なんのために生まれたんだろう。地面に視線をベッタリ張りつけ自問自答してばかりの人生だ。完璧な人は何をしても完璧で、無能な人間は何をしても無能で人の足を引っ張ることしか出来ない。無能から抜け出すための努力はしているつもりだ。でも彼の反応を見る限りでは結局私の努力はただの“つもり”止まりで、周囲と差別化すらできない私は一生無能の烙印を背負ったまま人に頭を下げ続けるのだろう。
学生寮の裏に呼び出す時の彼は決まって完璧な笑顔で私のことを“なまえさん”と呼びお茶会を理由に呼び出す。彼はそれはもう体裁を気にする典型的な貴族だった。演技に余念はない。けれど一度二人っきりになれば優しい仮面を剥ぎ取り“役立たず”と頭ごなしに怒鳴りつける。身長差を利用して私をきつく見下ろしもてる限りの語彙で罵り自己肯定感を根こそぎ削いでいく。こう見えて私もいちおう貴族だった。でも生活水準はそこらの平民の子と変わらず、豊かな財も紋章も持たない私はそれを全て兼ね備えた彼の靴を舐める奴隷だった。もう何年も同じやり取りを繰り返している。彼が意味も無く喚き散らし、私が申し訳ございませんでしたと頭を下げる。頭ごなしに叱られ靴先を見つめる時間ほど苦痛に感じるものは無い。それに申し訳なさそうな顔をしないと彼は何時までも機嫌を損ねるから隠し持っていた裁縫針をギュッと掌で握りしめ涙が流れるよう痛みに耐えた。彼が士官学校に入学することは前に1度聞いていた。でもまさか同じ時期に入学するなんて思ってもみなかった。だって彼は私より5つ年上だからてっきりもう卒業したとばかり。
プツッと貫通する痛みを今日も奥歯を噛み締め耐え忍ぶ。片方の瞳から涸れ川のように流れる涙に彼は気を良くして私の髪を掴み激しく揺らす。そうすると抜けていく髪の本数と同じ涙の粒が落ち、堪えきれなかった悲鳴に彼は悦に入った顔でお前は本当に無能だなぁと空っぽの頭を叩くのだ。お前は生きている価値がない。俺がいなければ何も出来ない。なんて可哀想な奴なんだ。彼が描く理想の女を押し付けるように遅延した空っぽな頭を叩き、その度に私は遅延した空っぽの頭を使ってどうすれば価値ある死に方ができるかを考えるのだ。どうしたら完璧になれるのだろう。どうしたら無能から脱することが出来るのだろう。痛みが泣くともボロボロと今度は両目から流れ始める涙に我ながら見苦しいなぁと制服の袖で擦った時だ。陽気な口笛を吹き鳴らして歩く高い踵の音がすぐ目の前で止まり、服が擦れ合う音とヒュっと息を飲む笛のような音に私は恐る恐る顔を上げた。初めて見る顔だった。女性にも男性にも見える綺麗な人。ほんのりと香る高級な香油の匂いを漂わせるその人は彼の首に腕を回しニヨニヨと含みのある笑みで青ざめた顔を覗き込んでいた。

「一端の貴族様が女泣かせるなんてアンタ以外に趣味が悪ぃなぁ〜いつもの笑顔はどうした?それともそっちが本性ってとこか??」
「ユーリス...!!お前には関係ないだろ。穢らわしい地下の溝鼠が口を挟むなっ!!」

知り合いにしてはあまり仲は良さそうには見えなかった。彼は現れた人をユーリスと呼び、珍しく演技を捨てた態度で首に回った腕を解いた。おっ!とユーリスさんは驚いた声を上げるが両手を上げたままとても余裕げに笑っている。爆弾のようにいつ破裂するか分からない彼の癇癪を怖いとは思わないのだろうか。ユーリスさんは何のために彼の肩に腕を回したのだろう。とてもからかいにきた風には見えない飄々とした態度のままユーリスさんは私の顔を一瞥し妖艶に口元を引き伸ばすとまるで仮面を付け替えたように彼の肩を優しく叩き肘置きのように寄りかかる。その怖いもの知らずな態度に私はまるで自分が彼を肘置きにしているような気分で心拍数を早めながらもその大胆な行動を取れる度胸がとても眩しかった。

「ふ〜ん...そんじゃ溝鼠は大人しく地下へ退散しようかね...っと、忘れるとこだった。エミリア嬢がお前に伝言だってよ。昨日の夜は楽しかったって。いやぁ〜婚約者持ちってのはいいご身分なこって。あっちこっちで女を抱いて、婚約者の前では王様気取りとはね」
「くっ...ゆ、ユーリス、お前覚えとけよ!!おいなまえ、お前この事を父上に報告してみろ。お前の家を跡形もなく潰してやるからな!!」

