元姉として、人々の前で堂々と決意表明する妹の成長ぶりは思わず涙ぐんでしまうほどに嬉しくもあり心配でもあった。お姉ちゃんと泣きながら私の後ろを引っ付いて歩いていたあの子が今シンジュ団の長として教えを説いている。その隙のない険しい表情は前任の長にそっくりだけど、カイは頑固な上に頑張り屋だからどこか無理をしていないか私は不安で堪らない。小さい頃からあまり集落の外には出してもらえず、かといって集落には歳の近い子供は私とガラナ くらい。そのガラナもカイに厳しく接することが多かったし、私も集落に留まろうとはしなかったから大人達の歪んだ教育思想を抜けばカイに寂しい思いを強いていたのは他でもない私達なのかもしれない。正直に言うとカイにとって私は決していいお姉ちゃんではなかったし、自分の食い扶持を確保するためにシンジュ団でありながらもほぼギンガ団として働いていたこともあり、たまに集落へ帰ってもカイは物陰からじっと私を見つめるだけで昔のように距離を詰めようとはしなかった。
すっかり嫌われちゃったなぁと内心凹んでいたこともあった。けれどカイは長就任にあたり腹心役に躊躇うことなく私の名を挙げた時は耳を疑わずにはいられなかった。既に腹心役が決まっていたことは団員皆が周知しており、カイの土壇場の変更を知るものなどカイを除いて誰一人としていなかったからだ。
能力を買って選んだのか、それとも気心知れた相手だからか。どちらにせよ私がカイを立派な長として団を率いていけるよう導かなかれば。
その第一歩として、デンボクさんへの長就任報告が終わりすっかり気が抜けたカイに私が助言する事はただ一つだ。

「ムベさん!イモモチ2人前お願いします」

一仕事終わったら集落に直帰するな。日が暮れるまで寄り道しろ、だ。

「姉ぇ…んんっ、なまえ。これは今日の仕事内容に入ってないと思うのだが」
「ええ。だって寄り道だもの。仕事ならさっき終わったでしょう?」

日が高いうちに集落に帰ったところで余計な仕事を押し付けられるだけなんだから。積極的にサボっていこう。責任は私がとるからカイは何も心配せずに羽を伸ばしな。グッと親指を立て慣れたように足を伸ばすなまえにカイは一抹の不安を覚えずにはいられなかった。それもそうだ、カイの中のなまえは優しく責任感が強い完璧人間で、集落の人々から陰口を叩かれ居心地が悪そうに仕事をこなしていた時もなまえの評価は変わらなかった。カイにとってなまえはお手本だった。そのお手本が今食事処に促し羽目を外せと自分に促している。まさかこれは何かの試験なんだろうか、それで言葉通り羽目を外したら叱られるのではないか。いつまでも落ち着かない様子で椅子に腰かけるカイを他所になまえは「あ、来たよ!」と運ばれてきた丼ぶりを片手に箸を取った。

「ほら、できたてのイモモチだよ。村では出来たてなんて食べれないからね。ほら、箸。美味しくてほっぺた落ちちゃうかもね?」

いただきますと手を合わせるなまえにカイは未だ目の前の人物が本当に完璧人間のなまえなのか疑っていた。しかし白粉では隠しきれない痛々しい傷跡は間違いなく姉の人生を狂わせた自分の過失によるもので、やはりこの人はなまえ本人だと納得せざるを得ない。
せっかく外に出たんだから楽しみなさいなと勝手にグレイシアへ餌付けを始め出すなまえにカイは机を叩いて声を張る。

「お、長の帰りが遅くなると団員が怒ると思わないのか!?」
「カイは真面目だなぁ〜。ほんの数時間長が不在にするだけで慌てる団に未来なんてないんだし、カイが気にすることじゃないよ。それに潰れたらまた新しい団を建て直そうよ。姉さんと古い慣習全部廃止して、ついでに腐った年寄り共を除籍しようぜ!」
「ちょっ、姉さんってば!声大きいよ!!団員に聞かれたらどうするの!?」

