カメリアシンドローム


御幸一也にキスされた。



頭で理解したと同時に私の右腕は当人を突き飛ばし、左手は自分の口を塞いだ。
どうしてこんなことになったんだ。私と彼はただのマネージャーと選手で、ただのクラスメイトの関係でしかない。他のクラスメイトよりはよく話す自覚はある。ただそれだけで、選手とマネージャーとして、良好な関係だ。逆に言えばそれしかない。どうして、私はどこで何を間違えた。


「な、んで…。」


辛うじて口から出た言葉はいつもの私のものではなかった。まずは突き飛ばした相手の怪我の有無の確認が先だ。うちの大事な正捕手様なのだ、間違ってもこんなことで怪我なんてさせてはいけない。今は秋大真っ只中なのに。


「お前が俺を見ないから。」


アホらしい理由に苛立ちを覚える。私はこの人を見ていないわけではない。私は部員全員を同じだけ、必要に見ている。僅かな異変でもいつでも気付けるように。それは夏のクリス先輩の一件から特に気を付けている。


「いや、違うな。どちらかと言えば、」


私に突き飛ばされて、床に座り込んだまま、見慣れた眼鏡越しに私を見つめてくる。
射抜かれるような視線に私は身動きが取れないままだ。


「雅が自分を見せないから。」

「…なに、それ。」


私はいつだって私で居た筈だ。マネージャー業務に日々精を出し、学業も怠ること無く、私は春から変わらぬ私の筈だ。私が自分を見せないなんておかしな話なのだ。私の精神的な、或いは感情的な、そういう話ならば常日頃から適度にしている筈だ。私情を挟んで申し訳ないけれど、なんて、枕詞まで付けて話す事さえあるのに。


「俺は何でもそつなくこなす雅に惚れた。それと同時に完璧な瀬川雅の仮面を剥がしてやりたくなった。」


完璧な瀬川雅、その言葉に安堵してしまう。そう見えていたのならば良かった、どんなに気を付けていたって根底にある私の性格は変わらないのだからそれがいつどの瞬間見え隠れしていたかと常に試行錯誤しながらの日々なのだ。惚れた腫れたなんて話はいらない。


「お前が器用に取る選手とマネージャーの距離が腹立たしかった、試合結果に関わらず常に笑ってるお前の本心が知りたかった、オーバーワーク気味なのに誰にも助けを求めないことにもどかしさを感じた。」


つらつらと並べられた言葉に全て心当たりがあった。だけどそれを変えるつもりはない。私はどこかで間違ってしまったから、上手く距離を取れなかった、それだけは今反省点としてある。


「何となく、雅の本質が分かった気がする。」

「それで、どうするの?完璧主義なマネージャーは腹の底はこんな性格してますってバラして歩く?」

「どうしてそうなるんだよ。」


ずっと絡まったままだった視線がついに逸れた。御幸はついに立ち上がって、離れた分の距離を再び詰める。


「お前に惚れたって言っただろ。」


私の本質が分かった、と言っていた。それでなお私を好きだと言うのか。物好きにも程がある。
西日の差し込むこの教室で、目の前の彼は私の影でおおよそが覆われる。それでも頭の先は真っ赤に照らされている。


「何を悩んでるのか教えてほしい、疲れているなら寄りかかってほしい、雅の本心に触れさせてくれ、距離を縮めさせてくれ。」


御幸の右手が私の頬に伸ばされた。受け入れてはいけない、突き放してもいけない。どうしたらいい、どうするのが正解なんだ。


「頼むから、今だけは瀬川雅の本心で話して欲しい。」


キスされたショックで既に私はいつもの私ではない。私の左手が御幸の手を振り払っていないことが答えだろう。


「青道高校野球部マネージャーである限り、私は私のままだと思う。」


完璧な瀬川雅と評されるそれをきっと貫くだろう。今この瞬間こんなことを言っている地点で崩れ去っている。いつもの私ならどこまでも何の話、なんて言って知らないふりをして見せるのだろう。誰にも気付かれない嘘をいくらでも吐き続けるのだろう。


「それが雅の望みなら、2年後にまた同じ事を言うから。」


名残惜しげに離れて行く指先に思う事はない。
次に瞬きをした瞬間に私は私に戻る。決意をしてしっかりと瞬きをする。
それを見ていた御幸は酷く傷付いたような表情で私の顔を見つめた。私の性格を知ってるくせに、そんな顔するんだ。2年後にまたと言ったくせに、今この瞬間物言いたげにするんだ。

きっと御幸は私の事を分かったつもりでいるけど、ほんの少しだって分かってはいない。2年経とうが、5年、10年経とうが私は恐らく変わらない。選手である御幸を好きになる事はないのだ。私は誰が思うよりずっと頑固で、卑怯なのだ。





2019/04/01


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