セキがコンゴウ団の長になった。

それ即ちセキが大人として認められ集団を率いるリーダーになったということ。言い換えるとセキの時間は今後一切私の為に費やされないということである。これからセキの時間はコンゴウ団の為に消費され二度と私たちは互いに笑顔を向けることは無い。子供の頃に許されたことが大人になっても許され続けることなんて数える程しかない。セキと軽口を叩くどころか彼を呼び出すことすらもうできない。
セキとは一年遅れで私もあと少しで大人になる。着々と周りの大人によって仕立てられていく私の人生は下の子達が羨む輝かしい未来で溢れていながらも未だ心は少しもついていってくれない。いつか生活がガラッと変わると頭の片隅に留めていたがまさかこんな早くに変わってしまうとは思ってなかった。『アイツの晴れ姿を見てやってくれ』ヨネさんに頼まれて仕方なくコンゴウ団本集落近くの物陰から騒音の中心であるセキに視線を注ぐ。あれが大人になったセキか。ボサボサだった髪はきちんと結い上げられ、首に長の証を巻き付けたセキはとても偉そうに…いや、もう偉いんだっけ。観衆の前に立ち堂々と長としての心構えを熱く語り、周囲の期待と鳴り止まぬ拍手に包まれ誇らしげな顔で手を振っている。出会った頃はこんな奴が次期コンゴウ団の長になるのかと見下していたが団員に敬われ期待の眼差しを一心に受ける姿は紛れもなく長に相応しい頼もしさを感じざるを得ない。もう昔みたいには遊ぶことも文を交わすこともないのか。身なりから言葉遣い、思想に至るまで私が知っているセキとは違う。声も少しだけ低くなってる。まるで知らない人を眺めているような気分になって、ほんの少しだけ寂しさが心に涙を誘った。大切な友を一人失った。いつかは袂を分かつ関係だよと両親に口酸っぱく言い聞かされてきたとはいえ、この景色を前にして目を擦らずにはいられないな。
厳かな儀式に区切りをつけ大人達が皿や酒を運び始めた頃、自分の居場所へ戻るためになまえはウォーグルへと飛び乗った。気づいたら家にいた。ウォーグルの背から飛び降りて寝床に着くまでの過程は何故か何も思い出せない。ただあの日は珍しく水を求めて真夜中に目を覚まし、カイやポケモン達が私を囲むように眠っていた事だけは覚えている。

私の空間からセキという存在が遠のいた途端茂みから伺うようにして私を眺めていたカイとカイに関連する仕事が雪崩のように私へと押し寄せた。友との別れを惜しむ時間も与えず、将来カイを支える腹心として私は齢15には荷が重い仕事の山に忙殺されかけていた。最近は両親も私に対する当たりが強いように感じる。両親だけじゃない。シンジュ集落一体が子供に厳しく接するようになった。理由は単純明快だ。敵団が首を挿げ替えた途端団員を増やし勢力を伸ばし始めた事に年寄りを中心とした若手の育成に不安を抱えた大人達が焦り始めたからだ。遊ぶ時間はもちろんのこと、レントラー達と食事を与えるぐらいしか構ってやれてない日が続いてる。とはいえカイと比べたら私はまだ自由が許されているほうだ。たった数歩の民家の移動ですら2,3人付き人を引き連れなければならないカイを思うとまだ自由は残されている。
『敵団を偵察してきます。シンジュ団でポケモンの背中に乗れるの私だけですから』とそれらしい理由をつけ集落を抜け出してはコトブキムラで羽を伸ばしていた。勿論偵察なんてするわけが無い。そんな事をして古臭い大人の皺寄せを食らうのは他でもないシンジュ団の子供達だからだ。コトブキムラに降り立ち真っ先にラベン博士のもとへ赴きモンスターボールの精度とポケモンの生態を報告し報酬を受け取る。そしてその報酬を握りイチョウ商会へ向かうと村で流行りの甘いお菓子を端から端まで買い尽くすのだ。1人で全部食べるわけじゃない。狭い集落に閉じ込められたカイが少しでも外の世界に興味を持って貰えるようにささやかながら私なりの姉心というやつだ。受け取った袋を上下に持ち上げてみる。ちょっと手土産が軽いだろうか。重みの感じられない袋ではカイももの寂しいだろうと残った小銭を数えながらイモヅル亭へと足を運んでいた時だ。

「なまえ、おい、こっちだ」

民家の隙間から聞こえてきた男の声になまえはふと足を止めた。コトブキムラの知り合いはギンガ団とイチョウ商会のギンナンだけ。とうとう自分にも付き人がつけられたかとなまえはモンスターボールに手をかけ周囲に気を張る。誰の声か知らないが頑固な年寄り共に知られる前に気絶させてしまおうか。声の主を探してなまえは物陰を睨みつける。その時、木箱からはみ出した群青色の羽織と見覚えしかないポケモンの尻尾になまえは駆け足で木箱の裏へ近づき覗き込んだ。

「え…セキ?こんなところで何して「しーっ!大声出すな!見つかるだろ!!」そっちの方が声大きいんだけど」
「へいへい。今はこまけぇことはいいんだよ。なまえ、とりあえず後ろを向け」

