突然のカミングアウト失礼したします。
私はサッカーが1チーム11人編成で芝生の上を走り回りボールを蹴り合うグラウンド占有率ナンバーワンのスポーツということしか知らないど素人です。侍JAPANだっけ。いや、それは野球か。シュートはどこから打っても1点?スリーポイントシュートって何の競技だっけ。
ともかく、体にピース原液30倍希釈並のうっすい知識量でプロのサッカー選手に馴れ馴れしく話しかけるという愚行を過去に犯してしまった過ちを今になって反省し、にわか卒業に向け最近はちょっとだけサッカーの勉強を始めた。といってもサッカー初心者向けの専門書などこの家にあるわけも無く、糸師君が録り溜めた試合を見ながらネットの力を駆使して学んでいる。正直映像ですっぱ抜かれる技が動画で確認した技名と一致しているのかは誰も正解を教えてくれないので分からない。

「何見ているんですか?」
「昨日の試合」
「糸師君出てたの?」
「にい…クソ兄貴が出てる」
「ふーん」

クソ兄貴なんていかにも兄弟仲悪そうな呼称でお兄さんを毛嫌いしている。と見せかけて実は『兄ちゃんor兄さん』と呼ぶブラコンで、お兄さんの事を好いている事は録り溜めた試合を漁っていれば赤の他人の私でも勘づく。なんて天邪鬼がすぎるんだろう。恐らく糸師兄弟の関係性は結の目並にこじれているに違いない。兄弟なんだから仲良くしましょう、なんて一人っ子の私が軽々しく口にできる言葉では無いし、じゃあ私に何か出来ることはと知恵を搾ってみたが妙案を思いつくこともない。下手に口を出して怒らせないようにしようり話題を広げないようそそくさと冷蔵庫の前へ避難する。上手く生き残るための処世術というやつだ。
お風呂次どうぞと伝えると彼は返事こそしたもののその後もテレビ前から離れる様子はなく食い入るように試合を観戦している。バスケと違ってポンポン点が動く訳でもないのに何が彼を 夢中にさせるのだろう。
コップにお茶を並々注ぎちょっと試合が気になってソファに座る。一人暮らし用の部屋にコの字に3つもソファを並べてあるなんて変な話だ。知り合いが来る予定でソファを3つ買ったとしたら少し面白い。テレビに向かって真正面のソファに座る糸師君の左に置かれたソファに座る。最近ここが私の定位置になりつつある。
リモコンの主導権は当然ながら家主の手が握っており、頻繁に巻き戻される映像を広告同然に眺める。映像を戻しても止めても同じ情報しか頭に入ってこない。同じ選手ばかり見て何が面白いのか。早速暇を持て余しはじめた名前は部屋に戻るかどうか、どちらにしようかと神様に判断を仰いでいると単調な試合運びに大きな変化が起こった。
実況者の雄叫びに続き、上がる観客の歓声を一身に受け、液晶越しの視線すら独り占めにした選手はチームメイトに揉みくちゃにされながら膠着した試合から1点をもぎ取った。スペインのチームに所属するアジア出身の選手。字幕に表示される『蜂楽 廻』の名前とその経歴を流し見、聞き覚えのある単語に引っかかり徐ろに視線を後ろへ向ける。

「へ〜この選手日本人なんだ。ブルーロック出身って事は君の知り合い?」
「…」

何その顔。スンって。今どういう心境?それとナチュラルに無視されたんだが。
機嫌が悪いと口数が極端に減り心の中での罵倒が増える。最近になって学んだ糸師凛の生態だ。そして失策と分かっていつつもこの居心地の悪い間を埋めようと私は必死で話しかけてしまう。

「い、今の選手すごいドリブルだったね!…ドリブルであってる?」
「ニワカがしゃしゃんな。今のはルーレットスピンっつうドリブル技だ」

ルーレットスピン。なんかカジノに出てきそうな技名だ。ルーレットスピン。よし、覚えた。覚えたぞと意思表示のために一応指を鳴らしておこうと思いパチんっと指を擦り合わせると後ろから舌打ちで抗議された。生理前の女子並みに機嫌悪いんだが。

「キミもこれできるの?」
「は?お前誰に向かって聞いてんだ?」
「え、だって糸師くんって常にシュート打ってる姿しかテレビに映らないから、こういう技できるのかなーって」
「よゆー」