聞かれたところで返り討ちにするから大丈夫だよと自信満々に言い放ったなまえの呑気さにカイは呆れて何も言えなかった。なまえの言葉は嘘でもなければはったりでもない。シンジュ団を上げて腕比べをしたらなまえは余裕で頂点に君臨するだろう。ポケモンの扱い、腕比べの実力、自然を恐れぬ勇敢さに類まれなる先見の目、どれをとっても長の器を持った優れた人材、それがなまえという人間だ。なまえはカイの憧れだ。それと同時に劣等感を抱かせる存在でもあったが、今のなまえはカイに憧れも劣等感も抱かせない、まるで友達のような関係性にポカンっと口を開けずにはいられなかった。長は他の村の生活水準を見ることも大切な仕事だとそれらしい事を述べたなまえは『よし、食べ終わったらイチョウ商会に顔を出して我楽多を掘り出そう!』と指を鳴らした。その後は呉服屋で服を見てお菓子も買おう。やけに村遊びを心得ている姉にカイは前のめりな熱量に背を反らす。けれども久しぶりに見たなまえの笑顔にホコホコと胸を温め初めて食べた温かいイモモチに頬を抑えた時だ。

「よぉシンジュ団。面白そうな話してんじゃねぇか。俺にも話聞かせてくれないよ。なぁなまえ?」

姉妹水入らずにズケズケと首を突っ込んできた男にカイはムッと口をへの字に曲げた。青い羽織を着た男がコンゴウ団の一味であることは世間知らずのカイにもすぐに見破ることが出来た。やけに馴れ馴れしい態度をとる男にカイはムッと口を曲げる。姉の知り合いにカイは文句をつけることはできない。だがこのいかにも時間にうるさそうな男がなまえとどういう関係なのか妹のカイには知る必要があった。

「姉さんこの男と知り合いなの?」
「いやっ……知らないなぁ」

シンジュ団に内通者でもいるんじゃない?
忘れたくとも忘れられない顔からなまえは視線を逸らし初対面を装う。もしこの場にカイがいなければなまえは代金を置いて捕まる前に空へ逃げていただろうが、カイがいる手前それをしたら思い出すのも恥ずかしい過去をセキに暴かれる可能性がある。カイに慕われている手前恥を晒す訳にはいかない。頼むから人違いだったことにして去ってくれないかとなまえは気まずそうに顔を背けるが、どうやらセキはなまえを『人違い』で片付ける気はないらしい。
邪魔すんぜと隣に座り視線を寄せたまま頬杖を着いたセキにカイは眉間に皺を寄せながら事実を追求する。

「でもこの人姉さんの名前を呼んでたよ」
「えーっと…わ、私が生まれた年は『なまえ』って名づけられる子供が多かったからね。呼び間違えられることもよくあることなんだよ。この人も呼び間違えた一人だね」
「はははっ、んなわけねぇだろ!ちょこまかと逃げやがって。話すんだけで何年かけさせる気なんだよ!!!」

いい加減覚悟決めやがれ。セキは頬を両手で挟みイモモチを飲み込んだばかりの頬を押し潰す。漸く捉えたなまえの視線に機嫌よく口角を上げるセキに対し、なまえはというと自他ともに認める男前な顔を前に悔しげに唇を噛みしめ頬を赤くしている。数年前、私はこの男に接吻したのか。あぁ、なんて罪深い事を。いや待てよ…相手はセキだし別にそれほど気にする事は…いや、やっぱ誰が相手でも恥ずかしいわ。特に気の知れた相手だと尚更。むしろ本当に初対面の人間相手に接吻した方がやりにくさはあるがそこまで恥ずかしくない気がしてくる。最初で最後の接吻を他人どころか全てセキで済ませた私が何言ってんだろうって呆れられるかもしれないが。

