高いヒールの靴が好き。緩やかな傾斜に踵が持ち上げられ数センチ高くなった視覚はモノクロの景色を鮮やかに彩り、丸まった背中も強制的にピンッと伸び上司に散々馬鹿にされベコベコに凹んだ気持ちも上を向くから。
歩くとコツコツ音が鳴る音も好き。なんて事ないただのコンクリートロードも音一つで立派なランウェイに早変りし、疲れきったOLが一流モデル気分に浸りながら歩くと周囲の視線を独り占めする完璧で美しい自分になれた気がして思いの外スカッとする。ヒールは高ければ高いほど良い。角度が着く度に足はより細く見えるし、ショーウィンドウに映る冴ない顔も靴の魔法にかかれば垢抜けて見える。仕事では平たい靴を嫌々履いていたが、休日がくるとお気に入りの高いヒールの靴を履いて近くのショッピングモールを散歩することが私のささやかな楽しみの1つだった。高さ7cmのオフホワイトのショートブーツは就職して初めての給料で買った忘れられない思い出の靴だ。半額で売られていたその靴の前で立ち止まった時、ふと年季の入った自分の足元にアッと声が出た。よく水が染み込みやすそうな色褪せたスニーカーはいつ買ってかれこれ何年履いているだろう。そろそろ新しい靴に買い換えるか。でもいくら半額でもこの靴は買わない。踵の高い靴の何がいいんだろう。走れないし、足は疲れるだろうし、重心取りづらそう。竹馬を靴にしたような靴だ。履いた途端に足首を捻って怪我するのが目に見えている。利便性を追求しパンプス一式に極度の偏見を持った生粋のスニーカー信者はフォーマルな場でパンプスに踵を削られる度に無言で女らしさを求めてくる世の慣習に口の端を曲げていた。ふらっと靴屋に寄ったが名前は踵の高い靴などに目もくれず真っ平らなスニーカーの前で値段とデザインを吟味する。入社1年目の新人だからまだ金銭面に余裕などなく、何を買うにも安さ重視だ。そんな中出会ってしまった踵の高いオフホワイトのショートブーツは名前が苦手とする部類の靴でありながらも破格の安さと綺麗目寄りの可愛さに心惹かれた。店員に勧められ試し履きした際に感じた味わったことの無い視線の高さや傾斜をつけた土踏まずの感覚。何より鏡に映る自分の足がかつてないほどに細く見え店の姿鏡に映る自分によく似た女性の姿に感嘆し、勢いに任せてお出かけ用として購入した。防水スプレーでコーティングし下駄箱へしまう度に汚れを丹念に拭き取った。これ程靴を丁寧に扱ったのは生まれて初めてだった。それくらいあの高さ7cmのオフホワイトのショートブーツがお気に入りだった。
最後に履いたのは確か同窓会だったはずだが、どうなったかは言うまでもない。

「あ」

めいいっぱいに開いた玄関扉の先でさっさと準備しろと急かすような視線を送る我儘に名前はちょっと待ってと靴箱を開ける。スパイクとスニーカーが並ぶ中、一番下の段の左端に追いやられた靴を前に名前は無意識のうちに声が出た。そういえば一組しか持ってなかったっけ。潰れた踵を指でひっかけピッタリと地面に足の裏をくっついて歩けと言わんばかりの平たさに爪先を突っ込む。角度のない靴を履き、思い出すのはあのオフホワイトのショートブーツ。分かってる、同じ靴を買ったところでどうせこのポンコツな足ではもう平たい靴以外安全に履きこなすことなどできないことは。でも好きだった。自己肯定感ごと足を高く細く見せてくれる魔法の靴が大好きだった。
部屋を引き払う際、母は必要最低限だけを実家に運びそれ以外は全て邪魔になるから捨てたと言った。ゴミ捨て場から拾ってきたんじゃないかと馬鹿にされそうなほど年季の入った靴一組だけをフランスに持ってきたのは決してお気に入りだったとか、履きやすかったとか、そんな理由じゃなくて、大嫌いな仕事用の靴一組が母にとっては必要最低限と判断され、それ以外の靴は捨てられたから。ただそれだけ。

