もしかして私はセキのことが好きなのかもしれない。

ガラナから借りた浪漫譚を綴った書物を開き自身の心臓に手を添えるなまえの頬は霜焼け色に染まっていた。なまえ13歳。朝夕ポケモンと共に大地を駆け回るシンジュ団の野生児に訪れたキュンと胸が震える感情は友情で作り上げた初心な少女にはうっかり崖から滑り落ちた時同様あまりにも刺激が強すぎた。
『なまえもポケモン以外に興味を持ったらどうかしら?』とガラナから半ば押し付けられるように受け取った絵に文字を添えた書物は遺跡に残るヘンテコな壁画を睨み続けるよりも遥かに興味深かった。それはもうポケモン達と草原を駆回る時間を削ることすら惜しいと思わないほどになまえの心を鷲掴み最後のページを迎えるまで離さない。書物の内容はありきたりでそこらの縁側で茶を啜る老人が語る若い頃の恋愛話とそう大差はない。しかし如実に描かれた表情は曖昧な感情を丁寧に描写し、一切穢らわしい展開もなく清らかに幸福な終わりを迎えた浪漫譚は少女に恥じらいと気づきを与えた。紙に綴られた物語の中で主人公の少女は語る。
『時の長さは関係ない。空間を共有し幸福だと感じたあの瞬間から私の恋は既に花咲かせていた。例え許されざる恋だろうとも彼を思い高鳴る心音にこれ以上嘘はつけない』
想い人と手を握った瞬間生まれてきた意味を知った。真横から書物を覗き込み上記の一文を盗み見たカイは『意味わかんない!』と足をばたつかせ無邪気に笑っていたけれど頁を捲る手を止めたなまえの耳は先まで赤くなっていた。これ、私のことなんじゃ。思えば最後にセキと手を繋いだ時、胸のむず痒さに耐えきれず私は手を振り払ってしまった。お互い驚いた顔をした。それもそうだ。たわいもない会話をしていた最中いつも握っていた手を急に振り払ってしまったからだ。嫌い嫌いと喚き散らすこと6年。どうしてあの日手を振り払ってしまったのか分からず心の中でどこかもやもやしていた。けれどこの書物を読んで確信した。私、無意識のうちに嫌いの裏に好きを隠していたなんて…嗚呼、これじゃあ面と向かって求愛していたようなものじゃないか!恥ずかしい。人生やり直したい。書物を壁に投げた直後なまえは羞恥に耐えられず家を飛び出し雪の中に顔を埋めた。雪の冷たさが骨に染み渡るぅ。姉の奇行にカイが悲鳴をあげ、それを聞きつけた大人達がなまえを引っ張りあげるまでなまえは頑なに雪から顔を上げようとはしなかった。それもそうだ。浪漫譚で登場する青年の名前をなまえは2章辺りから自然と『セキ』と読んでいたのだから。

「どうした?具合でも悪いのか??」

出会った頃は斜め下に向けていた視線も今じゃ当たり前のように斜め上を向いている。小競り合いは多いけれどなんだかんだ文句を言いながらも互いの小さな変化など気づかないほど時間を共にした。視線が揃った日など覚えているわけがない。相変わらずセキの生意気な言動は健在で、人が足を滑らせ木から落ちた姿を腹を抱えゲラゲラと笑うような奴だ。でも最近はひとしきり笑った後手を貸す程度の優しさは見せてくれるようになったし、川や沼に突き飛ばすような幼稚なこともしなくなった。ヨネさん曰く『セキもちっとは長らしい顔つきになってきたんじゃないかい?』とのことだが私的には前の悪餓鬼の方が良い。成長しちょっと大人びてきた顔が隣から遠慮なく顔を覗き込んで来ると勝手に心音が早まって落ち着かない。他の人はこうじゃないのに、セキの顔が近づくと『嫌いだ!』と叫び雪崩をおこしてしまいそうになる。顔の赤みを風邪と誤魔化すのもいつまで効果があるのやら。

「ち、近い!離れろ馬鹿!!半径3尺は私に近づくな!!」
「うわっぶ、なんだよ急に。ったく、変な奴だなお前はよぉ」

心の準備も整ってないのに心臓に負担をかけるようなことをするな馬鹿。離れろ離れろ!と掌で顔をおしかえすなまえにセキはなんだよと頭を掻きながらぶつくさと距離をとった。まだ近すぎる気もしなくもない、がひとまず心の平穏は保たれたな。

「あ、そういえばこの近くに花畑があるぜ。こん前“アザミ”と一緒に湿地の奥地に光る花を見つけてさ。なまえは行ったこと無かっただろ?丁度いいから連れて行ってやるよ」
「…はぁ」