数ヶ月ぶりの再会に関わらずなんの説明無しに後ろを向けって不躾にも程がある。理由を言わないと振り向かないぞと腕を組むなまえにセキは額に手を当てる余裕もないのか、「いいから早くしろ!!じゃねぇと煩い爺さん達に見つかるだろっ!?」と木箱から身を乗り出すやいなやグルンっとなまえの体を回した。力強っ!肩外れるかと思った…というかこの男、人の髪で一体何をしているんだ。毎朝きっちりと1つに束ねた髪の根元でモゾモゾと指が動いてる感覚をなまえは落ち着かない様子で大人しく終わりを待つ。結び直されているというよりも結んだ紐の上にまた別の紐を結びつけているような感じ。増した僅かな重みに手を伸ばすなまえへ「シンジュ団がそう焦んじゃねぇよ」とセキはケラケラ笑い、そっとなまえの手を掴み下ろさせた。
手、久しぶりに触れた。セキってこんなに手が大きかったっけ。それよりも声、また少し低くなったよね。見た目なんて気にしてこなかったくせに服の匂いとはまた違う香油の匂いに緊張し唾を飲み込む動作すら躊躇っていると「よしできたぜ!」と髪を弄っていたセキの指が離れた。風を撫でるように揺れる髪先をセキの指が遊ぶ。もう振り返ってもいい?と尋ね気恥しくてゆっくりと振り返ったなまえにセキは楊梅色の目を丸く見開き、目尻を下げた。

「よし、俺の見立て通りだな。んじゃ次会うまで無くすんじゃねぇーぞ!」
「セキ、待って!!…もう」

んじゃ!と手を上げて颯爽と去っていったセキになまえは引き留めようと手を伸ばす。しかし用が終わったとばかりにコトブキムラの正門を通り抜け、その後ろを追いかけていくコンゴウ団員の群れになまえは放心しその場に立ちすくんだ。なんだったんだ今のは。久しぶりに会えたんだからせめて長就任おめでとうぐらい言わせなさいよ。時間にケチな奴はろくでもないなぁとため息をつきながらなまえは自身の髪に手を伸ばしハッとした。
…まったく、こういうのって私が用意すべきなんじゃないだろうか。せめてお礼ぐらい言わせてよ。私達まだ友達でしょ?

「おや、なまえ。今日はいつにも増して別嬪だねぇ。ははーん、理由はその髪飾りだね。よく似合っているよ」
「あ、ありがとうございます」

イモモチを手土産にシシの高台へ足を運ぶと思った通りヨネさんがアヤシシ様に笛を聞かせていた。小さい頃からよく座っていた大木の椅子に腰掛け互いの近況を話し合っていると頭に揺れる結紐に気づいたヨネさんは何か事情を知っているような言葉を匂わせた。なるほど、これはセキよりもヨネさんに事情を聞いた方が早そうだ。なまえはキョロキョロと当たりを見回し付き人も盗聴者もいないことを確認すると気恥しそうに視線を泳がせながら髪飾りの紐を指に巻き付ける。

「その、実はさっきセキに会いまして。理由も言わずに贈られたんです。思えばセキから形として残るものを貰ったのは初めてで凄く…嬉しい」
「ふ〜ん。そっかぁ〜〜」
「で、でもシンジュ団の私に金剛石つきの結紐を贈るなんてちょっと複雑というか!すごく可愛いし気に入ってはいますけど…でも次会う時までつけておけって言い逃げするなんてセキってほんと卑怯です」

もし集落の年寄り達にこの結紐を見られでもしたらなんて嫌味を言われるか。久しぶりに愚痴愚痴とセキへの不満を垂れるなまえであるが耳の先まで真っ赤に染った年頃の娘にヨネは足を組みなおし素直に『嬉しい』の一言で止められない天ノ弱の背を叩いた。

「まぁそう言ってやるな。セキには言うなって口止めされてるんだけどさ、アイツこの前呉服屋で何時間も時間をかけて選んでたんだよ。何買うつもりなんだって問いただしたら自分用だから邪魔んすなって怒られちまってね」
「そ、うなんですね…あ!私そろそろ集落に戻らないと!その、カイに、妹に早くイモモチ食べさせてあげたいし!!」

飛び上がるように立ち上がったなまえはイモモチが冷めたら悪いからとウォーグルに跨る。冷めるも何もこれから極寒地帯の集落に戻る娘が何を由無し事を。分かりやすく動揺しているなまえにヨネはなまえが空へ溶ける前に声を張り上げた。

「なまえ!またセキに手紙書いてやんな!!アイツ最近『なまえなまえ』って煩いからさ!」

気の知れたウォーグルだったからこそなまえは落下を免れた。でなければ今頃地面で間抜け面を晒しているところだった。どうすんだ?と振り向き呆れたように鳴いたウォーグルになまえはハッとし上擦った声で返事を返した。

「き、気が向いたら!!」

手を振るヨネに手を振り返しなまえは雪山に向かって空を駆けた。浮ついていた。セキから貰った結紐もヨネから聞いた裏話も寒さを言い訳に顔の赤みを隠すことができない程に嬉しさ故に舞い上がっていた。だからこそ音もなく襲いかかってきた辛い現実になまえは涙を堪える事ができなかったのだろう。
来年、16の誕生日を迎えた時私は名も知らぬ10上の方と結婚する事が決まった。あの野生児に貰い手が見つかった。これでシンジュ団は安泰だ。咽び泣く両親と年寄り共を前になまえは結紐を強く握り締め言葉の代わりに鳴きながらにっこりと笑って見せた。

嗚呼、シンオウ様。どうかカイだけは、妹だけはお見逃しください。