「どうした」

靴紐を結びながらふと他はどんな靴を持っていたか考えているといつまでたっても準備が終わらない私を彼が急かす。
はいはい、今行きます。行きますから。

「なんでもないです」

今準備出来ました。鞄を肩に掛け直し玄関を照らす灯りを消す。エレベーターに乗り込むと嫌でも視界に入る姿鏡にさっき返した『なんでもないです』の言葉を取り消したくなった。足が太くて可愛くない。その上馬鹿みたいに背の高い人と横に並んで歩くなんて最悪だ。いい晒者。もう一思いに殺してくれ。フランスに来て初めての外出だというのに気分は人前で恥を書いた時と同じ羞恥心を感じ、まだ外玄関を通らないうちに部屋へ引っ込みたかった。

自宅から車で10分圏内の大型ショッピングモールは食料から雑貨、家具、衣服等を取り扱っており休日ということもあって家族連れで賑わっている。フランスに来てからというもの部屋に篭もりっぱなしで、こうして外に出ることも、人混みや糸師君以外の生の声がなんだか新鮮に感じる。食料や日用品といった日頃の買い物は練習帰りの糸師君が一人で済ませてくるし、衣服や化粧品は日本から持ってきたものを使っていたため現地で買い足す必要もなかった。昨夜『明日出かける。準備しとけ』と何故何処に何用で?の疑問を抱えショッピングモールにやって来たが、見た事のない煌びやかな店の連なりと夜空を象った高く眩い天井を前に名前はなぜ凛が急に外出すると決めたのかなどすぐに頭から抜け落ちた。
1ユーロって今何円だろう。通り過ぎたカフェのテラス席でオシャレなランチを楽しむ若い女の子達に名前は足を動かしながらもチラチラと羨望の眼差しを向ける。正直エブリデイ自炊は精神的負担が強い。できるだけメニュー被りがないようレパートリー増やしたり、栄養バランス考えながら味付けも濃くなりすぎないよう抑えたり、一日二食カップ麺生活を送ってきた人間には毎日ハードルが高い。彼女という体裁ありきのニートであるため自分からお金の係る頼み事を依頼するのは気が引ける。だが贅沢を言っても怒られないのであれば1食くらいデリバリーで済ませて楽したいし、たまにはお洒落なお店でランチとかしてみたい。彼が一言『今日の晩飯は外で済ませるぞ』とか気の利いた事を言ってくれれば私も『はい!勿論!喜んで!!』と即決で賛同するのだが、栄養ガー、バランスガーと文句垂れるストイックなアスリートにはとても期待できない。
フランス観光にも行ってみたいなぁ。せっかく海外暮らししてるのにエッフェル塔もルーブル美術館も未だお目にかかれていない。ノートルダム大聖堂も見てみたい。1度燃えたらしいけど、かの有名なアニメで描かれたあのステンドグラスはきっと間近で見たら美しさと荘厳さに圧倒されるのだろう。…お願いしたらワンチャン。いや、唯我独尊モラハラ男に『観光に行きたいです』なんて言った次の瞬間にはボロクソに言い負かされるのがオチだ。別に外に出るなとは言われてないから勇気さえあれば1人観光も可能といえば可能。ただ下手に彷徨いて糸師くんの評判を下げた時は謝罪だけじゃ済まない気がするので部屋でじっとしているだけだ。…サッカーを除いた良い評判はあまり聞かないが。

目深に被った深緑のキャップ帽が熱心に靴屋の前で屯している間に少し離れた先にあったパン屋に足を留めショーウィンドウ越しにお洒落なパンを眺める。フランスに来たらフランスパンじゃなくバゲットと呼ばないと伝わらないとかなんとか。カメラのイラストにバッテンマークの張り紙がショーウィンドウに貼り付けられていたため名前は仕方なくフレームのように両手の親指と人差し指くっつけひし形の中にフランスパンを捉えた。パシャリ。レジカウンターに立つ店員の奥で生地をこねる職人を見かけ興味津々にショーウィンドウ越しから眺めていると嫌な視線を感じ名前は分かりやすく嫌な顔で視線の元を辿る。

「な、なんですか」
「花より団子」
「むっ」

これまでの虚しい行動全てを盗み見ていたと思われる道徳心のパラメーターを全て顔に振った男は私の心情を浅い洞察力で推察し余計な一言を添えて嘲笑した。週末になると知能が下がるタイプなのだろうか。普段はゾクッとするほど心を見透かした発言で痛いところをつついてくるくせに、今日は小学生低学年のクソガキだ。