「コンゴウ団と話すことは何もありませんがっ!」
「団としてなくとも俺に話すことはあんだろうがっ!」

くそっ、力強いな!!手を振り解けない。
カイに応援されながらも泥試合にすら持ち込めそうにない争いにせめてもの抵抗でセキの脛を蹴り続けていると騒ぐなら他所でやってくれとムベさんに注意され場所を移すこととなった。今度こそセキとの関係に終止符を打つため直ぐに戻るからとカイを一人定食屋に残し村を出てすぐの桟橋で足を止めた。観念しました、もう逃げないから。そう伝えてもセキは掴んだ手を放そうとはしなかった。約2年、意図的にセキを避け続けてきた。セキに遭遇しないようなるべく集落が出ないようにしたり外出時は特に人目を気にして影を歩いた。2年も経てば団として顔を合わせてもあの頃のように話しかけてこないと思っていた。必要最低限の交流に留め、何かあったとしても気まずさ故に他人の振りをしてくれるって信じていた。所為、元友達としての情け的なやつを望んでいた。でもセキは私の予想の遥か斜めを行く行動で思考を掻き乱した。桟橋についた直後腕を組み目を尖らせたセキに私は真っ先に逃げ道を探した。この顔はまだ覚えてる。セキはいつもこの顔で私を怒ってばっかりだったから。昔の私なら売られた自身に非があろうとなかろうとなんでも噛み付いていたが、今回ばかりはセキに頭が上がらない。執拗い人だなぁ。2年前のことなんてもう時効でしょうが。

「…やめましょうよ。若気の至りを当事者同士で掘り返すなんて不毛な争いですよ?敵対する団といえど、とても長がすることじゃないです」
「なまえよ、そのちょっと距離感を感じさせる話し方やめてくれねぇか。俺はお前と真剣な話をする為にここに来たんだ。揶揄うな」

パチンっと指で額を軽く弾かれなまえは弾かれた額を両手で押えながら涙目でセキを睨みつける。何をするんだこの男は。ご乱心か!?

「私からセキに話すことは何もない」
「お前に無くても俺にはある」

だとしてもいきなり額にデコピンをする人の話など聞きたくない。雰囲気から察するにセキは間違いなく2年前を蒸し返す気だ。時間を大切にしている割には小さい事に時間を無駄にする男だ。グッと力が入った眉尻になまえは身構える。

「単刀直入に言わせてもらうぜ。なまえ、俺は「あー!!」…お前、嘘だろ」

やめて、聞きたくない。
残像が見えた程に素早く耳を塞ぎスンっと明後日の方向を見つめるなまえのささやかな抵抗にセキは一呼吸おき冷静になってからまた口を開く。

「…なまえ「あーー!!」おい「あーー!!!!」ったく、お前って奴は何年経っても人の話を聞かないやつだな!!!」

話を聞かないんじゃなくて聞きたくないんだよ。なんで2年越しに若さ故の過ちを持ち出し求めてもいない返事を聞かされなくちゃならない。どんな答えであっても自分の胸の中だけで留めておけばいいものを、あろうことかこの男は社会的に私を殺そうとしている。
これ以上近づいたら感電死させてやるとレントラーが入ったモンスターボールを握り牽制を図る。しかしやれるもんならやってみなとセキはリーフィアと共に重心を落とし迎え撃つ体勢に入る。くそっ、なんでちょっと本気で構えてるんだこの男は!そこまでして私の黒歴史を掘り返そうだなんて一体コンゴウ団になんの得があるというのか。緊張感のある睨み合いが続く。両者一歩も譲らないと瞬きする刻すら惜しいと思う中、先に肩の力を抜き降参だと両手を上げたのはセキだった。

「はぁ。分かったよ。そんなにお前が話を聞く気かねえってんなら、こっちにも考えがある」
「考え?」

なまえは言われるがままモンスターボールを戻し、セキはズカズカと大股でなまえとの距離を詰める。

「もう痛くないのか?」
「痛くない…でも傷の話はしたくない」

手を伸ばし白粉を親指で擦ったセキは最後に会った日のような色んな感情が混ざりあった読めない表情を浮かべている。汚いことくらいわかってる。手を払い、妹を待たせているから要件は手短にしてと強気な発言の割には落ち着かない様子で視線をさ迷わせるなまえにセキは「用件はこれだけだ」と片手で足りる後頭部をその細腰と共に抱き寄せた。