いちいち癪に障る言い回しをする人だ。だが、
たいてい『余裕』と発言する時はハッタリが多い中この人の場合は本当にできるだろうから聞いたこっちは納得せざるを得ないし茶化すことも出来ない。きっと常人には想像もつかない努力を1日も欠かすことなく積み上げているからこその自信満々の発言なんだろう。凄いなぁとは思う。だがその人を小馬鹿にしたようなドヤ顔を見ると『凄い』の前に『可愛げないなぁ』の感想が浮かんでしまう。
友達いなさそう。いても1人。だがマブダチではなく都合のいい時だけ連絡を取る相手。心の中を読まれたが最後、秒で家から追い出されるかなり失礼な発言をつらつらと心の中で呟いているとまたGOALの大きな文字と共に興奮気味の選手がグラウンドを駆け回る姿が画面いっぱいに映し出される。チームメイトと手を打ち合うその選手の見覚えのある顔に、シラケた顔へと振り返る。

「今ゴール決めた選手、もしかして前に糸師君が話してた人じゃないかな。えっと、いさ、いさの、あ、潔選手?」
「…ちっ」

亀裂のはいる幻聴が聞こえた直後、リビングには不穏な空気が流れる。どうやら今の発言は彼の逆鱗に触れてしまったらしい。
リモコンを投げ風呂場に向かう。リビングに一人残された名前はまたやってしまったなぁともう何度目になるか分からない1人反省会を開き、後悔の言葉の代わりに重たいため息をついた。

ニュース見て寝よ。
家主が風呂に入っている間だけリモコンの主導権を握り、日本語字幕と映像を照らし合わせ今日一日の出来事を振り返る。相変わらずフランス語は何一つ聞き取れないしテレビの外の世界は部屋の中に引き篭る私には映像全てが映画のワンシーンに見える。殺傷事件、華やかな街のイベント、経済悪化、スポーツの勝敗。私の世界には無関係の出来事ばかりで、何となく蚊帳の外のような気分だ。大きなクマのぬいぐるみの首元に腕を回し重たくなる瞼を上げたり下げたりを繰り返す。そしてふと『あ、寝てた』と寝落ちした事を自覚しグワッと瞼を持ち上げると部屋の灯りが消されていることに少し戸惑った。

「あれ…」

意識を飛ばす前は電気がついてたはずだ。寝落ちしている間に糸師くんが電気を消したのだろう。少し乾燥気味な目頭ごと目を擦り反射で起こった欠伸を手で隠す。つけっぱなしだったテレビはいつの間にかニュースではなく緊迫した絵が流れており、何かが忍び寄ってくるような不吉なbgmをバックに主人公らしき男性が呼吸を荒くして猟銃を握りしめている。サスペンス映画だろうか。題目が気になって手元に転がっているであろうリモコンを探すも、床にもソファの隙間にも挟まっておらず、ふと人影を感じ右斜め後ろへ頭を向けるとまるで玉座のようにソファに座る唯我独尊男とその手に収まるリモコンを発見し納得した。少し意識を飛ばしている間にお風呂から上がりリビングで映画鑑賞会を始めていたらしい。壁掛け時計を確認すると時刻は夜の10時23分。30分くらい眠っていたようだ。なんの映画見てるんだろう。気になってちょこっとだけ鑑賞会に参戦する。
出演者を見るに洋画。映像の雰囲気や画質の荒さから90年代以前の映画で、場面展開的にサスペンス映画。そう思って寛いでテレビを眺めていた名前はテレビの向こう側、暗闇の中に立つ怪しげな男が血塗れの崩れた顔を画面いっぱいに映し出された直後、思考は停止し伸ばした両足は反射的にソファを強く蹴飛ばした。

「びっ!!!?!?!ちょい゛っ!!?ったたぁ…」
「何やってんだお前」

ソファの中央に配置されたガラスの長テーブルを巻き込んだ派手な転落だった。強打した箇所を手で押さえ苦しみ悶える名前を凛は哀れみとは程遠い奇妙な生態を目の当たりにしたとばかりの好奇な視線を送る。幸いテーブルには何も置かれておらず倒れた割れたはなかった。
絶対明日痣ができてるやつだ。床に転がる私へ差し出される手はない。それどころか死にかけの蝉並の暴れ様に糸師くんはハッと鼻で笑い優雅に足を組みなおした。コヤツめ!

「真っ暗な部屋でホラー映画見るとか正気かっ!?」
「は?映画は暗くしてみるもんだろ」

くっ、正論だ。ごもっともな反論に何も言い返せないのが悔しい。

「おい、そこに蹲るとテレビの端が切れるだろ。立つか這い蹲るかどっちかにしろ」

そして相も変わらず他人を労わる心を知らない。立つか這い蹲るかって。言葉選びからして暴君丸出しでホント嫌になっ…

あれ、立てない。

両手を床に立て足に力を入れる。打ち付けた箇所が痛いのは言うまでもないが指先の感覚が消える程長く正座した後のように全く力が入らない。腰が抜けるってもしかして今の状況を指す言葉なんだろうか。すごい、全然足に力が入らない。名前が人体の不思議に興味を募らせている間にもテレビの端を遮る邪魔者へ凛は苛立ちを視線で訴えかけてくる。
いや、違うんです。私も邪魔したくて邪魔しているわけじゃなくて、ほんと何故か分からないけど足に力入らなくて、でも這い蹲るのはお互い気分悪くないですか?一応同居人を床に横たわらせたままホラー映画見ても集中できないだろうし、私も床に転がったままホラー映画の音声なんて聞きたくないですし。
名前はゆっくりと背後へ振り返る。視線で訴えても伝わりそうにないため顔色を伺いながら要件を述べる。

