知っていたとしても個人的な情報までは把握していないと思っていた。
恐らくファーガスの次期国王を巻き込んだ事件に加えマヌエラ先生経由で恐らく事情を知ったのだろう。とはいえ雲の上のような存在から今朝漸く外出許可が降りたことを把握されていたことには少しだけ驚いた。マヌエラ先生が話したのだろうか?見るからに忙しそうな人が一生徒の外出事情を把握しているなんて、その清らかすぎる美しい笑顔に米粒程度の恐ろしさを覚える。
体に違和感はない。前と何も変わりませんと答えると大司教様は何故か少し浮かない顔をして『あまり無茶はしないように』と言い残し謁見の間へと帰って行った。
私の事、心配してくれていたって事でいいんだろうか。体に違和感はないと答えた時の、そんなはずはないと否定の色を匂わせる表情が私の中で引っかかる。まるで私に何かを期待していたかのような…いや、そんなわけないか。大司教様が私に期待なんてありえない話だ。

「悪いな。仕事の報告ついでにベレトの様子を聞いていたんだ。ところでなまえ、お前…」

そう言ってジェラルトさんは変色した瞳を覗き込んだ。どうしたのだろう。まるで信じられないものでも見たかのようにジェラルトさんは急に言葉を詰まらせた。けれどハッと肩を揺らし頭を振るといつも通りの裏表のない笑顔でマヌエラ先生に整えてもらったばかりの髪を凹凸の手のひらで遠慮なく掻き乱した。

「元気そうだな!ベレトからは元気にしていると何度か文を貰ってはいたがアイツは必要最低限の情報しか書かないからな。もう動いても平気なのか?」
「はい。見ての通り傷はほとんど治りました。念の為に包帯は巻いてますが腕も足もこのとおりです」
「そうかそうか。元気なのはよくわかった。だが、あまり無茶なことはするなよ。いいな?」
「はい。分かってますって!」

だからこれから大人しく書庫で勉強するつもりですと抱えた荷物を見せるなまえにジェラルトは病み上がりだから程々にしておけよと笑い、行ってきます!と書庫に向かう背中を手を振って見送った。

「よし、やるか」

抱えた勉強道具を机の上に置き、意気揚々と教科書を開き筆を握るなまえはいつになく勉学へのやる気に満ち溢れていた。
体に異常がなければ早くても来週から復学しても良いとマヌエラ先生から許可がおりている。やっと元の生活に戻れると思うと嬉しくて寝台の上でじっとしていられない。約1週間の医務室生活の間、勉学に関しては口頭のみの教授だけで、毎日放課後は友人と談笑し、寝て食べてを繰り返し体力回復に努めてきた。その結果私はこのとおりほぼ全回復を果たしたわけだが、その代償として各授業1週間分の進捗情報をまとめた羊皮紙数枚と資格試験について何の対策もせず1週間を過ごしてしまった焦りに胃を痛めていた。
何から手をつけていいか分からない。そういえば夏休みの宿題を全く手をつけず、夏休み終了まで残り一週間前を迎えた友達がこんな言葉を言ってた気がする。あの頃の私は『え、サッちゃん何言ってるの?』と焦る友達の漢字帳を代筆しながら疑問符を飛ばしていたが、今思うとあの子はこんな気持ちで宿題リストを眺めていたんだろう。何から手をつけても来週の授業に追いつける自信が無いし、優先順位の付け方が分からない。
とりあえず手を動かさなければ始まらないと、比較的得意な数字を中心に教科書を開き課題を片付けていく。数字は得意と言ったけれど完璧に理解できる訳では無い。わからないことがある度に板書手帖に目を通し、皆字が綺麗だなぁと自分の字の汚さに度々凹みながら『算術』と『幾何』を何とか片付けた。よし、この調子で次に行くぞと手を取ったのは『紋章学』。前はちっとも理解できなかった分野だが、休養中の間ハンネマン先生の手伝いをする傍ら嫌という程ほど紋章の説明を受けたおかげで意外にも内容がスルスルと頭に入り、これで3科目の学習が終了した。さてと、ここまでは順調に進むことは想定内。問題は残りの学問だ。
何が分からないのか分からない。そもそも将来貴族に成り上がる予定のない人間が『修辞学』や『弁証法』等の学問を学んで何か利はあるのか。そんなことより実技訓練等、生存率の低い社会で図太く生き残る知識を学んだ方がいいのではないか。例えば…食べられる植物とそうでない植物の見分け方とか、野営の設置方法とか。
理解したいという気持ちはあるのに教科書が難易度を下げてくれない。板書手帖を読んでも全く理解が追いつかず、なまえはお手上げだと教科書を閉じ背を伸ばした。後でマヌエラ先生かベレト先生に教えてもらおう。
久しぶりに勉強して疲れたなぁと眠気に誘発され大きく開いた口を手で押える。久しぶりに書庫に来たことだ。眠気覚ましも兼ねて元の世界に戻れそうな本でも探そうかと軽く椅子を退いた時、なまえはふと3席離れた場所で高く積み上げられた本の塔に目が留まった。ざっと見ても6冊、いや8冊かもしれない。たまに書庫で見かける己の秀才を視覚で訴えてくる可哀想な貴族かと思ったが、塔を建設した人物が『真面目』且つ『聡明』を体現した少女であり、話しかけることを憚る集中力で黙々と頁を捲るその姿になまえは感嘆した。黒と金の制服を着ているということは彼女もまた私と同じ士官学校の生徒ということか。雰囲気からして黒鷲っぽいが、勤勉な姿は青獅子に相応しい。だが白髪の生徒は青獅子にいなかったし、ひょっとして金鹿?だとしたらその生真面目そうな性格をクロードに弄られていそうだなぁと凛とした横顔を見つめていると不意に気の強そうな視線とぶつかりギロリと睨まれた。