唾を吐き人差し指を立て粗暴な姿を晒して彼は逃げるように何処かへと走り去った。彼の怯えた背中を見たのは生まれて初めてだった。いつもより小さく見える背丈に私は恐る恐る肩の力を抜き手に込めた力を緩めた。ちょっとだけ心がすっきりしてる、なんて口にしたらまた髪を捕まえに彼は戻ってくるだろうか。逃げる背中にざまぁみろとユーリスさんは腹を抱えひとしきり笑うとまたコロッと表情を変えて災難だったなと私に声をかけた。改めてユーリスさんと視線が交わる。中性的でとても記憶に残る顔立ちをしているが、士官学校の制服を着ていながらも入学して一度も彼を見かけた覚えがない。それに級長を指し示す白い外套も初めて見た。

「あ、あの...ありがとうございました」
「礼なんていらねぇよ。アイツに泣かされた女から仕返しして欲しいって頼まれてそのついでみたいなもんだ。そんなことより手見せてみろ。足元に血が垂れていたぜ?」

指摘され足元を見ると彼の言うとおり小雨が降ったような血の跡が落ちていた。今日は少し握りすぎたみたい。ずっと背中に隠していた両手を彼の目の前で広げると彼は眉間に皺を寄せた。それもそうか、握りしめていた裁縫針が皮膚の下に潜り込みとても直視できない悲惨な有様だ。汚い。いっそ手を切り落としてしまいたい。でもユーリスさんは細くしなやかな指で私の掌に触れ艶やかな爪を立てながら肉を押して裁縫針を抜き取った。

「...こりゃ酷ぇなぁ。痛かっただろ?俺様が言っても説得力はないかもしれねぇが、あんま自分の体傷つけんじゃねぇぞ?自分を大事にできるのは自分だけなんだからな」

痛くないか?と回復魔法をかけるユーリスさんに私は本心を隠して首を横に振る。するとユーリスさんは呆れたように眉を八の字に曲げて「そこは痛いって言うもんだ」と額を弾かれた。今のは…ちょっと痛かった。でも髪を掴まれていた痛みと比べたら全然痛くもないし不快感も感じない。なんて言うか、優しさがあった。自身の愉悦と自己満足の為じゃなくて私の馬鹿な行動を咎め自分を大切にしろと目を覚ます愛情みたいな。
どうして懐に包帯を忍ばせていたのか気になったけれど彼は何も質問させまいと言わんばかりにキュッと幹部を圧迫するように結び目をつくり手を離した。マヌエラ先生以外に処置されたのはいつ以来だろう。なんだか宝物を貰ったみたいに胸がポカポカする。凄く温かい。手も、胸も。何かをしたらその見返りを。そんな常識を蹴飛ばすかのように彼はお礼を要求せずじゃあなと手を振って踵を翻す。対価ありきの優しさ、そんな世界にどっぷり浸かって育った私には彼の常識を逸脱した行動に思わず声を張り上げ引き留めた。

「待って!...あの、士官学校の生徒さん...ですよね。名前、聞いても?」

個性が際立つ容貌だった。探そうと思えば直ぐに見つかりそうな気はしたけれど、名前を知らないと探そうにも何かと不便だ。せめて名前だけでも。訝しげに振り返った彼へ私は自分の名前を告げた。しかし彼は私の名前を聞くと顔を顰めるだけで彼自身の名前を教えてはくれなかった。なぜなら彼は...

「やめときなお嬢ちゃん。俺様に関わるとろくな目に遭わねぇよ。陽の下を歩けるうちは胸張って前だけ向いて歩きな」

婚約が破談となった日。寮の裏に呼び出し怒り狂ったように私を罵倒し去っていった彼からあの時の恩人について色々と教えてもらった。ユーリス。ユーリス=ルクレール。元士官学校の生徒で、現在はアビスの住人として盗賊まがいなことをやっている極悪非道な人間だと。アビスのことは噂越しに私もちょっとだけ知っていた。大修道院の地下に住む後暗い人達の巣窟。盗賊や殺し屋や魔物達が彷徨いていて大修道院の行方不明者は皆アビスに連れていかれたとか。アビスは悪い人達が鼠のように住み着いている地下街。でもユーリスは噂で聞く悪童には見えなかった。見るに堪えない私の怪我を治してくれた。自分を大切にしろって叱ってくれた。悪党はユーリスやアビスを悪く語る彼の方だ。だから…清々した。婚約が破談になった日初めて生きた心地がした。もう怯えて暮らさなくていいんだってホッとしたんだ。
でも嬉しいことが1つ起こるとまるで鎖で繋がれたように悲しいこともまた1つ起こる。婚約者の言い分ばかりを鵜呑みにした両親からはお前は不要だと書簡一枚送り付けられ私は実家に帰ることなく勘当を言い渡された。士官学校を卒業するまでの間は援助してくれるらしいが、それ以降は赤の他人だって。どうしようか。ずっと言われた通りの道を歩いていただけなのに急に自分で道を決めて歩けなんてできるわけが無い。大修道院で働こうか…いや、こんな無能を大司教様が拾ってくれるわけない。誰もこんな無能必要とする人なんて、