「買ってやろうか」
「いらないです。それより私服を買いたいんですが」
「買ってくればいいだろ」
「フランス語どころか英語も喋れません」
「翻訳アプリ」
「スマホの電池が10パーで…カウンターのやり取りさえ取り次いで貰えたら支払いは自分で出来ると思うので!」
「だりぃ。ジェスチャー使って自分で何とかしろ」
「ジェっ!?」

助けてあげようみたいな気持ちがこの人には無いのか。
お母さん、私日本に帰りたいです。
充電切れしそうなスマホ片手に服屋へ単身乗り込みそそくさと目的の物をカゴに入れレジへ並ぶ。愛想のない店員に名前は一瞬怯んだがスマホ片手にいざ尋常に勝負と意気込み、ものの数秒で顔を青くし、店の外で待つ凛を呼びつけた。

「Tu es une jolie petite sœur. Je suis contente qu'il y ait une taille qui vous convienne. Vous voyez, beaucoup de filles asiatiques ont de petits seins!」
「Yeah」
「なんか店員さんに笑われてる気がするんですが。気のせい?」
「チンチクリンな妹だって馬鹿にされてんぞ」
「なっ!」

チンチクリンは…まぁ、海外の方から見れば日本の平均身長も低身長扱いだろうし、歳相応には見られない顔立ちだろうけども。

「妹扱いはちょっと。私は糸師君と違って口も性格も悪くないし」
「あ゛っ!?」
「な、なんでもない…です」

ゴメンなさいねとウインクして返されたクレジットカードを悔しさ混じりに財布へ戻す。翻訳係として糸師くんを呼びつけ、クレジットカードを機械にさえ差し込めばまた店の外に出てもらうつもりだった。けれど私が持っていたクレジットカードがどうやらこの店では対応外だったらしく流暢なフランス語と英語のやり取りの末あの糸師凛にお金を払わせてしまった。それも女性用の服を。
糸師くんを呼んだあたりから女性店員の接客態度が急に良くなり、やっぱりイケメンは人生何かと得してるんだなぁぐらいとしか考えが及ばなかったが、店員がわざわざ1度袋に入れた服をカウンターに取り出して綺麗なラッピング袋を指さしニコニコ笑っていた時にイケメンの周りの人間は生きづらいなとあからさまな店員の嫌がらせに口元が引き攣った。
カモフラージュ用に購入したワンピースの意味がなかった。下着上下3着分を糸師君の眼前に晒された挙句しっかり下着を見られた上に真顔でカードをきる糸師くんの真横に立つ私の傷ついた心を誰か慰めてくれないだろうか。恥ずかしすぎて記憶飛ばしたい。

「日本に帰ったらお金返しますね」
「貧乏人から巻き上げるほど金に困ってねぇ」
「いえ、払います。…なのでさっき見たものは全部忘れてください」
「した「ああっ!!!?」うるせぇ」
「ぜんぶ、忘れてください、いいですね!?黒とか、青とか、花柄とか、レースとか、ただのありふれた下着ですからね!!?」
「忘れて欲しいのか記憶して欲しいのかどっちなんだよ」

くっ、一生の不覚。結局取りだした服を元の袋に戻して手渡され言葉にし難い屈辱だった。洗濯物ですら見られないようにと自分の部屋で干していたというのにおニューの下着を見られ、恥ずかし過ぎてどんな顔をして歩いたらいいか。ラッピングされた包みを受け取った後は足元ばかりを見つめて歩いた事は言うまでもない。

お互い何か買う訳でも無く、最上階から地下へ降りながらウィンドショッピングを楽しみ、物珍しいものを見つける度に名前は足を止めお洒落とセンスの塊で構成されたショーウィンドウに心を惹かれた。あれも可愛い。これも可愛い。ギリギリまでガラスに顔を近づけ目を輝かせるフランス初心者の首根っこを掴んだフランス歴数年のなんちゃって地元民は舌打ち混じりに苦言を呈する。

「おい、勝手に立ち止まんなチビ。迷子になっても探さねぇからな」
「チビって…日本人女性の平均身長は超えているのでチビじゃないです。それに貴方から見れば大体の人はみんなチビじゃないですか」