「人のことを不躾にじろじろと。なんですか。私になにか御用ですか?」
「えっ!?あ、その…」

兎みたいな容姿からは想像もつかない気性の荒さ。これは兎と言うよりも縄張りを守る狼だ。えも言われぬ恐ろしい視線になまえは視線を泳がせた。それからなんて言葉を返そうか迷い、ふと女の子の手元に目が留まるとなまえはこれだ!と心の中で手を打った。

「御用、と言う程ではありませんが沢山難しそうな本を読んでいて凄いなーと思いまして」

褒めたつもりだった。努力して凄いねと裏表の無い言葉で褒めたつもりだった。しかし女の子は褒め言葉としては受け取らず、チッと舌を打つような睨みで可視化できない分厚い壁を建設した。地雷を踏んだ。吊り上がっていく丸い瞳に口元がひきつる。

「どういう意味ですか、それ。難しそうな本を沢山読んでいたら凄いって。もしかして私の事馬鹿にしてます?それとも初対面のくせに子供扱い?」
「え!?いや、違っ…」
「不快です。用がないなら私の勉強の邪魔をしないで」

出会って1分、たった2、3文言葉を交わしただけで嫌われてしまったらしい。シッシっと手で払うその表情からは嫌悪がわかりやすく滲み出ている。自分の感情は隠さない質なのか、なまえは苦笑いを浮かべ『邪魔をしてごめんなさい』と視線を外すと言われた通り彼女の邪魔にならないよう席を立ち本棚へと足を運んだ。おっかない子だったなぁ。まるでフェリクスみたい。
本を立ち読みする振りをしてなまえはこっそりと棚の死角から女の子を観察した。そしてふとある事実に気づき震撼した。誰それ構わず噛み付いていきそうなあの態度、何となく察しはついていたがフェリクスに似ているなぁと思った時に雷のような天啓が降りた。あの子、もしかして一人ぼっちで寂しいが故につい周囲に当ってしまうのではないだろうか?思えば平日の放課後に好き好んで書庫で勉強なんてよっぽど予定のない暇人か試験に追われた馬鹿しか取らない二択の行動(個人的感想です)。
初対面の人間に対してあの態度、加えて私を除き誰一人としてあの子と同じ長机を使用していない事実があの子の交友関係を示す疑いようのない証拠だ。外見違いのフェリクス。だがフェリクスには殿下やシルヴァン、イングリット等々目に掛けてくれる人は以外にも沢山いる。でもあの子はどうだろうか?…甲斐甲斐しく世話を焼きそうな人が見当たらない。
決して姉貴面したい訳じゃない。私はただ、ほんのちょっと視線を寄せただけで歯を剥き出しに吠えてきた女の子が実は友達が欲しくて勇気を振り絞って吠えてきたのではないかと思うとその健気な思いへ純粋に答えてあげたいと思っただけなのだ。断じてシルヴァンのように下の子可愛がりたいとかそんな邪念は一切ない。
よし、友達作戦開始だ。なまえは自身の席に戻ると広げっぱなしの私物を纏め臆することなく少女の元へ歩み寄った。本の塔のすぐ側に私物を置き椅子を引く。突然の奇襲に少女は何の真似だと迷惑そうに腕を組み視線を尖らせるが、なまえは敵意を全て好意として受け取りさっき閉じた教科書を開き筆をとった。

「…あの、私言いましたよね。用がないなら邪魔しないでと」
「用ならあります。今できました」
「ちょっと!何勝手に隣に座って」
「私に勉強を教えてください。『修辞学』に『弁証法』あと『女神学』も。他でもない秀才な貴女に教えてもらいたいのです。これは立派な御用です。いいですよね?」