「よぉ!久しぶりだな。元気してたか?ん?...はぁ!?両親から勘当されただぁ!?行く宛てはあるのか?...へ、へぇ…そっか。あー…なぁ、行く宛てがないならアビスに来るか?まぁ今回の件に関しては半分俺様のせいってのもあるし、アンタ一人じゃ生きていけるほど図太くなさそうだからな。湿っぽいとこだが衣食住は保証するぜ?もちろん、それ相応に働いて貰うけどな」

アビスに落ちたものは二度と戻らない。これはアビスの住人になる人は皆地上を歩けない理由があって戻りたくても戻れない、もしくは戻る必要が無いから戻らないだけとユーリスが教えてくれた。士官学校を卒業後、私はユーリスの手を取り地上を去った。アビスの住人に仲間入りすることに抵抗はなかった。貴族の肩書きには苦しめられてばかりだったし、紋章持ちでもなければ才能もない空っぽの人間だったから周りから期待される環境には嫌気がさしていた。地上に未練なんてこれっぽっちもなかった。
アビスの規則は単純明快で皆が平等。故にアビスのみんなの為にどれほど貢献できるかが存在価値だと言う。
ある人は前職を活かして酒場で働き、魔法が得意な人は地下で魔道を研究し生活水準の向上を目指したり、小さな子供達は洗濯や掃除をして大人たちの手伝いをするんだとか。アビスでの暮らし方をユーリスから一通り教わって、彼の口添えもあり私も難なくアビスの環境に溶け込んだ。頼れる人を何人か紹介してもらい私も皆の役に立つためにさっそく仕事を請け負った。仕事の内容はそう難しいものじゃなくて、炊事とか掃除、あと川で洗濯。教えてくれるのは子供達や人あたりの優しい大人達ばかりで、皆とても仕事熱心だ。地上から来たよそ者にも丁寧に仕事を教えてくれる。だから私も彼らから教わることをしっかり聞いて、私を拾ってくれたユーリスの恩に報いるためにも一生懸命働いている...つもりなんだけども。

「ちょっとお姉ちゃん何してんの!!!洗濯物流されてる!!!!」
「え!?あ、ごめんなさい!!急いで拾って...きゃっ!!?」
「あー、この川深いんだって。何やってんだよ全く。おい、お姉ちゃんを誰か引きあげて。洗濯物は俺が拾ってくる」
「ご、ごめんなさい...」

おかしいな。士官学校に通ってた時は洗濯物は自分で洗ってたはずなんだけど。そもそも洗濯って桶とかに水を張って石鹸とかで汚れを洗って干してとかそういう流れじゃなかったっけ。少なくとも流れの速い川で衣服をつけた覚えはない。こうやって洗うんだよーと川を利用した洗い方を教えてくれる子供達に倣い私も川に衣服をつけたのだが、川の冷たさについ衣服を手放してしまい誰かの衣服は川の下流へどんぶらこどんぶらこ。追いかけろと言われて追いかけようとしたら足を滑らせ川に落っこちるし、洗濯物は下流ヘ流され行方不明になるし、子供達からは何をやってるんだときつく叱られて散々だ。お姉ちゃんに洗濯はまだ早いと子供達から洗濯係を解雇され、気持ちを改め次のお仕事を請け負うも

「あーあー、鍋の底焦げてる。これじゃあ料理として出せないね。はぁ、アンタ士官学校に通ってたんだろ?料理は教えてもらわなかったのかい?それとも貴族様は厨房に入ったこともなかったとか?」
「うっ...ごめんなさい」