180cmオーバーを基準に考えないで欲しい。そう文句を垂れながらも、このバカでかいモールで万が一はぐれでもしたら自力じゃ再会出来なさそうだし、ご覧の通り『探さねぇ』と宣言している。モール内にて見限られないようせかせか足を動かしながら前方を歩く亭主関白気質な背中を視界の真ん中に捉え続ける。迷子になっても探すつもりは無いとか聞き分けのない子供を躾ける母親の言葉じゃないか。糸師君から見た私はデパートではしゃぐ子供に見えているようだ。大変不服である。
全く、あの人は私を何歳だと思っているんだ。確かにちょっとおのぼりさんな反応をしてしまったが、こう見えて昔から真面目でしっかり者と評判の…あ、あの靴可愛い。ヒールの高さはズバリ7cm。大きなクマに抱えられた夢かわいいパンプスはヒールに光沢のある薄紫色のリボンを巻き付けながら踵部分でちょうちょ結びされたシンプル且つデザイナーのセンスが光る一足だった。特に靴裏の色がリボンよりも少し深みのある色で可愛いのに大人っぽく、とても素通りできるようなものでは無かった。
ついついショーウィンドウの前で立ち止まり、食い入るように靴を見つめた結果、名前は自身の死を悟った。

「あ、マズイ…殺される」

言った傍から何ハグれてんだ。お前の耳は飾りか?そうふてぶてしく腕を組み嘲笑する魔王の顔が容易に想像できる。そうです。すべて私が悪いです。なので説教はどうかお手柔らかにお願いします。
消えた背中を探して周囲を見回すと探していた人物はすぐに見つかった。チビな私と違い異国の地でも頭一つ分飛び抜けた高身長に今だけは感謝を言わなければ。
少し離れた先でダルそうな佇まいのその人はフランスのちびっ子集団に囲まれ、見るからに面倒くさそうな顔で渋々とサインを書いている。スーパースターといえ、よく人相最悪な巨人にサインを頼めるものだ。怖いもの知らずなのか?それとも私がビビりすぎているだけ?
しばらく終わりそうにない糸師凛選手のプチサイン会を彼の視界に収まる休憩スペースにて適当な椅子に座りサイン会が終わるのを大人しく待つ。うわっ、今あの人子供相手に舌打ちした。日本の道徳教育が敗北した証みたいな人だな。
広いモールの中をかれこれ1時間以上は歩きっぱなしで脹脛が張っている。普段こんなに歩き回らないからだろう。体力の衰えを感じる。まだ歩くのだろうか。そろそろ家に帰りたくやっめきた。こむら返りを起こしそうな脹脛を両手で叩き胸を張って曲がった背骨を鳴らして真っ直ぐに伸ばす。チラチラと有名人の様子を観察しながらも、名前の視線を奪うのはあの可愛らしいリボンの靴。たった1時間も平たい靴で歩けないくせにあんな高いヒールの靴に憧れたところで虚しいだけ。今買ったところで履く機会は一生ないだろうけど…鑑賞用と割り切って1組買うのはありなのでは?
いくらだろう。ちょっと値段確認。そう行動に理由をつけ名前は休憩スペースから離れようとしたが、サインに群がる子供達を散らし戻ってくる凛の形相に怖気づき踏み出すはずの1歩を力無く元の位置へ戻した。

「言った傍から離れてんじゃねぇよ。お前の耳は飾りか?」
「はい、大変申し訳ございませんでした」

予想通り、いや予想に一割増し暴言と苛立ちをのせた容赦ない罵倒に名前は自身の非を素直に求め謝罪した。こういう場合は下手に反論すると相手の神経を逆撫でてしまうので素直に謝ってしまった方が良い。反論したところでこの頭から握り潰してくるような恐ろしい威圧感の前では結局謝るのが落ちだろうけど。

「何見てたんだ」
「えっと。あのお店、です」

他人に興味を示すなんて珍しいこともあるんだ。屈んで視線の高さを合わせる凛に名前は季節の花とぬいぐるみで飾られた靴屋に指を指した。靴屋を見つけた途端に糸師くんは眉間に皺を寄せ小馬鹿にした視線を私につける。自分から聞いてきたくせに明らかに嫌そうな顔をするのは一体なんなんだ。

「…お前、ああいうのが趣味なのかよ」

余計なお世話。

「いいじゃないですか、別に。…見るだけタダなんですし」
「何拗ねてんだ」
「拗ねてないです」
「ガキかよ」
「その言葉そっくりそのままお返しします」
「あ゛??」