「セキ、はっ、ちょっ…」

唐突に落ちた柔らかい感触になまえは目を大きく見開く。開いた身長差に踵が浮き、頼りない爪先だけで重心をとるが姿勢はほとんどセキに委ねている状態である。息苦しさと羞恥心になまえは必死になってセキの胸を叩くがスっと細められた艶のある瞳に充てられ、堪らず胸の前に寄せた腕を回し羽織にしがみついた。このまま食われるんじゃないか。酸素を求め喘ぐなまえをセキは喉を鳴らし震えた唇に舌を這わせる。角度をつけ酸素を吸い取るような接吻になまえはカクンッと膝を曲げ、小さな悲鳴を上げてズルズルと落ちていくなまえをセキは悪ぃと共に座り込むとポロポロと流れる大粒の真珠を指で拭った。

「馬鹿!痴れ者!!死ぬかと思ったわ!!!」

素直に嬉しかったと言えばいいものを嬉しさのあまり反対の言葉ばかりが口から零れていく。違う、本当はこんなこと言いたいんじゃ。もどかしい自身の天邪鬼ぶりになまえは苦悩したが、彼女の本心がどれかくらいセキは分かっていた。だからこそ彼は可愛くない言葉を全て「へいへい」と受け流し、変色した引っ掻き傷をひとしきり撫でると懐から取りだした紐を長年狙っていた首に巻いた。

「すぐってわけには行かねぇけど必ず迎えに行く。その日まで虫除け代わりにつけとけ」

流石にこれはやれねぇからさと黄金の首輪を指で叩くセキをなまえ食い入るように見つめながらそっと自身の首に触れる。胸元に下がる紐の結び目には金継ぎされた金剛石が鈍く光っている。てっきり捨てたかと思ってた。糸は毛羽立って千切れる寸前だったし、擦れた金剛石は無数の亀裂が入り今にも砕けてしまいそうだったから。

「なまえ、俺と時間を共にしよう」
「…っ、うん。私も、貴方と同じ空間にいたい」

地面に座り込み嬉しさ余って年甲斐もなく大粒の涙を流すなまえをセキは泣くな泣くなと震える背を撫でる。

「いつまで経ってもお前は泣き虫だなぁ」
「せ、せきが、セキがいつも私を泣かせるからっ」

しゃくりをあげ化粧が崩れることも気にせず濡れた顔を着物の袖で拭うなまえにセキはへいへいとやっと触れることが出来た温もりに頬が緩んでいた時だ。

「…貴様っ!!」

何故こうも難易度が高い色恋沙汰なんだろう。帰りが遅い姉を心配し駆けつけてみればコンゴウ団員に泣かされた姉の姿にカイは目を見開いた。ここでセキの肩書きを抜きにしてもカイは我を忘れ怒鳴り散らしていただろう。

「やい!コンゴウ団。私の姉に気安く触るな、話しかけるな!!私はまだお前が姉さんの婚約者だとは認めてないからなっ!!」
「へいへい。ま、お前がなんと言おうがなまえはそのうち俺が貰っていくから今のうち姉離れしとくんだな。ああ、それと今のうちシンジュ団の年寄り共に長として説明しておけよ」
「くうっ!!」

可笑しいな。時空の裂け目の問題も片付いて両団の溝も徐々に埋まりつつあるはずなんだが、ここはいつも溝が深い深い。ははっ、2人とも仲良くしようよ…。団のいざこざを抜きにしても顔を合わせる度に罵り合うセキとカイの言い争いの原因は私なのかもしれない。
そんな事無いですよ!とショウに否定されながらもなまえさんに団の未来がかかってますねとテルが謎のプレッシャーをかけてくる。
私、いつお嫁に行けるんだろう。
今日も元気に罵り合う長を前になまえは溜息をつきながら美しい首飾りを大切に握りしめた。
LIST Lantern