「…あの〜」
「なんだよ」
「腰抜けたみたいで、手を貸してくれませんか」
「ちっ」

ちょっとだけ手を貸してほしいだけなのに至極面倒だと言わんばかりの舌打ち。この人の感情は恐らく怒りと無の二択しかない。
救いはない。ならば足に力が入るまで床で大人しく転がっておこうかと仕方なく床に伏せる。するとやはりこれでも画面の端を遮って邪魔だったのだろう。糸師くんは渋々といった様子で組んだ足を下ろし立ち上がった。

「ったく、手がかかる」


こういう余計な一言さえなければ完璧なのになぁ。上陸したての人魚みたいなポーズで待機する。俵担ぎでもなんでもいい。適当に自室の入口に放り投げてもらえれば御の字とかなり低く見積っていた名前は、ソファに片足を乗せながら横たわる体の肩と膝裏に腕を回しヒョイっと抱えあげた凛に唖然とした。この糸師凛そっくりの紳士的な方は何処の何方?
流れるように抱き上げ座っていたソファに下ろされる。凛の意外過ぎる行動に名前の思考は追いつかず、瞬きしている間に打ちつけた体はソファのやわらかさに包み込まれていた。花瓶を割った時によく似てる。怒るかと思ったら怒らず、雑に扱われると覚悟した時に限ってガラスのように丁寧に扱われる。こういう時たまに見せる優しさに甘やかされている気がする。…いや待てよ、ぜんぜん甘やかされてなかったわ。

「あのぉ〜、手を貸してくれたのは凄く嬉しいんですが、できたら部屋まで運んで欲しいなぁ〜なんて。ほら、見てのとおり私ホラー苦手で」
「今いいとこなんだよ。部屋に戻りたきゃ自力で戻れ」

ホントね、こういうところだよ糸師くん。一見100点満点の優しさに見える行動も数多くの減点で差っ引かれ結局45点に落ち着く雑な優しさが糸師 凛クオリティである。
確かに腰を抜かした私に落ち度があるし頼んだとおり手を貸してくれた糸師くんには感謝している。流石に部屋まで運んでくれは図々しかったと反省はしている。でも反省をした上でホラー映画から逃げられない現状に私は頭を抱えるしかない。
クマもクッションも床に落ちすがるものが何も無い。目を瞑ることで視界をシャットダウンし両耳を塞いで音を遮る。立てそうと判断したら1秒でも早く自室に駆け込んでやる。残り何分でエンディングを迎えるか分からない映画に名前は身震いしながら仕事放棄した腰の機嫌が戻ることを今か今かと待っていた。しかし突如ドンッと両肩を叩かれ可動域限界まで肩が跳ねた直後、

「わっ!」
「ぎゃっ!!!?!?ちょ、い゛っ!!!たぁ…ちょっと!!!」

耳を塞ぐ手の隙間に割り込んだ大声に名前の思考は再び白紙化し、視界が大きくぶれた次の瞬間にはまた床に転がってジンジンと痛む箇所を押さえていた。盲点だった。まさかこんな子供っぽい事をする人だったとは。
恨みをたっぷり込めた目で睨みつけるも糸師くんはまたしてもスンッとした顔で私を見下ろしている。ほんとこの人なんなの。どういう感情?名前はカーペットの毛をむしる勢いで掴み憎悪を募らせる。

「許さぬ…この恨みはらさでおくべきか」
「おー。せいぜい頑張れよ」

1度は気まぐれで助けてくれたらしいが2度目は自力で立てと完全放置のようだ。とはいえ自力ではどうふることもできない為に名前は両耳を塞ぎ映画が終わるまでの間床の上で耐えるしかなかった。とりあえず今日はっきりした。糸師凛、性格悪すぎ。
漸く迎えたエンドロールを早送りで飛ばした自己中男は「俺は寝る」の一言だけ言い残すとテレビも部屋の明かりも消し床に転がる可哀想な女に一瞥もせず自室の扉を閉めた。
真っ暗なリビングで行動不能なビビりは1人映画の余韻と共に取り残されあまりの理不尽さに床を叩いた。あの自己中野郎。末の代まで呪ってやる。呪い通り越して殺意すら覚えたことは言うまでもない。

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