混ぜろと言われ大鍋をかき混ぜていた。しかし混ぜろの意味は火加減に気をつけながらかき混ぜろの意味だったらしく、鍋の底は焦げるし料理は苦いしお皿も数枚割ってしまった。食事というのは料理名と個数を係の人に言えば勝手に出てくる。料理ってそういうものだと思ってたからまさかこんなに複雑な工程を経てあんな美味しい料理ができてたなんて知らなかった。
厨房はいいから接客をしてこいと言われお盆片手に客席を回るも誰が何を注文したか分からなくなって、今度は遠回しに解雇させられた。多分決定打はお客に提供する料理を転んだ拍子で顔面にぶつけた事だろう。

「わ、私の最高傑作が...!!め、目眩が」
「あらまあ...でもちょうど良かったじゃん。コニーこの前部屋の空間が狭くて困ってるって言ってたし、これで心置きなく魔法の研究できるよ」
「誰が私の最高傑作を瓦落多にして空間を広げろと!!?」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!」

洗濯も料理も散々な結果で終わった。でも掃除なら自室でもよくしていたし、士官学校でも掃除の手解きを学んだからこれなら私も皆のために役立てると思っていたけれど...壊れ物かと思ってごみ捨て場へ投げたものがまさかコンスタンツェの魔道具だったとは。だ、だってかなり埃被ってたし、塵箱の横に置かれてたからてっきり捨てて欲しいから置いていたのとばかり...

「「「余計なことすんな!!」」」
「ご、ごめんなさい...」

嗚呼、駄目だなぁ私。何をやっても上手くいかない。皆の役に立つところかみんなの足を引っ張ってばっかりだ。頼むからこれ以上厄介事を増やすなと住人一同から叱られピリピリした空気から逃げるように電気が消えた灰狼の学級の教室へ駆け込み瓦落多の隙間に埋まった。誰か私もコンスタンツェの魔道具のようにうっかりごみ捨て場に捨ててくれないだろうか。洗濯も料理も掃除もできない。致命的な欠陥だらけの自分自身に嫌気がさした。アビスを追い出されたら私何処に行けばいいんだろう。そもそも生きていていいのかな。“あの人”の言ってた事は全部正しかったんだと、どんなに頑張っても消すことが出来ない無能の烙印に押し潰され、このまま消えてしまいたいと膝を抱えて丸まっていると真っ暗な教室が突然明かりが灯り顔を上げた先にはユーリスが立っていた。

「よっなまえ。相変わらず辛気臭い顔してんなぁ。今日は何やらかしたんだ?当ててやろうか?コンスタンツェ絡みだろ?さっき呼び止めたら額に筋立ててたぜ?」
「うっ...その、掃除をしてたらコンスタンツェの魔道具をうっかり捨てちゃって。せめてもの埋め合わせに私も瓦落多としてコンスタンツェの魔道具と同じ塵捨て場に運ばれようかと思って」

塵収集班を待っています。言葉を紡ぐ度に悲惨な結果を思い出してしまいみっともなく泣かないよう唇を噛んで涙を堪える。そんな私をユーリスは呆れたとばかりに溜息をつき塵収集班は火曜日にしか来ねぇよと水曜日も辛気臭い私の腕を引いて瓦落多から拾い上げた。
教卓下の段差に腰かけユーリスから受け取った軽食を口に運びながら今日の悲惨な出来事を嫌々語る。私にとっては思い出したくもない悲惨な1日だけどユーリスにとっては一日の疲れを吹き飛ばす娯楽として消化され、膝を叩きげらげらと笑っている。ユーリスは一見儚げな印象を与える美少年だ。だがこう見えて一人称は“俺様”だし、言動は賊のように荒々しく笑いのツボに入った時の彼は脚を開き豪快に笑う。そう、こんな感じに。

「だーっははは!!!おまっ、お前本当すげぇな!!ここまで来たら天才だ!ひぃ...はぁ〜ぁあ。ま、コンスタンツェの私物が減ってアビスが少し広くなった事だし俺様的にはちょうど良かったと思うぜ?」
「気休めはよしてください...私、やっぱり無能ですね。やることなすこと周りに迷惑かけてばかり。ユーリスには私の尻拭いばかりさせて本当に申し訳ないです」

私が周りに迷惑をかける度に保護者枠のユーリスが尻拭いをしていることを私は知っている。洗濯物が流された日はユーリスが下流までわざわざ探しに行ってくれたって聞いた。料理が焦げた日には地上から食材を調達して私の代わりに大鍋をかき混ぜたとか。前に借金取りとは知らずうっかりバルタザールの居場所を教え人質として連れ去られそうになった日には剣幕な顔でユーリスが助けに来てくれた。本当に私は周りに迷惑しかかけていない。ユーリスだって迷惑だと思ってるはずなのに、彼だけは余計なことをするなと怒らない。1度だけ「知らない奴とは話すな!!」と怒られた時はあった。でもそれは私の身を心配して怒ってくれたあの日の包帯みたいなもので、ユーリスはいつだって私を見放しはしない。それが嬉しくて、頑張ろ!って思って、失敗する度に胸が苦しくなる。
私はやっぱり無能だ。心の中で呟いたはずがうっかり口に出してしまってたらしく、ユーリスは面倒くさそうに髪をかくとしっかりしろよ!と私の背中を叩いた。