たとえ貴女が断っても教わる気満々だと、満面の笑みで少女に詰め寄ったなまえに少女は露骨に嫌な顔を浮かべ1つ席を隣にずらした。しかしそれをなまえが平然と席を1つ移動し追いかけてくるものだから、少女は荷物を纏めながら席をたとうとも考えた。けれど、見るからに歳上な少女が勉強を教えて欲しいと熱烈且つ純粋に教えを乞われて悪い気はしなかったのか、少女は仕方がないですねとため息を着くと纏めた荷物を広げ教科書を覗き込んだ。作戦成功。何笑ってるんですか?と尋ねてくる少女になまえは何でもないよと上機嫌に『修辞学』第3章の5分目に指を指した。


「アンタって教えがいのある馬鹿ですね」
「…ありがとう?」
「褒め言葉じゃないですから」

でも教えがいがない馬鹿と言われるよりかは遥かに気分がいいと開き直れば、リシテアは「変な人ですね」と肩を竦め薄く笑った。

「それにしても拍子抜けでした。まさかベレト先生の妹さんが貴女だったなんて…あ、そこ違います。ここも」
「私も驚いたよ。まさかリシテアが金鹿の学級所属だったなんて。雰囲気的に黒鷲かと思ってた」
「まぁ士官学校の学級選別ってほぼ出身地で分けられますからね…そんな事よりなまえ。アンタ理解力は十分あるのに誤字脱字が多すぎます。これじゃ話になりませんよ」
「うっ…面目ない」

指摘された単語に二重線を引き、そのちょっと上に正しい単語を書き直す。誤字脱字は教科書の文を筆写すれば自然に矯正されるとリシテアに助言されなまえは直ぐに羊皮紙の端に為になる教えを書き留める。リシテアは将来良い先生になれるよと軽口を叩きながらなまえは先程とは比べ物にならない速さで教科書を捲っていく。なんだ、この内容って別に頭を悩ます内容じゃなかったのか。リシテアの教えを元に教科書を読み解き、なまえは何度も質問を重ねながら疑問を潰していく。これは来週の授業までに理解が間に合うのではないだろうか。リシテアの教授を受けて以降なまえの手は止まることなく羊皮紙を走り、あっという間に『修辞学』は5日分の内容が頭に入った。
6日分の内容に入る前にここらでちょっと休憩だと、なまえは凝り固まった背を伸ばしながらふとリシテアが開いていた本に目が留まり口元を引き攣らせた。なんて年季が入った本なんだろう。小さい文字でびっしりと綴られた本は眺めているだけでも頭が痛くなりそうだ。
しかし所々に挟まれた美しい挿絵や見たことも無い魔法陣は魔道を志すものとして大いに興味がそそられる。なんの本だろう?黒魔法にしては複雑で歪な魔法陣だ。

「ねぇ、ずっと気になってたんだけどリシテアは何の本を読んでいるの?随分古そうな本だよね。占星術?」
「違います。これは闇魔法について書かれた教本で、こっちは白魔法の主に転移について書かれた本です。教科書では学べる範囲は限られてますから、こうやって自分が学びたいことは書庫に寄贈された本を使って勉強しているんです」

特に闇魔法について執筆された本は少ないようで、セテスさんが検閲するまでに頭に叩き込まないとすぐに禁書扱いで焼却されてしまうらしい。リシテア曰く黒魔法の上位互換が闇魔法らしい。黒魔法が闇魔法の上位互換魔法なら、授業など黒よりも闇を率先して学べばいいだろうに。だが女神信仰が根付いた大陸だからこその理由があるようで、闇魔法は異端魔法として体裁的に学ぶことも使用することも全面禁止しているらしい。もっとも、それは教団関係者のご法度であって私たち学生には関係ないんだとか。
難しそうな本を理解している上に実践で活かそうとするなんてリシテアは凄いなぁと月並みの言葉を並べつつ、聴き逃さなかった『転移』の単語になまえは知識の塔から1冊本を抜き取った。

「…ねぇ、この本借りてもいい?勿論リシテアが読み終わったあとで構わないよ」
「別にもう読み終わったので構いませんが、内容は教科書とは比べ物にならないほど難しいですよ?」

信仰心が薄い私に上級白魔法が到底理解できるとは思えないとリシテアは中級魔法から始めるよう勧めてきた。しかし偶然巡ってきた元の世界への手がかりを前にして怖気付いてなどいられない。

「…いいの。それでも私にとって読む価値がある本だと思うから」

内容が理解できなくても『転移』について知識が増えれば少しだけ元の世界に帰る希望が見えそうな気がする。突然舞い込んできた機会になまえは鼻を膨らませながら表紙を開いた。そして文頭から句読点まで以上に長く綴られた文章を前にそっと表紙を閉じると「教えてリシテア」と手に取ってそうそう早々と白旗を振った。