引力には逆らえない
「2年の瀬川雅です。えー、1年かけて監督に口説き落とされました。私の心は監督の物なのでご留意ください。よろしくお願いします。」
ふざけた自己紹介をした女に対して、俺の横で大笑いしている馬鹿と、呆然とする部員。監督はため息を吐きながらその女に頭を下げさせた。
キャプテンだけが真面目な顔で拍手を送っているが、あの人も大概意味不明だからシンパシーでも感じたのだろうか。
「お前は俺から職を奪う気か。」
「それもひとつの手かと。」
「言質は取ったぞ。」
「あっ。」
監督とのコントのようなやり取りを見ながら、何となく聞き覚えのある瀬川雅という名前を記憶から探る。こんな無駄にインパクトのある女は一度見たらそう忘れないだろうし、じゃあどこで聞いたんだ。
「まあここまでの流れでお分かりいただけると思いますが、私はマネやる気無かったんですけど、会うたび口説いてくるオッサンがめんどくさくなったので嫌々ながらも交換条件で承諾しました。一応約束したんでちゃんとやります!適度に頑張るのでよろしくでーす!」
ちゃんとやる、の直後に適度に頑張る、と言っているあたり、こいつも馬鹿なのだろう。
「監督、どうして瀬川さんなんですか?」
恐らく全員が思っているだろうことを臼井先輩が訊ねた。監督がわざわざ声をかけるという事は何らかの理由がある筈だ。
「それは私が無部だから!」
「それもあるが…、まぁ、そのうち分かる。」
監督は意味深な言葉だけを残して、立ち去った。結局初日は瀬川雅が何者なのか分からず終いとなった。
*
「君下くん。サッカーのルールで確認したい事あるんだけど、いい?」
「あ?喜一はどうした。」
「大柴は馬鹿だから要領を得なくて嫌。」
瀬川はうちの部のマネージャーになってからというもの、大体は喜一にあれこれ訊いていた。2人は去年同じクラスだったらしく、元から顔見知りらしい。部員に詰め寄られた喜一が言っていた。だから最初の自己紹介の段階で喜一は1人で笑っていたのだ。
「それは賢い判断だな。いいぞ、何でも聞け。」
「ありがとう!」
最近瀬川は笑うようになった、と思う。最初の不機嫌そうな、不服そうな、そんな立ち振る舞いが嘘のようにご機嫌だ。
最初は奇人だ、変人だ、と騒いでいた部員も今ではすっかり仕事をこなすコイツに、女子マネだと舞い上がっている。瀬川がうちの部に来たのなんてつい数日前だというのに、全員が全員、たった数日でとんだ掌返しだ。
もしかしたら、他人ヅラしてる俺だって、喜一じゃなく自分を頼ったことを内心喜んでいるのかもしれない。
2018/07/03