ガラが悪い。人の目を気にしないタイプって自分とは正反対って感じで理解できない。
またサイン会が始まる前にさっさとこの場を離れる糸師くんの後を渋々追いかける。履いて出歩くわけでもないし買ったって靴箱でホコリ被るだけだと分かっていながらも、靴屋から距離が離れるにつれてやっぱりあの靴欲しかったと心残りが膨らむ。
前を歩く王様に頼めば多分いやいや足を止めてくれるだろう。だが、名前を呼ぼうとした時、すぐ傍を通り過ぎた女性の靴があのショーウィンドに飾られた靴の色違いで、少しリボンの橋が汚れているにも関わらず展示品よりも輝いている様に膨らんだ心残りがしぼみ小さな失意がぽっかり空いた胸の虚構を埋めた。

「すぐ戻る。車ん中で待っとけ」
「何処に行くの?」
「買い忘れ」
「そっか。了解です」

お腹がへったから近くのレストランへ…という展開は私の妄想の中で繰り広げられ、実際は一週間分の食料を車に詰め空腹状態で車に乗り込んでいた。
お昼ご飯なんにしよう。彼はポテトサラダに林檎入れる派だろうか。
肉じゃが用に購入した食材をものの数分でポテトサラダにチェンジを図る私を置いて糸師君は買い忘れた物を探しにモールへ戻った。
彼は買い忘れと行ってたが私の買い物と食料を除けば彼は靴を眺めていただけで特に自分用に何かを買っているそぶりはなかった。何用で私をモールに連れてきたんだろう。よく分からない人だ。
車の鍵がドリンクホルダーに放置されたことをいいことに車の電源を入れラジオを聴きながら目をつぶる。フランス特有のまぁるい発音がゆっくりと眠気を誘う。ほんの少しだけ。ウトウトと気持ちよく舟を漕ぎ20分くらい経っただろうか、勢いよく開かれた運転席の扉に眠気が一瞬で覚め、大荷物を抱え座席に乗り込んだ糸師くんに私は唖然とした。
180オーバーの彼が抱えていながらも中々に大きい荷物。一体何を買ってきたのか、プロテインやサッカーボールにしては大きすぎるひ包装紙の形がかなり歪だ。何を買ってきたのかと尋ねようとしたら抱えた荷物を私に寄越した。

「ん」
「え?」

受け取った荷物に私は困惑した。なぜコレを私に渡す。後部座席に置けばいいだろうに。

「やる。いらねぇなら捨てろ」
「あ、ありがとう」

買ってきたばかりのものを私に持たせた途端要らないなら捨てろとは一体どういうことなのか。そもそもなんでこの人こんなにも顔が真っ赤なんだろう。思春期か?素行不良少年が母の日に合わせて背中に隠した1本のカーネーションを押し付けるようなやり取りに私は産んだ覚えのない息子に首を傾げながらも受け取った大きな包みの輪郭を確かめるように両手で軽く潰す。受け取った時は少し重いと思ったが袋の大きさに反し意外と軽く謎のくびれもある。欲しかったとは一体どういう意味か。開けてもいいですか?と許可をとり、動き出す車内で恐る恐る包みをあける。まさかと思いつつも封の口を開き、予想したものとは全く違う小ぶりの茶色い耳に私は何度も瞬きを繰り返し、言葉を纏めてから運転席へと顔を向けた。

「糸師君ありがとう。抱き枕にちょうどいいクマだね。凄く可愛い。それとね、その、すごく言いづらいんだけど」
「…なんだよ」
「私が見てたの、クマじゃなくてクマが抱えてた靴の方」
「…はぁっ!!?先に言えよ!紛らわしいことしやがって!!!」
「ちょっ、前!前見て!!事故はシャレにならないから!!」

そもそも靴屋のショーウィンドウでクマ欲しいなんて誰が思うのか。天然か?でも靴屋でクマのぬいぐるみをお買い上げする糸師君はちょっと見て見たかったかも。
脇見運転してまで自身の羞恥をかき消そうとする凛に名前は貰ったクマの首に両腕を回して来るかもしれない事故死の恐怖を抑える。ぬいぐるに抱きつくなんていつぶりだろう。ありがとう、そうお礼を述べ絶妙な抱き心地を堪能する。靴なんかよりもいいものを貰った気がする。靴が欲しかったと暴露するも見るからにご機嫌な名前に凛はほら見ろと言った様子で鼻を鳴らしアクセルを踏んだ。

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