「なぁなまえ。無理して役に立とうなんて考えるから失敗するんじゃねぇのか?お前にはお前のできる範囲ってもんがあんだろ?」
「私にできる範囲なんて...何ができるかも分かりません」

悲劇の女優ぶってるわけでも、私できないんですと可哀想を振りまいているわけでもない。皆の役に立つことがアビスで暮らす人達の最低条件で、それを満たすことも出来ない私はただ純粋に焦っていた。ここを追い出されたら私には居場所がない。役に立たなくちゃ。早く何か役割を得ないと。でも焦りに駆られて何をやってもずっと空回りしてばかり。これを不良品と言わずしてなんて言うの。私は何も出来ない。湿っていく瞳を服の袖で拭う私の横でユーリスは小首を傾げて1つずつ指を折る。

「そうか?文字の読み書きはできるだろ?あと魔法も扱える。金の払い方も分かるし、あーあと一般常識もあるだろ?なんだぁ、色々できることあんじゃねぇか!まったくなまえは贅沢な奴だなぁ〜」
「で、でもそれって、誰でも出来ることじゃ!」
「その誰でも出来ることが出来ない奴らがここにはゴロゴロいんだよ。何でもかんでもお前基準で物事を考えんな」
「あだっ...!」

うーっ。痛い、けどあと引く痛みじゃない。額を押え呻く私にユーリスは目が覚めたか?と膝の上に肘を乗せて器用に頬杖を着く。ユーリスは私がどんなにへまをしても1度だって私を無能とも役立たずとも罵らないし、罵ってくれない。それはユーリスにとって私は無能でも役立たずでもないからって前にユーリスが教えてくれた。たぶんユーリスは私という人間に何一つ期待していないから無能と罵らないのだろう。でもだからと言ってどうでもいい人間と見放しているわけではない気がする。だって私を見るユーリスの目はとても優しいから。いつも呆れさせてばかりな私だけど、いつかユーリスの喜ぶ姿が見たくて私は役に立つ姿を見せようと毎日一生懸命与えられた仕事に向き合っているわけだけど。どうやら家事じゃユーリスを喜ばせることはできないみたいだ。

「私ね、ユーリスの役に立ちたいんです。拾ってもらった恩をはやく返したくて色々頑張ってみたんです。でも...私、家庭的な人間じゃないみたいです」
「ふっ、お前そんなこと考えてたのか?やめとけよ。お前には荷が重い。そもそも川に洗濯物を流す奴に俺様への恩返しは100年早ぇ」
「ひゃ、ひゃくっ...!?」

それはいくらなんでも時間がかかりすぎて恩を返す前に私死んでるんじゃ。あっ、その顔。なんだ、からかわれたのか。でも死ぬ気で恩を返せって、そういう意味なのかもしれない。

「あの..ユーリス。いつも迷惑かけてごめっ、たぁ!?」
「ばーか。好きでやってんだ。お前が謝る必要はねぇよ。それによく言うだろ?手がかかる子の方が可愛いってよ」

ほーら恩返ししてくれるんだろ?よく食べて自己肯定感上げて俺様の為にも長生きしろよ。
そう言っていつの間にか止まっていた手を口元へと運ばせたユーリスに私は彼の望み通り大口で軽食を向かえ喉を上下させた。美味しい。ユーリスが作る軽食以上に美味しいものを私は知らない。ちゃんとご飯を食べて、頑張って働いて、いつかユーリスに恩返しするから。
鼻をすすりながら私頑張るからとこれで通算17回目の宣言するとユーリスはそこそこに頑張ればいいからな〜と毛布で包むように私を抱き締めた。はやく役に立つ人間になりたい。ユーリスを喜ばせたい。でもね、もし私が最初から有能な人間だったらユーリスはきっとこんなふうに甲斐甲斐しく世話を焼いてくれないし抱きしめてもくれなかったと思う。だからね、ほんの少しだけだけど、手がかかる子で良かったと巫山戯た事を呟きながらユーリスの心地よい温かさに絆され、今日も私は図々しく目を瞑るのだ。そして明日こそはと意気込みながらも彼に捨てられないよう制服の袖を握りしめた。
 

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