直近の問題を解決しホッと心の中で息を吐くのもつかの間、無神経の塊であるセキが脈絡もなく始めたとある少女と見つけた花畑の話題になまえは適当に相槌を打ちながらも静かに額に青筋を張った。この男、煽りの天才か?湿地の奥地に花畑があったから行こう、その情報だけ伝えればいいものを長々と名も知らぬ少女の天然行動を混じえ面白おかしく話そうとするセキになまえの心は吹雪のように冷たく荒れていた。アザミって誰よ。丁度いいから連れて行くって丁度良くなかったら連れて行ってくれないのか。セキが言葉を発する度に死んでいく主人の表情を察し、レントラーはなまえの服の裾を引っ張った。今こそあの手を使え!カイよりも熱心になまえの真横で書物を覗き込んでいたレントラーが出した冴えた提案になまえはこくりと頷くと下手な導入でその場にしゃがみこみ痛くもない右足を摩る。

「いっ、痛たたあ〜!」
「今度はなんだよ」
「あ、足が。足が痛くてこれ以上歩けない〜」
「歩けないって、いつもみたいにレントラーに運んでもらえばいいだろ?」
「れ、レントラーも疲れて私を運べそうにないって。ね、レントラー!?」

あ〜!なんて賢い子なの。さすが私の相棒だわ。
目配せするよりも先に地面に横たわり疲れたとアピールするレントラーになまえはありがとうと片目を瞑りモンスターボールの中へレントラーを戻した。疑いの目を向けるリーフィアになまえはお願い協力してとまた片目を瞑り、一つ覚えのように足が痛いとだけ繰り返した。浪漫譚1章15頁目。この場面では足が痛いとしゃがみこむ少女を青年が男らしく横抱きにし集落まで運んであげるという赤面必死の素敵な場面。さぁ、セキよ。なんだかんだ文句垂れながらこれまで1度も本気で私を置いていったことはない。色恋の“い”の字も分からないお前でも察せるように分かりやすい場面は作ったぞ。あとはお前が上手くやるだけだ!

「ったく、手がかかる奴だなぁ」

半径3尺以内近づくなと喚いたのは誰だと、文句を垂れながらもセキは軽く足を曲げ両手を広げる。名も知らぬ少女に嫉妬し触れられることを望んだのは私だ。しかし、うん。いざ好きだと自覚した相手の温もりを感じると思うとちょっと頭の容量が足りないかもしれない。なんかちょっといい匂いするのも心臓に悪いというか、

「や、やっぱり自分で歩っ…!?うわっ?ちょっと!!?」

一旦手を繋ぐことに抵抗をなくしてから横抱きにしてもらえばよかったと後悔を覚え、なまえは慌ててやり直しを求め立ち上がろうとした。しかし、さすが情緒と乙女心を知らない男。なまえの肩へ伸びる手が急に角度をつけ背に回された瞬間、何故セキが真横ではなく正面でしゃがみ込んだのか合点がいった。想像した理想は浪漫譚と同じ横抱きで耳のすぐ側からは相手の鼓動が聞こえてくるというやつ。しかし現実は理想を尽く打ち砕く俵担ぎ。胸きゅんどころか腹の圧迫感で吐き気が込み上げてくる。コイツ、私を荷物かなにかと勘違いしているのでは?あまりにも恋とは程遠い担がれ方にはつい数秒前まで体を揺さぶる太鼓のような鼓動も吃驚する程静かに脈を打っている。意識しなければ聞こえない程の音量である。

「セキ…貴方。冗談でしょ…私こう見えて花も恥じらう女の子なんだけど!?」
「文句言うなっての。運んで貰えるだけありがたく思えよ」

んじゃ花見てドレディア様に逢いに行くぞ!と人を抱えているにも関わらず早足で坂を駆け上がるセキになまえは深く溜息をつき両手で顔を覆った。ふとリーフィアと目が合い、向けられた同情の眼差しになまえの恋心はさらに冷えこんでいった。たぶん何かの拍子にタチの悪い催眠術にでもかけられていたんだろう。じゃないとセキ相手に鼓動を早めるなんて有り得ないもの。額を押え上を向く。今回の苦い経験を糧になまえは新たな決意を胸に拳を握る。

「…決めた。将来絶対に紳士的で時間に囚われない素敵な殿方と結婚する」
「おお、おお。そん前に嫁に取ってもらうことを考えるんだな!」

お前みてぇな暴れポニータを貰ってくれる物好きな奴がいたらぜひ俺にも挨拶させてくれやと笑うセキの無配慮な言葉になまえはドンッと背中を叩いてやった。はんっ、今だけ笑ってろ。絶対にセキよりも大人で紳士的な人と結婚してやる。それでお前よりも幸せな家庭を築いてやるからな。
意図せず放たれた懇親の一撃に噎せるセキへなまえはべーっと挑発的に舌を出した。今に見ていろよ。それからなまえは足の痛みなど何事も無かったかのようにセキから降りると地面に膝を着くセキに向かってふんっと鼻を鳴らした。そしてリーフィアをお手本のように優しく抱えるとご機嫌ななめにスタスタと一人坂を上った。
LIST Lantern